アメリカン・フードについて - その6

アメリカのエスニック料理(1)… 地中海料理


アメリカの大都市は多かれ少なかれエスニック・シティだ。代表的なニューヨークには、次のようなエスニック街がある。

  • イタリア人街:最近はチャイナタウンに押され凋落気味のマンハッタン・ロウワーイーストのリトルイタリー。本物のイタリア料理を味わうにはアーサーアヴェニューの通称で知られるブロンクスのイタリア人街だと言われる。
  • アイルランド人街:ヘルズキッチンと呼ばれた有名なアイルランド人街はマンハッタン・ミッドタウン西端であるがもはや歴史上の地区。マンハッタンには他にも(旧)アイルランド人街と称される場所が多いが、今やアイリッシュ・パブがあるぐらいだ。新しいアイルランド人街は、ブロンクスの北のはずれ、カトナアヴェニューと呼ばれる地域である。
  • ポーランド人街:ブルックリンのグリーンポイントが代表的。その南西に広がるウイリアムズバーグにもポーランド人は多い。 ウクライナ人街:マンハッタンのイーストヴィレッジ。ここは以前はリトルウクライナと呼ばれていた。
  • ユダヤ人街:マンハッタンのロウワーイーストサイド、アッパーウェストサイド、ブルックリンのクラウンハイツが有名。特にクラウンハイツのユダヤ人街はハシディムの街だ。
  • ウェストインディアン・カリブ人街:ブルックリンのクラウンハイツにある。ユダヤ人街を取り囲むような形になっている。
  • アラブ人街:ブルックリンのアトランティックアヴェニューのアラブ人街が有名。
  • ギリシア人街:クィーンズのアストリアにあるが、最近はインド・パキスタン人が増えている。

シカゴにも、スウェーデン人街、ベトナム人街、コリアン・タウン、ポーランド人街、ギリシア人街、ウクライナ人街、チャイナタウン、メキシコ人街、アイルランド人街、リトアニア人街などがある。
したがって、アメリカ人はさまざまなエスニック料理を食べるチャンスがある。イタリア料理やメキシコ料理などはもはやエスニック料理とも言えないぐらいアメリカ人に定着している。

(1)ギリシア風サンドウィッチ

    家には食料がなにもなかったので、クーパーは電話を切ると、モース・アヴェニューにあるギリシア料理の店へ“イロ”というギリシアふうサンドウィッチを食べにいった。
    (『長く冷たい秋』p350)

かつてはアイリッシュ・パブグリーク・ダイナーのないニューヨークなど考えられなかった。「ダイナー」といえば、グリーク・ダイナーを意味した。『長く冷たい秋』の舞台シカゴにもギリシア人街があり、ニューヨークほどではないがグリーク・ダイナーが多かった。しかし、グリーク・ダイナーはマクドナルドやバーガー・キングなどのファストフード店の攻勢により、次第に駆逐されている。アメリカには日本の喫茶店的なところがなかったので、ダイナーがその役割を果たしてきた。ファストフードの攻勢の後は、シアトル生れのチェーン、スターバックスというとんでもない怪物が現れ、状況はますます厳しくなっている。
グリーク・ダイナーの典型的なメニューは「脂肪の塊」、すなわち、典型的なアメリカンフードである。これを多品種、しかも大量に提供する。チーズ、ベーコン、ローストビーフとバラエティはあるが、「脂肪の塊」であるアメリカンフードの代表はハンバーガーだ。なかなか出てこないケチャップを、ハインツの瓶からむきになって振り出して付け合わせのフレンチフライにベタッと付け、これをコーラで流し込む。アメリカにいるなあ、と感慨にふけることができる。テスはバーベキューソース+ケチャップ+ワサビソースのミックスソースがお気に入り。

    テスはバーベキュー・ソースケチャップワサビソースを自分で混ぜたものをたっぷりとフレンチフライにつけた。テスはこのミックスソースが気に入っているのだ。
    (『チャーム・シティ』p143)

ハンバーガーの次は、サンドゥイッチ。既に説明したようにいろいろな種類のサンドウィッチがあるが、「脂肪の塊」という点ではリューベン・サンドウィッチ(Reuben sandwich)の右に出るものはない。これはパストラミやコンビーフのサンドウィッチの上からさらにチーズをのせ、オーブンでチーズがとろけるように温めたものだ。はさんだコンビーフとチーズの油脂分がパンに染みとおるほどギタギタしていている。「コンビーフ・ザウアークラウト・スイスチーズ・アンド・ロシアンドレッシング・オン・ライ」(corn beef, sauerkraut, Swiss cheese and Russian dressing on rye)などという大仰な名前のついたリューベン・サンドウィッチもある。ザウアークラウトは、キャベツの千切りを塩漬けにして酸味が出るまで発酵させたものだ。つまりキャベツの酢漬けだ。このザワークラウトがどっさり入っているので、全体的にびしょぬれである。もともとユダヤ人の間で生まれたものだが、置いているグリーク・ダイナーが多い。

ギリシアらしさを出しているメニューとしては、グリークサラダ、ムサカ、スヴラキとイーロがある。
グリークサラダは一見アメリカンサラダと同じだが、その上にオリーブフェタチーズがのっているところが違う。ムサカはスライスしたナスとラム等の挽肉を交互に重ねてオーブンで焼いた料理。ここまでは日本でも馴染みがある。
スヴラキ(souvlaki)は、いわばチキンのグリル焼きみたいなもの。これに香辛料(ディルなど)で香りをつけたヨーグルトソースをかけ、トマトの賽の目切り、レタスの千切りなどと一緒に、ピタパンにのせるか、くるんで食べる。最初からくるんである場合は、スヴラキサンドウィッチと呼ぶ。

ピタの空洞ピタ(pita)は中東でよく用いられる手のひらサイズで平たい丸パンである。中が空洞になっているのが特徴で、ここに野菜、肉、チーズなど好みの具をはさんでサンドウィッチにようにして食べる。中東生れではあるが、どんな具でも合うという便利さが受けて、欧米ではすでに一般的な食べ物になっている。日本でも、渋谷の「Pita Bar」のような専門店(97年12月開店)が出来ているし、ピタのサンドウィッチはスターバックスコーヒーの定番メニューともなっているので、ご存知の方が多いだろう。イスラエルはユダヤ人の国だからベーグルだろうと思う人が多いかもしれないが、ベーグルはむしろ東欧のユダヤ人がアメリカに持ち来んだもので、イスラエルではピタの方がポピュラーだと言われる。

さて、クーパーが注文したイーロ(gyro)である。ラムの屑肉を一度ソーセージの詰め物のようにして、直径30センチ、高さ60センチ程度の円筒形に塗り固める。この肉の円筒を、ロースターに垂直にセットし時間をかけてローストする。食べ方はスヴラキと同じで、トマトやレタスも合わせてヨーグルトソースをかけ、ピタブレッドと一緒に食べる。
パトリシア・コーンウェルの<検屍官ケイ・スカーペッタシリーズ>第9作『業火』に、ケイ・スカーペッタがマリーノと一緒にワシントンでイロを注文(テイク・アウト)する場面が出てくる。

    このカフェは24時間営業だ。いためたタマネギと牛肉のにおいが、あたりにたちこめている。壁にはギリシア風サンドイッチのイロや緑茶、レバノンのビールなどのポスターと、ローリングストーンズがここで食事をしたことを伝える新聞記事を額にいれたものが飾ってある。
    ……
    「何にしましょう」と、コックが言った。ジュージュー音をたてる牛肉を鉄板に押しつけ、ひっくりかえし、切り、色づきはじめたみじん切りのタマネギをまぜている。
    「ギリシア風サラダをひとつと、チキンをピタにはさんだイロ、それから、ええと」メニューを検討する。
    「ケフテ・ケバブ・サンドウェシュ。この発音でいいのかしら」
    「テークアウトね?」
    「そう」
    「できたら呼びます」コックは言った。
    (『業火』p238)

他のギリシア料理を2、3引用しておこう。

    娘はギリシャ料理は初めてだったのだが、米とラムをブドウの葉で包んだ料理が出ると、ブドウの葉を開いておいしそうに食べた。ブドウの葉は、包んであるだけだと思って食べ残した。
    (『夢果つる街』p291)

これはトレヴェニアン(Trevanian)の傑作『夢果つる街』(The Main、角川文庫)からの引用だが、実は『夢果つる街』の舞台はアメリカではなくカナダのモントリオールだ。ルール違反。

    ジャクスン・ブルーヴァードまできて、ホールステッド通りを離れた。シカゴのギリシャ人社会が残っている一帯だ。そこで曲がったのは、ジャクスン・ブルーヴァードがわたしの事務所に行くルートだったからにすぎないが、角のレストランから漂ってくる匂いがたまらなかった。どうせもう5時だから、フリーマン・カーターにデータ探しを頼むには遅すぎる。タラモサラダ焼きイカの皿を前にして腰を落ち着け、1日の熱気と挫折感を背後へ押しやった。
    (『ガーディアン・エンジェル』p210)

タラコをマヨネーズで混ぜたような(?)タラモサラダは結構辛い。ペースト状になっているのでパンに付けて食べる。ヨーグルトサラダやナスのババガヌーシュも同じような食べ方をする。

    セリーズはコークに決め、エレナのほうは、わたしの母が昔いれていうれたようなおいしいコーヒーを頼むといった。わたしは昨日のピクニックに持っていったパスタサラダの残りを出し、ロールパンを2個温めた。2人ともここしばらく満足に食べていない様子だった。サラダに入っている白い妙なものはなんだとセリーズがきいたのと、「カラマリ」という答えを分別くさくうなずいて受け入れたのを別にすれば、2人とも口もきかずにカツガツつめこんだ。
    (『バーニング・シーズン』p96)

カラマリはイカのリング揚げ。イタリア料理のメニューにも出てくる。

(2)中近東風サンドウィッチ

    クラーク通りに面したレバノン料理レストランの裏にあたる小さな空き地があった。
    ……
    店のなかに入り、レストランの奥のテーブルで紫煙に包まれながら流浪の身に耐えているレバノン人の常連たちに向かってうなずいた。そしえ、通りに面した窓際の席に腰をおろした。店内はあまり込んでいなかったので、店員がすぐに注文を取りにきた。クーパーはホムスシャワルマ・サンドウィッチを注文し、わきに新聞の求人蘭を広げた。
    (『春までの深い闇』p305)

ギリシア料理のイーロとそっくりなのが、アラブ料理のシャワルマである。
違いはシャワルマは屑肉ではなく、新鮮なハラルミートしか使っていない点だ。ハラルミート(Halal meat)とは、イスラム教に則って処理した羊、牛、鶏などの肉のことである。豚は駄目。ビーフ、チキンも食べるが主流はラムである。

    「どうしてスチュワーデスに、イスラム教の戒律にのっとった食事しかできない、なんて言ったの」
    「そう言わなきゃ、タラかチキンしか食わせてもらえないだろう。おれはラムを食べたかった」
    (『二日酔いのバラード』p35)

シャワルマの作り方はイーロとほとんど同じである。ラムを薄くスライスしてから、円筒状に積み重ねたものをゆっくりローストし、必要な分だけナイフで垂直に削いで使う。

ホムス(hommus)は代表的な中東料理だ。ヒヨコマメ、エジプトマメとも呼ばれるチックピー(chick-pea)を煮てつぶし、これにタヒーニ(tahini)というゴマペースト、レモン汁、みじん切りのニンニクとパセリ、パプリカなどを入れ、さらにオリーブ油を加えてよく練ってつくる。そのままでも食べることができるが、これをピタパンにつけ、ワインをちびりちびりやるといくらでも食べられる。バターとマヨネーズを足したような味だが、動物性脂肪は全くない。ホムスと同じような食べかたをするものにババガヌーシュがある。これはホムスとテクスチャーが似ているが、チックピーのかわりにナスを使うのでちょっと渋め。

    朝食用のファラフェル・サンドウィッチを買うために、ホールステッド通りとライトウッド・アヴェニューの角の通りに面したレバノン料理の店に寄って、ホールステッドを北に向かう残りの道々、赤信号で止まるたびにそれをかじった。レバノンの内紛の影響がいくつものレストランや小さな店という形で、シカゴにあらわれている。10年前、ヴェトナム崩壊の影響がここにあらわれたときとまったく同じである。新聞にいっさい目を通さなくとも、せっせと外食していれば、世界のどの国にがたがきているかがわかるはずだ
    (『センチメンタル・シカゴ』p56)

ファラフェルを食べる少年ファラフェル(falafel)とは、アラブ語で「コショウのように辛い」あるいは「美味の」という意味。特別に辛くはないがうまい。シリア、レバノン、イスラエル、エジプトなど地中海の西、中近東の料理で、一言でいうならポテトの代わりにマメを使ったコロッケのようなものである。中近東式揚げ団子といってもよい。肉は使わない。マメはチックピーである。これを水に漬けておくと柔らかくなるので、ミキサーにかけて細かくする。これにみじん切りのタマネギ、ニンニクを加え、塩、コショウで味付けし、小さく丸めて油で揚げる。トマト、レタス、酢漬けのカブや唐辛子と一緒に皿に盛り、タヒーニにみじん切りのニンニク、レモン汁を加えて作ったソースを添えて供する。これをピタパンの中に入れ、上からタヒーニソースをかければ、ファラフェル・サンドウィッチが出来上がる。栄養満点。肉が入っていないのでヴェジタリアンには特に好まれる。ファラフェル・サンドウィッチはニューヨークの屋台などでも人気がある。

    アムステルダム・アヴェニュー74丁目と75丁目のあいだに、私が月に1度か2度行く軽食堂がある。威嚇的な口ひげをはやしたトルコ人が主で、出てくるものはその威嚇度で言えば劣るかもしれないが、どの料理もトルコ料理として出てくる店だ。わが新しき友を得てから2日のちに、私はそこのカウンターに坐っていた。レンズ豆の特別スープをきれいにたいらげて、ぶどうの葉にくるんだ次の料理を待っていた。
    (『泥棒は選べない』p60)

泥棒は選べない』(Burglars Can't Be Choosers、ハヤカワ文庫)はローレンス・ブロックの<泥棒バーニイ・シリーズ>の第1作である。作者はハードボイルド<マット・スカダー・シリーズ>のスカダーとは全く違うバーニイ・ローデンバーという主人公を創り出した。
バーニイはデビュー時は35歳。前科数犯。ウェストエンド・アヴェニュー71丁目の比較的新しい高層ビルのてっぺんに住む。グリニッジ・ヴィレッジに趣味と実益を兼ねた書店を経営。独身。女によくもてる。誇り高き(?)プロの泥棒。物は盗むが、人を傷つけたり生命を奪ったりはしない。徹底した非暴力主義者で、豚皮のケースに入った泥棒7つ道具は持ち歩いても銃は絶対に携行しない。パターンとしては、泥棒に入った先に死体が転がっていることが多く、殺人の容疑を晴らすためにやむをえず探偵活動に乗り出さざるを得ない状況に陥る。

アメリカで中近東料理といえば、レバノン・シリアタイプで、既に紹介したホムスババガヌーシュファラフェルの他、細かく刻んだパセリ、トマト、オニオンと挽き割り麦を合わせたヘルシーなサラダであるタブーリが代表的である。つまり、オリーブ油レモンパセリチックピー(ヒヨコマメ)が決め手になっていて、タヒーニヨーグルトが多用される。
しかし、これらはモロッコ、エジプトなどの北アフリカ諸国の料理とも共通点をもっているし、トルコ料理、イラン料理とも共通点をもっている。もっと言えば、ギリシア料理やアルメニア料理とも共通点があり、むしろ地中海料理と言ったほうがよいかもしれない。

レンズマメも代表的な食材である。エンドウマメやレンズマメのようなマメは、マメ科植物に属している。さやに入っているこれらの植物の種子は、人類が食べたもっとも古い食物のひとつだ。人類は最初は野生の草からマメを集めていたが、農耕が始めるようになると、栽培し、よりおいしいマメを作るべく改良を加えた。
多くの古代文明では一般庶民はほとんど毎食ポリッジやスープやシチューに乾燥させたレンズマメを入れて食べていた。旧約聖書のエサウの家督相続の話に出てくる「一椀のあつもの」とはそのような料理をいうらしい。
余談になるが、1400年代後半コロンブスなどの探検家が、ヨーロッパから出航するときには、乾燥させたマメがいっぱいつまった樽が船倉に積み込まれた。長い航海のあいだ、乗組員はゆでたファバビーン(ソラマメ)、レンズマメ、チックピー(ヒヨコマメ)を食べていた。そして、アメリカ大陸に着いたヨーロッパ人は、今まで見たことのないインゲンマメを発見したのだ。
ぶどうは、小アジア原産で、オリーブ、イチジク、ナツメヤシとともにもっとも初期からの栽培植物だ。ぶどうの葉はトルコ料理に使われるし、ギリシア料理でも使われる。

    彼は出ていった。私はぶどうの葉を食べた。デザートを取るつもりはなかったのだが、わざとゆっくり、甘すぎるバクラヴァを食べ、インク色した濃いトルコ・コーヒーをすすった。そいつをもう一杯飲んでやろうかとも思ったが、そんなことをすれば、4年間ぐらい起きたきりになるのじゃないかと思い直し、やめておいた。
    (『泥棒は選べない』p62)

    「注文のもの、できたよ!」コックが大声で言った。
    「あのバクラバとかいう菓子を俺に買ってくれよ。ピスタチオのついたやつ」
    「だめ」と、私は言った。
    (『業火』p240)

中近東料理はデザートと飲み物もなかなかユニークである。
バクラヴァは、細かく砕いたクルミとシナモンを、フィロという薄いパイ皮で何層にも包み、これに蜂蜜シロップをたっぷりかけたものだ。ギリシア料理にもあり、地中海世界でひじょうにポピュラーなデザートだ。セモリナ粉で焼いたパウンドケーキに蜂蜜とヨーグルトをかけるバスボゥサというデザートもある。
この甘さは濃いトルコ・コーヒーと一緒に味わうことによって調和がとれる。

    「コーヒーだって、おなじものばかり飲んでいてはだめだ」と、ファルークはおなじさりげなさでつけたした。「トルコ・コーヒーは飲んだことがあるかね?」
    「覚えているかぎりではないな」と、フランクは素直に認めた。
    ファルークの顔にさっきとおなじ薄い笑みが浮かんだ。「それなら、試してみたまえ。後悔はしないはずだ」
    すこしして、トビーがコーヒーを運んできて、テーブルにきちんとならべると、ファルークに物問いたげな視線を投げてから、また奥へ引っ込んだ。
    ……
    ファルークはコーヒー・カップのほうに顎をしゃくった。「試してみたまえ」
    フランクはゆっくりすすった。「強いな」
    ファルークがうれしそうに笑った。「それが売物なんだろうね」
    (『過去を失くした女』p90)

コーヒーがヨーロッパで一般に知られるようになったのは17世紀のことである。1683年にウィーンに攻め入ろうとしたトルコ軍が敗走したとき、大量のコーヒー豆をあとに残していった。これをウィーンの人たちが賞味したのがコーヒー普及のきっかけと言われている。したがって、オリジナルは、濃いトルコ・コーヒーだった。その上に泡立てたクリームをのせたものが、今日ウィンナ・コーヒーと呼ぶものだ。
アメリカのイギリス植民地では紅茶が日常的に飲まれていた。しかし、18世紀後半、戦費不足に陥ったイギリス政府はアメリカが紅茶を輸入する際には、必ずイギリス経由することとし、また重税を課した。これに怒った植民地住民が、ボストンの港に停泊しているイギリス船に乗り込み、紅茶を海に投棄したのが有名なボストン茶会事件だ。この事件はアメリカ独立運動のきっかけになったが、アメリカ人が紅茶からコーヒーに飲み物を変えることになったきっかけでもあった。

    ふたりはクリントン通りを南に向かい、アトランティック・アヴェニューに達した。
    「さあ、着いたぞ」といって、ファルークは通り沿いに目を走らせた。「若いころ、住んでたところだ」
    そこは小さくまとまったアラブ人地区で、大きな樽や粗布袋に入れた新鮮なナツメやカシューナッツなどを売る混雑した店が建ち並んでいた。キッパの生焼けの肉のにおいが、ハルヴァ蜂蜜ケーキの甘いかおりと混ざり合い、鼻をふんふんさせて、東へゆっくりとした足どりで進むファルークは、自分の少年時代よりもさらにずっとさかのぼり、まだ砂漠の部族民がどこまでもだだっぴろく広がっている砂の上をさすらっている時代へ心を馳せているように見えた。
    (『過去を失くした女』p377)

ブルックリンのアトランティック・アヴェニューは古くからニューヨークのアラブ人街として有名だ。
キッバというのはラムとブルグアなどを練った食べ物で、ハルヴァはゴマやナッツをシロップで固めた練り菓子である。

(当初作成日:3/19/2000

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