アメリカン・フードについて - その4

「熱々のダックスフントはいかが!」


    ニールは無性に……無性に、ニューヨークの道端で売られているほんもののホットドッグが、懐かしくなった。鼠の毛と、産業廃棄物と、床のごみくずと、人智では計り知れないものでできたあのホットドッグを食べられるなら、喜んで女王陛下をぶち殺しただろう。ホットドッグにいちばん近いと言えるのは、地元の人たちが、“死々カバブ”と呼ぶ食べもので、これはパキスタン人の屋台で売られている。下剤の代わりになるという点を抜きにすれば、なかなかいける代物で、とはいって、辛いマスタードを塗って玉葱を山盛りにしたコロンバス・サークルのホットドッグとは、まったく比べものにならない。
    (『ストリート・キッズ』p225)

ニューヨーク・ドッグ時期副大統領候補のジョン・チェイス上院議員の娘アリーが失踪し、依頼を受けたニール・ケアリーはロンドンへ飛ぶ。『ストリート・キッズ』の半分以上が舞台はロンドン及びその近郊である。ロンドンにやってきて全くアリーの行方の手がかりがつかめないまま10日近く経った頃だ。ニールが最初に懐かしくなったのは、大好物のハンバーガーではなかった。ニューヨークはコロンバス・サークルの屋台で売られているホットドッグ(hot dog)だった。辛いマスタードを塗ってタマネギを山盛りにしたホットドッグ、まさに典型的なニューヨーク・ドッグだ。

    フランクはそれには答えず、ふたりはだまってコロンバス・サークルまで歩いた。タネンボームは歩道の屋台フランクフルトホットドッグをひとつ買い、のんびりとした足どりで公園の隅にあるベンチへ行って、腰をおろした。かぶりつくまえに、ホットドッグを目の前に低くかざした。
    こいつがたまらなく食いたかったんだ」と、彼はいった。
    (『過去を失くした女』p50)

過去を失くした女』(Flesh and Blood、文春文庫)は、トマス・H・クック(Thomas H. Cook)の<フランク・クレモンズ・シリーズ>の第2作である。フランクはマンハッタンのかつてヘルズ・キッチンと呼ばれた地区でしがない私立探偵事務所を開いている。有名デザイナーのイマリア・コヴァロの右腕として働いてきたハンナ・カールスバーグの死体が、顔をめった切りにされ、右手が切断され持ち去られた状態で発見された。イマリアは、ハンナを手厚く葬りたいと考えていたが、警察から遺体を引き取ることのできる縁者が見つからず、ハンナの遺族探しをフランクに依頼する。ハンナという一人の人間の空白部分を埋めていく調査に乗り出すフランクは、1930年代のアメリカの労働争議にまでたどり着く。
タネンボームはミッドタウン北分署殺人課の刑事で。ここでも、コロンバス・サークルのホットドッグである。

1999年、アメリカ人は200億個のホットドッグを食べた。一人当たり年間73個になる。これは、ハンバーグを上回る数である。ホットドッグはハンバーグ以上の「国民食」かもしれない。

1939年、イギリス国王ジョージ6世が、娘のエリザベス(現国王)を連れてアメリカを訪問した。時の大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは2人をハドソン河畔のハイドパークの私邸に招待したが、軽食としてホットドッグでもてなした。大統領はその時、「アメリカの郷土料理」と説明したという。
1969年、アポロの月世界旅行にホットドッグも積み込まれた。
というような話から、ベーブ・ルースはダブルヘッダーの試合と試合の間に12個のホットドッグを8瓶のソーダで食べたことがある。試合終了後ルースは胃痛で病院に入った。マレーネ・デートリッヒの大好物はホットドッグとシャンペンだった。ブルース・ウィルスデミー・ムーアにホットドッグ・ショップでプローズした、というような話まで、ホットドッグに関する話題には事欠かない。まさに、アメリカの国民食である。祭りやイベントでは只で配られることもある。

    初めの何ブロックかは人気がなかった。ダウンタウンは早い時間に人通りがなくなってしまうのだ。しかし、インナー・ハーバーに近づくと、人々が大勢集まっていた。あれはアーク灯?新聞記者は辞めたものの、まだ記者根性は脈打っているのだ。食べ物の匂いも漂ってくる−−ホットドッグポップコーンプレッツェル、それになにやら焦げたような甘い香り。そう、味よりは臭いがたまらない綿菓子だった。
    「みんな、ただよ」マスタードと香辛料を塗ったホットドッグを差し出しながら、売り子が言った。「キーズのおごりだよ」何のことやらわからないまま、テスはそのホットドッグを受け取った。
    (『チャーム・シティ』p10)

ホットドッグもハンバーガーと似た経歴をもつ。ドイツ移民ソーセージをアメリカに持ってきて、アメリカでパンにはさむようになったからだ。このソーセージは、ドイツではフランクフルター(frankfurter)、オーストリアではウィーナー(wiener)と呼ばれていたため、今でもホットドッグのことをフランクフルターフランクウィーナーと呼ぶ人もいる。また、このソーセージはアメリカに入ってからは胴の長い犬に似ていたためダックスフント(dachshund)とも呼ばれた。

ホットドッグの歴史も正確なところはわからず、いろいろな説がある。American Meat InstituteNational Hot Dog and Sausage Councilのホームページにある"History of Hot Dog"を参考にまとめておこう。

ソーセージは加工食品(processed food)のもっとも古い形態の一つで、紀元前9世紀のホメロスのオデッセィ(Homer's Odyssey)にまでさかのぼるらしい。
フランクフルター(frankfurter)は、ドイツのフランクフルト(Frankfurt-am-Main)で生まれたと言われるが、ダックスフント(dachshund)あるいはリトル・ドッグ・ソーセージ("little-dog" sausage)として知られたソーセージは、1600年代の後半、ドイツのコーブルグ(Coburg)に住む肉屋、ヨハン・ゲオルグヘーナー(Johann Georghehner)によって発明された。ゲオルグヘーナーは、自分の製品を広めるためにフランクフルトへ行って売ったと記録されている。しかし、1987年、フランクフルト市はホットドッグ誕生500年を祝った。フランクフルターは1484年、コロンブスが新大陸を発見する5年前に、フランクフルトで作られたというわけだ。また、オーストリアのウィーン(Wien)の人たちは、ウィーンをウィーナー(wiener)すなわちホットドッグ誕生の地と主張している。結局のところ、アメリカにはいろいろな国の肉屋がいろいろなヨーローッパのソーセージを持ち込んだということで先に進むしかない。

初めてダックスフント・ソーセージをロールパンにはさんだのは誰かという点についても必ずしもよくわかっていない。
チャールズ・フェルトマンの店ある説によれば、1860年代に、あるドイツ移民がニューヨークのバウアリー(Bowery)地区で、押し車にのせてダックスフントをミルク・ロール(milk rolls)とザウアークラウト(sauerkraut)と一緒に売ったという。1871年、チャールズ・フェルトマン(Charles Feltman)というドイツ系の肉屋が、コニー・アイランド(Coney Island)にホットドッグ・スタンドを開設し、初年度にミルク・ロールにはさんだダックスフント・ソーセージを3,684個を売ったことは、かなり広く知られている。コニー・アイランドは、ニューヨークのブルックリン南端、大西洋に面した約11キロメートルある砂浜の大遊園地で、1880年から1955年まで、アメリカで最も有名な海水浴場、娯楽場だった。現在はさびれているが、遊技施設はまだいくつか残っている。1920年代の最盛期には、夏の休日に百万人、年間5千万人がここを訪れたという。コニー・アイランドはホットドッグのメッカとしても知られている。
1893年という年は、ホットドッグの歴史で重要な年だった。この年にシカゴで開催された博覧会(Colombian Exposition)で、安く、便利で、食べやすいという理由で、ホットドッグ・ソーセージが爆発的に売れたのだ。同年、ホットドッグ・ソーセージは野球場でのスタンダードな食べ物となった。メジャーリーグのセントルイス・ブラウンズ(St. Louis Browns)のオーナーだったクリス・フォン・デ・アヘ(Chris Von de Ahe)が球場でホットドッグを売りはじめたのだ。以後、アメリカで野球といえばホットドッグ、ホットドッグといえば野球というように、切っても切れない関係となる。だいたい70%程度の入場者が球場でホットドッグを食べるとも言われている。

    ホット・ドッグを食べないか、セーラ?」おれはこたえ、カセットテープを逆にした。
    「それは本物のホット・ドッグ、それともターキー・ドッグ?」
    「ターキー・ドッグというのはなんだ?」
    「豚の脂肪、軟骨、コレステロール、硝酸塩で健康を損なうのを避けるための食べ物よ」
    「ふん、質問はしてみるもんだな」おれは言った。「いや、これはターキー・ドッグじゃない。アップル・パイと同じくらいアメリカ的な、野球場タイプのフランク・ドッグ
    「ターキー以上にアメリカ的なものなんてあるかしら?」
    この娘と議論しても利益はない。ノイローゼに悩むガール・フレンドに拳銃の撃ち方を教えてくれと頼まれたときと同様に、勝てる見込みはない。
    (『眠れる犬』p84)

丸パン(bun)にのせたホットドッグは、1904年にセントルイスで開かれた博覧会(Louisiana Purchase Exposition)で、ババリア出身のアントン・フォイヒトヴァンガー(Anton Feuchtwanger)が始めた。彼はお客に熱々のソーセージをつかむための白い手袋を貸していたが、ほとんどの手袋は返ってこなかった。そこで、パン屋をやっている義兄に助けを求めた。パン屋はホットドッグにフィットする長いソフト・ロールを開発した、これすなわちホットドッグ用の丸パン(hot dog bun)だった。

ホットドッグという言葉は、1901年にニューヨーク・ジャイアンツの本拠地ポロ・グランド(Polo Grounds)で生まれたと言われている。ある寒い4月のこと、球場でアイス・クリームとアイス・コールド・ソーダを売っていたハリー・スティーヴンス(Harry Stevens、彼の会社は今でもある )は商売上がったりだった。彼は売り子に指示し、見つけられるだけの数のダックスフント・ソーセージと同じ数のロールパンを買い集めさせた。彼はポータブルの温水タンクで温めたホットドッグを「熱々だよ、ダックスフント・ソーセージを熱々の間にどうぞ」("They're red hot! Get your dachshund sausages while they're red hot!" )と叫んで1時間以内に売り切ってしまった。試合観戦をしていたスポーツ漫画家のタッド・ドーガン(Tad Dorgan)は、この様子を締め切りの迫った新聞の4コマ漫画に描こうとした。急いで、パンにはさまれたダックスフント・ソーセージが吠えている漫画を描いたが、ダックスフントというスペル"dachshund"が思い出せなかったので、「同じことだ」と単にホットドッグ"hot dog"と書いてしまった。この漫画はセンセーションを呼びおこし、ホットドッグという言葉が生まれたという説である。この説はいろいろなところで紹介されている。しかし、問題は、この4コマ漫画を発見した人がいないということだ。だから、真実は誰にもわからない。当時、犬の肉を使っていたから"hot dog"と呼ぶようになったという、物騒な説もあるくらいだ。

ネイサンの店1916年、コニー・アイランドにネイサン(Nathan's)という店が誕生した。先のフェルトマンの店に長い間働いていたネイサン(Nathan Handwerker)が、独立して自分の店を持ったのだ。ネイサンは、それまで10セントで売られていたホットドッグを5セントに大幅ディスカウントし大繁盛した。ネイサンのホットドッグは、5セント貨がニッケルと呼ばれることから、ザ・ニッケル・フランク(the nickel frank)として有名になった。なお、当時、ホワイト・キャッスルのハンバーガーも5セントだった。バーブラ・ストライサンドがロンドンでパーティーを開いた時に、わざわざニューヨークからネイサンのホットドッグを飛行機で取り寄せた、という話もある。

ホットドッグは単純な食べ物だが、上にのせるトッピングによって地方色豊かなものになる。
シカゴ・ドッグまず、ニューヨーク・ドッグは、ゆでたタマネギにマスタードというシンプルなものだが、シカゴ・ドッグは、ピクルスをみじん切りにした緑色のレリッシュ、赤色のトマト、それに黄色のマスタードが加わるので華やかだ。カンザスシティー・ドッグは、ザウアークラウトにとけたスイスチーズをかける。南部には、サザン・スロウ・ドッグがある。これはせん切りのキャベツ、タマネギ、ニンジンを数種のスパイスとマヨネーズで和えたコールスローをのせたものだ。

    ピンクスでは今でも町一番のチリドッグを売っていた。ラブレアとメルローズの角の古びた、いささか薄汚いスタンドだ。ことにチーズにタマネギにハラペニョを一緒に詰め込んでもらえばもう最高だ。僕たちはランプの車の前座席で膝に包み紙をひろげ、それぞれ2個ずつむさぼり食った。
    (『女優志願』p544)

チリ・ビーンズをのせたチリ・ドッグは、南部で生まれたものと思っていたが、実はコニー・アイランド名物である。ハラペーニョはトウガラシの品種の1つ。つぶして香辛料として使われる。

    外気は顔をピシャリとはたくうように冷たかった。ジェスは首をすくめて階段を下りながら人通りの多いほうへそっと目をやり、リック・ファーガソンの姿がどこにも見えないのを確かめた。「ホットドッグ1つ、ケチャップマスタード、全部つけてね」ほっとした彼女は大声で注文し、ホットドッグ屋が慣れた手付きで大きなコーシャーのソーセージをセサミ・シード入りのパンで挟み、ケチャップとマスタードを塗り、つけあわせを載せるのを眺めた。
    (『秘密なら、言わないで』p43)

舞台はシカゴ。だから、ジェスが食べようとしているのは、シカゴ・ドッグなのだろう。
コーシャー(Kosher)というのは、「ユダヤ人について」で解説したカシュルート(kashrut)、すなわちユダヤ教の適正食品規定にのっとっているという意味だ。たとえば、コーシャー・ソーセージには豚肉は使われない。

次は、すっかりアメリカ料理となってしまったイタリア料理の代表ピザとパスタだ。

(当初作成日:3/19/2000

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