アメリカン・フードについて - その7

アメリカのエスニック料理(2)… ユダヤ料理


    「コルトの件はどんな調子だ?」
    「朝食は食べたの?」
    「ああ……食った」
    「嘘つき」
    「わかったよ。食ってない」
    「馬鹿」
    「それじゃなんて言えばいいんだ?」
    彼女はわたしのデスクに紙袋を投げ出した。「ベーグルよ。食べて」
    わたしは紙袋に手を突っ込んだ。ベーグルはガーリック・トーストにしてクリーム・チーズが添えてあった。わたしの好みのやつだ。それとオレンジ・ジュースも入っていた。
    (『幻の終わり』p150)

ユダヤ料理の代表格はベーグル(bagle)だ。
しかし、『幻の終わり』の終りの主人公ジョン・ウェルズもベーグルを買ってきたランシングもユダヤ系アメリカ人ではない。
1962年、アメリカ人は年間50万個のベーグルを食べていた。それが30年後の
1992年には10倍の500万個に達した。ユダヤ系アメリカ人の数が増えたわけではない。脂肪分が少なくダイエット指向の波にのってユダヤ人に限らず、「普通のアメリカ人」の間で人気を得たのだ。それまでは、長年、ベーグルといえばユダヤ人のもの、それもニューヨークのユダヤ人の特別の食べ物とされていた。それが今やマクドナルドやダンキンドーナッツでベーグルを売っている時代になった。

ベーグル1個の重さはだいたい70〜80グラムだが150〜190カロリーで、脂肪はわずか1グラムである。バターやミルクをいっさい使用せず、小麦粉、塩、麦芽糖蜜、それにイーストだけで作られているからである。表面はカリッとしているが、中はムチムチ、シコシコと噛みごたえがある。

BAGEL&BAGELのベーグル そのヘルシーさが受けてか、最近は日本でも、東京港区や渋谷区にベーグル・カフェが目立ち始めた。ボクは行ったことがないが、<BAGEL&BAGEL>などが有名。ちなみに、住所は、新宿御苑店(新宿区新宿2-7-1不二川ビル1F)、浜松町店(港区浜松町1-27-17三和ビル1F)、六本木店( 港区六本木7-3-13 秋山ビル1F)。麻布店、たまプラーザ店もできたようだ。
パナデリアというパン好きの人たちのホームページにベーグル特集があるので参考にして下さい。BAGEL&BAGEL以外の店も紹介されています。

    車をエデンズまでもどして、南に向かい、デンプスターの出口をめざした。デンプスターというのはユダヤ人が圧倒的に多いスコーキーの郊外を東西に走る道路で、わたしは道路沿いに見えた<ベーグル・ワークス>という、惣菜とベーグルを売る店の前で車を停めた。
    (『サマータイム・ブルース』p138)

特に意味があるわけではないが、スコーキー(Skokie)はボクが住んでいたエヴァンストンの隣町だったのでなつかしくて引用した。<ベーグル・ワークス>はいわゆるジューイッシュ・デリ(Jewish deli)である。

    明るく爽やかな朝だった。2人のシェリーはスモークサーモンベーグル、酢漬けニシンにデニッシュを持って早めにやってきた。バニーがそれをテーブルに並べた。サージはコーヒーメーカーにかかりきりになっていた。シャドウ・ウィリアムスは10脚ほどの椅子を会議テーブルに並べた。僕には僕の準備があった。
    (『女優志願』p557)

    リハーサル室は広く、照明は明るく、よく冷えていた。長方形に並べられた会議机を30脚くらいの椅子が囲んでいる。ナオミがその前にせっせと台本と鉛筆を並べている。他の連中は――30人近いキャスト、クルー、それに制作スタッフ――コーヒーを飲みながら陽気に喋っている。雰囲気は盛り上がっている。みんな仕事に戻れたことを本気で喜んでいるのだ。ベーグルにドーナツにコーヒー、それにフルーツを盛り合わせた巨大なバスケットが部屋の隅に用意されている。
    ……
    ルルはまっすぐコーヒーのテーブルに向かった。ベーグルのある所、スモークサーモンあり、の可能性が高い。
    (『自分を消した男』p112)

    サイド・テーブルの上には、いれたてのコーヒーのポット、ベーグルクリームチーズスモーク・サーモン、トマトとレッドオニオンの薄切りをのせたトレー。
    (『ララバイ・タウン』p48)

3つ立て続けに引用したのは、ベーグルといえばスモーク・サーモンと結びつくことを示したかったからだ。ホーギーの愛犬ルルは賢い。「ベーグルのある所、スモークサーモンあり」の可能性が高いことを知っている。
スモーク・サーモンは、ユダヤ人が伝統的に作って食べてきた鯖などの薫製魚のサーモン版で、イーディッシュ語ではロックス(lox)と呼ばれる。我々が食べているスモーク・サーモンと基本的に変わらない。このロックスの最もポピュラーな食べ方が、クリーム・チーズと一緒にベーグルにのせて食べるbagle with cream cheese & loxである。
ベーグルをトーストしたものにクリーム・チーズをたっぷり塗って、その上にしっとりとしたスモーク・サーモンをのせ、さらにその上にスライス・オニオンをトッピングするbagle with lox, cream cheese & onionはニューヨーク名物である。
サンドウィッチのように、ベーグルを上下2つに切って間に具をはさむスタイルも流行している。この辺はアメリカ人は自由自在だ。いったん、ベーグルに馴染むといろんな物をはさんで食べるようになっている。ベーグルはもはやユダヤ人の食べ物ではなくなった。今ベーグルを食べている人の70〜80%はユダヤ系ではない。

ユダヤ料理を語る場合、適正食品規定(カシュルート)に触れなければならない。すでに、「ユダヤ人について」の「ユダヤ人の生活」「(4)適正食品規定/食べ物」で説明したが、参考のために再録する。

    「なにか食べたいものはありますか」デッカーはプリマスを発進させながらきいた。
    「刑事さん、レストランの食事はカシェルではないので食べられないんです。わたし、お弁当を用意してきました」リナは遠慮がちに言って、紙袋をもちあげてみせた。
    (2人は公園のベンチに腰をおろす)
    リナは袋のなかから分厚いハンバーグをはさんだ特大のオニオンロールをとりだして、さしだした。
    デッカーはそれをまじまじと見つめた。「これがハンバーガーってやつですね。長いことファースト・フードばかり食べていたから、本物がどういうものかすっかり忘れていましたよ」かぶりつくと、肉汁があふれて、あごにしたたりおちた。
    ……リナは包みを開いてベージュ色の四角いものをとりだした。「ポテト・クーゲルです」
    「ポテトも大好物です」
    「ゼラチンで固めたハッシュド・ポテトと言ったらいいのかしら――」
    デッカーは声をあげてわらった。「なんだかすごそうだな」
    「でもけっこうおいしいんですよ」
    デッカーはひとつ口にいれて、じっくり味わった。
    「なんの味だったかな。そう、ラートケの味だ。大きくて分厚いラートケの」
    リナは驚いた。
    「そう、ほんとにそのとおりだわ」
    「異教徒にしてはよく知っているでしょう」
    リナは笑った。
    「ひとつかふたつ言葉を覚えただけでしょ、刑事さん」
    「3つか4つは知っていますよ。別れた女房がユダヤ人だったんです。あなたとは似ていないが」語調を和らげて、「彼女も彼女の両親もほとんどアメリカ人と変わらなかったから。でも、父方の祖父母はいまだに……ユダヤ人らしい暮らしをしています。彼女のおばあさんがよくラートケを作ってくれてね」
    「おいしかったですか」
    「最高に」
    (『水の戒律』p81)

事実上リナとデッカーのはじめてのデートの場面だ。デッカーはどこかレストランに誘おうとするが、リナは弁当を用意している。ユダヤ教では、食べてよい食物と食べてはいけない食物を定めている。この律法のことをヘブライ語でカシュルート(Kashrut 適正食品規定)という。食べてよい食物のことを一般にコーシェルないしコーシャー(Kosher)というが、これはベブライ語のカシェル(適正な)のアシュケナージ系の呼び方だ。リナはカシェルというヘブライ語を使っている。

    「あなたは食べないんですか」
    「あ、ええ……、いただきます」
    リナは袋のなかから紙コップをとりだすと、スプリンクラーのほうに歩いていった。コップに水をいれて、それを両手にふりかけ、ベンチにもどってきた。
    「きれい好きですね」デッカーは笑いながら言った。「女性のそういうところが好きだな」
    リナは笑みを返したが、返事はしなかった。気を悪くしたのだろうか。
    「ほんの冗談ですよ」
    彼女はうなずきながら小声でなにかつぶやいた。それからパンをひと口かじり、飲み込んでから、やっと口を開いた。「わかっています。食事のお祈りをしていたので返事ができなかっただけです。手を洗ったあとは、パンを食べるまで口をきいてはいけないことになっているので」
    デッカーは呆気にとられてリナを見つめた。
    「気になさらないで」彼女はあわてて言った。「たいしたことじゃありませんから」
    デッカーは肩をすくめた。
    (『水の戒律』p83)

まだお互いをよく知らないため、お互いの些細なしぐさでも相手が気を悪くしたのかと心配になってしまう。食事の前のお祈りが終わるまでは口をきいてはいけなかっただけというユーモラスな場面だ。

    ウェイトレスがサンドイッチを運んできた。
    「すぐにもどるよ」デッカーは席を立って厨房のほうに歩きだし、大型の洗面台の前までいった。洗面台の上には、両側に把手のついた真鍮のジョッキとペーパータオルがかかっていた。その聖杯に水を満たし、両手に2回ずつかけた。水気を切ってから手をふき、洗手の儀式の祈りを唱えた。テーブルにもどると、パンを前にして、また別の祈りをつぶやき、それからパストラミをはさんだライ麦パンにかぶりついた。
    (『豊饒の地(上)』p66)

ユダヤ人の食事は律法で規定されている。まず、儀式的に手を洗うこと、そのとき祝祷を唱えること、食卓について感謝の祈りを捧げること、そして食後の感謝の祈りが必要である。この一連の規定の中でカシュルートが要の役を果たしている。

なぜ、カシュルートのような規定があるのだろうか。衛生上の観点から定められたと言われることがある。
しかし、聖書時代ならともかく、現代においては、科学的にもほとんど無意味の禁止規定が多い。ましてや冷蔵庫の発達した現在、なぜユダヤ人はカシュルートを守るのだろうか。
端的にいえば、神が定めたと聖書に書いてあるから守るのだ。理由はない。カシュルートを厳格に守ろうとすれば、非ユダヤ教徒と食事を共にすることは極めて困難だ。もっとも日常的な行為において他の民族との交流を断つわけで、ユダヤ人のアイデンティティ確立に貢献したのではないか。また、何でも食べるというのではなく、決められたものを決められた通りに食べるというのは、他の動物にはできない。自己を厳しく律することができる人間だけにできることだとも言える。

食品がコーシェルであるためには、レビ記11章によれば、動物についてはまず草食動物で、割れたひづめと反芻することが条件となっている。したがって、肉食類であるライオンはだめだし、豚はびづめは割れているが反芻しないのでだめだ。海や湖に住む生き物では、ひれと鱗のある物は食べてもよい。だから、エビ、カキ、タコ、イカはだめだ。鳥については、食べてはいけない名前(たとえば、ハゲワシなど)が、個別にあげられている。植物については特に制限はない。

    「……だが、カシェルの掟を守る者として、肉のために狩りをしようとは思わなかった。理論的には儀式に従って動物を処理する方法を知っていたが、わたしにはショヘット(Shochet )の真似はできなかった。それに森でとれる果物で生命を維持することは不可能ではなかった。あのような奇跡のあとで、食事の戒律を犯すわけにはいかない。たとえ、――命を救うためという口実があったとしても」
    (『豊饒の地(上)』p266)

聖書の根本的思想は、は命であるということで、血を食べる(または飲む)ことを禁じている。肉を食べる場合には血を抜かなければならない。屠殺方法にも条件があり、もっとも苦痛の少ない方法で一瞬に殺さなければならない。頚動脈を鋭い刃物で一刀で処置する。屠殺専門家のことをショヘートというが、十分に訓練を受け資格試験を通る必要がある。

    象牙色の禿頭に黒い絹のキパをちょこんとかぶり、マシュギア、つまりすべて食事規定に則ったものであるかを調べるためにチーフ・ラビ団がよこしたラビを相手に、ひっそりとチェスをしている。
    (『殺人劇場(上)』p296)

そして、その動物に病気がないか肉を検査しなければならない。検査員をマシュギアという。検査に合格してはじめてコーシェルと認められる。

    「レストランで外食はしないのかと思っていた」
    「そこはカシェル食品のレストランなの」
    「そういえば、マイアミにカシェルのデリカテッセンがいくつかあったな。でもこのあたりにそういう店があるとは知らなかった」
    「ヴァレーに大きなデリが一軒と、ロサンゼルスにおいしいレストランが一軒あるわ。けさいったのは、新しくできた乳製品のレストランなの。乳製品と肉類は一緒に食べないから、どちらか一方しかださないレストランでないとだめなのよ」
    (『水の戒律』p373)

同じような会話が別の箇所でも出てくる。

    デッカーは言った。「ライ麦パンにパストラミをのせてくれ、それとオレンジ・ジュースの大をもらおう」 「おれはライ麦パンにサラミとチーズ、それからバド。バドがなければ、代わりにきみをもらうよ」 デッカーは目をまわした。「チーズはないんだ、エイベル。カシェルの店なんだから。ここじゃ、肉と乳製品は一緒に食べない」
    (『豊饒の地(上)』p62)

肉と乳製品を一緒に食べることも禁止されている。出エジプト記23−19の「あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない」をラビが拡大解釈し、肉と乳製品は分けて食べるように規定されたのだ。肉と乳製品を一緒に食べると消化を妨げるという実際的な理由もあるだろうが、これも、聖書に書いてあるから守られるのだ。

    「このグリルがパルヴェなのか、フレシグなのかわからなかったから、鱒にしたの。鱒は好きでしょ?」
    (『豊饒の地(上)』p269)

パルヴェ(Pareve)というのは、肉でも乳製品でもないニュートラルなコーシェル・フードに分類されるもののことだ。フレシグ(Fleishig)は肉に分類されるもの、乳製品に分類されるものはミルキッヒ(Milchig)と言う。ただし、ここではリナは、パルヴェを肉と乳製品以外の食物用の道具、フレシグを肉用の道具というくらいの意味で使っている。

    フローレンス・マーリーはコーヒー色の肌をした30歳の女性で、よく笑い、人なつこく、料理のレパートリーが広い。しかもおいしそうな料理ばかり。リナは教えてもらった料理のいくつかをカシェルの規定にあうように適当な材料に変えて作ってみた。食べ物というのは万国共通の言語である。料理の話題はワッツ出身の大柄な黒人女性とコミュニティの女たちのギャップを難なく埋めてしまった。
    (『水の戒律』p161)

ユダヤ教徒の主婦はこのように、カシュルートにあうように適当に材料を変えて料理を作るのだ。

カシュルートについてはここまで。

    「おいしいポテト・クーゲルの秘訣はいいじゃがいもよ」サラがドライヤーの音に負けじと声をはりあげた。「最高においしいポテト・クーゲルの秘訣は油の量ね。ちょうど生地が湿るくらいの量にするの。余分な油はフライパンの縁に流しておけば、あまり油っこくならずに全体がほどよくパリッと焼けるわ」
    (『水の戒律』p7)

クーゲル(Kugel)というのは、色々な種類のものを指し、なかなか定義が難しい料理だ。クーゲルという言葉自体は一般的に英語ではプディング(pudding)と訳される。しかし、Jell−Oのようなデザートのことではない。別のところでは、「ゼラチンで固めたハッシュド・ポテト」のようなものとリナが説明している。

    ……リナは包みを開いてベージュ色の四角いものをとりだした。「ポテト・クーゲルです」 「ポテトも大好物です」 「ゼラチンで固めたハッシュド・ポテトと言ったらいいのかしら――」 デッカーは声をあげてわらった。「なんだかすごそうだな」 「でもけっこうおいしいんですよ」 デッカーはひとつ口にいれて、じっくり味わった。 「なんの味だったかな。そう、ラートケの味だ。大きくて分厚いラートケの」
    (『水の戒律』p81)

味が似ているというラートケ(Latkes)は、ハヌカ祭で食べる油であげたジャガイモのパンケーキだ。

    オーブンのタイマーが鳴り出した。びっくりして、心臓が大きく飛び跳ねた。胸に手をあてて呼吸を唱えてからオーヴンの前にいき、ヌードル・クーゲルをとりだした。不安な気持ちとは裏腹に、料理はどれも完璧に仕上がっている。
    (『水の戒律』p52)

クーゲルは添え料理あるいはデザートのいずれにもなる。添え料理としては、ジャガイモ、卵、玉ねぎなどをつぶして作るが、デザートには、ヌードルやフルーツを使って作られる。
因みに、あるヌードル・クーゲルのレシピを見ると、材料は、卵、バター、砂糖、シナモン、ヌードル、レーズン、アーモンド、リンゴだった。

    この時期の魚はとてつもなく大きい。特に魚の頭は。おいしいおいしい魚の頭。それから、すり身にした魚。だれもがこぞってゲフィルテ・フィッシュを作りたがる。
    (『贖いの日』p28)

ゲフィルテ・フィッシュ(Gefilte Fish)は、鱒や鯉のすり身に卵やたまねぎを混ぜてだんごにして、スープで煮込んだ料理だ。

    「信じられないかもしれないけど、そのスーパーにはマーツォゲフィルテまであるの。グルメ食品のコーナーに」
    (『ママ、手紙を書く』p87)

    「わしは年に一度だけ休暇を取ってる。ペーサーフ――過越しの祝いだ。あんた、ユダヤ人かね?つまり、パンは食べてはならぬ。イスラエル人のエジプト脱出だ。脱出するのにパンを仕込む時間などない。あるのは酵母の入らないパン、マツォーだけだ」
    (『フィラデルフィアで殺されて』p184)

マッツォ(matzo)は、ユダヤ独特のソーダクラッカーみたいなものだ。これを砕いて大きな団子状にしたものを入れたマッツォボールスープもある。

    電話が切れたので向き直ると、ママはコーヒーを飲みながら食べるシュネッケンの皿を運んできてくれるところだった。シュネッケンはナッツとレーズンが入った粘り気のあるパンだ。実にうまい!こんなにうまいのにありつくのはニューヨークを出て以来初めてだった。
    (『ママ、手紙を書く』p115)

(当初作成日:3/19/2000

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