<眠り姫>
この国の王女には呪いが掛けられていた。 事の起こりは百年前。 その頃の第二王妃が小さな女の子を産み落としてすぐこの世を去った。一人残された女の子を不憫に思った王は、彼女を引き取り第一王妃に育てさせた。 第一王妃には愛する息子がいた。 その王子は小さく愛らしい義理の妹を溺愛し、成長した二人はいつしか愛し合うようになった。 それを知った第一王妃は激怒し、王女の十六歳の誕生日に一年の間眠り続ける呪いをかけ、そして王子に言った。 「一年の間にお互いの心が離れなければ、婚姻を認めよう」 と。 王子はそれに怒りはしたのだが、渋々それを認め、一年耐え凌ごうと眠り続ける彼女に誓った。 しかし、彼女のいない一年は、王子には長かった。その心変わりを見抜いた第一王妃が、王子に隣国の王女との結婚を迫ると、王子はいとも簡単に隣国の王女に思いを寄せるようになり、彼女の目覚めを待たずに結婚した。 目が覚めた王女は、王子が既に結婚したと知ると、悲しみのあまり眠っていた塔から飛び降り、絶命したという。 ……しかし、話はそこでお終いではなかった。 第一王妃が掛けた呪いは余程強力なものだったらしく、百年経った今でもこの国の王女は十六歳の誕生日が終わるのと同時に一年間眠り続ける。 そして、その呪いは、いつしか婿捜しに利用され、目が覚めるのと同時に結婚するという習わしになっていた。 「冗談じゃないわよ、全く」 ぼそっと呟くのは、明日問題の誕生日を迎える現王女エルナである。 侍女のサラにその豊かな金髪を梳かされながら、母、現国王妃が振りまく花模様の空気にげんなりとしていた。 「目覚めの儀式はそれはそれはロマンチックでしたわ。ああ、あのたくましい胸に抱かれたとき、わたくし、お父様の虜になりましたのよ」 花を飛ばす母の姿を見ていると、鏡の向こうの自分は更に不機嫌な顔になった。 「……そこでロマンチックとか言えちゃうのか解らないわ。大体見ず知らずの男と会ったその日に、その……ベッドを共にするなんて。吐き気がする」 すると、一瞬憐れみのような視線を向けた母が言った。 「ああ、エルナ。あなたは心配しすぎるわ。お母様に任せていれば大丈夫よ」 それが一番心配なのだと、言いそうになり口をつぐむ。任せたら母の好みを押し付けられるだろうと気が気でない。父のようにマッチョで脳みそが足りないような男が自分の夫になるようなことがあれば、その場で舌を噛むしかない。 「明日の眠りの儀式のドレスの準備は出来ているわよね? あなたの身の回りのことはサラ達が万全の体制でいてくれるし、目覚めの儀式もお父様がしてくださるから、もうわたくしのすることはないはず。……でも、あなたが目を覚まさなかったらどうしたらいいのでしょう」 一人オロオロする母に、エルナは眉をしかめた。 「お母様、今から不吉なことを言うのはやめてください」 大体人間が一年間も眠りについてものも食べずに排泄もしないなんてのはおかしいと思う。が、母も叔母もそうなったのだから仕方がない。それに、その日が明日に迫っているというのに体がだるくなるだとか、眠くなるなどの前兆がないのも嫌な感じだ。 まさかと思うのだが国中で自分を担ごうとしているのではないだろうか。と、考えて、そんなことはないと頭を振る。王立図書館で資料や文献を片っ端から読み調べてみたのだが、代々の王女全員がその目覚めた日に結婚しているのだ。それを見つけたエルナは絶望的な気分になったらしい。その日から三日間食事が喉に通らなかった。 「……ごめんなさい。エルナ。不安なのはあなたの方よね」 上目遣いで見つめられたエルナは体中の鬱屈をため息と共に吐き出し、 「とにかく、明日の眠りの儀式はちゃんと勤めます。が、私は目が覚めてすぐ男性に恋をするなんてこと、絶対にありませんから。ご期待には添えないと思いますよ」 「もう! どうしてそんなことを言うの? 絶対そうなるんですからね!」 エルナは思い切り奥歯を噛みしめ、耐えた。そうしなくては目の前にある大きな鏡を拳で割るところだった。 「……ってかんじで。お母様ったら私に何を期待しているのかしら」 がっくりと肩を落とすエルナに、彼は笑った。 「王妃様と王様の恋はそれはそれは熱いことで有名でしたからね。今でも仲むつまじくいらっしゃる。娘のあなたにもそういう幸せな結婚を望んでいらっしゃるのでしょう」 ここは、王立研究所に付属する小さな研究室である。エルナは作業台に座り、彼が乳鉢で何かをすりつぶしているのをじっと見つめていた。 エリート中のエリートが集まっている王立研究所の制服。そこから伸びる褐色の腕と白い乳鉢のコントラストが綺麗だと思う。 二十四の若さで王立研究所分所の所長をしているソアという青年は、まわりの所員からも天才と称されている。 エルナはこの城の誰よりも賢いソアの側にいることが好きだった。そして彼のことを一人の男性として見るようになったのは最近のことだ。 しかしソアは、エルナより研究の方が大切らしい。前はエルナの呪いに関して熱心に調べてくれたし、エルナのことも好きだと言ってくれたのに、最近は段々無口になりあまり相手にしてくれなくなった。エルナが遊びに来てもそっけないし仕事ばかりしている。 それでも、どんな男性よりも八つ年上の彼が好きだった。 「ねえ。ソアはいいわけ? 私がそうなっても。平気なの?」 それを聞いたソアは、う〜んと、顔をしかめ、手にしていた乳鉢を置くと、銀色の髪を掻き分けた。 「……平気じゃないですよ。それに、呪いはともかく、この制度は時代遅れだと思いますし」 と、ぼそりと言う。それを聞いたエルナは嬉しくなった。 「なら、掠いに来てよ。目覚めの儀式の前に。そうしたら私、見ず知らずの男と結婚しなくて済むし」 「まさか。王女様を掠うなんてことしたらここにいられなくなります」 「私よりもここが大事なの?」 そう言いながらエルナは口を尖らせると、ソアは視線を逸らし、話題を変えた。 「……そうそう、目覚めの儀式の花火ですが、何色がいいですか?」 眠りの儀式は簡単だが、目覚めの儀式は、王女の結婚式と合同で行われるため国を挙げての盛大な祭りとなる。 その時の花火はこの分所で作られることになっていた。 「そうね……。もし、あの王子のように心変わりしていたら青を。そうでなかったら金色を」 それを聞いたソアは灰色の目をぱちくりとさせ、 「青? それは難しい注文ですね」 と、言うと、ううむ、と考え込んだ。 エルナはそれを見てにんまりと笑った。青い花火などこの世界では存在しない。いくらソアが天才だとしても見たこともない花火を作るなんて到底無理だろう。 青い花火は上がらない。 だからソアの心変わりも無い。……と、思いたかった。 「心変わりしないでね。していたら私、あの塔から飛び降りなくちゃならないんだから」 「そんな習わしはなかったはずですよ? それに、僕の王女が恋などに負けるわけがない」 そう言われてエルナは顔を赤くした。僕の、などと言われたのは初めてだ。やっぱり前に「好きだ」と言われたのは嘘じゃなかったのだと思うと、胸の奥が甘くとろけた。 「わ……私だって、ソアが心変わりをしたら飛び降りたくなるわ」 もしソアが違う女の人と結ばれるということになれば、もし自分が違う男と結婚することになったら、きっと生きていけないだろうとエルナは思う。 そんなエルナの心を知ってか知らずか、ソアはとんでもないことを言った。 「それは困ったな。一年後どうなっているかなんて、約束は出来ない」 さっきまであんなに甘いもので満たされていたのに、エルナの心は瞬時に苦いものでいっぱいになってしまった。 「そんな……」 口ごもるエルナに、ソアは小さく微笑むと彼女の頬に口づけた。 「一年後の空を、楽しみにしていて下さい。何色に輝くかを」 その空の色はソアが作る。 答えを待って眠るのは不安だが、きっと空は黄金に輝くはず。エルナはそう思いながら誓った。 「黄金に輝く空を夢見て目覚めを待つわ」 次の日。 正午より眠りの儀式が始まった。 しかし、眠りの儀式は、儀式と呼ぶには簡単すぎるものだった。 王の間にて王と王妃におやすみの挨拶を。そして先祖がまつられている霊廟にも目覚めまでの守護をと、祈りを捧げる。 そして、城で一番高い塔に次女達を連れて最上階の、あの伝説の部屋に入る。 部屋に足を踏み入れたとたん、エルナは感嘆のため息をついた。 中央にある真新しい天蓋付きベッドのまわりにはたくさんの花が飾られ、普段は使われることのない石造りの部屋は花の香りに満ちていた。 日没と同時にこのベッドに横たわれば、たちまち一年の眠りにつく。その間、次女達は灯りと花を絶やさないようにしてくれる。外には衛兵が一年間ずっと付いていてくれる。 外にいる衛兵がソアだったらいいのに、と、エルナは今でも思う。 実は一ヶ月ほど前に「衛兵となって私を守って」と、頼んでみたのだが、 「自分には向いてませんよ。それにまだ研究したいことがありますから」 と、笑顔で断られた。その時エルナは怒りのあまりソアの背中に思いきりケリを入れてしまった。あれはやりすぎたと思う。 だからソアは別れ際に「約束は出来ない」などと意地悪を言ったのだろうと、エルナはため息をついた。 「あの……エルナ様?」 侍女のサラに声を掛けられて、はっとした。眉間にしわが刻まれたまま眠るなんていけない。と、エルナは両手で顔を覆い、必死に笑顔を作った。 「大丈夫よ。サラ」 窓からは西日が差してきている。 「私、そろそろ横になります」 日没と同時に呪いは発動するらしい。呪いが発動すれば、意識を無くす。何代か前の王女は倒れた際怪我をしたらしい。それを防止するため、王妃に日が暮れる前に横になるようにと言われていた。 侍女のサラは、決意に充ちた茶色の瞳で、 「エルナ様のことはなにがあっても私たちが守ります! ですから、ご安心下さい」 と、言った。その力の入れように、エルナは頼もしく思った。 「ありがとう。お願いね」 サラに笑顔を向けると、天蓋をめくり、ベッドに横たわる。 と、どっとまぶたが重くなってきた。呪いが発動したのだろうか、と、エルナは思う間もなく眠りについた。 ……そして、一年後。 エルナはゆっくりと覚醒した。 最初に気が付いたのは花の香りだった。 眠ったときと同じ状況だ。本当に一年経ったのかしら、と、思いながらゆっくりを目を開ける。と、ぼんやりと薄暗い中、侍女達の歓声が聞こえた。 「お目覚めだわ!」 「王様に報告を!」 「ああ、エルナ様。無事にお目覚めされ、ようございました。私たち本当に時が止まってしまったご様子に、このまま目を覚まされないような気がして、何度も頬をつねってしまいましたのよ」 仲良しの侍女、サラが冗談めかして言ったのだが、その目の端には涙が浮かんでいた。 「サラ、泣いているの?」 「い、いえ。うれし泣きでございます」 目頭を押さえて涙をぬぐう侍女達に、エルナは笑顔で答えた。 「本当に一年、たったの?」 「ええ。さあさあ、外をご覧ください。ソア様がご苦労なさって作られた花火が上がりましてよ」 苦労、と、聞いてエルナは胸騒ぎを覚えた。まさか、と、エルナは窓の外を見た。後ろからサラの涙声が聞こえる。 「本当にご苦労なさって。完成されたのは最近のことなんですよ。あの色。本当に美しくて……」 そのとき、窓の外が、青く、光った。 『心変わりをしてしまったら、青い花火を』 そう望んだのはエルナだった。 きっとソアは伝説の王子のように心変わりをしてしまったのだ。 だから、誰も見たことがない青い花火を作ったのだ。苦労して自分との約束を果たすために。なら、自分も当から飛び降りなくてはならないではないか。と、エルナは咄嗟に窓から身を乗り出そうとした。が、そこに眠る前にはなかった鉄格子がはめてあることに気が付いた。多分ソアの指示だろう。あの時『飛び降りるかも知れない』と言ったから、前もって鉄格子を嵌めたのだ。悔しさに唇を噛みしめ目を伏せようとした瞬間、窓の外が金色に輝いていることに気が付いた。後ろから、うっとりとしたサラの声が聞こえた。 「ワタクシ、青から金色に変化する花火なんて、始めてみましたわ。あれが本当の黄金の色なのでしょうね。ソア様はやはり天才ですわ」 窓の外はまばゆい黄金に輝き、エルナの顔を照らした。彼女はくるりときびすを返すと部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。 一刻も早くソアに会いたい。 会ってこの花火がどういう意味を持つのか、聞き出したい。 しかし、やっと三分の一降りたところで、侍女を連れた王妃に出会ってしまった。 王妃は歓喜の涙を流しながら彼女を抱きしめると、頬擦りをした。 「エルナ、目が覚めたのね! ああ、あなたに会いたかったわ。さあ、あなたの婚約者を連れてきたのよ。ご挨拶を」 その一言にエルナはぞっとした。母の選んだ相手などにかまっている暇はない。一刻も早くソアに会わなくては! 「お母様。私、彼に会いたいの。そこをどいてください」 エルナの剣幕に困惑する母を先頭とする一行の後ろから、聞き慣れた声が、した。 「僕をおいてどこに行かれるのですか? 王女様」 エルナははっとした。 間違いなくその声は自分の思い人。 「……ソ、ア?」 母の侍女達の影から出てきたのは間違いなく、ソアだった。 ただし、いつもの王立研究所の服装ではなく、白と金を基調としたこの国の正装で。 「うそ……でも、花火が……」 狼狽えるエルナに、ソアはにっこりと笑った。 「青い花火。あなたの一言に刺激されました。なかなかいい色でしょう?」 たしかにあの青は綺麗だ。 真夏の青すぎる空のような、深い泉の底のような、神秘的な青。 「だって、心変わり……」 そう。心変わりをしたら青い花火を、という約束だったはずだ。そう問いただしたかったのだが、それより先にソアがその句を継いだ。 「しましたよ。研究を生涯の伴侶にと思っていたのですが、あなたのほうが大切だと、この一年思い知らされました」 そう言うと、ソアはエルナの前に進み出ると手を取り、小さくキスをした。 「それなら何故サラにそう伝えてくれなかったの? 青い花火が上がったときの私の気持ち、判る?」 「ちょっと驚かせたかったものですから」 「充分驚いたわよ。飛び降りたくなるくらいに。大体、なんで鉄格子なんて」 「あなたはこらえ性がないですから、僕の説明を聞く前に飛び降りるなんて騒ぎになると思いまして、前もって策を打たせていただきました。それに、あの青は私の一番好きな色なんですよ。なにせ、あなたの瞳と同じ色ですから」 ……完敗だ。 そう、ソアのこういうところも好きなのだから仕方がない。 「王女様。私と結婚してくださいますか?」 階段の途中で手を差し伸べるソアに、エルナは小さく笑った。 「エルナと呼んでくれるなら」 いつでも彼は自分のことを王女としか呼んでくれなかった。これからもそんな風に呼ばれるなんて嫌だ。と、思っていると、いとも簡単にソアは名前を呼んだ。 「エルナ。愛してます」 彼がささやく愛の言葉と自分の名前に、エルナは頬を赤く染め、一段下がるとソアの手を取り、 「私もよ。ソア」 お互いの唇を寄せた。 その時、こほん、と、小さな咳払いが聞こえた。唇を話してそちらを見ると、王妃と侍女が優しく微笑んでいた。 「その……そろそろいいかしら? 結婚式を始めても」 王妃の言葉に二人はばつが悪そうに顔を見合わせ、微笑んだ。 「ええ。もちろん!」 end |
| 某所で「花火」を題材に かかせて頂きました |