アイルランド人に対する偏見
『ロスノフスキ家の娘』(新潮文庫)は、ジェフリー・アーチャーの4番目の長編小説で、名作『ケインとアベル』の続編である。ミステリーというジャンルには入らないかもしれないが、両方とも読むと元気が出る本でボクは大好きだ。
ポーランドの田舎でジプシー女が男の子を生んで死んだ。貧しい猟師の一家に引き取られ、ヴワデクと名づけられた。のちのアベルである。同じ日に、ボストンでは名門ケイン家に待望の男の子ウイリアムが生まれる。 「ロスノフスキ家の娘」とは、アベルの娘フロレンティナのことである。こちらは、フロレンティナが米国大統領になるまでの物語である。 アベルは、フロレンティナにはきちんとした教育を受けさせるべく、典型的なイギリス人ミス・トレッドゴールドを家庭教師につける。冒頭の引用文は、このミス・トレッドゴールドがアベルに忠告する場面。 アイルランド人がイギリス人にいかに差別されているか。イギリスでは、アイリッシュは下層の労働者としてしか生きていけない。 19世紀半ばにアイルランドに起こったジャガイモ飢饉のことを大飢饉(ザ・グレート・ファミン)という。大飢饉により当時9百万人だったアイルランド人のうち、1百万人が餓死し、1.5百万人がアメリカ(一部はイギリス)に移民した。今や、本国の500万人に対してアメリカのアイルランド人は2000万人とも4000万人ともいわれる。 ヤンキーというのは、もとはニューイングランドの新教徒のことである。「(メイン洲ポートランド市の)ヤンキーには天国に通ずるプロテスタント教会があり、アイリッシュにはまっすぐに地獄に落ちる酒場がある」「ヤンキーたちは何世代にも渡って、アイリッシュを騒々しいだけで何の取り柄もなく、喧嘩好きで、年がら年中酔っ払っているみすぼらしい連中だと見下しながら育っていった」。これが、アメリカ人のアイルランド人に対する一般的な見方だろう。とにかく,「アイルランド」や「アイリッシュ」という言葉にろくな意味は込められない。 しかし、米国に移ったアイルランド人の中には成功している者もいる。ケネディやレーガンはその最たるものである。しかし、イギリス人にしてみれば、信じられないということになる。
ケネディ家は、アメリカにおけるアイリッシュ・カトリックの成功物語の代表例だ。
イギリス人がいかにアイルランド人を差別しているか、おもしろい引用ができればよいのだが、ロンドン等イギリスを舞台とするミステリーをあまり読んでいないので、適当なものが見つからない。 まず、レジナルド・ヒルの『骨と沈黙』(ハヤカワ文庫)から、
本書はイギリス中部ヨークシャーの小都市を舞台としたダルジール警視とパスコー警部のシリーズ物第11作である。パスコーの台詞の前後はいずれもダルジール警視の言葉だ。
竹内靖雄著『ミステリの経済倫理学』によれば、現在活躍しているイギリス人の「警察官探偵」の御三家は、@P.D.ジェイムズの作品のアダム・ダルグリッシュ(主任警視)、Aコリン・デクスターの作品のモース(主任警部)、Bレジナルド・ヒルの作品のアンドルー・ダルジールである。 シリーズの中でも『骨と沈黙』は、殺人事件の捜査、フーリガンの取り締まり、自殺予告、中世聖史劇の上演と盛りだくさんでおもしろい。 さて、ダルジールの会話はここでも辛辣だ。<緑の服>というのは反英抵抗運動の象徴的な歌。ジョン・マコーマッグは、アイルランド生まれのテノール歌手。アイルランド人に公安部がどういう感情をもっているのかはわかるが、ダルジールの考えはわからない。
これもダルジールのせりふ。 『愛蘭土紀行』の第一章に、ライフの写真家ジョン・フィリップスがアイルランドに上陸して早々に出くわした「事件」のことが書かれている。
「地獄で火あぶりの目に遭え、このプロテスタント野郎!」 こうののしると、物乞いはつばを吐いた。 このエピソードにはアイルランド人の2つの特徴が含まれている。ひとつは、アイルランド人に自助の精神がないということである。カトリックでは物乞いすることは教義には反しない。そして、もう一つは、「イングランド人=プロテスタント」対「アイルランド人=カトリック」という支配・被支配という図式から来るアイルランド人の「イングランド人=プロテスタント」嫌いである。「このプロテスタント野郎!」は強烈である。 次は、ディック・フランシスの『利腕』(ハヤカワ文庫)から、
ディック・フランシスは30冊以上の「競馬シリーズ」を書き、そのいずれもが水準以上といわれる類まれな作家である。「競馬シリーズ」は唯一の例外を除いて同じ主人公は登場しない。その唯一の例外が、『利腕』の元障害競馬騎手で片腕の敏腕調査員シッド・ハレーだ。
「彼」とは、シッド・ハレーの友人チコ・バーンズ。シッドの調査に協力してくれるまさに「片腕」だ。 最後に、P.D.ジェイムズの『死の味』(ハヤカワ文庫)から、
アイルランド訛りのもう一つの側面がある。
トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(新潮文庫)は現代スリラーの最高傑作ともいわれる。若い女性を殺してはその皮膚を剥ぎとる連続殺人犯<バッファロゥ・ビル>。FBIは懸命に犯人を追うが、捜査は完全に手詰まりになっていた。次回を打開すべく新たに任命されたのがFBIアカデミーの女性訓練生スターリング。彼女は、9人の患者を殺害して収監されている元精神病医ハニバル・レクター博士の示唆をもとに、見えざる犯人の影に迫るが……
ジャック、すなわちジャック・クロフォードはFBIの行動科学課課長で、映画ではジョディ・フォスター扮するスターリングのいわば上司である。「スコットランド系アイルランド人」は頭が鈍いことになっている。
ここにもアイルランド人(ケルト人)の悲惨さが書かれている。
しかし、「気性の激しさ」もアイルランド人の特徴である。 クリント・イーストウッド主演の映画『ダーティー・ハリー』。チームワークを嫌い独力で戦うハリーは典型的なアイリッシュの性格とされる。スターリングにも女ダーティー・ハリー的なところがあると思いませんか。 『羊たちの沈黙』がいかにすばらしい作品か。ジョン・ダニングの『死の蔵書』(ハヤカワ文庫)にこんな描写があるので紹介しておこう。
次は、『太陽がいっぱい』で有名なパトリシア・ハイスミスの中期の長編ミステリー『ふくろうの叫び』(河出文庫)からだ。 結婚生活が破綻し、新たな人生を始めようと、ペンシルヴァニア州のラングレーに越してきた主人公ロバート・フォレスター。傷ついているロバートの唯一の楽しみは、幸福そのものに見える女性ジェニファーの姿を窓越しに眺めることだった。いわゆる覗きではなく、彼女が料理をしたり片づけものをしたりする姿を眺めるだけだった。ある夜、ついに見つかってしまった彼に対し、ジェニファーは意外な反応を示し、物語は彼女の恋人グレッグと彼の前妻ニッキーを巻き込んだ事件へと発展していく。
ロバートにジェニファーを取られたと被害妄想にかかるグレッグが、「アイルランド系の血が流れているのかもしれない」と書かれている。とにかく、アイルランド人は、いいことのたとえには使われないのである。 ラングレーという田舎町という閉ざされた社会で、ロバートの立場がどんどん悪くなっていく。とても怖い話だ。ロバート自身「狭い地域社会では口うるさい名もない人たちが、文字どおりにも比喩的にも人を絞首刑にする」と語っている。ロバート自身はいわば被害者なので、スコット・スミスの『シンプル・プラン』のハンクとは立場がまったく逆であるが、田舎町の恐ろしさという点ではひじょうに似ている。 ピーター・ラビゼイの『偽のデュー警部』(ハヤカワ文庫)は、古きよき時代のミステリーを思わせる独特の雰囲気をもった小説だ。チャプリンのロンドンへの凱旋で始まり、事件の舞台は1921年、大西洋横断の英国豪華客船モ−リタニア号である。
花屋の店員アルマの恋の相手は歯科医師ウォルター・パラノーフだった。ウォルターの妻リディアは女優で、彼女はチャップリンを頼ってアメリカに渡ると言い出した。アルマとウォルターの恋を実らせるには、リディアをモーリタニア号船上から海へ突き落とすことだ。偽名を使い、完全犯罪を胸に乗船した2人だったが……やがて起こった意外な殺人に、船上に登場した偽の名警部が調査を開始する。
したがって、ここに出てくる「ご婦人がた」はイギリス人とみてよい。 アイルランド人は魚をあまり食べない。だから(?)海に囲まれていながら海洋民族にもならなかった。船で働く者も多いが、船長にはなれないし、ましてや船の所有者はいない。火夫あたりが一般的なのか。 『アイルランド歴史紀行』の高橋氏によれば、「アイルランドの戦艦(アイリッシュ・バトルシップ)」とは「艀」のことであるし、「アイルランドの台風(アイリッシュ・ハリケーン)」とは「べた凪」のことらしい。要するに、船で働くアイルランド人をからかう言葉だ。
アンドリュー・ヴァックスの『ブルー・ベル』(ハヤカワ文庫)は、バーク・シリーズの第3作である。
アイルランド人は、社会の中に溶け込んで、社会という巨大な精密機械の一つの歯車として自己を認識したり、歯車としての能力を発揮することは(いいかえればビジネスの組織の中でうまくやるということは)苦手だといわれる。この点は英国人や、アメリカにおけるWASPのお得意芸であって、アイリッシュ・カトリックのもっとも不得意とするところである。だからといって、反社会的ではない。 アメリカの大都市でアイルランド人居住地区が、プエルトリコ人や、黒人、イタリア人地域に次ぐ犯罪組織の温床だとされるが、「法と秩序」の側に立つアイルランド人も多く、そのことは、ニューヨーク市警の警察官の3分の1がアイルランド系で占められている事実からもわかる。アイルランド人マゴーワンはニューヨーク市警の刑事で、バークの友人だ。 アメリカ社会において、アイルランド人がその性格と才能のままでうまくやってゆける職業は、画家、詩人、作家、映画監督、俳優、スポーツマン、医師、弁護士といったいわば一人しごと。警察は例外なのだろうか。
『ブルー・ベル』のおもしろさはその登場人物のキャラクターの多彩さにある。主人公のバークは前科27犯である。バークの母代わりのママは中国人。兄弟同然のマックスはチベット人。バークの街での情報源はオカマのミシェル。バークが生き延びる術を習ったのは黒人のプロフから。グループの技術者通称モグラはユダヤ人。そして友人の刑事マゴーワンはアイリッシュだ。 最後の引用は、ジェイムズ・エルロイの「暗黒のLA四部作」の第一作目『ブラック・ダリア』(文春文庫)からだ。
最後にどうしても紹介しておきたいエピソードがある。高橋哲雄著『アイルランド歴史紀行』に「エンゲルスとアイリッシュ・シチュー」のタイトルで紹介されている話だ。
エンゲルスの内縁の妻メアリはアイルランド人で、そのせいか、エンゲルスはアイリッシュ・シチューが大好物だった。アイリッシュ・シチューは、羊肉と玉ねぎ、それと丸のままと薄切りのじゃがいもに塩、こしょう、タイムを振り込んで、水から弱火で時間をかけて煮込むだけという料理。
(当初作成日:9/30/1998)
|