
義民佐倉宗吾を偲ぶ 鳴鐘山 東勝寺
では、「鳴鐘山東勝寺」(宗吾霊堂)とは一体どんなお寺なのだろうか?宗吾霊堂事務所から戴いたパンフレットによると、
| <別格大本山鳴鐘山東勝寺 宗吾霊堂> 所在地:成田市宗吾1−558 当山は宗吾霊堂と呼ばれ広く知られていますが、正しくは鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂といいます。境内は木々の緑につつまれ、春の花見に 秋の紅葉にと年中人出が絶えません。約十万平方メートルの広さに、年間参詣者は約二百五十万人の人々が訪れる霊場です。当山の 縁起は、桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定し、戦没者供養のためため建立された真言宗豊山派の寺院です。 我が国の代表的義民として有名な佐倉宗吾(本名木内惣五郎)様は、佐倉藩国家老による暴政に苦しむ領民の救済を四代将軍家綱公 に直訴し、その罪により承応二年(1653年)公津ケ原刑場で磔刑に処せられました。この時当山の住僧澄祐和尚は遺骸を刑場跡に埋葬 されました。現在のお墓がそれで、惣五郎様の処刑後、佐倉藩はその失政を悔い、宝暦二年((1752年)、百年忌の時に堀田正亮公は 宗吾道閑居士の法号を諡号しました。以来、惣五郎様は宗吾様と呼ばれるようになり、寛政三年(1791年)、堀田正順公は徳光院の院 号と石塔一基を寄進しました。文化三年(1804年)には、堀田正時公が惣五郎様の子孫に田高五石を供養田として与えました。長い間、 宗吾様をまつる堂宇の建立は許されませんでしたが、現在は本堂、客殿、霊宝殿、仁王門、鐘楼堂他宗吾様の御生涯を66体の等身大 の人形により再現した日本有数の大パノラマ式の宗吾御一代記館等の建造物があり、信仰に参詣に多くの人々の人気を博しています。 (宗吾霊堂 パンフレットより) |
| 自動車 東関東自動車道 富里ICより10分 京成電鉄 京成上野、押上駅〜宗吾参道駅 1時間10分 宗吾参道駅〜宗吾霊堂 徒歩10分 公津の杜駅〜宗吾霊堂 バス5分 JR及び京成 成田駅〜宗吾霊堂 バス10分 |
| まず<山門>を入る。左手には言わずと知れた<お土産屋>が並び、右手には<宗吾尊霊の墓所>がある。前方に見えてくるのが<仁王門>だ。門をくぐると左手遠くに<慈眼閣>、右手には池の向こうに一段と高く<鐘楼堂>、そのまま進むと左手に<大本坊><弘法大師御像><霊宝殿>、少し先の右手に<薬師堂><聖天堂>が並び、いよいよ正面には<本堂>だ。本堂の左手奥に<宗吾御一代記館>があり、その右隣が今建設予定の<奥の院>だ。そしてその先には50年前、幼なじみと日の暮れるまで遊んだ奥山が見える。ここから小学生の足で歩いて約5分の所が義務教育9年間を過ごした母校だ。 |
| <建物案内> 御廟 宗吾様は承応2年(1653年)、直訴の罪により公津ケ原刑場で磔刑に処せられ、斬首された4人のお子 様が合葬されています。毎日多くの参詣者の方々で線香の煙が絶えません。 仁王門 昭和53年宗吾様の325年忌記念行事として完成。人間国宝 香取正彦作による内部の密跡金剛像 (向かって左)と那羅延金剛像(向かって右)の2体の仁王尊像は身の丈8尺8寸にして、鋳造、金箔仕 上げの我が国で唯一の金色仁王尊です。 鐘楼 宗吾霊300年祭記念に建立。「梵鐘」は鋳匠 香取秀真、正彦師親子共鋳百鐘中の一つで昭和27年 5月竣工。桜の頃は池の向こうに鐘楼が映えて素晴らしい。 大本坊 昭和17年建立。木造瓦葺、建坪は160坪、300余畳の大広間があり信徒講社の坊入り休息、研修道 場、宿泊等に使用する。 薬師堂 御本尊は薬師瑠璃光如来、明治44年9月建立。法要道場、篤信の霊牌安置所である。 聖天堂 当山創建主 征夷大将軍坂上田村麻呂持仏と伝えられる大聖歓喜天尊を祀る。昭和62年11月建立。 霊宝殿 昭和10年に開館。御本尊宗吾様の遺品や関係文書、什器、当山の寺宝、各時代の参考品、郷土出土 品などが展示されている。なかでも、惣五郎様の存在と持高を証明する名寄帳、宗吾様着用の裃と奥様 ご使用の鏡、宗吾様とお子様4人の法号を記載した過去帳など貴重な品々が展示されている。 本堂 大正10年に8ヶ月の歳月を費やし、十間四面総欅造り総銅葺き現本堂を再建。御本尊には、宗吾様の 霊を祀ってあります。 宗吾御一代記館 昭和42年開館。佐倉騒動の発端から、甚兵衛渡し、妻子の別れ、直訴から処刑にいたるまで を等身大人形66体で13場面に配置してあります。電動式立体パノラマで宗吾様の尊い御生涯を再現し ご参詣の方々に観覧いただいています。 鉄筋コンクリート平屋建。1,000平方メートル。 観覧所要時間 20〜30分 各場面説明つき 開館時間 午前8時30分〜午後4時(月曜日 但し、祝祭日の場合は翌日) |
| 甚兵衛渡し 印旛沼の景勝地、「水神の森」通称「甚兵衛渡し」と呼ばれるところ。 雪の夜、直訴に出府する義民宗吾様のため禁制を破って渡し船をだし、 身を印旛沼に投じた渡し守<甚兵衛>の供養堂、石碑があります。 宗吾様旧宅 宗吾霊堂から2kmほど離れたところに、宗吾様御一家が住んでいた家 があります。現在16代目にあたる子孫が住んでおり、家人に頼めば宗 吾様の位牌も拝礼する事ができる。 |