「ホーギー」「チーズステーキの方です」
デイヴィッド・ハンドラー(David Hnadler)の<ホーギー・シリーズ>第1作『笑いながら死んだ男』(原題:The Man Who Died Laughing、シリーズ全て講談社文庫)の中で、主人公スチュアート・ホーグが、元超売れっ子コメディアンのソニー・デイに何と呼ばれているのか尋ねられた場面だ。 スチュアート・ホーグは、デビュー作『ファミリーエンタープライズ』で一躍有名になり、「ニューヨークタイムズ」の書評では「80年代を拓く文学の旗手」とまで呼ばれた新進作家だった。また、すごい美人で、トニー賞を受賞したばかりのとびっきりの売れっ子本格派女優メリリー・ナッシュと結婚して華やかな脚光を浴びた。だが、2作目が書けずに行き詰まり、結婚にも破れてすきま風の入るアパートで愛犬ルル(バセットハウンド)といささかすさんだ生活を送っているところからシリーズは始まる。ちょっと長いが、冒頭部分をそのまま引用する。
50年代のショービジネス界に天才コメディアンとして君臨したソニー・デイから彼の自伝をゴーストする仕事が舞い込んできた場面だ。ついこの間まで本格派作家として文壇の寵児だった自分がゴースト・ライターとは…ホーギーは悩みながらも結局引き受ける。元作家の意地とプライドをかけた彼の得意技は絶妙のインタビュー能力だ。30代半ばで自ら栄光と挫折の両方を経験したことにより、自伝の対象となる一癖も二癖もある有名人の心理を的確に見抜く大人の視線を持っていることだ。 ゴーストの対象となる人物は毎作タイプが異なる。第2作『真夜中のミュージシャン』(The Man Who Lived By Night)は、英国ロック界のスーパースター、トリス・スカー、第3作『フィッツジェラルドをめざした男』(The Man Who Would Be F. Scott Fitzgerald)は、タイトル通り天才作家キャメロン・ノイエス、第4作『猫と針金』(The Woman Who Fell From Grace)は、『風とともに去りぬ』のマーガレット・ミッチェルを思わせる大作家の娘、メイヴィス・グレーズ、第5作『女優志願』(The Boy Who Never Grew Up)は、ハリウッドの若き映画監督マシュー・ワックス、第6作『自分を消した男』(The Man Who Cancelled Himself)は、テレビ番組でカリスマ的な人気を誇るコメディアン、ライル・ハッドナットである。 冒頭引用した「ホーギーです」「あのカーマイケルと同じの?」「いえ、チーズステーキの方です」という不思議な会話が、このシリーズには何度も出てくる。1作に4〜5回は出てくるから、今までに翻訳されている6作で30回近く繰り返されていることになる。よほどアメリカ人には受けるのだろう。
では、ボクはどうだったか?
ただ、ピアノの弾き語りで有名だったことは知らなかった。時にはトランペットも吹いたらしい。そして、映画俳優でもあった。そして、あの「ララミー牧場」にも出演していた!
しかし、何回もこの会話を目にしていたボクは、ずっと「チーズステーキ」を「チーズケーキ」と勘違いして読んでいたのだ。恥ずかしい!「チーズステーキ」なるものを知らなかったから、目が「チーズ○○ーキ」だけを捉え、勝手に「チーズケーキ」と思い込んでいたようだ。おそらく、有名なチーズケーキのブランドで「ホーギー」というのがあるんだろうな、くらいに思っていたのだ。それでも、この会話はおかしく、しつこく出てくるたびに笑っていた。 なんと、チーズケーキではなくサンドイッチの話だったのだ。よく読んでみると、「チーズステーキ」と書かれている。英和辞典を引っ張り出し、"cheese steak" と "cheesesteak" を探してみたが出ていない。そこで、インターネットの検索エンジンにお世話になることにした。 ちなみに、バッファロー・サンドウィッチについて調べてみたところ、これはチキン・サンドウィチのことだった。ジェイムズ・リー・バーグの『シマロン・ローズ』にバッファロー・バーガーなるものが出てくるが、これはおそらくチキン・バーガーのことだろう。
さて、お気に入りの検索エンジンAltaVistaで"cheese steak"を検索すると、3,778ページもあったので、Advanced Web Searchで、キーワードに "sandwich" と"Philadelphia" を追加して検索してみたところ、大体次のようなことがわかった。 どんな都市にも、1つや2つは「元祖」「名物」となどの形容詞が付く食べ物がある。たとえば、サンフランシスコのサワードー・ブレッド(sourdough bread)、ボストンのチャウダー(chowder)、メンフィスのバーベキュー(barbecue)、シカゴのホット・ドッグ(hot dog)である。フィラデルフィア名物といえば(今まで全然知らなかったのだが)、ソフト・プレッツェル(soft pretzel)とイタリアン・サンドイッチ(Italian sandwich)だ。そして、ホーギーとチーズ・ステーキはいずれもこのイタリアン・サンドイッチのカテゴリーに入るのだ。 ソフト・プレッツェルは、ギリアン・ロバーツ(Gillian Roberts)の『フィラデルフィアで殺されて』(Caught Dead in Philadelphia)に出てきた。『フィラデルフィアで殺されて』は、フィラデルフィアを舞台にプレップ・スクールの英語教師アマンダが活躍するドタバタ・ミステリー<アマンダ・ペッパー・シリーズ>の第一作である。ボクはこの1冊しか読んでいないのでわからないが、7作以上出ているシリーズのどこかにひょっとしたらホーギーも出てくるのかもしれない。
フィラデルフィアには多くのイタリア系アメリカ人が住んでいるが、その中核は南フイラデルフィアだ。この南フィラデルフィアの名物がフィラデルフィア・サンドイッチと呼ばれるイタリアン・サンドイッチである。フィラデルフィア・サンドイッチに欠かせないもの、それは他ではまねのできないイタリアン・ロールパン(Italian rolls)らしい。パン皮はコチコチに硬くもなく柔らかくもなくほどよい硬さ、中身はソフトで、素晴らしいイーストの味がする焼き立てのロールパン。だから、本物のフィラデルフィア・サンドイッチは、冷凍することもできないし、運ぶこともできない。フィラデルフィアから車で1時間ドライブするような場所では本物は食べられないので「あきらめろ」と書いてある。お国自慢は全世界共通です!
フィラデルフィアの人々にとっては、ステーキというのはチーズの入っていないサンドイッチを意味する。ステーキ・サンドイッチとは言わないで、単にステーキ(steak)と言うのだ。だから、チーズステーキ(cheese steakまたはcheesesteak、どちらのスペルもある)と言えば、チーズ入りのサンドイッチのことを意味する。アメリカでステーキと言うと、メチャクチャ厚いあのビーフ・ステーキのことを連想するが、ここで言うステーキないしチーズステーキのステーキは薄いものだ。チーズステーキは薄いステーキにメルテッドチーズをからませたフィラデルフィア・サンドイッチということになる。
以上は、"The Food of Philadelphia"というホームページに書かれていたことを要約したものだが、ここにフィラデルフィアの人がシカゴのレストランに行ったときの笑い話(?)が紹介されている。 お国自慢は続く。"Philly Cheese Steak"(フィラデルフィア・チーズステーキ)という表示があった場合には注意した方がよいというのだ。チーズステーキと言えば、フィラデルフィアのロールパンで作られるものであり、先程述べたようにフィラデルフィアでしか食べられない。ことさら"Philly"と表示する必要はない。表示されている場合には、本物(authentic)ではないと警告している。実際、"Philly Cheese Steak"で検索すると、600以上のホームページがあり、それがフィラデルフィア以外の地域のホームページであることが多い。 まさか、日本語のホームページでチーズステーキのことが紹介されているものはないだろうと思っていたら、小西さんのホームページで、Pat's King of Steakという有名な店が紹介されていた。ご覧いただきたい。
もう少しホーギーについて。
大恐慌の頃、フィラデルフィアの失業者、Al DePalmaさんが南フィラデルフィアの海軍造船所の近くにあるホッグ・アイランド(Hog Island )に職を探しに行った時、造船所の労働者が昼休みに巨大なサンドイッチをがつがつ食べているのを見た。彼の第一印象は、まるでブタ(hog)の集団だということだった。そこでDePalmaさんは職を申し込む代りに、大きなサンドイッチを出すレストランを開いた。ブタの集団のイメージが強烈に残ったDePalmaさんは、そのサンドイッチをホーギー(hoggies)と命名し、メニューに載せた。 もうひとつ。1998年ミス・アメリカのケイト・シンデル(Kate Shindle)嬢が、受賞後のインタビューで、最も好きな食べ物の1つがWanaのホーギーだと答えたというエピソードがWana社のホームページに載っている。シンデルさんはシカゴのノースウェスタン大学の学生。同社の宣伝とはいえ、ミス・アメリカとホーギー、アメリカらしくておもしろい。 これで、ようやく冒頭の「ホーギーです」「あのカーマイケルと同じの?」「いえ、チーズステーキの方です」という会話の意味が正しく理解できたことになる。わかりやすく言い換えれば、
「ホーギーです」
「ホーギー」探しをしている途中で、ミステリーに出てくるアメリカン・フードについて整理してみたくなった。人間、食べなければ生きていけないのだから、多かれ少なかれミステリーには食べ物・飲み物に関する記述が現れる。もちろん、作家によってスタイルが違い、書き込み方にもかなり差がある。
「ミステリーと料理」とくれば、誰もが<ネロ・ウルフ・シリーズ>を挙げるだろう。作者レックス・スタウト(Rex Stout)は、アメリカでもっとも愛されているミステリー作家である。森 英俊『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』によれば、1994年、全世界に数千人の購読者を持つアメリカのミステリ同人誌〈アームチェア・ディテクティヴ〉が人気投票をおこなった際、「あらゆる時代を通じてのお気に入り作家」に2位のアガサ・クリスティと3位のコナン・ドイルを抑えて、スタウトが堂々1位に輝いたとのこと。ちなみに、ディクスン・カーが12位、E・S・ガードナーは13位、エラリー・クィーンは15位以内には入らなかった。
ウルフ・ファンのお気に入り長編に『料理長が多すぎる』(Too Many Cooks、ハヤカワ文庫)という作品がある。15人の名料理長を5年ごとに選出する晩餐会で、その料理長のひとりが殺害されてしまう。たまたま主賓として招かれていたウルフは、料理長のひとりヘローメ・ベリンからとっておきの料理(「ソーシス・ミニュイ」と呼ばれるソーセージ)のレシピを教えてもらうことを条件に、事件の解明に乗り出すという話だ。
<ネロ・ウルフ・シリーズ>はこんな調子だ。物語全体に贅を凝らした料理がちりばめられて、思わず食欲をそそられてしまう。翻訳の方にはないが、原書巻末には作中に出てきた料理のレシピまでついているらしい。
テラピン:北米産の食用亀 クレオール・トライプ:牛の胃袋と豚の足の煮込 シードル:林檎酒 チキン・マレンゴ:チキン・ソテの一種 テネシー・オポッサム:ヴァージニア袋鼠の蒸焼 ロブスター・ニューバーグ:大海老のクリーム煮 フィラデルフィア・スナッパー・スープ:すっぽんスープ
当然、ホット・ドッグやハンバーガー、サンドウィッチ、ピザなんていう食事は出てこない。
いうまでもなく、ピーター・ウィムジイ卿はミステリー史上最高の女流作家と言われたドロシー・セイヤーズ(Dorothy L. Sayers)が作り上げた貴族探偵。フィリップ・マーロウはレイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)の作り上げたハードボイルド探偵。イギリス人のウィムジイ卿はさておき、<フィリップ・マーロウ・シリーズ>には、食事の場面は確かに少ない。
また、ジェイムズ・クラムリーの<ミロ・シリーズ>やローレンス・ブロックの<マット・スカダー・シリーズ>のように、主人公がアル中の場合には、当然ながら食事の場面は少ない。コーヒーを飲んでいるか、酒を飲んでいるかだ。
<ネロ・ウルフ・シリーズ>のような特殊な作品を除けば、ミステリーに現れる食べ物は、アメリカ人の日常的な食べ物と考えてよいだろう。日本人にとってのフランス料理のように、食べるのに「構えてしまう」ようなものは出てこない。
では、皆さんをこれからアメリカン・フードの世界に案内しましょう。 まずは、アメリカの国民食、ハンバーガーからどうぞ。
(当初作成日:3/19/2000)
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