ユダヤ人について - その3

ユダヤ人の一生


(1)誕生

ユダヤ法では、子供のからだが母体から半分以上出たときに「生れた」と定義される。ユダヤ法は、帝王切開も、母親あるいは子供の命を救うために必要な手続きとして認めている。
ユダヤ教にはキリスト教と異なり、「原罪」という概念がなく、子供は純粋に、罪がないものとして生まれる。

出産後、母親は不浄とみなされ、男児の出産後であれば7日、女児の出産後であれば14日間は、夫と関係をもつことを禁じられる。これは、ミクヴェのところで述べたように、毎月12日間夫婦は性的関係をもってはいけないという考え方と同じである。
清浄の概念がより重要だった時代には、男児出産後の場合はさらに33日、女児出産の場合はさらに66日、母親は部分的に不浄とされた。なぜ、男児と女児とで期間が異なるかについては、明確な根拠はない。

子供が生まれると、父親は生れて最初のシナゴーグでの礼拝の際に、アリヤー(aliyah)(トーラーを朗読すること)の栄誉を与えられる。女児には、その時に名前がつけられる。 一方、男児の命名は生後8日目の割礼の儀式の際に行われる。
男児のヘブライ名の標準的な形式は、[こどもの名前]ben[父親の名前]、女児の場合は、[こどもの名前]bat[父親の名前]というものである。たとえば、ヤコブ・ベン・イサクは「イサクの子ヤコブ」という意味である。こどもがコーヘン(後述)の場合には、ha-Koheinという接尾辞がつけられる。レビ族のこどもの場合には、Ha-Leviが付け加えられる。ヘブライ名は、アリヤーの指名、あるいは結婚契約などのユダヤ教の儀式で用いられる。
アシュケナージの場合には、最近なくなった親戚の名前をとるという習慣がある。これは死んだ親戚にあやかりたいという願望があることと、存命の親戚の名前をつけてはいけないという迷信によるものだ。セファルディーの場合は、両親あるいは存命の親戚の名前をつけることは多い。

    「お父さんの仕事はなんだってきかれたんだ。ぼくは、お父さんはラビで、モヘルだって――」
    「そう、そうだった」シャイが割りこんだ。「あいつは割礼に使うナイフの種類についていろいろききはじめたんだ。それから、エリに交換しようって……」ため息をついた。「エリのお父さんの割礼用のナイフと交換しようって言い出した。両側に刃がついてるとこが気にいったんだ」
    (『贖いの日』p271)

ユダヤ教の戒律の中で、割礼(Brit Milah)はもっともよく知られているもののひとつだろう。他の戒律を守らない世俗的ユダヤ人でも必ずといってよいほど割礼を行っている。もちろん、アメリカでもすべての男性が日常的に割礼をしており、それ自体は驚くべきことではない。しかし、割礼の儀式は、単に物理的に包皮を取り去る手続きという以上の意味があることを理解しなければならない。

割礼に関する戒律は、聖書の創世記17:10−14、レビ記12:3に書かれている。割礼を意味するブリットというヘブライ語は、「契約」を意味する。神とユダヤ人の父祖アブラハムとの間の契約で、契約を守る印として割礼を命じられたのである。割礼はユダヤ人にとって最初の戒律だった。

割礼した男性あるいは性交の相手はガンになるリスクが小さいという衛生上のメリットを強調する者もいるが、これは副次的なものであり、神との契約という宗教上の理由が第一義である。
割礼していない者は、他の行いがユダヤ教徒としていかに模範的だとしても、ユダヤ人として認知されない。紀元前2世紀の有名なマカバイの反乱は、支配者のギリシア人がユダヤ人に割礼を禁じたことなどから起こったと言われている。

割礼は誕生後8日目に行われなければならない。生れた日を第一日目と数える。もしも、子供が水曜日に生れると、割礼は翌週の水曜日に行われる。ユダヤ教では、一日は日没から始まるので、子供が水曜日の夜に生れた場合には、割礼は翌週の木曜日に行われる。安息日には一切の労働が禁じられているが、割礼は例外として行われる。割礼はどのような律法にも優先する重要な儀式と考えられているのだ。

女性にも割礼に似た儀式をする文化が存在するが、ユダヤ教の割礼は男性だけのものである。割礼は、アブラハムがイサクに施したように、父親がするのが理想だ。しかし、外科手術のひとつだから普通の父親が簡単にできることではない。そこで、一般的には、割礼に精通した専門家であるモヘル(Mohel)が父親の代理として行う。医者に割礼手術をしてもらっても、厳密に解すると有効な割礼とは見なされない。ただし、生まれつき包皮がない場合、既に効果のない割礼を行っている場合には、針で身体から一滴の血をとるという象徴的な割礼(ハタファット・ダム・ブリット Hatafat DamBrit)が行われる。

    ユダヤ人の長子は神の子とされている。両親はピドゥヨン・ハベンと呼ばれる儀式のなかで自分たちの息子を買い戻す。手の込んだ儀式ではない。赤ん坊が生後30日になったら、両親はラビがなにがしかの硬貨を渡し、ラビは、神の代理人として、息子を家族に返す。
    「あなたも知ってのとおり」フリーダは言った。「ユダヤ人の家庭はみんなこの儀式をするの。ただし、レビ族の子孫か、家族にコーヘン、つまり祭司がいる家庭は別。レビ族は息子を買い戻す必要はない、レビ族はエジプトにとらわれていなかったから」
    (『贖いの日』p558)

旧約聖書の出エジプト記に、「主はモーセに仰せになった。『すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。』」(13・1―2)とあり、「…あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖わねばならない」(13・13)とも書かれている。これがピドヨン・ハベン(息子の贖い Pidyon Ha-Ben)の由来である。長子は神のものである、つまり神に奉仕する義務を負うということだ。実際的には、イスラエル12部族のうちレビ族が神殿に奉仕する部族として選ばれたので、祭司階級以外のイスラエル人は、長子のためにコーヘン(祭司 Kohein)に5シュケル支払ってその義務から解放されると定められた。「贖う」というのは買取るという意味である。

長子は生後31日目に買戻されなければならない。買戻しの儀式は誕生日を1日目と数えて31日目に行われる。しかし、金銭の授受(聖書時代は5シュケル銀貨、最近では5ドル銀貨)が行われることから、安息日に当たれば行うことができない。ラビがすべてコーヘンというわけではなく、コーヘンも必ずしもラビではない。ラビから買戻しても有効ではなくコーヘンからの買戻しが必要だ。

ピドヨン・ハベンは、最初の子供が男でありかつ自然分娩で生れた場合のみ行われる。したがって、最初の子供が女である場合や、男であっても帝王切開で生れた場合、その家族にとっては、ビドヨン・ハベンの儀式の機会はなくなる。

(2)成人式

    デッカーはため息をついた。「いいかい、きみたちが祭日にコンピューターを使っちゃいけないことになってるのは知ってる。でも、これは緊急事態なんだ。どうしても気が進まないなら、せめて使い方だけでも教えてくれないか」
    「いえ、だめです」とアーロン。「それじゃ、あなたが罪を犯すことになります。バルーフ、おまえがやるんだ。おまえは成人式がまだだから」
    (『贖いの日』p134)

15歳のアーロンがバルーフに「お前がやるんだ」と言っているのは、バルーフは12歳でまだ成人バル・ミツヴァ)ではないから、祭日(ここでは新年祭)にコンピュータを使わない(労働をしない)という戒律を破っても許されるだろう、ということだ。

ユダヤ教では、男児が一人前の成人として認められる年齢は13歳だ(女児は12歳)。
男児は13歳になるとバル・ミツヴァ(Bar Mitzvah)になる。バルとは「子」を意味するアラム語(ヘブライ語のベンと同じ)で、ミツヴァはユダヤ教の律法上の戒律を意味する。だから、バル・ミツヴァは、ユダヤ教の宗教上の義務を負う人、すなわち成人男子という意味となる。

ユダヤ教のシナゴーグでの礼拝には最低10人の成人男子(ミニヤン minyan) の出席が必要だが、バル・ミツヴァとなるとその一人となることができる。また、シナゴーグでのトーラーの朗読祝祷の資格も与えられる。トーラーや祝祷はヘブライ語で書かれているので、リナの2人の息子サミーとジェイクのようにアメリカに住む子供にとっては、バル・ミツヴァを迎えるには大変な準備が必要である。ヘブライ語でトーラーを暗記しなければならないのだ。

バル・ミツヴァとなる少年の家庭では家族上げてお祝いをする。
女児の場合には、バット・ミツヴァ(Bat Mitzvah)の儀式が行われる。バットはヘブライ語で娘の意味。女児と男児の差別を解消するために出来た比較的新しい制度だが、正統派ユダヤ教徒はシナゴーグでのバット・ミツヴァの儀式は行わない。

(3)結婚

    ソファの上部の壁に飾ってあるのは、美しく彩色され凝った渦巻き模様で囲まれたヘブライ語の書類――リナのケトゥバー、結婚の契約書だ。 それがユダヤ教でいう結婚なの、とリナはいつか言っていた。つまり、契約よ。結婚によってふたりがそれぞれどういう立場に置かれるのかがわかるしくみになってるの。
    (『聖と俗と』p33)

デッカーがリナの家に入ったときのことだ。狭い家には色々な記念の品と家族の写真が飾られている。その中に死別した夫イツハクからリナへのケトゥバーがあった。

宗教の中には、結婚を俗なものとする考え方があるが、ユダヤ教では、結婚を神聖なものとしている。結婚誓約式のことをヘブライ語でキドゥシン(Kiddushin)というが、神聖を意味するアラム語カドシュ(Kaddish)に由来する。
トーラーには結婚の手続に関する記載はほとんどなく、配偶者の見つけ方、結婚式の形式、結婚生活については、すべてタルムードの中で説明されている。

ユダヤ教では、妻を得るためには(妻になるためには)、次の3つの方法がある。@金銭、A契約及びB性交の3つである。通常、この3つの条件はすべて満たされるが、1つでも満たされれば結婚として有効である。
「金銭」については、一般的には結婚指輪が使われる。金銭といっても、女性を物品のように売買するという意味ではないし、結婚に女性の同意が必要なことはいうまでもない。
ユダヤ教においては、結婚は「契約」の一種である。結婚式の場で、夫は妻にケトゥバー(Ketubah)と呼ばれる結婚契約書を手渡す。ケトゥバーには、結婚期間中の夫の妻に対する義務、夫が死んだ場合の相続条件、離婚した場合の妻に対する補償、その他2人で合意した事項が規定されている。ケトゥバーは美しい書体で書かれ、引用にもあるように、額に収められ、家の中に飾られる。

結婚が契約であれば、次のような形態もありうるのだろうか。

    買われ婿とは、娘の結婚相手として、裕福な夫婦に金で買われた男たちのことである。そういう男たちには共通点が多い。そこそこの教育は受けているが、たいてい専門職には就いていない。容姿がいい。身なりもいい。しかるべき神学院でそれなりの時間を過ごしてはいるが、パルナサーを――生計を立てるために律法の教育に従事している者はまずいない。ほとんどは義理の父親が経営する景気のいい会社で働いている。こういった契約結婚の主な目的は、ぱっとしない平凡な花嫁にいくらかの華を添えることと、見栄えのする子供を――花嫁の両親にとっては、見栄えのする孫をつくらせることにある。……現行の相場は、学歴のある優秀な者で約50万ドル。律法の研究ができるほどの頭脳がなくても、容姿がよくて、多少なりとも商才があれば25万ドルにはなる。具体的な金額は、結婚式の前に当事者間で話し合って決められる。それが婚前契約の原形である。
    (『贖いの日』p435)

(4)離婚

    「デッカー刑事、念のためにわたしがユダヤ教式の離縁状(ゲットー)を作成してあげましょう。民法上の離婚は宗教的意味合いから言えば無効です。きちんとしておかないと、これから別れた奥さんのところに生まれてくる子供は不義の子と見なされ、一生消えない烙印を押されてしまうことにもなりかねません」
    (『水の戒律』p351)

デッカーがラビ・シュルマンに自分がユダヤ人であることを告白したときの一連の会話の中にユダヤ教の離婚が出てくる。デッカーは、改革派のユダヤ人女性ジャンと離婚している。そのジャンがユダヤ人と再婚し、先日早産で最初の子供をなくしたばかりであることをラビに話したところだ。
ラビ・シュルマンがデッカーに言っているように、重要なのは民事上の離婚手続をしても、ユダヤ法上は、離婚は成立していないということだ。したがって、ユダヤ法に従った離縁状を受け取っていない女性が、再婚した場合、その結婚は偽りの結婚であるし、生れた子供は、マムゼル(不義の子 mamzerim)とみなされるということだ。

カトリックは離婚を認めない立場を堅持しているが、ユダヤ教では、離婚を許している。夫婦の信頼関係が破綻しているのに夫婦関係を強制的に維持させるより離婚を認める方が両者にとって幸せだという現実的な理由による。
ユダヤ法は、夫の側からのみ離婚を許している。かつ離婚の理由は問われない。他にもっと素敵な女性を見つけたという理由でもよい。また、妻の同意も不要だ。
一方、妻が不義をはたらいたときなど一定の状況下では、仮に夫は許したくとも、離婚しなければならない。

しかし、ユダヤ教が離婚を軽く考えているわけではない。すでに述べたように、結婚は聖なる契約であり、結婚の解消は神聖さを汚す行為と見なされる。だから、ユダヤ法の離婚手続は複雑かつ厳しいものになっており、離婚を抑制している。妻の不義による離婚のような場合を除き、離婚する場合には、妻に対してかなり多くの補償金を支払わなければならない。金額は予めケトゥバーに書かれている。また、離婚した妻が他の男と結婚した場合、夫はその妻と再婚することはできない。コーヘンはいかなる場合も一度別れた妻とは再婚できない。

トーラーによれば、夫がゲット(get)と呼ばれる離縁状を書き、ラビの前で妻に渡すことによって離婚は成立する。夫が安易に離婚しないように、ラビが離縁状の書き方、渡し方などに関する複雑な規則を作っているため、離婚に当たってはラビに相談しなければならない。
伝統的なゲットは、夫婦関係が破綻したことを強調しないし、離婚の理由も述べない。むしろ、その女性が自由でいつでも他の男性と結婚できるという、肯定的な書き方をしている。
妻の側からは離婚できないというのではあまりにも不合理な場合がある。夫の側に非があってどうしても結婚関係を維持することが妻にとって耐え難いケースでは、ラビ法廷で離婚が正当とみなす場合、夫に強制的にゲットを書くことを強制することができる。

(5)死

    リナはサラを浴室に連れていき、浴槽のお湯の栓をいっぱいにひねった。ふたりは黙って浴槽にたまっていくお湯を見つめていた。気まずい雰囲気だった。自分が夫のイツハクの喪に服しているあいだ、周囲の人がどんな気持ちでいたかがふいに理解できた。7日間の服喪期間中、なにかにとりつかれたように夫や夫の死についてしゃべり続けたのだ。死んだ人間の話を延々ときかされていたたまれない気持ちになる者もいれば、気づまりな沈黙から解放されてほっとする者もいた。いまのサラはどちらを望んでいるのだろう。
    (『水の戒律』p56)

ユダヤ教は、死を現実の事実として受け入れる。また、ユダヤ教はキリスト教や仏教のような天国とか来世とかを教理として説かない。現実に生きる世界に理想の国をつくることを願い、そのために地上で何をするか生き方を教えている。

ユダヤ教では、現在、次の4つの喪の期間に分けている。@アニヌート(aninut):死から埋葬まで、Aシブア(shiva):埋葬から7日間、Bシロシーム(shiloshim):死から30日間、Cアベルート(avelut):最初の1年間。引用にある7日間の服喪期間というのは、シブアのことだ。近親者は徹底的に喪に服す。家にこもり、低い腰掛けに座り、次々にお悔やみに訪れる知人・友人を迎える。

ユダヤ教の葬儀では、カディッシュ(Kaddish )という祈祷が唱えられる。カディッシュは、ユダヤ教の祈りの中で、シェマアと並んでもっともよく知られている。もともとは、死や服喪には直接関係なく、毎週シナゴーグで朗唱される、アラム語による祈祷文だったが、数百年前から服喪者が礼拝の最後のカディッシュを唱えるという慣習が行われるようになった。カディッシュを唱えるには、10人の男子成人の列席、つまりミニヤンが必要とされている。

(当初作成日:12/31/1998

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