アメリカのエスニック料理(2)… ユダヤ料理
ユダヤ料理の代表格はベーグル(bagle)だ。 ベーグル1個の重さはだいたい70〜80グラムだが150〜190カロリーで、脂肪はわずか1グラムである。バターやミルクをいっさい使用せず、小麦粉、塩、麦芽糖蜜、それにイーストだけで作られているからである。表面はカリッとしているが、中はムチムチ、シコシコと噛みごたえがある。
特に意味があるわけではないが、スコーキー(Skokie)はボクが住んでいたエヴァンストンの隣町だったのでなつかしくて引用した。<ベーグル・ワークス>はいわゆるジューイッシュ・デリ(Jewish deli)である。
3つ立て続けに引用したのは、ベーグルといえばスモーク・サーモンと結びつくことを示したかったからだ。ホーギーの愛犬ルルは賢い。「ベーグルのある所、スモークサーモンあり」の可能性が高いことを知っている。
ユダヤ料理を語る場合、適正食品規定(カシュルート)に触れなければならない。すでに、「ユダヤ人について」の「ユダヤ人の生活」「(4)適正食品規定/食べ物」で説明したが、参考のために再録する。
「刑事さん、レストランの食事はカシェルではないので食べられないんです。わたし、お弁当を用意してきました」リナは遠慮がちに言って、紙袋をもちあげてみせた。 (2人は公園のベンチに腰をおろす) リナは袋のなかから分厚いハンバーグをはさんだ特大のオニオンロールをとりだして、さしだした。 デッカーはそれをまじまじと見つめた。「これがハンバーガーってやつですね。長いことファースト・フードばかり食べていたから、本物がどういうものかすっかり忘れていましたよ」かぶりつくと、肉汁があふれて、あごにしたたりおちた。 ……リナは包みを開いてベージュ色の四角いものをとりだした。「ポテト・クーゲルです」 「ポテトも大好物です」 「ゼラチンで固めたハッシュド・ポテトと言ったらいいのかしら――」 デッカーは声をあげてわらった。「なんだかすごそうだな」 「でもけっこうおいしいんですよ」 デッカーはひとつ口にいれて、じっくり味わった。 「なんの味だったかな。そう、ラートケの味だ。大きくて分厚いラートケの」 リナは驚いた。 「そう、ほんとにそのとおりだわ」 「異教徒にしてはよく知っているでしょう」 リナは笑った。 「ひとつかふたつ言葉を覚えただけでしょ、刑事さん」 「3つか4つは知っていますよ。別れた女房がユダヤ人だったんです。あなたとは似ていないが」語調を和らげて、「彼女も彼女の両親もほとんどアメリカ人と変わらなかったから。でも、父方の祖父母はいまだに……ユダヤ人らしい暮らしをしています。彼女のおばあさんがよくラートケを作ってくれてね」 「おいしかったですか」 「最高に」 (『水の戒律』p81) 事実上リナとデッカーのはじめてのデートの場面だ。デッカーはどこかレストランに誘おうとするが、リナは弁当を用意している。ユダヤ教では、食べてよい食物と食べてはいけない食物を定めている。この律法のことをヘブライ語でカシュルート(Kashrut 適正食品規定)という。食べてよい食物のことを一般にコーシェルないしコーシャー(Kosher)というが、これはベブライ語のカシェル(適正な)のアシュケナージ系の呼び方だ。リナはカシェルというヘブライ語を使っている。
「あ、ええ……、いただきます」 リナは袋のなかから紙コップをとりだすと、スプリンクラーのほうに歩いていった。コップに水をいれて、それを両手にふりかけ、ベンチにもどってきた。 「きれい好きですね」デッカーは笑いながら言った。「女性のそういうところが好きだな」 リナは笑みを返したが、返事はしなかった。気を悪くしたのだろうか。 「ほんの冗談ですよ」 彼女はうなずきながら小声でなにかつぶやいた。それからパンをひと口かじり、飲み込んでから、やっと口を開いた。「わかっています。食事のお祈りをしていたので返事ができなかっただけです。手を洗ったあとは、パンを食べるまで口をきいてはいけないことになっているので」 デッカーは呆気にとられてリナを見つめた。 「気になさらないで」彼女はあわてて言った。「たいしたことじゃありませんから」 デッカーは肩をすくめた。 (『水の戒律』p83) まだお互いをよく知らないため、お互いの些細なしぐさでも相手が気を悪くしたのかと心配になってしまう。食事の前のお祈りが終わるまでは口をきいてはいけなかっただけというユーモラスな場面だ。
「すぐにもどるよ」デッカーは席を立って厨房のほうに歩きだし、大型の洗面台の前までいった。洗面台の上には、両側に把手のついた真鍮のジョッキとペーパータオルがかかっていた。その聖杯に水を満たし、両手に2回ずつかけた。水気を切ってから手をふき、洗手の儀式の祈りを唱えた。テーブルにもどると、パンを前にして、また別の祈りをつぶやき、それからパストラミをはさんだライ麦パンにかぶりついた。 (『豊饒の地(上)』p66) ユダヤ人の食事は律法で規定されている。まず、儀式的に手を洗うこと、そのとき祝祷を唱えること、食卓について感謝の祈りを捧げること、そして食後の感謝の祈りが必要である。この一連の規定の中でカシュルートが要の役を果たしている。
なぜ、カシュルートのような規定があるのだろうか。衛生上の観点から定められたと言われることがある。 食品がコーシェルであるためには、レビ記11章によれば、動物についてはまず草食動物で、割れたひづめと反芻することが条件となっている。したがって、肉食類であるライオンはだめだし、豚はびづめは割れているが反芻しないのでだめだ。海や湖に住む生き物では、ひれと鱗のある物は食べてもよい。だから、エビ、カキ、タコ、イカはだめだ。鳥については、食べてはいけない名前(たとえば、ハゲワシなど)が、個別にあげられている。植物については特に制限はない。
(『豊饒の地(上)』p266) 聖書の根本的思想は、血は命であるということで、血を食べる(または飲む)ことを禁じている。肉を食べる場合には血を抜かなければならない。屠殺方法にも条件があり、もっとも苦痛の少ない方法で一瞬に殺さなければならない。頚動脈を鋭い刃物で一刀で処置する。屠殺専門家のことをショヘートというが、十分に訓練を受け資格試験を通る必要がある。
(『殺人劇場(上)』p296) そして、その動物に病気がないか肉を検査しなければならない。検査員をマシュギアという。検査に合格してはじめてコーシェルと認められる。
「そこはカシェル食品のレストランなの」 「そういえば、マイアミにカシェルのデリカテッセンがいくつかあったな。でもこのあたりにそういう店があるとは知らなかった」 「ヴァレーに大きなデリが一軒と、ロサンゼルスにおいしいレストランが一軒あるわ。けさいったのは、新しくできた乳製品のレストランなの。乳製品と肉類は一緒に食べないから、どちらか一方しかださないレストランでないとだめなのよ」 (『水の戒律』p373) 同じような会話が別の箇所でも出てくる。
(『豊饒の地(上)』p62) 肉と乳製品を一緒に食べることも禁止されている。出エジプト記23−19の「あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない」をラビが拡大解釈し、肉と乳製品は分けて食べるように規定されたのだ。肉と乳製品を一緒に食べると消化を妨げるという実際的な理由もあるだろうが、これも、聖書に書いてあるから守られるのだ。
(『豊饒の地(上)』p269) パルヴェ(Pareve)というのは、肉でも乳製品でもないニュートラルなコーシェル・フードに分類されるもののことだ。フレシグ(Fleishig)は肉に分類されるもの、乳製品に分類されるものはミルキッヒ(Milchig)と言う。ただし、ここではリナは、パルヴェを肉と乳製品以外の食物用の道具、フレシグを肉用の道具というくらいの意味で使っている。
(『水の戒律』p161) ユダヤ教徒の主婦はこのように、カシュルートにあうように適当に材料を変えて料理を作るのだ。
カシュルートについてはここまで。
(『水の戒律』p7) クーゲル(Kugel)というのは、色々な種類のものを指し、なかなか定義が難しい料理だ。クーゲルという言葉自体は一般的に英語ではプディング(pudding)と訳される。しかし、Jell−Oのようなデザートのことではない。別のところでは、「ゼラチンで固めたハッシュド・ポテト」のようなものとリナが説明している。
(『水の戒律』p81) 味が似ているというラートケ(Latkes)は、ハヌカ祭で食べる油であげたジャガイモのパンケーキだ。
(『水の戒律』p52)
クーゲルは添え料理あるいはデザートのいずれにもなる。添え料理としては、ジャガイモ、卵、玉ねぎなどをつぶして作るが、デザートには、ヌードルやフルーツを使って作られる。
(『贖いの日』p28) ゲフィルテ・フィッシュ(Gefilte Fish)は、鱒や鯉のすり身に卵やたまねぎを混ぜてだんごにして、スープで煮込んだ料理だ。
マッツォ(matzo)は、ユダヤ独特のソーダクラッカーみたいなものだ。これを砕いて大きな団子状にしたものを入れたマッツォボールスープもある。
(当初作成日:3/19/2000)
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