<小さなおうち>
桜が舞う。 冷たいコンクリートの舞台には、誰も、いない。 俺はどこかほっとしながら、コンクリート造りのベンチに腰を下ろした。 見渡すと、桜がちらちらと一年前に連れて行ってくれているようで。 それがなんだかくすぐったくてビールのプルトップに手をかけた。 一年前 新入社員歓迎会というのは、新入社員である俺たちのためにあると思うけど、実際のところ楽しく飲んでいるのは上の人たちだけで、新入社員の俺は緊張でがちがちに凍り付いていた。だから、部長のスーツにビールをこぼしてしまったんだと思う。 どうしようどうしようと思っているうちに、まわりの女子社員の皆さんがおしぼりをかき集め、部長も笑いながら汚れを取った。パニクる頭で平謝りに謝ると、 「大丈夫だよ。それより楽しんでいるようでよかったよかった」 と、寛大に許してくれた。その懐の深さにほっとしつつ、愛想笑いで「すみません」と答える。 こんなことが毎日続くんだ……と思ったら、なんだか泣けてしまった。 二次会、三次会の間もがっつり落ち込んでいたら、終電にも見放されて、俺は一人5つ駅向こうまで歩いて帰らなくてはならなかった。 タクシーは使えない。財布の中は千円札一枚ぽっきりだ。 心地よい酔いも2つ目の駅をすぎた当たりでどうも冷めてしまった。でもここで冷めるのももったいないと思う夜だった。この界隈には桜の木が多いらしくて、どこへ行っても桜、桜のオンパレード。ちらちらと舞う桜の花びらに、俺は少し気持ちが浮上してきたようで。 明日休みということもあり、ならば桜を肴にもう一度飲み直そうと三つ目の駅にあるコンビニでビールを買って、電車から見かけた桜がきれいな公園に行ってみることにした。 まわりを桜でぐるりと囲まれた公園は、滑り台やジャングルジムやブランコが並び、その反対には小さな舞台、その前に石造りのベンチが並んでいた。なにか催し物とかがあるとあそこでなにかをするんだろう。 じゃあそこで飲むのも一興かなぁなんて思っていたら……向こうの街灯からのびる光に、ふわりと影が映った。 なんだろう……。 そう思って目をこらす。 と、小さな舞台の上で、女の人がくるくるとまわっていた。たまたまチャンネルを回しているうちに映ったバレエと同じような動き。きっとバレエやってる人……バレリーナっての? まだ寒いしこんな夜更けにやらなくてもいいのに。でも、昼間だとみんな見てるから、ちょっと恥ずかしいかもしれない。 そう思いながら、桜舞い散る中、一人舞う彼女に目を奪われ続けた。 しばらく立っていたが少々疲れて、ベンチに腰をおろす。それは絶妙に冷えていて、酔った体にひんやりここちよかった。 ビールを飲みながら、彼女を見る。これがホントの花見……なんてな。 でもそいつが空になっても、彼女は踊るのをやめなかった。 時計を見たら2時を回っている。後二駅、歩いて帰らなくてはならない。そろそろ潮時だと、席を立った。でも……ずっと見続けていた彼女に何も声をかけないというのも失礼な気がした。いいものを見せてくれたんだからやっぱりそれなりに……。だから、 「ちょっと待ってて」 と、彼女に声をかけて、思い切り笑顔で手を振った。 「え?」 彼女は動きを止めてこちらを見た。 「すぐに来るから!」 それからダッシュ! さっきのコンビニに戻って、俺は温かいお茶を二つ買った。甘い菓子もだ。 桜の木の下をくぐり舞台を見ると、彼女はまだ踊っていた。 でもさっきまでの激しい動きではなく、ストレッチのように体を伸ばす程度だった。そして俺を見て、恭しく礼をした。体勢を立て直してもう一度。 礼が終わると彼女は顔を上げて、にっこりと笑った。 「お客さんがいるなんて、思わなかった」 ビニール袋の中からお茶を出すと、彼女に渡す。 「これ、どうぞ」 「あったかい」 うれしそうな顔に、俺も笑って返す。 「俺も、こんなところで踊ってる人がいるなんて思わなかった」 「桜がね、すごくきれいで、踊りたくなったの」 お茶のキャップをはずして、一口二口と飲む彼女に、俺も笑った。 「ああ、わかるわかる」 そうだよ。去年までの俺なら、こんなところにいなくて、大学の連中と朝まで桜をつまみに飲んでいたはずなんだ。桜を見たら飲まなくちゃ、って。 でも今年は違う。失敗続きの後悔続き。こんなことなら、もっと大学でバイトとかしておくんだった。 「ところでさ、どうしてこんな夜に踊ってたの? 桜がきれいってのもわかるんだけど」 そう言うと、彼女は困った顔をした。 「あ、べつに、言いたくなければ言わなくていいから、……ごめん」 謝ると、彼女はしばらく黙って、公園の隅に植わっている桜に目を細めた。 「そうじゃなくてね。夢がね、この桜みたいにぱあって散っちゃったから!」 きゅっと、お茶のキャップを元に戻すと、彼女は舞台に上がり、まっすぐに立った。そして、それはきれいな姿勢で細い手足を広げて、一礼した。 「私ね、バレエの先生になるのが小さい頃からの夢だったの。仲間と相談して教室を開こうってことになってね。やっとその目星がついたのに、両親が家に帰ってきなさいって。お爺ちゃんがもう長くないし、お嫁にも行かなくちゃいけないって」 ゆっくりと、そう言って右手を上に伸ばす。天に伸びる指先に、月が留まったようだった。 「由緒正しい末次家の娘がこんなところで踊ってるって知れたらすごい騒ぎになるわ」 くすくすと楽しそうに踊る彼女に、俺はため息しか返せなかった。 「でも、夢があるっていいよ」 「叶わない夢なんて、ない方がいいと思うんだけどね」 そう言ってまた踊り出した彼女に、俺は心の底からわき出る怒りを感じていた。 「そんなの、贅沢だ。夢があるだけましじゃないか。俺は夢なんて持ったことがない。大学でも就職しても、ぜんぜん先が見えてこない」 お先真っ暗…… そう思っていると、彼女はその場でくるっと回って一礼した。 「先が見えないなんてことないよ。今は見えているでしょう? 桜が」 「それが何?」 何が言いたいんだ? 「来年もあなたは桜を見るでしょう?」 「たぶん」 そう言いながら彼女は細い足を高く上げておろすのと同時にぐっと体を反らせた。その弓なりのきれいな体にしばし見とれていると、またまっすぐに立ってまっすぐ俺を見た。 「ほら見えてるじゃない。私も来年の今頃、きっとあなたと同じように桜を見るわ。夢を諦めた日のことを忘れられないだろうから、今夜のことも忘れないと思う。でも絶対、その頃には違う形で夢を叶える方法を考えているわ。未来は不幸ばかりじゃない。そう信じたいの」 俺は今、そういうのが信じられない。 桜は散る。 夢のような光景を作った花も、いずれ散って、地面に散らばる。 そうしか思えない。 「わかった。じゃあ、こうしましょう。来年の今日、この時間にここで会いましょう。その時に私が幸せになっていたら、私の勝ち。盛大におごって貰うわ」 「え!?」 「わかった? じゃあ、ゆびきりげんまん!」 そうして彼女は俺の方に来ると、がっつり手首をつかんで、無理矢理指切りをさせられてしまった。 「嘘付いたら、針千本だからね!」 笑顔の彼女に、俺は愛想笑いをし…… そして、一年後の今日。 こういうことをするのはどうしようもないバカだと思いつつ、真夜中の公園で桜を愛でながら飲んでいる。 一年前の約束を思い出したのは、先日、桜が咲き始めたときだった。 「嘘付いたら……か」 変な約束だったがそれを破るのも心苦しくて。 すると、 「こんばんは」 あたりまえのように、桜舞う夜に、彼女はやってきた。 俺は夢でも見ているのかと言葉もなく見とれていたが、目の前で立ち止まった彼女に、ようやく返事をすることが出来た。 「ああ、こんばんは」 「約束、守ってくれてありがとう」 そう言って、彼女はにっこり笑って、ポケットから名刺入れを出して、一枚俺に渡した。 そこには、 末次バレエ教室主催 末次曜子 と書かれていた。 「夢、かなえちゃった。あなたと話してから猛然とやる気が出て、親の頼みも蹴飛ばしてがむしゃらに働いたわ」 彼女の声が耳に遠かった。その名刺がようやく本物だと悟ると、腹の底から笑えてきて困ってしまった。 「さあ、盛大におごって貰お……うかと思ったけど、その代わりに一つ約束してほしいの」 そう言われて俺は観念した。それどころか、なんでも言ってほしいと思った。こんなことが、……夢を叶える人がこんなに身近にいたなんて。 「はいはい、で?」 「来年の今日、この時間にまた会わない?」 意外だった。 「どうして?」 すると彼女は俺の顔をまじまじと見て苦笑した。 「どう考えても幸せそうな顔じゃないもん」 「悪かったな。たしかに夢は探せなかった」 痛いところをついてくる。 「だから! 来年の今日、あなたが幸せになっていたら、盛大に奢っちゃう! 目標があると張り合いが出るでしょ?」 その勝ち気な姿に、俺は笑った。 変わってない。あの夜のままだ。 いやもっとパワーアップしたかも知れない。 負けてられないなぁ……と思っていると、彼女は俺の手を取って、にっこりと笑った。 「祈ってるわ。あなたが幸せでありますように」 桜は散る。 でも、来年も同じように咲くだろう。 それを当たり前のように眺めるだろう。 来年の今日 桜舞い散る中、俺は幸せで…… ……ありますように。 おしまい |
| 某所お題バトルにて書かせて頂きました。 テーマ「花」 お題「見る」「爺(老人)あるいは婆」「舞台」「夢」「散る」 |