<胎動>

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 第15章 目を覚ませ

 ふと、我に返る。そろそろ生徒会主催のビンゴ大会のリハが始まる時間だ。だが今は、一刻も早く亜里砂に会いたい。会って真実を伝えてやりたい。そうすれば亜里砂も安心するだろうし、哲平に無下にされて使えなくなった力も、戻ってくるに違いない。どうしたものかと思っていると、携帯が鳴った。そういえば先ほどから鳴っていたのをぼんやり思い出す。
「はい」
 と、出てみれば、
『こんなもん持たせておきながら出ねぇって、どういう了見だ!』
 勢いのある男の声がして、なぜか夕夜はほっとした。
「ちょっと野暮用。それより速水に何か?」
『お嬢は秋緒と一緒に昼飯食いに行った』
 一瞬、お嬢とは誰のことだろうと考える。それが速水のことだと思い当たると、夕夜はぶはっと吹き出してしまった。
「あれがお嬢様ってガラかよ! 彩子さんならまだしも!」
『……それよりな、向こうにいたときの知り合いが紛れ込んでいてな。哲平って男、おまえらの関係者か?』
 瞬間、背筋がぞっとした。哲平がさっき人を待たせていると言ったのは、研究所関係者?
「……そうです。会ったんですか?」
『ああ。さっき俺の知り合いと一緒に帰った。今なら追いつけると思うが……』
「お願いします。速水と彩子さんは他の人に頼みますから。私は友達の家に行ってきます」
『了解。捕まえたら連絡する』
「信用してもいいんですよね?」
 能力を失ったとはいえ向こう側にいた人間だ。気を許してもいいのだろうかと、そう口にしてみると、受話器の向こう側で本気で怒る声がした。
『てめぇ、今度会ったら絶対殴るからな! 覚悟しておけ!』
 そのまま切れた電話のむこうに、夕夜は「お願いします」と頭を下げる。
 夕夜は非常階段を駆け下りた。
 胸騒ぎが襲ってくる。文化祭のやり残した仕事が後ろ髪を引くが、それより早く亜里砂に会わなければならない。走りながら亜里砂の家電話にかけてみるが、留守のようだ。携帯もつながらない。桜花の携帯にも電話するが、通じない。きっと実習中かなにかだろう。マメな兄は着信履歴を見たら返信してくれるだろう。あともう一件、
「慎一郎? 目を離すから頼む」
 兄の友人でもあり速水の担任教師の慎一郎に連絡する。切迫した夕夜の口調に気づいてか、何も言わずに彼は、速水と彩子を車で送ると約束してくれた。
 お祭り騒ぎを抜け校門を出ようとしたそのとき、
「探しましたよ、紅さん」
 聞き覚えのある、今一番聞きたくない声に、夕夜はびくりと肩をふるわせた。振り向くとそこには生徒会の面々がずらりと並び、真ん中に生徒会長の誉が立っていた。
「大事なお仕事を放って、どこへ行かれるんですか?」
「申し訳ありません。急用が出来ましたのでこれで早退させて頂きます」
 きっぱり言い切ると、誉は口元にするすると扇子が開いた。扇子には「否」と書かれていた。
「らしくないですね。役目を放棄ですか?」
 反論をしようものならあのことをばらすと脅しているのだ。いつもなら屈するところだが、事態は急を要する。
「お願いします」
「……一つ、貸しですね」
 にんまりと笑う誉に貸しを作るのは非常に不本意なのだが、それも仕方ない。
 夕夜は一礼すると学校を飛び出した。


 電車よりもタクシーの方が早いと判断した夕夜は、駅前でタクシーを捕まえ、亜里砂の家まで急いだ。道中いろんなことが頭に浮かんだが、頭の隅に追いやる。
 玄関でチャイムを押すと、やきもきしながら家の人が出てくるのを待つ。ひょっとしてまだ留守なのだろうか、と、思い始めた頃、のんびりした亜里砂の母の声がした。
「は〜い、どちらさま?」
「紅です」
「あら、お久しぶりね。亜里砂なら鋭都君と札幌よ?」
 鋭都というのはたしか亜里砂の家で下宿している同居人だ。
「……え?」
「哲平君に振られたのがよっぽどショックだったのね。ご飯も食べなくて心配してたけど、いきなり札幌のお友達に会いたいって言ってね。鋭都君が連れて行ってくれるって言うからお願いしちゃったのよ……あらあの子、夕夜ちゃんに何も言わずに行ったの? 携帯も置いて行っちゃって。ホントそそっかしいんだから。それで、どんなご用だったのかしら」
「あ、その……ちょっと亜里砂と話がしたくて」
「心配してくれてありがとう。鋭都君の携帯わかるから、かけてみるわね」
「ありがとうございます」
 亜里砂の母が奥にひっこみ、しばらくして戻ってきた。
「移動中かしら? つながらないみたいだから後で夕夜さんに電話するように言っておくわ」
「わ、かりました。その……鋭都ってどんな人ですか? 会ったことがなくて」
「あら、そうだった? 小さい頃亜里砂の面倒をよく見てくれた近所のお兄ちゃんなんだけど……そうだ! 鋭都君のご実家にかけてみればいいのよね。ちょっと待っててね」
 そうして、亜里砂の母は再び奥に引っ込もうとして、
「あがって。今お茶を入れるわね」
 と、にこにこしてスリッパを出してくれた。夕夜は一礼するとスリッパを履き、リビングに入った。いつも思うがカントリー調で統一された家具に脱帽する。あの亜里砂のかわいらしさはこういうところから来るのだろうと妙に納得してしまう。
「あら、お久しぶりです。若月さん。このたびはうちの亜里砂がお世話に……」
 そこまでにこやかに話していた亜里砂の母は、絶句した。
「え? ……行ってないんですか?」
 亜里砂の母の傍らに立ち、その体をそっと支える。
「そんな……」
 と、聞き直した。
「え、はい。ええ、ちょっと混乱してしまって。また改めてお電話します」
 亜里砂の母はそう言いながら受話器をおろすと、壁の一転を見つめながら言った。
「鋭都君はずっとここにいたのよ? それなのに、奥さんずっと鋭都君は家にいたって。電話で頼まれたときはちゃんと奥さんもお願いしますって言ったのに……」
 偽物だった、ということか。あの双子の仕業だろうか……。
「哲平君と一緒の学校に行っていて……だって鋭都君だったのよ。写真だって……」
 と、言いながらサイドボードの上を探す。そこにあったのだろう写真立てもなくなっているらしい。
「ここにみんなで撮った写真を置いたのに」
 ふらふらとおぼつかない足取りで鋭都の部屋らしきところに行く。そこはちゃんとした部屋となっていたが、生活感がまるでなかった。
「荷物が……。じゃあ……亜里砂はどこへ行ったの?」
 脱力してぺたんとそこに座ってしまった亜里砂の母を放っておく訳にはいかないが、とにかく亜里砂が行方不明になったことは確か。そして、亜里砂は多分……。
「お父さん、そうだわ、お父さんに電話を……」
 亜里砂の父は警察関係者だ。きっとすぐにでも捜索を開始してくれるだろう。
 震える手で電話をする亜里砂の母の後ろ姿を見ながら、自分は何をすべきだろうとシミュレーションを開始したとたん、大きな音を立てて亜里砂の母がその場で崩れた。
「……おばさん?」
 揺り起こしてみたが、反応がない。頭でも打ってしまったのだろうか。
「救急車……」
 夕夜は、冷静になれと自身に命令しながら、亜里砂の母の手から受話器を取り、119を押した。

 ぼんやりと目を覚ますと、そこはいつもと違う場所だった。
「……あ、起きた?」
 暗い部屋の中で声がする。
「うん……今、何時?」
「6時くらいかな? ずっと眠っていたから、心配したよ」
 亜里砂は鋭都に微笑んだ。
「そっか、お兄ちゃんごめんね。なんかすごく眠くて」
 頭がぼんやりとする。なんだか眠くて仕方がない。亜里砂はゆっくりと体を起こすと、まわりを見渡しながら記憶をたぐり寄せる。
 哲平と別れた後、鋭都と、鋭都の友達と一緒にご飯を食べて、それからとりあえず家に帰りたくないからどこかに行こうと言われて、それから……。
「ここ、どこ?」
「ホテル。これからちょっと旅行に行こうかと思って。亜里砂、しばらくあの町から離れた方がいいよ。哲平さんのことも、もう忘れたら?」
 哲平の名前を聞いて、亜里砂は胸の奥がきしんだ。
 まだ好きなのに、もう哲平は違う人が好きなんだ。そう思ったら涙が出た。すると鋭都が亜里砂をそっと抱きしめた。
「お兄ちゃん?」
 不思議に思って名前を呼ぶと、耳元で鋭都の低い声がした。
「これからは鋭都って呼んで。あのリストの中じゃ気に入った名前だったんだ」
 くすくす笑う鋭都に、亜里砂はあくびで答えた。なにかすごく大切なことを言っているような気がするのだが、全く頭が動かない。
「……リストって?」
 違和感のある言葉を言ってみると、鋭都は微笑みながら頬に頬を寄せた。
「赤ずきんをさらう悪いオオカミの名前」
 頬にキスをされるのと同時に猛烈な眠気が襲ってきた。異常なまでの眠気にふと、速水のことが頭をよぎる。最近の速水は異常なまでに眠そうだった。こんなかんじだったのだろうか。脱力していく体を鋭都に預けながら、亜里砂はゆっくりとまぶたを閉じた。


 寝息を立て始めた亜里砂をベッドに寝かせると、鋭都はノックの音に気が付いた。
「入れよ」
 ドアに向かって言うと、サングラスの男が入ってきた。
「遅かったな、連。なにか手違いでも?」
 
「いえ。あちらは順調です。私が戻る必要もないということですので」
 鋭都はそれに答えず、亜里砂の頬にかかった髪を指ですくった。
「なあ、さっきから眠ってばかりだぞ。大丈夫なのか? この薬」
「秋緒の目を誤魔化すには、これを使うしかありませんでしたから」
 にっこり笑う連に、鋭都が顔をしかめる。
「たしかにテレパスから隠すには思考を停止させるのが一番だけど、どうやって手に入れたんだ?」
 そう言って、カプセルを手でつまんで見せた。
 それは「SZ」と呼ばれるもので、もともとはコントロールがつかない能力者が能力を押さえるために使う。が、半日思考がにぶくなることから、常人がテレパスから身を隠せるという作用もある。現に、二年前研究所が襲撃された際、テレパス達は敵を察知できず、研究所は壊滅状態、DARKも亡くなるという最悪の事態となった。
「これは次期スポンサーの手みやげですよ」
「次期って……長谷川翔か? あいつも研究所の妨害工作してただろ? それに提携切ってきたの向こうじゃないか。何で今更」
「たまたま流也が鈴音を迎えに行ったところにいたそうです。DARKに会ってみたいって頼まれたんですよ。スポンサーに渋られても困りますから。まあ、それだけじゃなく別の目的があるみたいですから、鋭都も気をつけてくださいね」
「一緒の船で行くのか?」
「ええ。ですから向こうに着くまで外に出さないでくださいね。なにかと面倒ですから」
 面倒と言いながら、頬がゆるんでいる連を見て、鋭都は苦笑した。
「ご機嫌だな」
 しかし皮肉は無視された。
「準備が整い次第、先に行ってください」
「はいはい、精々ゆっくり準備させてもらうよ」
 鋭都は手で連を追い払うような仕草をした。連は「おねがいします」と言い残し、部屋を去った。その背中を見て、ふうっと息をつく。
「また浩香の機嫌が悪くなるな」
 ひとりごちながら、鋭都は亜里砂の頬にある涙の跡を人差し指でなぞった。


 にわかにかき曇り、というのは、こういうことかもしれないと彩子は天を仰いだ。学園祭の熱気冷めやらずの学園内は、雲行きが怪しくなったことで、雨が降る前に外看板やテントを校舎内に片づけようとする生徒で、蜂の巣をつついたような騒がしさだった。速水は応援団の仕事の一環で方々の片づけをしている。ここに上ってくる前に、
「なんでこんなにいそがしいんだよ」
 なんて言いながら両手に荷物を持ってグランドと校舎を行ったりきたりしていた。

 彩子はいち早く片づけが終わり誰もいなくなった屋上で、精神を集中している。亜里砂がいなくなったから呼びかけてくれと夕夜に頼まれたのだ。
「警告したはずよ。亜里砂を手放さないように言ってって」
 冷たく言い放った言葉に、電話の向こう側で夕夜が押し黙り、
「とにかく頼む」
 とかすれる声で言った。夕夜も辛かったに違いないのに、どうしてこんな言い方しかできなかったのだろうと、彩子はすごく後悔していた。
 とにかく今は亜里砂を……そう思いながら亜里砂個人に呼びかける。でも反応がない。
「……それなら」
 心の奥底からわき上がる能力の固まりを薄く広く広げていく。
 半径一メートル、十メートル、百メートル、一キロ……。
 意識がある人間にはこれが一番なのだと言われたことがある。でも誰に習ったのだろう……。考えてみるが、思い当たらず苛つく。
 五キロをすぎても全く亜里砂の反応はなく、焦る。
「亜里砂……返事をして。お願い」

 その時、携帯が鳴った。びくんと、体が揺れて集中が切れる。はあはあと息が口を行き来して心臓が早く脈打つ。電話に出ないと、と、ポケットから出して、通話ボタンを押す。
「はい……」
 夕夜だった。亜里砂のおかあさんが倒れて救急車で搬送され、お父さんが来るまで付き添うから戻れないという。
「亜里砂はどこにもいないわ。少なくともここから五キロ圏内に反応がないの。眠っているかもしれないけど、もしかしてもう遠くに行ってしまったのかも……」
 不安が声に出る。それを察してくれたのか、申し訳なさそうな夕夜の声が受話器から聞こえた。
『亜里砂のお父さんが来たらすぐ戻る。だから、亜里砂を呼び続けて』
「わかったわ」
 電話を切り、息をつく。
 もう一度……。
 そう思いながら、また、意識を広げていく。
『眠ってるの? 返事をして……目を覚まして』

 その時、
「彩子さ、ん……?」
 自分を呼ぶ声に反応し、緊張が解かれた。そちらを見ると、学ラン姿の速水が信じられないという顔をして立ちつくしていた。
「いま、誰かを呼んでたよね?」
 戸惑う速水の声に、彩子は硬直した。声は出していなかったはずだ。それに、速水は一階で片づけをしていたはずだから、声が出ていたとしても聞こえるはずがない。
 それに、今までテレパスに全く反応しなかった速水が、自分のテレパシーに導かれ屋上まで来たことに戸惑った。
「前にも、こういうこと、なかった?」
 そう言いながらふらふらと近寄ってくる。

 ごろごろと空が鳴る。
 真っ黒い雲が校舎の間から見える四角い空を流れていく。まもなくひとつ、ひとつコンクリートの地面に小さな水の跡が付き、それは瞬く間に地面を覆った。足下の水を跳ねながら速水は彩子に近づいた。
「ねえ、あったよね!」
 肩をつかまれ、戸惑う。
「毎日夢を見るんだよ。大事なものをつかみ損ねるんだ。その時にかならず声がするんだ。彩子さんの声。今みたいに!」

 “目を覚ませ”

「あれをつかめば、ボクはほめてもらえる。みんなに認めてもらえるんだ。だから、教えて。今のは何? 耳じゃなくて頭で声がするのは何故? どうして彩子さんの声なの!?」
 ざあっと耳元で雨の音がする。
 彩子は混乱していた。身に覚えがないことだ。夜中に速水の元へテレパシーを送ることなどなかった。ぎりぎりと掴まれた手に力がこもる。彩子は顔をしかめた。
「痛いわ、速水。手を離して」
 努めて冷静に言うと、速水は、ぱっと手を離し、ばつが悪そうに目をそらした。
「ご、ごめん」
 手を離された後も肩が痛む。彩子は小さく息をついた。
「なんのことかわからないわ。きっと疲れてるのよ。今日は忙しかったし、このところ寝不足かなにかで体調もよくなかったでしょう? 先生に言って先に帰らせてもらいましょう。送るわ」
「大丈夫だよ。なんともな……いから」
 ふっと、速水の体が大きく揺れ、彩子の方に倒れてきた。彩子はその重みに耐えかねて、速水を支えたまましりもちをついてしまった。
「……速水? ねえ、どうしたの?」
 力が抜けた体がのしかかる。呼びかけてみるが反応はない。一人では彼女を運ぶことは出来ない。誰か呼びに行かなくては。でもこのままにしておけない。どうしよう……。
「速水、起きて。ねえ!」
 背中を軽く叩いてみるが反応はない。髪から頬を伝う雫が涙のように見え、それがとても悲しく思えた。どうしてしまったんだろう。何が起こったのだろう。軽く混乱していると、
「橿原さん! 速水君!」
 名前を呼ばれ振り向くと、担任の慎一郎が雨の中こちらに歩いてくるところだった。
「先生!」
 担任は走り寄り速水を抱き起こすと、呼吸を確認してほっと息をついた。
「大丈夫。心配ないよ」
「よかった……」
 ほっと胸をなで下ろすと、担任は厳しい瞳で彩子を見つめた。
「橿原さん、能力を使うなら、もう少し加減してほしかったな。まだ頭痛がする」
 能力を話す担任に、彩子はぞっとした。味方だという話は夕夜から聞いていたが、人に能力のことを知られていることで辛い思いをしてきた彩子は本能的に警戒した。
「保健室に運ぶからついてきて」
 担任は重そうに速水を担ぎ上げると、大きく息をつき、そのまま歩き出した。

    

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