<溶けない雪>
| ミウが小さく咳をしながら、俺の毛布に入ってきた。 せっかくでかいベッドを譲ってやったというのに。 「あったかい」 「俺は冷たい」 その手足は氷のように冷えていて、添えられた胸や膝の温度を容赦なく奪っていく。その冷たさに身震いをしていると、それがじわじわと温まっていく。 さっきまで冬の月のように凍っていたミウの顔が今は小春日和のように穏やかになっている。体が温まり始めたのだろう。 「……嫌なら戻るけど」 おずおずと言い出すミウにむっとしながら、可愛いと思う。 「仕方ないな」 腕を回して細い背中に手を回すと、ミウは小動物のように背を丸めた。 こんこんと、小さく咳をするミウ。 じっとその咳の振動を感じながら、窓に目をやった。曇った向こう側は薄曇りの空が広がっていることだろう。 「明日は晴れるかな?」 「多分」 「寒いかな?」 「多分」 ミウは小さく身じろぎして俺を見上げる。まだ眠れないのだろうか。 「寝ろよ」 そういうと、安心したように頷き、目を閉じた。その温かさに俺も目を閉じる。 朝になると、ガラス越しに注がれる日の光に目を覚ます。俺の腕にミウはいなかった。どこへ行ったのだろうと思いながら見回すと、 「おはよう」 と、こちらを見下ろしている。 「朝飯何にする? 昨日貰ってきてくれた缶詰が山ほどあるんだけど」 両手いっぱいの缶詰を見せるミウに、俺は小さく嘆息する。 よかった。まだ生きている。 世界が戦争しだして、どこかの国が核兵器を使った。政府は巨大なシェルターを作り、そこに人々を避難させることとなった。 しかしその中に入れる人間は一握り。 健康診断と抽選にあぶれた者たちは、本土決戦に怯えながら生活している。 そして、未練がましい奴等はシェルターの扉があるこの街に留まる。ミウもその一人なのだという。「未練がましい」と笑えば、「そうだね」、と、返す。「入りたいのか」と聞けば、「違う」という。ミウの真意はわからない。 敵国の上陸作戦がこの辺りまで迫っているからそれどころではない。 それよりも咳だ。 この辺りは度重なる空爆と戦闘で瓦礫となり、その処理もしないから埃っぽい。そのせいかもしれないが、既に核汚染されたこの土地では誰もが近いうちに死の淵に立つことになる。 自分はいい。充分生きた。しかしミウが弱り、逝くところは見たくない。 だから嫌なのだ。しがらみというヤツは。 「サンマの蒲焼きとヤキトリ、どっち?」 「サンマ」 コンロの上にアミを敷いて温めているミウに、苦笑した。一応あれでも料理をしているつもりらしい。温かいものを食べると元気が出るからと、なんでもかんでも温めようとするのが難点だ。 「ほら、出来たよ」 コンロの上でぐつぐつと煮えているサンマの蒲焼きに目を細めた。乾パンだけだと味気ない朝飯だが、これがあるだけでかなり満足だ。部屋中がサンマの香ばしい匂いが充満してしている。箸でそれをつつきながら、乾パンを囓る。 「今日はどうするんだ?」 「うん。ちょっと行くところがあるんだ」 行くところ、と聞いて、俺は呻った。きっとまた闇市だ。 「一人で行くなよ。この前みたいにぼったくられるがオチだ」 それを聞いてミウはかあっと顔を赤らめた。 「一回の失敗を何度も言うな」 悔しげにいうミウに俺は笑った。 食事が終わり、片づけるとミウはコートを羽織り、部屋を出て行った。 本来なら男女の営みをするこの部屋。俺とミウも男女ではあるが、その関係になったことはない。 さて、俺も出かけるか。 仕事と名ばかりの、人殺しに。 きゅらきゅらとキャタピラを鳴らしながら戦車が行く。 決戦は近い。 「カイ」 呼ばれて振り向くと、リアがいた。 「ほれ、コーヒー。本物だぞ」 いたずらっ子のように笑う彼の左足は義足だ。空爆で左足と家族を失ったという。俺の仕事はシェルターを守ることにある。仕事をしていれば食いっぱぐれることはない。 「サンキュ」 久し振りだ。本物のコーヒーなど。インスタントのものでも手に入りにくくなっているというのに。一口飲めば体の中を流れていく香ばしい香りと、甘み。 「砂糖?」 出来れば入れて欲しくなかったのだが、と、目で訴えると、彼は笑った。 「仕方ないだろ、曹長がブチこんじまったんだから」 「……そっか」 曹長は元々甘党ということもあるが、砂糖はすぐにエネルギーに変換される。それも見越してのことだろう。気持ちがほぐれていくのは砂糖の効果だろう。 「ミウに頼まれていたヤツ、用意しておいた。あれ、女にか?」 「ああ。俺はいつ殺られるかわかんねぇからな。一応」 「こいつよりもっといいのがあるだろう?」 「あいつ、戦争が始まる前は普通に学生やってて下宿しているうちに戦争が始まって。里に帰ったら街ごと家がなくなっていたそうだ」 「……どこにでもある話だ」 「その妹がシェルターにいるらしくて、出てきたら一番に出迎えたいそうだ」 「そこで、こいつか」 黒光りするそれを布のケースから出して、リアは眉をひそめた。 「ああ。威嚇には充分だろ?」 「近くに敵が来たらどうする。そいつに死ねと言ってるようなものだ」 「死ぬなら……遠くで死んで欲しいんだけどな」 苦笑する。 頼むから、目の前で死ぬな。でも、側にいてくれ。 矛盾している考えだと判っている。俺はどちらが最善だと思っているか、自分でも判らない。どちらも正直な気持ちだ。 「おいでなすった」 リアがそう言いながら窓の外を見た。たしかに、あれは、敵。装備も制服も自分たちと同じだが、殺気を漂わせて街全体を伺っている。シェルターの入り口を探しているのだろう。 「はいよ」 俺はライフルを構え敵の頭に照準を合わせると、ためらいなく引き金を引いた。 戻ると、暗い部屋からテレビの音と光が漏れていた。 そういえば闇市に行くと言っていたような気がする。 あそこには酔狂なヤツがレンタルビデオなんてものをやっているから、そこから借りてきたものだろう。 都市ゲリラ戦の映画。不自然な筋肉質の男が銃弾や爆撃をかいくぐり、血塗れで掠われた女を捜している。そのゲリラの男が俺に重なって苦しくなった。このままミウを殺したら楽になるだろうか。 夢中なんだろう。殺気をたててすぐ側まで近づいても微動だにしない。懐から銃を取り出し、ミウの後頭部に当てる。そのまま檄鉄を上げるとびくんと、体が震えた。 「バカなヤツ。いくら見たって予行演習にはならないだろうが」 こんなに安心しきって、俺が引き金を引いたらどうなるか考えろよ。 「……カイ、やめろよ」 ミウは振り向いた。その顔が本当に迷惑そうで、俺は笑ってしまった。信用されたものだ。 そのまま天上にむけて一発発砲する。銃声と共に、上からコンクリートが降ってくる。 「ったく……。もうここしか寝るところはないのに」 頭や肩についたそれを祓いながら、ミウは睨んだ。ばつが悪くて話を逸らそうと、今気が付いたように画面を見た。 「お、なに。なっつかし〜の見てるな。俺らがガキの頃のヤツじゃねぇか」 そう言いながら銃を懐に入れ、嗤った。 ああ、これを見ていた頃はこんな仕事をするなんて思いも寄らなかった。こんなものは映画の中の世界だけだと信じていた。 「これからのことを考えるとね、一つくらい見ておいたほうがいいかな、と思って」 じっと画面を見ながらそう言うミウ。 「ふーん。俺が実戦で教えてやるってそんなの」 「カイのやり方じゃ、ボクの身がもたないよ!」 そう言われて声を立てて笑ってしまった。たしかに会った当初、銃の扱いを教えたことがある。危険な物だからと厳しく教えたのだが、その時のことをまだ根に持っているらしい。 ふと、ミウが俺の背中に目をやった。見つけたのか。 「それ、なに?」 「ああ、お前にやるよ」 カバーから出してやると、ミウは目を丸くした。 リアから貰ったライフル。スコープ付きの状態のよいもの。リアのヤツよく手に入れたものだ。 「これなら遠くからねらうだけでいい。スコープ覗いて、引き金引くだけだ」 点検して素早くスコープを覗き、「こうやるんだ」と、構えて見せると、ミウはぽかんとした顔をした。 「わかったか?」 「……たぶん」 わかってないな。 「ま、使わないに越したことはないけどな」 安全装置を確認してピンクのベッドに投げた。黒光りするそれとベッドの色が妙にマッチしているのが笑えた。 「これ持って、おまえは逃げろ。戦っているフリしながら逃げるんだ。そうすればだれか助けてくれるさ」 リアにも頼んだから、なんとかなるだろう。この先俺はどうなるか判らない。 「……カイはどうするの?」 尋ねられて、苦笑した。 「俺? 俺は自分で何とかする。おまえも生き延びるなら、生き延びろ。……と言っても、外の人間はそんなに長生きは出来ないらしいけどな」 俺は嗤う。……ミウは黙る。 映画はクライマックスまで後一歩。 主人公の男は、血にまみれた腕と足を引きずりながらヒロインを探す。 こんなふうになるのはごめんだ。 死ぬまでこいつの心配をするのも、いやだ。 と、ミウが俺を見上げ、懇願するような瞳で言った。 「長生きできなくても……一緒にいたい」 「だめ」 即答した。するとミウは泣きそうな顔で言った。 「ボクのこと、重荷になったの? もう、どうでもよくなったの!?」 確かに重荷だ。しがらみなど、戦争が始まってからなくなったと思っていた。 どうでもいいと思いたいのに、思えない。 ああ、そうか。 俺はこいつを、愛したいんだ。 画面の中の戦闘シーンを見ながら、ミウに言った。 「死んでもミウを生かすから」 安心しろ、と、言いたかったが、その前にミウ反対された。 「……やだ」 何故嫌なんだ! ミウの言葉に目を剥き、睨み付けながら俺は怒鳴った。 「なんでだよ!」 怯えるミウの顔に、更に怒鳴る。 「俺が替わりに死んでやるって言ってるんだよ! 馬鹿!」 命に替えても、ミウを守ってやる。そう思ったのにミウの目には涙があふれる。 ミウはそれを両腕で覆いながら、言った。 「……んなこと言うなよ。……たしかにいつ死ぬかわかんないけど、それでも、一緒にいられる限り、言うなよ」 「なんで?」 「……カイがいないと、ボクは駄目になる。生きてられない」 こいつも俺を愛したいのだろうか。 「ふ〜ん」 ぎしっと、ベッドがきしむ。ミウを真っ直ぐに見つめる。 「じゃあ、ミウが俺を生かせ」 唇を重ねる。 びくんと体を震わせながらも、それに答えるミウの服を一枚ずつ脱がせていく。汚れた服から砂が零れる。その下から現れた白い素肌に息を呑んだ。あらためてこいつが女だったのだと報される。その綺麗さに、この世界で汚れていないのはミウだけなのではないかと思う。 愛おしい。 ミウが生きている限り、俺も生きられるような錯覚に陥る。 「カイ、愛してる」 ミウの声に、首筋への甘噛みで答える。 愛している、愛している。 何度言っても、言い足りない。愛し足りない。 あふれる愛おしさに気が狂いそうだ。 「愛している」と、言おうとしたその瞬間聞こえる、爆裂音と、それに伴う地響き。 銃声と叫声と怒号。 来た。 「服を着ろ」 耳元で囁きながら自分もさっとシャツを羽織る。 「続きは後だ」 唇にキスをする。 「うん」 怖がっているのだろう、震えながら服に手を伸ばすミウを片手で抱きながら片手でライフルを持つ。 「これを持って出来るだけ逃げろ」 「……いやだ。カイはボクが生かすんだから! 絶対そうするんだから!」 その時、目の前が一瞬、白くなり、体が吹っ飛んだ。 ……寒い。 体が、重い。頭も足も手も。 畜生、どうなったんだ!? 目を開けようにも、痛くて開けられない。焦る。 その時、 「カイ、外は雪だよ」 歌うようなミウの声に、俺はほっとした。 よかった、生きていた。 「手のひらで溶けない雪なんておかしいね」 聞こえてくる声が何を言っているのか理解が出来ない。 「……ああ」 やっとのことで声を出したとたん痛みと吐き気が体中を襲う。勘弁してくれ。頭も割れるように痛い。 「よかった。返事をしてくれて。たくさん血が出たから死んじゃったかと思った」 涙声のミウの手が、俺の頬から喉、肩、腕と撫でた。 あの時咄嗟に抱きしめて庇ったが、大丈夫だったのだろうか。 「いつものところは空爆でダメになっちゃったから、ちょっと遠くまで運んで貰ったんだ。あとでリアさんにお礼を言ってね」 ミウは俺の側にぴたりとくっついて、いつものように背を丸めた。 「……ボクも一緒に寝ていい?」 そう言われて、少し頭を動かして頷いてみる。 愛おしい。 手を伸ばしてミウを抱きしめたいと思うのに、手も動かない。畜生。 「カイ、生きていてくれて、ありがとう」 それはこっちの台詞だ。 「あい……し、てる」 やっとの思いで出た声は、とんでもなく掠れていた。 ミウはびっくりしたように起きあがり、俺の唇にそっとキスを落として、しばらく泣いていた。 泣くなよ。お前が泣くところなんて見たくないんだから。 きっと、明日もその次も、朝が来る。 その度に抱き合おう。 生きていることを感謝しながら、今という永遠を分かち合うんだ。 死が二人を分かつまで。 end |