スペンサーの食生活 −その1

「タフな男でないと柔らかいチキンは作れない」


ロバート・パーカー(Robert B. Parker)が生み出したボストンの私立探偵スペンサーは料理が大好きだ。食べることが好きだし、自分で料理することも大好きだ。ジェイムズ・ボンドネロ・ウルフのようにけっしてグルメではなく、ごく日常的な料理を楽しんでいるところがいい。

スペンサー・シリーズ>は、1973年のデビュー作『ゴッドウルフの行方』から毎年のように書かれ、ハヤカワ文庫で手に入るものだけでも20作目の『ペイパー・ドール』まで出ている。ミステリーとしては、正直言ってボクの好みではない。でも、文庫になった20冊はすべて読んでしまった。好みでないのにシリーズ全部読んでいるのは、他でもない、これがボストン・ガイドとして読めること、それと料理についての記述が多くおもしろいからだ。

スペンサーは朝、昼、晩、何を食べているのだろうか?「スペンサーの食生活」を分析すれば、平均的アメリカ人の食生活が浮かび上がってくるのではないか。その意味で、本稿は『アメリカンフードについて』の補遺のようなものである。
20作を読み直して、スペンサーが何か口に入れた箇所を全てチェックした。ただし、単に飲んだり、スナックを食べたりしたものは省いた。これをブレックファスト(Breakfast)ランチ(Lunch)ディナー(Dinner)と3つに分類して整理した。ブレックファストとランチの区分は厳密ではない。仕事柄生活が不規則なスペンサーはお昼近くに朝食をとることも多い。いわゆるブランチといわれるものだ。ブレックファストというのは、朝食べる食事というよりも、その日のうちで初めて食べる食事だとどこかで読んだことがある。ここでの分類もほぼこの考え方にしたがった。

われながらこの分類・整理は力作だと思ったが、上には上がいた。当たり前と言えば当たり前のことだが、人気の高い<スペンサー・シリーズ>のこと、オタクも多い、いろんな人が分析済みである。早川書房から出ている『スペンサーを見る事典』(イラスト=穂積和夫、文=花房孝典)の存在は知っていたが、現在書店では手に入らず、興味はあるものの読んだことはなかったのだ。最近、近くの図書館で見つけた。愕然としました。<スペンサー・シリーズ>を徹底的に分析したマニアックな本で、同書のp162〜p179まで、ボクがやったのとまったく同じ作業がとっくの昔になされていたのです。恐れ入りました。

もっと言えば、ずばりそのもの『スペンサーの料理』(東理夫著、早川書房)という素敵な本があった。東理夫氏には、『ミステリ亭の献立帖』(晶文社)、『クックブックに見るアメリカ食の謎』(東京創元社)という本もあり、いずれにもスペンサーに関する記述が出てくる。さらに、『ミステリー風味ロンドン案内』で有名な西尾忠久氏には『ミステリー風味グルメの世界』(東京書籍)がある。こういう本を読むと、ボクがこのホームページでいろいろ書いても無意味ではないかと自信喪失してしまう反面、プロにない味を出せないかと思って奮い立つ。

プロにだって誤解、ケアレス・ミスはある。往生際が悪いが、ちょっと『スペンサーを見る事典』(以下『事典』)の誤りを指摘しておこう。

『約束の地』p186で、スペンサーがコーン・マフィンを食べる場面があるが、『事典』は「スーザンの自宅」で食べたとしている。しかし、これは勘違いで、ハイアネスのダンフェイズ・モーテルにスペンサーがスーザンと一緒に泊まっており、10時40分に目を覚ましたスペンサーがルーム・サービスでコーン・マフィンを注文したものだ。

『レイチェル・ウォレスを捜せ』p234で、スーザンが作ったハム・サンドウィッチをジェリイ・ウェルズと一緒に食べるが、『事典』はこれを「ランチ」として分類しているが、「ディナー」の誤りだ。「その12月のある日」(p218)、「スペンサーは自宅でバターミルク入りのコーンブレッドに野イチゴのジャムをつけて食べ、コーヒーを飲んだ」(p219)。これがブレックファスト。昼はジェリイ・ウェルズとパーカー・ハウスのコーヒーショップでホール・ホイートのトーストを食べている(p223)。これが、ランチ。だから、ハム・サンドウィッチはディナーとならざるを得ないのだ。

『初秋』p247で、スペンサーはサブマリン・サンドウィッチをビールを飲みながら食べる。これがディナーだ。『事典』は、これを「スーザン宅」としているが、「スペンサーの自宅」の誤りだ。

『キャッツキルの鷲』p120でスペンサーとホークがワシントン州、チヌーク・パス近くのスナック・バアでブレックファストをとる。『事典』には、「目玉焼き(ターン・オーヴァー、両面焼き)」を食べたとあるが誤り。

    「朝食」私が言った。「目玉焼き2つ、ハム、フライド・ポテト、全粒粉のトースト、コーヒー」
    「全粒粉はない。白がある」
    「黒っぽいのはないのか?」ホークが言った。
    男が横目でホークを見た。「ない。白だけだ」
    「おれは白のトースト」
    「おれも」ホークが言った。「注文は彼と同じだ。ただ、目玉焼きはひっくり返して軽く焼いてくれ
    (『キャッツキルの鷲』p120)

スペンサーは普通の目玉焼き(「サニー・サイド・アップ」)を注文している。「ターン・オーヴァー」(オーヴァー・イージーともいう)を注文したのはホークだ。

『蒼ざめた王たち』p74で、スペンサーはイングリッシュ・マフィンを一人で食べている。ホイートンのフレンドリイズ・レストランのカウンターだ。このブレックファストが『事典』には漏れている。

さて、「スペンサーの食生活」に入る前に、簡単にスペンサーその人について紹介しておこう。
スペンサーは1973年に『ゴッドウルフの行方』でデビューした当時は37歳。だからもう60歳になっているはずだ。名前のスペンサーの綴りはSpenser、cerでなくてserであることに強いこだわりを示す。16世紀の英国詩人、エドモンド・スペンサーと同じ綴りであることに誇りを感じている。詩はスペンサーの趣味のひとつ。ファースト・ネームは不明。

    「ファースト・ネイムあるの、ミスター・スペンサー?」ジルが言った。少女のような柔らかい声にかすかにハスキイな音が聞き取れる。私はファースト・ネイムを告げた。
    「気に入らないわ」ジルが言った。
    「そうだろうと思ってたよ。この1ケ月、その点を心配してたんだ」
    (『スターダスト』p21)

皆、スペンサーと呼んでいる。スペンサーがファースト・ネームなのかもしれないが、そうなると、エドモンド・スペンサーと同姓であることに誇りを感じることと矛盾が生じる。矛盾を生じないのは、スペンサー・スペンサー(Spencer Spenser)の場合だけである。20作のどこにもヒントはない。

祖母の代にアメリカに移住したアイルランド系アメリカ人である。

    「おれのお祖母さんはアイルランドから来た」私が言った。「だからと言って、ジャガイモを売っているわけじゃない」
    (『蒼ざめた王たち』p8)

恋人スーザン・シルヴァマンとの会話。

    「それにチキンの料理が上手だわ」
    「チキンを柔らかく仕上げるのは、タフな男でないとできないんだ」
    「どうしてそんなに料理が上手なの?」
    「天与の才能だ」
    「どうやら私には与えられなかった才能ね」
    「きみはコーンフレイクスを作るのが上手だよ」
    「以前から料理してたの?」
    (『晩秋』p163)

スーザンも決して料理が下手な方ではないが、その気になるまでが大変。だいたいは、デリで買ってきて温めるか、ザ・ハーヴェスト・イクスプレスから出前を取る。スペンサーは料理が趣味だ。どうして、料理を作るようになったか。

    「料理を始めたのは、一人で学校から帰れる年になった頃だ。空腹なので、何か食べるものを自分で作った。初めのうちは残り物だった――シチュー、ベイクド・ビーンズ、ミート・ローフなど何でも。それを温めるんだ。そのうちに、その段階を卒業して、自分でハンバーグやクラブ・サンドウィッチを作ったが、ある日、パイが食べたかったがないので自分で作った」
    (『晩秋』p164)

スペンサーがなぜ料理が好きなのか?スーザンが直接聞いている。

    「料理を始めるようになったいきさつは聞いたわ」スーザンが言った。「なぜ好きなのかは、まだ聞いていない」
    「物を作るのが好きなんだ。おれは一人で過ごした期間が長くて、おれが家族であるかのように自分自身を扱うことを学んだ。夜は自分に夕食を供する。朝は自分に朝食を供する。おれは、何を食べるか、決めて、材料を整え、出来具合を見る、というプロセスが好きだし、実験するのが好きで、食べるのが好きだ。男が台所でただ一人、持ち帰りの中華料理を容器から直接食べるくらいわびしいことはない」
    (『晩秋』p278)

次頁以降、ブレックファスト(Breakfast)ランチ(Lunch)ディナー(Dinner)の区分で、スペンサーが食べた料理をまとめた。料理の内容、誰とどこで食べたか、そして作品のどこに現れたか(出典)を示している。出典はすべてハヤカワ文庫。作品名は次の略号を用いて示した。

ゴッドウルフの行方誘拐
失投約束の地
ユダの山羊レイチェル・ウォレスを捜せ
初秋残酷な土地
儀式拡がる環
告別キャッツキルの鷲
海馬を馴らす蒼ざめた王たち
真紅の歓びプレイメイツ
スターダスト晩秋
ダブル・デユースの対決ペイパー・ドール

(当初作成日:11/18/2000

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