アメリカン・フードについて - その1

「ホーギー」「チーズステーキの方です」


    「何て呼ばれてるんだ、スチューか?」
    ホーギー
    「あのカーマイケルと同じか?」
    「いえ、チーズステーキの方です」
    ソニーが目を細くして僕を見た。「俺をおちょくってるのか?」
    「いいえ」
    「ようし、コメディアンだけはおちょくるな。なぜだかわかるか?」
    「いいえ」
    (『笑いながら死んだ男』p14)

デイヴィッド・ハンドラー(David Hnadler)の<ホーギー・シリーズ>第1作『笑いながら死んだ男』(原題:The Man Who Died Laughing、シリーズ全て講談社文庫)の中で、主人公スチュアート・ホーグが、元超売れっ子コメディアンのソニー・デイに何と呼ばれているのか尋ねられた場面だ。

スチュアート・ホーグは、デビュー作『ファミリーエンタープライズ』で一躍有名になり、「ニューヨークタイムズ」の書評では「80年代を拓く文学の旗手」とまで呼ばれた新進作家だった。また、すごい美人で、トニー賞を受賞したばかりのとびっきりの売れっ子本格派女優メリリー・ナッシュと結婚して華やかな脚光を浴びた。だが、2作目が書けずに行き詰まり、結婚にも破れてすきま風の入るアパートで愛犬ルル(バセットハウンド)といささかすさんだ生活を送っているところからシリーズは始まる。ちょっと長いが、冒頭部分をそのまま引用する。

    電話が鳴った時、僕はメリリーの夢を見ていた。起こされた途端に夢は消え、顔が火照って息苦しかったことだけが、心に残った。ルルは僕の頭の上で再び眠ってしまった。大家に暖房を止められて以来の彼女の定位置だ。僕は彼女をどかすと、ベッド脇の時計に焦点を合わせようとした。なかなか合わなかった。昨夜は2時半までダブリンハウスでビール割りウィスキーを飲んでいた……つまりきっかり9分前までってことだ。
    僕は受話器を取った。誰かがひどいブルックリン訛りで喋っている。誰だか知らないが、ザ・ワンにそっくりな声だ。
    「あんた、やるな。あんたは書ける」
    僕は咳払いした。「僕の本を読んだんですか?」
    「回りの連中がな。みんな感動してるよ。みんな、あんたは力強くて、それになんつうか、響くものがあるって言ってる」
    「そいつは『ニューズウィーク』だ。その引用なら本の背表紙に載っていますよ」「とにかく話そうぜ」 「いいですよ。でもまずはご自分で本を読むこと。話はそれからです。それにもうひとつ。二度と夜中には電話しないで下さい。だいたい失礼だ」
    「おい、ソニー・デイに向かって何て口のきき方だ。何さまだと思ってるんだ。俺サマか?」
    僕は受話器を置くと、ルルの下にもぐり込んで上掛けを引っ張り上げた。もうこちらから言うべきことは何もない。それが僕とルルのプライドってものだ。僕はすぐに眠り込んだ。
    (『笑いながら死んだ男』p9)

50年代のショービジネス界に天才コメディアンとして君臨したソニー・デイから彼の自伝をゴーストする仕事が舞い込んできた場面だ。ついこの間まで本格派作家として文壇の寵児だった自分がゴースト・ライターとは…ホーギーは悩みながらも結局引き受ける。元作家の意地とプライドをかけた彼の得意技は絶妙のインタビュー能力だ。30代半ばで自ら栄光と挫折の両方を経験したことにより、自伝の対象となる一癖も二癖もある有名人の心理を的確に見抜く大人の視線を持っていることだ。

ゴーストの対象となる人物は毎作タイプが異なる。第2作『真夜中のミュージシャン』(The Man Who Lived By Night)は、英国ロック界のスーパースター、トリス・スカー、第3作『フィッツジェラルドをめざした男』(The Man Who Would Be F. Scott Fitzgerald)は、タイトル通り天才作家キャメロン・ノイエス、第4作『猫と針金』(The Woman Who Fell From Grace)は、『風とともに去りぬ』のマーガレット・ミッチェルを思わせる大作家の娘、メイヴィス・グレーズ、第5作『女優志願』(The Boy Who Never Grew Up)は、ハリウッドの若き映画監督マシュー・ワックス、第6作『自分を消した男』(The Man Who Cancelled Himself)は、テレビ番組でカリスマ的な人気を誇るコメディアン、ライル・ハッドナットである。

冒頭引用した「ホーギーです」「あのカーマイケルと同じの?」「いえ、チーズステーキの方です」という不思議な会話が、このシリーズには何度も出てくる。1作に4〜5回は出てくるから、今までに翻訳されている6作で30回近く繰り返されていることになる。よほどアメリカ人には受けるのだろう。

では、ボクはどうだったか?
カーマイケルが、あの有名なホーギー・カーマイケルHoagy Carmicheal, 1899-1981)だということはわかる。ホーギー・カーマイケルは、偉大なアメリカのポピュラーソングの作曲家だ。彼の名前を知らない人でも、"Star Dust"、"Georgia on My Mind"などのスタンダード・ナンバーはご存じだろう。
ディック・ロクティの『眠れる犬』(扶桑社ミステリー)にもこんな場面が出てくる。

    「彼らはまだ尾行しているわ」彼女は言った。
    「そのようだな」ラジオのダイヤルをまわすと、ホーギー・カーマイケルの歌う『オール・バターミルク・スカイ』の最後の一節が消えていくところにぶつかった。
    (『眠れる犬』p224)

ただ、ピアノの弾き語りで有名だったことは知らなかった。時にはトランペットも吹いたらしい。そして、映画俳優でもあった。そして、あの「ララミー牧場」にも出演していた!
以上のことは、「 爵士樂堂主人のホームページ」で知りました(爵士樂堂主人というのは、すごい人です。一度覗いて見てください)。

しかし、何回もこの会話を目にしていたボクは、ずっと「チーズステーキ」を「チーズケーキ」と勘違いして読んでいたのだ。恥ずかしい!「チーズステーキ」なるものを知らなかったから、目が「チーズ○○ーキ」だけを捉え、勝手に「チーズケーキ」と思い込んでいたようだ。おそらく、有名なチーズケーキのブランドで「ホーギー」というのがあるんだろうな、くらいに思っていたのだ。それでも、この会話はおかしく、しつこく出てくるたびに笑っていた。
ところが、シリーズ第4作目の『猫と針金』(The Woman Who Fell From Grace)の冒頭、ホーグがエドワード、フレデリック兄弟に自己紹介する場面で、自分の勘違いに気がついた。

    「こちらこそ。それから、ホーギーと呼んで下さい」
    「あのカーマイケルの?」と、エドワードが柔らかな声で訊いてきた。
    チーズステーキの」
    「バッファローで食べるサンドイッチの?」と訊いてきたのは、フレデリック。
    フィラデルフィアのです。バッファローでは手羽先を使いますから」
    「さぞや、うまいんでしょうね」と、エドワードがおっとりした口調で言った。
    (『猫と針金』p10)

なんと、チーズケーキではなくサンドイッチの話だったのだ。よく読んでみると、「チーズステーキ」と書かれている。英和辞典を引っ張り出し、"cheese steak" と "cheesesteak" を探してみたが出ていない。そこで、インターネットの検索エンジンにお世話になることにした。

ちなみに、バッファロー・サンドウィッチについて調べてみたところ、これはチキン・サンドウィチのことだった。ジェイムズ・リー・バーグの『シマロン・ローズ』にバッファロー・バーガーなるものが出てくるが、これはおそらくチキン・バーガーのことだろう。

    夏も終るころの金曜の夜、私はテンプル・キャロルと一緒に、カトリック小学校の野球の試合に出るピートの勇姿を見に行った。その日私は、ピートが一人でボーに乗って野球の試合に行くのを許し、試合が終ったあと、三人で近くの軽食堂まで歩いていき、バッファロー・バーガーとブラックベリー・ミルクシェイクを注文した。
    (『シマロン・ローズ』p544)

さて、お気に入りの検索エンジンAltaVistaで"cheese steak"を検索すると、3,778ページもあったので、Advanced Web Searchで、キーワードに "sandwich" と"Philadelphia" を追加して検索してみたところ、大体次のようなことがわかった。

どんな都市にも、1つや2つは「元祖」「名物」となどの形容詞が付く食べ物がある。たとえば、サンフランシスコのサワードー・ブレッド(sourdough bread)、ボストンのチャウダー(chowder)、メンフィスのバーベキュー(barbecue)、シカゴのホット・ドッグ(hot dog)である。フィラデルフィア名物といえば(今まで全然知らなかったのだが)、ソフト・プレッツェル(soft pretzel)とイタリアン・サンドイッチ(Italian sandwich)だ。そして、ホーギーチーズ・ステーキはいずれもこのイタリアン・サンドイッチのカテゴリーに入るのだ。

ソフト・プレッツェルは、ギリアン・ロバーツ(Gillian Roberts)の『フィラデルフィアで殺されて』(Caught Dead in Philadelphia)に出てきた。『フィラデルフィアで殺されて』は、フィラデルフィアを舞台にプレップ・スクールの英語教師アマンダが活躍するドタバタ・ミステリー<アマンダ・ペッパー・シリーズ>の第一作である。ボクはこの1冊しか読んでいないのでわからないが、7作以上出ているシリーズのどこかにひょっとしたらホーギーも出てくるのかもしれない。

    ガスとわたしはひと言も交わさずに通りを横切り、広場へ行った。それぞれの思いに浸りながら、わたしたちは通りの屋台であつあつのソフト・プレッツェルを買い求め、マスタードを塗りたくった。
    (『フィラデルフィアで殺されて』p124)

フィラデルフィアには多くのイタリア系アメリカ人が住んでいるが、その中核は南フイラデルフィアだ。この南フィラデルフィアの名物がフィラデルフィア・サンドイッチと呼ばれるイタリアン・サンドイッチである。フィラデルフィア・サンドイッチに欠かせないもの、それは他ではまねのできないイタリアン・ロールパン(Italian rolls)らしい。パン皮はコチコチに硬くもなく柔らかくもなくほどよい硬さ、中身はソフトで、素晴らしいイーストの味がする焼き立てのロールパン。だから、本物のフィラデルフィア・サンドイッチは、冷凍することもできないし、運ぶこともできない。フィラデルフィアから車で1時間ドライブするような場所では本物は食べられないので「あきらめろ」と書いてある。お国自慢は全世界共通です!

ホーギーホーギーHoagie)はヒーロー・サンドイッチ(hero sandwich)とかサブマリン・サンドイッチ(submarine sandwich)に似ているが同じ物ではない。新鮮なフィラデルフィア・ロールパンをスライスし、軽くオイルをかけ、刻んだレタス、タマネギ、ロースト・ビーフ等お好みのフィリング、そしてスライスしたトマトをのせる。最後に、オレガノ、バジル、塩、コショウをかける。典型的なホーギーは、フィリングにチーズがたっぷりかかっている。たとえば、ロースト・ビーフ・ホーギーにはロースト・ビーフにたっぷりチーズがかかっている。もしチーズが要らないのであれば、はっきりと"No Cheese"と言わなければならない。ホーギーにピクルスを入れることはほとんどない。
エドワード・レンデル市長は、ホーギーを「フィラデルフィアのオフィシャル・サンドイッチ」と宣言しているらしい。

フィラデルフィアの人々にとっては、ステーキというのはチーズの入っていないサンドイッチを意味する。ステーキ・サンドイッチとは言わないで、単にステーキ(steak)と言うのだ。だから、チーズステーキ(cheese steakまたはcheesesteak、どちらのスペルもある)と言えば、チーズ入りのサンドイッチのことを意味する。アメリカでステーキと言うと、メチャクチャ厚いあのビーフ・ステーキのことを連想するが、ここで言うステーキないしチーズステーキのステーキは薄いものだ。チーズステーキは薄いステーキにメルテッドチーズをからませたフィラデルフィア・サンドイッチということになる。

以上は、"The Food of Philadelphia"というホームページに書かれていたことを要約したものだが、ここにフィラデルフィアの人がシカゴのレストランに行ったときの笑い話(?)が紹介されている。
彼は大好きな「ステーキ」を注文した。ウェイターとのちょっとしたやりとりがあって、そのウェイターはお客が本当に欲しいのはステーキ・サンドイッチだとの結論に至った。ウェイターが、精白パン(white bread)の上に見事な厚さのシカゴ・ステーキをのせたものを運んできたので、お客がびっくりしてしまったという話。

お国自慢は続く。"Philly Cheese Steak"(フィラデルフィア・チーズステーキ)という表示があった場合には注意した方がよいというのだ。チーズステーキと言えば、フィラデルフィアのロールパンで作られるものであり、先程述べたようにフィラデルフィアでしか食べられない。ことさら"Philly"と表示する必要はない。表示されている場合には、本物(authentic)ではないと警告している。実際、"Philly Cheese Steak"で検索すると、600以上のホームページがあり、それがフィラデルフィア以外の地域のホームページであることが多い。

まさか、日本語のホームページでチーズステーキのことが紹介されているものはないだろうと思っていたら、小西さんのホームページで、Pat's King of Steakという有名な店が紹介されていた。ご覧いただきたい。

もう少しホーギーについて。
ホーギーを作っているWanaという会社のホームページに、ホーギーの歴史についての記載があったので簡単に紹介しておく。

大恐慌の頃、フィラデルフィアの失業者、Al DePalmaさんが南フィラデルフィアの海軍造船所の近くにあるホッグ・アイランド(Hog Island )に職を探しに行った時、造船所の労働者が昼休みに巨大なサンドイッチをがつがつ食べているのを見た。彼の第一印象は、まるでブタ(hog)の集団だということだった。そこでDePalmaさんは職を申し込む代りに、大きなサンドイッチを出すレストランを開いた。ブタの集団のイメージが強烈に残ったDePalmaさんは、そのサンドイッチをホーギー(hoggies)と命名し、メニューに載せた。
1930年代、DePalmaさんはBuccelli's Bakeryと提携し、完璧なホーギー用のロールパンを開発した。これは、8インチのロールパンで、現代のホーギーのスタンダードとなっている。第二次世界大戦までに、造船所の労働者に24時間ホーギーを供給するために、レストランの一部をホーギー工場に作り変えた。この頃までに、DePalmaさんは「ホーギーの王様」として有名になっていた。大戦後しばらくして、名称を"Hoggie" から"Hoagie"に変えたということである。

もうひとつ。1998年ミス・アメリカのケイト・シンデル(Kate Shindle)嬢が、受賞後のインタビューで、最も好きな食べ物の1つがWanaのホーギーだと答えたというエピソードがWana社のホームページに載っている。シンデルさんはシカゴのノースウェスタン大学の学生。同社の宣伝とはいえ、ミス・アメリカとホーギー、アメリカらしくておもしろい。

これで、ようやく冒頭の「ホーギーです」「あのカーマイケルと同じの?」「いえ、チーズステーキの方です」という会話の意味が正しく理解できたことになる。わかりやすく言い換えれば、

「ホーギーです」
「あのカーマイケルと同じHoagy?」
「いえ、チーズステーキの方のHoagieです」


「ホーギー」探しをしている途中で、ミステリーに出てくるアメリカン・フードについて整理してみたくなった。人間、食べなければ生きていけないのだから、多かれ少なかれミステリーには食べ物・飲み物に関する記述が現れる。もちろん、作家によってスタイルが違い、書き込み方にもかなり差がある。

「ミステリーと料理」とくれば、誰もが<ネロ・ウルフ・シリーズ>を挙げるだろう。作者レックス・スタウト(Rex Stout)は、アメリカでもっとも愛されているミステリー作家である。森 英俊『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』によれば、1994年、全世界に数千人の購読者を持つアメリカのミステリ同人誌〈アームチェア・ディテクティヴ〉が人気投票をおこなった際、「あらゆる時代を通じてのお気に入り作家」に2位のアガサ・クリスティと3位のコナン・ドイルを抑えて、スタウトが堂々1位に輝いたとのこと。ちなみに、ディクスン・カーが12位、E・S・ガードナーは13位、エラリー・クィーンは15位以内には入らなかった。
アメリカ人に最も愛される名探偵ネロ・ウルフは、身長5フィート11インチ(約180センチ)、体重286ポンド(約130キロ)という超肥満体の持ち主である。大の仕事嫌いで、探偵調査は月1万ドルという自宅の維持費捻出のためにしかたなく引き受けている。その美食家ぶりと蘭の愛好家ぶりはつとに知られ、自分専用の料理人と蘭の栽培人を雇っているほどである。超肥満で身体を動かすこともままならず、出不精のウルフは、文字通りの安楽椅子探偵である。

ウルフ・ファンのお気に入り長編に『料理長が多すぎる』(Too Many Cooks、ハヤカワ文庫)という作品がある。15人の名料理長を5年ごとに選出する晩餐会で、その料理長のひとりが殺害されてしまう。たまたま主賓として招かれていたウルフは、料理長のひとりヘローメ・ベリンからとっておきの料理(「ソーシス・ミニュイ」と呼ばれるソーセージ)のレシピを教えてもらうことを条件に、事件の解明に乗り出すという話だ。
晩餐会が開かれる保養地カノーワ・スパーへ向かう列車の中で、ウルフはベリンと偶然に同席することになる。ベリンはアメリカにやってきたのは初めてだ。アメリカ料理を巡って火花が散る。

    「ええ、”高級料理に対するアメリカの貢献”という題でしゃべってくれと、セルヴァン氏にいわれてるんですよ」
    「フン!」とベリンは鼻をならした。「何一つ貢献なんてしてませんよ」
    「何一つ?」
    「ええ。アメリカにもりっぱな家庭料理があるってことは聞いてますよ。まだ食べてみたことはないんですがね。ニューイングランド風の肉と野菜のごった煮や、トウモロコシパンや、クラム・チャウダーや、ミルク・グレーヴィーのことも聞いています。こういったものは大衆の食べるものですが、もちろん、おいしければ、けっして軽蔑すべきものじゃありませんよ。しかし、名料理人の作るものじゃないんです」ベリンはまた鼻をならした。「そういったものと高級料理の関係は、センチメンタルなラヴ・ソングとベートーヴェンやワグナーとの関係みたいなものなんですよ」
    「なるほど」ウルフはベリンに指を突きつけると、「バターとチキン・ブロースとシェリーで煮こんだテラピンを食べたことがありますか?」
    「いや」
    「厚さが2インチもあって、ナイフをあてると熱い血がにじみ出るようなブランクド・ポーターハウス・ステーキに、パセリと新鮮なライムのスライスをそえ、舌にのせるととろけるようなマッシュド・ポテトでまわりを取りかこみ、ちょっと生焼けの新鮮なマッシュルームの厚切りをつけあわせたのを食べたことがありますか?」
    「いや」
    「じゃ、ニューオーリンズのクレオール・トライプは?酢と糖蜜とウースター・ソースとシードルとスパイスを加えてオーヴンで焼いたミズーリ・ブーン・カウンティ・ハムは?チキン・マレンゴは?レーズンとオニオンとアーモンドとシェリーとメキシカン・ソーセージ入りのどろっとしたエッグ・ソースをかけたチキンは?テネシー・オポッサムは?ロブスター・ニューバーグは?フィラデルフィア・スナッパー・スープは?まあ、食べたことないでしょう」ウルフはベリンに指を突きつけると、「美食家の天国はフランスです、それは認めますよ。しかし、フランスへいく途中でアメリカへ寄り道しても、損はないと思いますね。わたしはパリのファラモンでカーンふうトリプを食べたんですよ。たしかにすばらしいものですが、クレオール・トライプだって、あれに負けやしませんよ。それに、クレオール・トライプの方はぶどう酒のききすぎでのどがつまるようなことがすくないんです。まだ若く、今よりも楽に動きまわれた時に、本場のマルセーユでブイヤーベースも食べましたが、ニューオーリンズのブイヤーベースに較べたら、あんなものはただの腹ふさぎ、沖仲仕のバラストといったところですな。もしレッド・スナッパーが手に入らなかったら――」
    (『料理長が多すぎる』p17)

<ネロ・ウルフ・シリーズ>はこんな調子だ。物語全体に贅を凝らした料理がちりばめられて、思わず食欲をそそられてしまう。翻訳の方にはないが、原書巻末には作中に出てきた料理のレシピまでついているらしい。
参考のために、訳者が文庫の巻末に付けてくれている説明によると、

    チキン・ブロース:鶏だしのクレア・スープ
    テラピン:北米産の食用亀
    クレオール・トライプ:牛の胃袋と豚の足の煮込
    シードル:林檎酒
    チキン・マレンゴ:チキン・ソテの一種
    テネシー・オポッサム:ヴァージニア袋鼠の蒸焼
    ロブスター・ニューバーグ:大海老のクリーム煮
    フィラデルフィア・スナッパー・スープ:すっぽんスープ

当然、ホット・ドッグやハンバーガー、サンドウィッチ、ピザなんていう食事は出てこない。
ウルフの言うように、アメリカにもフランス料理に負けないような料理があるのだろう。
しかし、大半の私立探偵は、忙しくてゆっくり食事することはなかなかできない。リッチな私立探偵などおらず、貧乏暇なしといったところ。また、ハードボイルドの私立探偵は、〈安楽椅子探偵〉ネロ・ウルフと違い、身体を動かすことが身上。たとえば、シカゴの女探偵V.I.ウォーショースキーの独白。

    ベルトと踏台をシェヴィのトランクに突っ込んで、夕食をとりに4ブロック先の〈ベルモント・ダイナー〉まで車で走った。栄養満点のキャベツスープと、ローストチキンのマッシュポテト添えをたいらげると、満腹で動けなくなった。
    暴飲暴食は私立探偵の大敵だ。活動を開始するまでに1時間はたっぷりかかる。いや、もっと待つことになるかもしれない。最低ね、あんたって――勘定を払いながら、ひそかに自分を叱りつけた。ピーター・ウィムジイ卿やフィリップ・マーロウなら、こんなドジは決して踏むまい。
    (『バーニング・シーズン』p353)

いうまでもなく、ピーター・ウィムジイ卿はミステリー史上最高の女流作家と言われたドロシー・セイヤーズ(Dorothy L. Sayers)が作り上げた貴族探偵。フィリップ・マーロウレイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)の作り上げたハードボイルド探偵。イギリス人のウィムジイ卿はさておき、<フィリップ・マーロウ・シリーズ>には、食事の場面は確かに少ない。
ただ、<V.I.ウォーショースキー・シリーズ>は作者も主人公も女性ということもあってか、比較的丁寧に食事について書き込まれている。同じく女性作家スー・グラフトンの<アルファベット・シリーズ>やローラ・リップマンの<テス・モナハン・シリーズ>にも食事の記述は多い。

また、ジェイムズ・クラムリーの<ミロ・シリーズ>やローレンス・ブロックの<マット・スカダー・シリーズ>のように、主人公がアル中の場合には、当然ながら食事の場面は少ない。コーヒーを飲んでいるか、酒を飲んでいるかだ。
ちなみに、<ミロ・シリーズ>の代表作『酔いどれの誇り』(The Wrong Case、ハヤカワ文庫)をさっと読み返してみたが、ミロが酒以外に口に入れたのはヨーグルトだけだった。

    私は机に戻り、もう一口ウイスキーをすすってから、ブルーベリー・ヨーグルトのふたをあけた。体重には気をつかっている。酒太りになるのはごめんだ。
    ヨーグルトを頬ばりながら、将来の問題になんらかの解答を見出そうとしたが、結局成り行きにまかせることにした。もう一杯酒を飲んだら酔いつぶれてしまい、大学のコートに出かけて友だちのディック・ダイアモンドとハンドボールをやることができなくなるだろう。それは承知していた。だが私は、あえてもう一杯飲んで、酒なんぞ軽くあしらってやれることを証明してみせることにした。
    (『酔いどれの誇り』p12)

<ネロ・ウルフ・シリーズ>のような特殊な作品を除けば、ミステリーに現れる食べ物は、アメリカ人の日常的な食べ物と考えてよいだろう。日本人にとってのフランス料理のように、食べるのに「構えてしまう」ようなものは出てこない。

では、皆さんをこれからアメリカン・フードの世界に案内しましょう。
と言っても、ボクはグルメでもなんでもないし、どちらかと言うとアメリカに住んでいたときも、あまりアメリカ的なものは食べなかった方だ。だから、まとめるに当たっては、『アメリカを知る事典』(齋藤眞他監修、平凡社)『アメリカ文化事典』(亀井俊介編、研究社出版)、『食の文化誌』(内林政夫、八坂書房)、『おいしいアメリカ見つけた』(松本紘宇、筑摩書房)、『ニューヨークエスニックフード記』(禪野靖司、NTT出版)、『世界を変えた野菜読本』(シルヴィア・ジョンソン、晶文社)のような本や、内外のホームページを参考にしました。無責任にも自分が食べたことのない食べ物もいっぱい紹介していますが、これから機会を見つけて食べていこうと思っています。

まずは、アメリカの国民食、ハンバーガーからどうぞ。

(当初作成日:3/19/2000

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