<仇>

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 沈黙の暗闇に、一台の馬車がとまる。
 陽光の眩しい光を模したその馬車は、私のものだった。
 あの日までは。


 王国の外れにある町のさらにはずれで、私は病気がちで何も出来ない母と共に細々と暮らしていた。

 馬が嘶く声を聞き、母はベッドの上で恐怖に体を震わせた。
「あの男が来たのね……あの男が来たのね……」
 ぶつぶつと呟く母の背中をそっと撫でながら、私は嘆息する。きらびやかな世界から落とされて病気になった母を、哀れだと思えばどんなに楽だろう。
「あの男を家に入れないでおくれ。決して入れないで」
「ええもちろんよ。母様」
 
 馬車から降りてきた彼は、この国の王様らしく、豪華な服を身にまとい、にこやかに手を振った。
 私は後ろ手で半分朽ちたドアを閉め、彼の前に立った。
「ごきげんよう」
 スカートを軽くつまみ、極上の笑みで恭しく一礼すると、彼は私の前に跪いた。
「姫様。ご機嫌麗しく」
 等といいながら王宮仕込みのたおやかな仕草で私の手を取り、軽いキスをする。私はその手のぬくもりに、唇の感触に、頬が熱くなるのを感じ、……恥じた。
「そう呼ぶのはお止めください。王陛下」
 彼は私の皮肉には答えず、替わりに曖昧に笑いながら立ち上がった。
 その笑い方、変わらない。あの頃のあなたと何ら、変わらないのに。

 と、蝋燭の明かりが服に反射してキラキラと光った。一目でわかった。
 隣国の特産である特殊な絹。隣国と平和条約をかわしたというのは本当のことだったのか。
 我が国で侵略と略奪を繰り返したあの忌々しい国と!

「王妃様は……」
 彼の言葉にぎりっと、奥歯が鳴る。彼はずっと母のことを気遣っているのは知っている。
「今日は一段と具合が悪いの」
 あなたのせいで、ね。それにその服で母の前に立てば、母はどうなるかわからないわ。
 そう言えば傷つくだろうか。いや、そんなことは決して、しない。
 彼が傷つき、罪の意識に浸るのなんて、同情の対象になるなんて、絶対許せない。

「……では、また来ます。何か足りないものがありましたら、お知らせ下さい」
 彼はもう一度恭しく一礼し、馬車に乗り込むと行ってしまった。
 その後には、食料や日用品、燃料などと、一言だけ書かれた私宛のカードを残していくのはいつものこと。

 それらを小屋の中に入れ、粗方片づけてから、私は母の部屋をノックした。
「あの男は帰ったのかい?」
 部屋にはいると体を起こした母がこちらを睨み付けていた。
「ええ、母様」
「そう。帰ったのかい」
「ええ、母様」
 努めてにこやかに、答えた。すると、彼女は涙ながらに呪詛の言葉を吐いた。

「あなたが、あの男を連れてこなければ……」

 その度に私の心臓に、冷たく長い針が突き刺さる。
 
 城を抜け出して遊びに行った街角で彼と出会ったのは、私の罪。
 彼と何度も忍んで会い、身も心も結ばれたことをきっかけに王宮に迎え入れて自分付きの護衛として雇ったのも私の罪。
 彼が最初から革命のために私に近づいたというのに、微塵も気が付かなかったのも、私の罪。

「そうね。母様」
 
 私があんな男を王宮に迎え入れなければ、父様は革命軍なんて言う輩に串刺しにされることもなかったし、母様はきっと今でも若い貴族との浮気を楽しんでいられたわね。

 母の部屋を出て、私はエプロンのポケットに入れたカードを取り出した。
 見慣れた筆跡の一言に、私は胸を裂かれる。

 そして、憎しみと呪いを込めたその一言を呟くのだ。



「愛している」

 と。





谷山浩子さんの「仇」で書きました。
「仇」は「心のすみか」というアルバムに入っています。



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