ユダヤ人の祝祭日
ユダヤ人の共同生活に節目を与えるのは祝祭日である。ユダヤ人社会では、日常生活はわれわれと同じ西暦で行われるが、宗教的な祝祭日はユダヤ教独自のユダヤ暦によって行われる。 主な祝祭日を次の表に示した(全部は網羅していません)。
『贖いの日』はデッカーとリナのハネムーン旅行先ボロー・パークで始まる。ボロー・パークはニューヨークはブルックリンの南西部にある地域で、住民の90パーセントが正統派ユダヤ教徒の街だ。
(『贖いの日』p16)
これがデッカーの偽らざる気持ち。1年間、猛烈に働いて、ようやく2週間の休暇をためた挙げ句が、想像していたのとは大違いのハネムーン。しかも、新年祭(ローシュ・ハシャナ)が始まる前にブルックリンに到着しなければならず、自分の家族とゆっくりする暇もなかった。
<イジーの帽子店 帽子の型の取り直しは祭日特別価格>。黒い帽子の棚が一列あるだけの店だった。 <ロヘルのかつら店>。棚にはかつらがぎっしり並んでいる。まるでどこかの頭皮剥ぎが金脈を掘りあてでもしたみたいに。 <缶詰横丁>。カシェルの乾物と缶詰の専門店。製品はすべて正統派ラビ連合会に公認されている。そこは二階建てのビルで、上階を使っているのは代書人のメンデルだ。 二階の窓にかけられた看板にはそう書かれている。<代書人メンデル 結婚契約書及び離縁状>メンデルの仕事にシーズンというものはない。 ……… ユダヤ人たちの公共の建物の扉には貼り紙がしてあった。ヘブライ語で書かれている。《シャナ・トゥヴァ・ティカテヴ》――《新年おめでとうございます。生命の書(天国に入るべき日との名を記したもの)にあなたの名前が記されますように》 商店の合間にあるのはシュティーベル――こじんまりした簡素なシナゴーグで、説教をするラビもいないところが多い。どこもみんな《新年おめでとう》の貼り紙がしてあった。 不意にこの祭日の警告が脳裏をよぎった。“恐ろしい判決が下されるのを防いでくれるのは3つの行為だけ”。新年祭から贖罪日までの10日間――ユダヤの暦のなかでもっとも神聖な日。精神的、肉体的な過ちを悔い改めるための10日間。この間に一心に祈り、心から悔い改め、慈善を施せば、罪は帳消しにされる。要するに、自己省察の期間として与えられた10日間だ。 通りの先にあるのは<グルック書店 宗教関連の書物と論文>。鉄の門の間から窓のなかをのぞくと、店内は埃まみれだった。 ……… <ギテルのパン屋――ユダヤ風ハルヴァあり>。 <エルサレム・グラット・カシェル精肉店――カッパロート用の鶏肉あり>。 カッパロートの儀式――鶏を人間の身代わりにして、いわば罪を肩代わりさせるのである。男性には雄鶏、女性には雌鶏が使われる。鶏は空中で3回まわされ、決まり文句が唱えられたのち、屠られて、慈善行為として貧者に施される。鶏の代わりに硬貨が用いられる場合もある。
(『贖いの日』p33)
新年のことをヘブライ語でローシュ・ハシャナ(Rosh Hashanah )と言う。"head of the year"あるいは"first of the year" という意味だ。
(『贖いの日』p67)
ローシュ・ハシャナの日に、フリーダ・レヴァイン(デッカーの実の母親)が倒れた。夫は正統派ユダヤ教徒だから祝祭日の戒律を守るべきだと言い、保守派の息子は戒律を破っても人の命を助けることが先決だと主張している場面である。ここで言う戒律とは<祝祭日の仕事の禁止>のことだ。
(『贖いの日』p181)
祝祭日には仕事が禁じられている。安息日に仕事が禁じられるのと同じだ。ただし、料理や火を使うことは安息日には禁じられているが祝祭日はそこまで厳格ではない。祝祭日が安息日と重なった場合は、安息日の律法が優先するので料理などもできない。
(『贖いの日』p56)
新年祭には蜂蜜が使われる。蜂蜜が「新年が甘い1年でありますように」との気持ちを象徴しているからだ。有名なのは蜂蜜に浸したリンゴやパンを食べる習慣で、蜂蜜に浸したリンゴはとてもおいしいそうです。 レビ記23−27には「第七の月の十日は贖罪日である」とあり、ローシュ・ハシャナから10日目に贖罪日(ヨム・キプール Yom Kippur )が来る。聖書には、1日と10日を特に結びつけてはいないが、ユダヤ教では暦の上で、この10日間を特別な日々と見なして、一体に考えている。そして、「畏れの日々(ヤミーム・ノライーム Yamim Noraim)」などと呼んでいる。
カッパロートの儀式――鶏を人間の身代わりにして、いわば罪を肩代わりさせるのである。男性には雄鶏、女性には雌鶏が使われる。鶏は空中で3回まわされ、決まり文句が唱えられたのち、屠られて、慈善行為として貧者に施される。鶏の代わりに硬貨が用いられる場合もある。
(『贖いの日』p33)
一度引用済だが、カパロット(kapparot)は、正統派ユダヤ教徒の間では、今なお「畏れの日々」に行われる慣習だ。カパロットというのは贖いという意味。神殿時代には、ヨム・キプールには、雄山羊がイスラエルの民の罪を負って荒野の奥に追いやられると言う儀式があった(「スケープ・ゴート」の語源)。神殿崩壊後は、山羊の代わりに罪を鶏に負わせて、頭の上で3回振り回して祈りを唱え、その後その鶏を屠って肉を貧しい人に与えた。引用文にもあるように、硬貨をハンカチに包んで3回振り回す儀式もある。そのお金は、慈善の献金に渡される。改革派や保守派のユダヤ教徒はこのような儀式は行わない。
ヨム・キプールは、10日間の悔い改めの期間の最後を締めくくる、ユダヤ人にとって最も聖なる日だ。正確に言えば、聖書では、最も聖なる日は安息日となっているので、二番目に重要な日である。ヨム・キプール違反は民からの追放だが、安息日違反は死罪だ。
「ガーテルって?」 「黒い帯よ、ハシディーム派が身体の清浄な部分と不浄な部分を区別するためにつけるもの。贖罪日にいつもコル・ニドレイを先唱するような人なのよ、こんな偽善、信じられる?」
(『豊饒の地(上)』p157)
リナがハシディーム派(超正統派)ユダヤ教徒である義理の兄にセクハラをされショックを受けたときのことをデッカーに話している場面である。
「どうしてわかる」 「領収証をわたしのところにまわして、経費で落とせというのよ」 デッカーは大笑いした。 「笑い事じゃないわ」 「悪かった。でも、そこまで厚かましいのはユダヤ人ぐらいだろうな」 「そんなのは反ユダヤ主義の人が言うことだわ!」リナは憤慨した。「あなたどっちの味方なの?」 「異教徒でそこまで厚かましいやつはいない」
(『豊饒の地(上)』p158)
残念ながら、スコット、シムハット・トーラー、ハヌカ等については適当な引用箇所がない。簡単に説明だけしよう。
ヨム・キプールに続いて、その5日後、仮庵の祭り(スコット Sukkot)がやってくる。ちょうど秋の収穫の季節に当たるので、春の過越し祭(ペサハ)、七週の祭り(シャブオット)と並んで農業祭の一面がある。スコットは7日間続き、最初の2日間は働くことを禁じられている。 スコットの9日目には、神から授けられた律法を1年がかりで読み終えた喜びの祭りが行われる。これが律法祭(シムハット・トーラー Simkhat Torah)である。人々は律法の巻物を抱き、シナゴーグの周辺を練り歩く。また、ユダヤ教徒はこの日を起点として、1年をかけて聖書を読んでいくことになる。 このように第7の月であるティシュレーは祝祭日だらけだ。13日もの祝祭日があり、かつ仕事を禁じられる祝祭日が7日もある。
光りの祭り(ハヌカ Chanukkah)は、聖書に記された祭りではない。紀元前164年のマカベアの反乱にともなう神殿奪回の際、1日分の油で8日間燃えつづけた燭台の奇跡にちなんで、ハヌキヤ(chanukkiah8枝の燭台)に毎夜ひとつずつ火を灯し、8日間続ける希望と歓喜の祭りである。 春に先駆けてカーニバルのようなプリム(Purim)と呼ばれる祭日がある。ちょっと長いが、プリムの理解には、リナの2人の息子ジェイクとサミーの会話を引用するのが一番だ。
「そうそう、これはなんだい。ほら、ここを引くと、隙間からなかの巻物がでてくる。きれいな絵がたくさん描かれていて――」 「すごいわ、信じられない!」リナがゆっくり巻物を引き出しながら言った。 「エステル記のメギラーだ」サミーが言った。 「すばらしいわ」リナは畏敬の念に打たれた。「こんなに文字が鮮明だなんて」 「読める?」デッカーはリナに聞いた。 「簡単だよ」ジェイクが答えて、1行目をすらすら読み上げた。 「意味もわかるのかい」 「わかるよ。アハシュエロスっていう王さまとその王国のことが書かれているんだ」サミーが答えた。「ホド・ヴェアド・クシ?ホドからクシはいまで言うとどこになるんだっけ」 「インドからエチオピア」リナが答えた。 「すごいな」デッカーは感心した。 「子供たちは2ケ国語を話すの。イツハクとはヘブライ語でしか話さなかったから」 「この巻物はいつ使うんだい」 「もちろんプリム祭のときだよ」ジェイクが答える。 「もちろん」デッカーは調子をあわせた。 「ぼくの大好きなお祭りなんだ。みんなで仮装して、シナゴーグでメギラーを朗読したあと、パーティーが開かれるんだよ。男の人たちは酔っぱらって吐いちゃうんだ。めちゃくちゃだけど、すごく楽しいよ。次の日は友だちがくれるクッキーやキャンディーを全部口に詰め込んで顔をふくらませるの」 「その日は酔っぱらってもいいのかい」 「酔っぱらわなきゃいけないんだよ」サミーが答えた。 「酔っぱらわなきゃいけないわけじゃないの」リナが訂正した。「ほろ酔いでいいのよ」 「モルデカイを祝福して、ハマンを――ブーブーブー ――呪うんだけど、どっちがどっちか区別がつかなくなるまで酔っぱらわなきゃいけないんだって。それが正しい酔っぱらい方だよね、ママ」 「神学院でそんな騒ぎが許されるなんて驚きだな」 「ほんとにすごいんだよ」サミーは眼を輝かせた。「おとこの人たちは瓶をお手玉にしたり、頭にのせてバランスをとったり――」 「酔っぱらって?」 「カラスの破片だらけになっちゃうんだ」ジェイクがくすくす笑いながら説明した。「去年ラビのひとりがハマンの――ブーブーブー ――恰好をしたとき、ぼくたちみんなで腐ったトマトをぶつけたんだ」 「ハマンっていうのは悪人なんだね」 「そう」サミーが答える。「ハマンはヒトラーの祖先のひとりなんだ」 「本当に?」デッカーはリナに尋ねた。 「一説によるとね。血のつながりはないにしても、精神的には同胞だわ。みんな、アマレク人よ」 デッカーの顔が暗くなった。「アマレク人って」 「もともとはイスラエルがエジプトから解放されたときの一部族の名前よ。去っていくユダヤ人に彼らは悪意を抱き、侮辱したわ。いまはその言葉はユダヤ人撲滅を謀る個人やグループを指すのに使われているの。たとえば、ヤセル・アラファト議長は――呪われたまえ――アマレク人ね」
(『水の戒律』p294)
会話にも出てきたように、プリムは聖書の『エステル記』に由来する。メギラーは巻物のことであるが、単にメギラーという場合は『エステル記』を指す。 サラ・パレツキーの女探偵V.I.ウォーショースキー・シリーズ第2作『レイク・サイド・ストーリー』にもプリムの話が出てきたのでちょっと紹介しておく。(尚、このシリーズの舞台シカゴは、海外でボクが生活をした唯一の場所。今度このシリーズに触れながら、『シカゴについて』をまとめるつもりなので、その時に詳しくに紹介します)
(『レイク・サイド・ストーリー』p15)
いずれにしても、エステル記はホロコーストを経験したユダヤ人にとっては昔話とは言えないものである。湾岸戦争のとき、イスラエルはイラクからのスカッド・ミサイルに脅かされたが、停戦の日が1992年のプリム祭の日だったことは単なる偶然だろうか。
「過ぎ越しの祭りが2回だよ」ベルナルドは笑いながらいうと、警部を診療所から薄暗い静かな廊下へ案内した。
(『殺人劇場』p15)
「それに、当然のことながら、ユダヤ人はエジプトの奴隷になどに決してならなかったでしょう。もしそうなっていたら、いまごろは大変なことになっていました。<過越し祭>がなくなってしまうではありませんか!」 ラビは自分の冗談に大きく顔をほころばせたあと、真顔にもどった。
(『聖と俗と』p117)
過越し祭(ペサハ Pesach )は、神がエジプトに災いをもたらしたとき、イスラエルの民の家の戸には印がつけられていたことから、災いが「過ぎ越し」てしまったという『出エジプト記』に記載されたエピソードに由来している。ユダヤ暦第1の月ニサンの15日から21日まで1週間続く。 最後にユダヤ祝祭日の西暦対応表を掲げておく。
(当初作成日:12/31/1998)
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