アメリカン・フードについて - その2

Where's the beef?


    グレアムとの待ち合わせ場所は、いつも〈バーガー・ジョイント〉だった。ニールが提案したのだ。ハンバーガー好きにとっての、いわばメッカ。ホテル・ベルクレールの1階に無理やり押し込まれたような狭い店で、そこらの路上で小銭を稼いできた麻薬の売人たちから、どこかで大金を稼いできた映画スターに至るまで、ありとあらゆる階層の顧客をかかえている。ニックの作るハンバーグは、文明社会でいちばんとまではいかなくても、この界隈ではぴか一だし、手早く食事をすませながら、プロ・スポーツの情報を仕入れるのに、これほど便利な店もない。ちなみに、今年のヤンキースがペナント・レースとワールド・シリーズを制し、建国200年に花を添えるのは、ほぼ確実だという話だ。
    (『ストリート・キッズ』p11)

再びニール・ケアリーの登場。ドン・ウインズロウの処女作『ストリート・キッズ』は、元ストリート・キッズのニール・ケアリーが、行方不明になった上院議員の娘アリーを連れ戻すという話。とてもさわやかな青春物語でボクの好きなシリーズ物の一つである。

このニールの大好きなものがハンバーガーヤンキース。特に地元ニューヨーク〈バーガー・ジョイント〉のハンバーガーには目がない。

    「ぼくはニューヨークへ帰りたいんだよ、グレアム。〈バーガー・ジョイント〉に座って、《ニューヨーク・タイムズ》のインクのしみたレアのスイスバーガーを、手首に肉汁をしたたらせながら食べたいんだよ。すぐそばに、つぶつぶの汗をかいたアイスコーヒーのグラスを置いて……それをこの手でつかみたいんだよ。ブロードウェイの西側の歩道をぶらぶら南へ歩いて、東側の歩道を北へぶらぶら戻りたいんだよ。それからそれから――」
    (『高く孤独な道を行け』p21)

美貌の中国女性と駆け落ちした生化学者を追って中国本土にまで行ってしまう2作目『仏陀の鏡への道』(The Trail to Buddha's Mirror)で、僧坊に3年間も幽閉されたニールを、第3作『高く孤独な道を行け』(Way Down on the High Lonely)の冒頭、《朋友会》の財力で請け出し、父親がわりのグレアムが中国山奥まで迎えに行く。請け出されたのも束の間、グレアムがニールに「次の仕事が待っている」というので、ニールがとにかくニューヨークへ帰って〈バーガー・ジョイント〉のハンバーガーを食べたいと訴える場面だ。
前にも書いたが、グレアムは《朋友会》の雇われ探偵。《朋友会》というのは、ロードアイランド州プロヴィデンスにある古い銀行の頭取イーサン・キタリッジが資金を出している秘密の探偵組織である。ニューヨーク アッパー・ウェストサイド生まれのニールは、11歳のとき、グレアムの財布を盗んだことがきっかけで、グレアムに探偵としての特訓を受け、《朋友会》のメンバーとなった。今では、《朋友会》の若きエースである。

もう一人、ハンバーガーに目のない人物を紹介しておこう。

    「……そうするしかないのです――彼(マシュー)は監督なんですから。それに彼は本物のプロです。自分が何を望んでいるかいつも知っています。一方セットを離れた彼は社会的にも感情的にも13歳の子供と同じです。いまだに一日おきにチーズバーガーポテトフライチョコレートシェイクを昼食にしているなんて信じられますか?」
    「コレステロール検査は最近やりましたか?」
    「彼にとっての楽しい夜というのは、テークアウトのピザを食べながらテレビゲームをして過ごす夜なのです。……」
    (『女優志願』p21)

<ホーギー・シリーズ>第5作『女優志願』は、ハリウッドの若き映画監督マシュー・ワックスの自伝をホーグがゴーストする物語だ。マシューは、「ジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグが次から次へと超人気コミックの映画化を監督して映画界での地位を不動のものにできた」のは彼の業績に負うところが大きいとされる才能の持ち主である。ところが、インテリであるはずのマシューは、「一日おきにチーズバーガーとポテトフライとチョコレートシェイクを昼食にしている」のである。スピルバーグの私生活についてはよく知らないが、このマシューの行動様式を見ていると、生きている業界は違うがマイケル・ジャクソンをイメージしてしまう。ホーグと昼食をした時も、

    その後僕たちは昼飯を食おうと、ヴェンチュラ大通りのデニーズで車を停めた。マシューはチーズバーガーポテトフライ、それにチョコレートシェークを頼んだ。……僕はデンバーオムレツハッシュブラウンを頼んだ。
    (『女優志願』p243)

元ストリート・キッズの大好物がハンバーガーというのはよくわかるが、ハリウッドの大映画監督もハンバーガーが好きなのだ。
1980年代の健康ブームを経て、カロリーの高さを問題にする人が増え、ハンバーガーを代表とするファストフードの人気には陰りが出始めていることは事実である。それぞれファストフード店は、低脂肪肉を使ったり、油を少な目に調理したものを考案したりして対応している。ケンタッキー・フライド・チキンなんか、「油で揚げた」というイメージをなくすため、1991年に呼び名を頭文字のKFCに改めたほどだ。特に、インテリはダイエット指向が強い。
ウォーレン・マーフィー(Warren Murphy)の<トレース・シリーズ>第1作『二日酔いのバラード』(Two Steps from Three East)からの引用。

    女弁護士がメニューを見てさんざん迷ったあげく決めたのは、パンぬきケチャップぬきのハンバーガーひとつと、ポテト・フライ。それを見ていると、チコのことを考えざるをえなかった。細身の美人はみなカロリーを気にしている。
    (『二日酔いのバラード』p145)

主人公トレースの恋人チコ(ミチコ・マンジーニ)は、母親が日本人で父親はイタリア人。小柄ながら美しいダンサーの肉体を持ち、いくら食べても太らないという得な体質。

    チコは台所で朝食のしたくをしていた。トレースは目をさますと、バスルームで数分間、吐こうか、吐くまいかと考えた。結局、吐かなかった。台所にはいったとき、チコは皿を並べ、料理を配っていた。
    トレースの皿には、ソーセージ1本と、パンケーキ1個。皿の横には、特大のカップにブラック・コーヒー。
    チコの皿には、1ポンドのソーセージの残り全部と、パンケーキ7個。12オンスのオレンジ・ジュース。トースト。コーヒー。
    トレースは腰をおろして言った。「こんなに食えない」
    「食べなさい。毎朝もどしている分だけでも、食べなきゃ」
    (『二日酔いのバラード』p22)

このチコの食欲!まあ、これはドタバタ・ミステリーだから話半分として、一般的には、先程の女弁護士のように、インテリはカロリーを気にする。もう一度、『女優志願』に戻る。

    彼(マシュー)は玄関ドアを盗み見て、僕たちだけなのを確認した。「実はママお得意のマグロ料理が嫌いなんだ。ずっとそうだった。一方、僕はあそこのハンバーガーが大好きだ。僕はメニューの11番タマネギを余分に添えてもらって2個食った。僕がそうやって食欲を満たしたのを知ったら、ママは僕を殺しかねない。つまり、かんかんになるってことだ。だからさっきは何も言えなかった――彼女が部屋にいたからね」
    (『女優志願』p306)

ここで言いたかったのは、カロリー云々、インテリ云々という問題はあるとはいえ、元ストリート・キッズも大映画監督もハンバーガーが好き、すなわち、アメリカ人は皆ハンバーガーが大好きということだ。ハンバーガーはアメリカの国民食である。ハンバーガーを自動車とともにアメリカが生んだ偉大なる発明品だという人もいる。

    「わたしが言いたい点はですね」ヒースはおだやかに話を続けた。「会合の仕事の部分が終ったあとは、わたしたちはごく当たり前の立派な市民らしくふるまったということです。サンドイッチを食べ、シェリーを飲み、いろんな話をしました。クリスマスのこと、子供たちのこと、犬や猫のこと、家のローンのこと――それに、ハンバーガーの値段のことも」
    (『モンキー・パズル』p78)

モンキー・パズル』(Monkey Puzzle)は、デビュー作『逃げるアヒル』(A Running Duck)でCWA最優秀新人賞を受賞して注目された女性作家ポーラ・ゴズリング(Paula Gosling)が初めて挑戦した警察小説。CWAゴールドダガー賞を受賞した。オハイオ州の小さな大学町で「見ざる聞かざる言わざる」殺人事件が起こる。グランサム警察のストライカー警部補は教授を集めて事情聴取を始める。ヒースは教授の一人だ。「ごく当たり前の立派な市民」がかわす話題として、ハンバーガーの値段のことが付け加えられている。アメリカの国民食、ハンバーグ!

ハンバーガーの起源を探ってみよう。『アメリカを知る事典』によると、ハンバーガーの「原形はおそらくタルタル・ステーキであり、19世紀後半ドイツからの大量移民とともに渡来した牛肉の食べ方である。ドイツのハンブルグ港は古くからバルト海沿岸諸国との往来がしげく、タルタル、つまりタタール(韃靼だったん)の料理である牛の生肉を細かに刻んで卵とタマネギを添えてそのまま食べる方法も古くから伝わっていた。しかしハンブルグの町でタルタル・ステーキは火を加えることによって進化した形となり、アメリカへ渡っていつのまにかハンブルグの名を冠して呼ばれる料理となった」。

もうひとつ、『おいしいアメリカ見つけた』から引用しよう。「その源流を辿っていくと、アジアにいきつく。中央アジアからロシアの大草原に跋扈していた遊牧民は、冬の間のビタミン不足を補うために、生肉に刻んだタマネギを入れて食べていた。この「タルタルステーキ」がそもそもの始まりであった。これがバルト海沿岸に伝わり、さらに船員によってハンブルグの港に運ばれた。ハンブルグでは生ではなく火で焼いて食べるようになり「ハンバーグ(ハンブルグ)・ステーキ」と呼ばれるようになった。やがてこれがドイツ人の移民と共にアメリカにやって来たが、アメリカでもう一度変化を遂げた。パンの間にはさむようになったのである。」

ほとんど同じような説明だが、決定的に違うのは、ハンブルグで、ハンブルグ・ステーキと呼ばれていた(後者)のか、それともアメリカに渡ってからハンブルグの名を冠して呼ばれるようになった(前者)のかという点だ。どうでもよいことかもしれないが、こだわる人もいる。

手元に内林政夫著『ことばで探る 食の文化誌』(八坂書房)というひじょうにおもしろい本がある。著者の内林氏は、その略歴によると、京大医学部を卒業後武田薬品工業に入社、常務にまでなった人であるが、語学に堪能で好奇心も旺盛、語源から各国の食文化にアプローチするという意欲的な試みを行った。ちなみに、内林氏には、『数の民族誌』(八坂書房)という著書もあり、これまた同じくおもしろいので、興味のある方はぜひ読んでほしい。この『食の文化誌』の第1章が「ハンバーガーの元祖はタタール人」というタイトルになっている。

内林氏曰く、「ハンバーグの起源はモンゴル族、トルコ族などのタタール人にさかのぼる。かれらは蒙古・中央アジア平原で放牧された家畜の質の悪い硬い生肉を、細かくきざんで食べやすくして常用していた。これが13世紀ロシアを席巻したタタール人によってヨーロッパに伝えられ、タルタル・ステーキと名づけられた。こんにちフランス料理で、挽肉にタマネギ、薬味、生卵などをまぜたsteak tartar / tartarがこれである。フランスのタルタル・ステーキは本来は馬肉だそうで、これはタタール人の伝統そのものである。日本でも特上質の牛肉を使ったものは、なかなかおつな味がする。ドイツでは、これを生のままだけでなく、火を通して食べることも始まり庶民の常食となった」。ここまでは同じである。
しかし、内林氏は、「港町ハンブルグではハンブルグ・ステーキと呼ばれるようになった」という説は誤りだと断定する。

なぜそこまで自信があるかというと、内林氏は若い頃ハンブルグに住んでいたのだ。その時に生まれた娘は、正真正銘のハンバーガーだ、と冗談も交えつつ、その頃土地の人は、この(皿に載せてだされる)食品をドイチェス・ビーフシュテーキといい、決してハンバーガーとは言っていなかった、だから、ハンバーグ、ハンバーガーの命名はハンブルグの住民ではないと断言。
ハンバーガーはドイツからイギリスとアメリカの2方向に伝播したらしい。イギリスに渡ったものはソールズベリー・ステーキ(Salisbury steak)となった。
アメリカへは、「1850年代にドイツ移民が運んできた。ドイツ人がもってきたので、たまたまハンバーグ・ステーキ(hamburg steak)と命名された。もっと具体的な説としては、ハンブルグ−アメリカ航路で、硬いこまぎれ牛肉の安料理を食べさせられたドイツ移民が、ハンブルグ庶民のあいだで一般的だったこの料理をなつかしんで、ハンブルグ・ステーキと呼んだという」
結論は、『アメリカを知る事典』と同じなのだが、このこだわりはなかなかのもの。

本場アメリカの議論は、 The Better Burger Battleというタイトルのホームページを見てほしい。タルタル・ステーキがハンブルグに辿りつくまでの説明は同じである。いつ頃、アメリカに伝えられたかについては、「ハンブルグでは、ハンブルグ・ステーキと呼ばれるようになった」「19世紀の後半、ドイツ人移民によってアメリカにもたらされた」というC.Panatiの説を紹介すると同時に、「"Hamburg Steak"という名の料理が1834年にはニューヨークのDelmonico'sというレストランのメニューに載っていた」と主張するJ.Marianの説も紹介している。

内林氏のこだわりには感服するが、自分がハンブルグに住んでいた頃、誰もハンブルグ・ステーキとは言わずにドイチェス・ビーフシュテーキと言っていた、というだけでは弱いのではないか。19世紀にハンブルグ・ステーキと呼んでいたが、何らかの理由で、今世紀に入ってから呼び方が変わったということもあるのではないだろうか。問題は、19世紀以前にどう呼ばれていたかということである。

アメリカでも最初は普通のステーキと同様に皿に盛って供された。1889年までには、ハンバーガー・ステーキ(hamburger steak)と呼ばれるようになった。そして、パンの間に挟むという画期的な変化を遂げた。初めは四角い食パンを使ったが、パンが柔らかく、肉汁でグズグズになって始末が悪いので、もっと固い、今のような丸いパン(bun)が使われるようになったのだ。1904年のセントルイス万博ではハンバーガー・スタンドが出店され、これを食べた見物客によって全米に広まった。
1908年には短縮したハンバーガー(hamburger)が一般化していた。

では、「パンに挟んだハンバーガー」はどこの誰が考案したのだろうか?
マクドナルド社は、テキサス州のアテンス(Athens)という町をハンバーガー発祥の地として認めている。"Old Davis"と呼ばれたアテンスのフレッチ・デイヴィス(Fletch Davis)さんが、1880年代の後半には、自分のレストランで、マスタードをぬった2枚の自家製パンの間に挽肉(ground beef)の焼いたものとタマネギ、キュウリのピクルスをはさんで“サンドイッチ”として出していたらしい。ただし、その商品に名前はついていなかった。1904年のセントルイス万博に、アテンス町から団体を組んで出かけた商人たちがこの“サンドイッチ”を持っていったという。セントルイスには南ドイツからの移民が多かったので、ここでハンバーガーと名づけられたのではないかと言われている。アテンス町では、毎年10月に“フレッチ・デーヴィス爺さんのハンバーガー祭り”(the Uncle Fletch Davis Hamburger Festival )がおこなわれている。

しかし、いろいろな説があるようだ。
どうでもいいことだが、興味のある方は、 The Better Burger Battleを見てほしい。ここには、アテンス説を含めて4つの説が紹介され、詳しく検証されている。アテンス説の他は、ウィスコンシン州のセイモア(Seymour)説、ニューヨーク州のハンブルグ(Hamburg)説、コネチカト州の(New Haven)説である。
The Hamburger Pageというホームページにもハンバーガーの歴史についての記載がある。その中に、グラフィック・デザイナーでハンバーガーに関する歴史的資料の収集家であるJeffrey Tennysonが著した"Hamburger Heaven: The Illustrated History of the Hamburger"からの引用として、ウィスコンシン州のセイモア町で、15歳のチャーリー・ナグリーンが1885年に発明したという説、オハイオ州スクロン町でフランク・メンチェスが豚肉の代わりに牛肉を使ったハンバーガーを発明したという説等が紹介されている。アテンス町のフレッチさんは出てこないし、1904年のセントルイ万博の時に広く知られたとして、誰が発明したかの結論を留保している。
ただし、現在のハンバーガーの形を作り上げ、ホワイト・キャッスル(White Castle)という初めてのチェーン店を展開したのは、カンザス州ウィニチカのJ.ウォルター・アンダーソン(Walter Anderson)だと明言している。
ホワイト・キャッスルは現在も中部から東部にかけて店舗展開している。約300店舗で3億ドルを売上げ、ハンバーガー業界では題11位と健闘している。ここの1辺が6センチ程の小さなチーズバーガーはスティーム・グリル(steam-grill)という方式で、肉を焼かずに蒸気を使って加熱しているため、マクドナルドなどに比べると肉が柔らかいそうである。ボクは食べたことはないが、パンも蒸してあるのでふわふわとしていて、2口ぐらいで胃におさまってしまうらしい。

さて、いよいよ、マクドナルドの登場である。

    「(ゴーディは)私には2つの言葉しか言ったことがないの」と、彼女(シャーロット)が白状した。「『ビッグマックが−食べたいよ』、それだけよ」
    (『猫と針金』p201)

ゴーディは交通遺児。大農場シェナンドゥの女主人メイヴィス・グレーズが養っているが、なかなかメイヴィスの助手シャーロットになつかない。ホーグがゴーディをマクドナルドに連れて行く。

    僕たちはストートン郊外のハイウェー64号線近くにあるマクドナルドの駐車場に座っていた。都市がさらに新しく、ますます醜悪に広がっているのが実感できる地域だ。ゴーディがジャガーの中で食べたいと言うので、僕たちはジャガーの中で食べていた。……ゴーディは足を上げたり下ろしたり、上げたり下ろしたりと絶えず動かしていた。彼はまさにエネルギーの塊で、身体をくねらせ、手を振り回している。その指はビッグマックから垂れてきた油っこいピンクのドレッシングでべたべただ。
    (『猫と針金』p254)

実は、都会派かつインテリのホーグは、マクドナルドのハンバーガーを見るだけで吐き気がするのだ。ゴーディの頼みということで無理して一緒に食べてはいるが、途中でやめて残してしまう。ゴーディがもう一つ食べたいと言ったときも、アイスクリームを買ってやるからと言ってあきらめさせる。
しかし、一般的には、マクドナルドのビッグマックを食べている探偵は仕事熱心だという評価をされる。次は、ディック・ロイクティ(Dick Lochte)の『眠れる犬』(Sleeping Dog、扶桑社ミステリー)からの引用である。

    木目模様のダッシュボード、カー・ステレオ、皮張りの座席、そしてコンヴァーティブル・トップ式のロイ・キャスパーの小型の黒のメルセデスと比較すると、ブラッドワースの埃だらけの灰色のシヴォレーは実用一点張りだった。ウィンドウのガラスには濃い色がついていて、なかの人間の姿がよく見えないようになっていた。後部座席には、ジャンパー、セーター、奇妙なかたちの帽子、つぶして丸くなった茶色の紙袋、ビッグ・マックの包装紙、油で汚れたフライド・チキンの箱、そして空の缶ビールといったものがところ狭しと積まれていた。いかにも仕事熱心な探偵のものらしい車だ。
    (『眠れる犬』p47)

『眠れる犬』の主人公は、14歳の少女セーラと42歳の私立探偵ブラッドワースの2人だ。ストーリーは、セーラが失踪した愛犬の捜索をブラッドワースに依頼するところから始まり、彼のパートナーが何者かに殺され、セーラの母親がそこに関わっているらしいことがわかり、2人は母親探しに出る。ロサンゼルスの風俗描写から個性に富んだ脇役の造型まで、読みどころは多々あるが、本書の魅力は、ハメットのサム・スペードに似たタフガイ探偵と「子供から直接中年になろうとしている」減らず口のセーラとの掛け合いだ。ブラッドワースと同年代のボクなど、もし自分のそばにセーラがいたら、殴ってやりたいと思うくらい生意気な娘だが、自分のことではないから、慣れてくると結構笑える。小説の形式も珍しい。主人公の2人が1章ずつ交互に1人称で書いていくという形式なのだ。難しい手法だと思うが、この作品に関しては成功していると言える。引用文は、この生意気な娘セーラがブラッドワースのシヴォレーを評したものだ。

このドイツからやってきたハンバーガーがアメリカの国民食となる契機は、1948年にさかのぼる。 この年モーリスとリチャード・マクドナルド(Maurice McDonald, Richard McDonald)の兄弟が、ロサンゼルス北東のサン・バーナーディノ(San Bernardino)にセルフ・サービス、ドライブ・インのコンセプトを用いたハンバーガー店を開いたのが始まりである。
1955年、シカゴ近郊でハンバーガー店を経営していたレイ・クロック(Ray Kroc)がこの事業の権利を店名も含めて買取り、その年デス・プレインズ(Des Plaines)に、もとの名のままのハンバーガー・チェーン店マクドナルド(McDonald's)の第一号店を開店した。
1968年には、丸パン(bun)3枚のあいだに2枚のハンバーグをはさんだビッグマック(Big Mac)が登場し、大型好みのアメリカ人にうけてヒット商品となった。2階建てサンドイッチ(double decker)である。
マクドナルドは世界最大のファストフード・レストラン・チェーンとなり、111カ国で開店営業している。その数は23,000店に達する。ドイツの最初のマクドナルド店はハンブルグではなくミュンヘンだった。世界で最も繁盛しているマック店はモスクワ・プーシュキンの広場の店だと言われている。そして、2番は香港・九龍の尖沙咀にある店らしい。

「アイルランド人について」の中で書いたように、McDonaldの接頭辞”Mc”はケルト語で「息子」を意味する。「ドナルドさんの息子」という意味のこの名前は、アイルランド系、スコットランド系の姓である。スコットランドで一番ポピュラーな姓はスミス(Smith)、二番目がマクドナルド(MacDonald)だ。
アメリカに行って経験した人も多いと思うが、マクドナルドという名前は「マ・ク・ド・ナ・ル・ド」と平坦に発音してもアメリカ人には通じにくい。「マク」はほとんど聞こえないくらい弱くてよいから、「ドナルド」の「ド」を強調して、「マクダーナルド」といえば大体通じる。

カール・ハイアセン(Carl Hiaasen)の代表作に『大魚の一撃』(Double Whammy、扶桑社ミステリー)というフロリダを舞台にしたスラプスティック・ミステリーがある。デミ・ムーアがストリッパーを演じる映画『ストリップ・ティーズ』をご覧になった方が多いと思う。確か、『素顔のままで』といった邦題がつけられていた。フロリダの経済・政治を動かす砂糖業界をやり玉にあげた作品だ。この原作者がカール・ハイアセンで、フロリダという社会の裏側を描いた作品が多い。

元カメラマンでいまは保険の調査員を営むR・J・デッカーは、バス釣りの名人で、各地のトーナメントで賞金を稼いでいるデニス・ゴールドという男に調査を依頼された。ゴールドは、このバス釣りの世界のナンバーワン、ディッキー・ロックハートを調べてほしいというのだ。全編バス釣りの話。釣り好きにはたまらないだろう。原題の〈ダブル・ワミー〉は、バス釣りのプロたちに最も人気のあるルアーで、銀色のスプーンが2本あるスカート付きのスピナーベイトのことだ。

人口4千人のハーニー郡がロックハートの本拠地。デッカーの前にどうもゴールドから同じ依頼を受けていたと思われる人物が変死体で見つかる。

    パトロール・カーは、郡の死体公示所として使われている低い赤レンガの建物の前で停まった。この建物はかつてバーガー・キングのレストランとして貸出されていたもので。郡が買い上げてからも改装されていなかった。バーガー・キングの看板は撤去され(大学の友愛会に売却され)ていたが、カウンターや客席、ドライヴ・スルーの窓口は当時のままの姿をとどめていた。
    (『大魚の一撃』p22)

ファストフードの店は死体公示所にはおよそふさわしくないが、ハーニー郡で大型冷凍庫があるのはここだけだったらしい。とはいえ、ハイアセンは相当悪趣味な作家だ。と思ったら、同じような表現がエルモア・レナードの『ラブラバ』にもあった。これもフロリダを舞台とする作品で、引用にある通り、キューバ難民の流入と関係があるのだろうか。

    マイニー・コームズの死体は、冷凍トレーラーの中の金属のトレイ・テーブルに、裸で寝かされていた。
    ジャクソン記念病院にあるデード郡死体保管所は、マイアミの人口が、12万人に上るキューバ難民の流入で急増して以来――難民同士の殺人事件も多く――いつも満杯だ。そのため検死官事務所では、冷凍トレーラーを1台借り上げて不足分を補っていた。トレーラーは死体保管所の裏に駐めてあるのだが、当初はその横腹に大きく〈バーガーキング〉と、所有者の店名をつけたままで使用されていたため、新聞ダネになったものだ。
    (『ラブラバ』p306)

最近、日本でも見かけるようになったバーガー・キング(Burger King)はマクドナルドを追撃する業界2位のハンバーガー・チェーンである。ミステリー作家はビッグ・マックよりもワッパー(Whopper)の方が好きなのか、マクドナルドよりもバーガー・キングの方がよく出てくる。ボクの疑問のひとつだ。

    ブロードヴューにあるバーガーキングに寄り、ドライブスルー式でホッパーとフライドポテトを買った。すっかり暗くなっており、とても寒い。対向車のヘッドライトが目を刺激し、モトリンをいくら飲んでもこめかみのずきずきする痛みと、胸の不安は消えなかった。
    (『業火』p79)

ワッパーボクがアメリカ(エヴァンストン)で初めて入ったハンバーガー・ショップはバーガー・キングだった。メニューに出ているWhopperを見て「フーパー」を下さいと言った。店員はポカンとしている。発音に自信のないボクはいろんな口の形を試み、語尾を上げたり下げたりしながら何回か「フーパー」と繰り返したのだが、相変わらず店員はポカンとしている。実際は10〜20秒の出来事だったのかもしれないが、後ろに行列が出来あせっているボクには数分の出来事に思えた。ついに、店員が言った。「オー、ワッパー」。この時ボクはアメリカ人っていうのは何て馬鹿だろうと思った。ワッパーはバーガー・キングの代表的な商品で、かつボクは物を指差して「フーパー」と言っていたのだ。ちょっと想像力を働かせば、この変な東洋人はワッパーを欲しがっているのだということはわかったはずだ。
ちなみに、辞書を引くと、Whopper=途方もなく大きな物、途方もない大ボラ、とある。尚、引用した『業火』の「ホッパー」という訳語はいただけない。ボクの「フーパー」ほどではないが…

    「何か食べる物を買ってきてもらえないかしら?おなかがぺこぺこなの」
    トーマス・カールはR・J・デッカーのコートを肩に羽織った。「バーガー・キングで我慢しろよ」
    ウェンディーズならサラダ・バーがあるわよ」キャサリンは言ってみた。
    「わかった。ウェンディーズだな」

    トーマス・カールはあまり腹が減っていなかった。フレンチ・フライをつまんでいる彼を尻目に、キャサリンはサラダを平らげ、ダイエット・コークを飲んだ。

    (『大魚の一撃』p461)

ウェンディーズの四角いハンバーガーアメリカで4大ハンバーガー・チェーン店と呼ばれるのが、マクドナルド、バーガー・キング、ウェンディーズ(Wendy's)、そしてハーディーズ(Hardee's)だ。1970年代後半のある年、アメリカ人が外食に使った金額の37%がこの4つのハンバーガー・チェーンでの消費だったと報告されている。
マクドナルド以外の3社は、いかにマクドナルドと差別化するかに注力した。ウェンディーズは、4角のハンバーガーを使った。消費者の人気投票でも、4社のハンバーガーで味が一番なのはウェンディーズという結果がよく出ている。

しかし、ボクにとって、ウェンディーズの思い出といえば、1984年にアメリカで最も流行った"Where's the beef?" というコマーシャルだ。80歳くらいのおばあさんがマクドナルドを連想させるレストランで、出されたハンバーガーを見て、「ビーフはどこにあるの?」とやるのだ。 Where's the beef?馬鹿受けした。なつかしくなって、AltaVistaで"Where's the beef?"を検索したところ5,020件見つかった。ハンバーガーに関係ないページが大半で、このフレーズは今やウェンディーズのコマーシャルだったことが忘れられ、「実質がない」という意味で日常用語として使われているようだ。右の画像も苦労して見つけた。別のところでなつかしの音声も見つけた。画像をクリックしてみて下さい。音声がダウンロードできます。

"Where's the beef?" は政治の場でも使われた。1984年の大統領選に際して、民主党の大統領候補がディベートで火花を散らした時だった。当時、新進気鋭のゲーリー・ハート候補が一歩先に出ていたが、ベテランのモンデール候補(前駐日大使)が、ハート候補の新しい考え・政策は単なるスタイルであって中身がないと批判するのに、"Where's the beef?" とやったのだ。ハート候補は「中身」を十分に示すことができず敗れた。

ハンバーガーの次は、サンドウィッチだ。

(当初作成日:3/19/2000

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