http://www.patentsalon.com/topics/sco_unix/index.html
(上記は、パテントサロンのリンク集へのリンク)
この事件は、LinuxのソースコードにUNIXのコードが含まれているので著作権侵害に当たると、著作権者を称するSCOがアナウンスしている事件である。 Linuxは言うまでもなくオープンソース型の開発の代表例なのだが、このタイプの開発手法の最大の弱点である、「だれかが著作物をコピペすると、ソースコードはたぶんそのまま二次著作物になってしまう」というのが現実化したようにも見える。
しかしながら、著作権法は米国と日本ではその内容が大きく異なっていることと、国情の違いもあって、この事件については日本的に考えるとあまりにも???の部分が多いように思う。 少なくとも、本稿の初稿の段階(である03/06/19時点で、下記の3点についての言及はされていないように思える。 今回はこれを列挙してみたい(本項は、後でどんどん書き足していく予定である。 実は本稿、書こう書こうと思っていたのだが、僕がなかなか時間がとれない状況下にあるので、思い切ってドラフトレベルでアップすることにしてみる。 だから大訂正も当然に入り得ることは、予め記しておく)。
(1) 本当に著作性がある部分なの?
著作物の定義では、その創作性が要件となっているので、たとえソースコードがコピペされていたとしても、例えばそれが「機能的な部分のみのソース」・「既に創作性のない部分のソースのみ」であったら、当然に創作性は無い。 従って、この場合は、たとえソースコードが含まれていても、著作権侵害は発生しない。 そして、ソフトウェアは当然に「機能の固まり」であるから、そのような部分を注意深く取り去る作業が必要なのだが、それが為された形跡は、今のところ無いように思えてならない。
(2) 侵害が止まれば、良いじゃん?
SCOは「該当するソースコードを開示すると、すぐに手を入れられて変更されてしまう」と言っているようだが、しかし、「侵害が止まればそれで良いいのでは?」と反論をしたくなる。 要するに、SCOのやっていることは、日本的に考えると「善意の使用者がどんどん侵害をしていくような、そのような法的に不安定な位置にあることを望んで行っている」ということになり、これは自ら予防措置(即ち自らの知的財産を守る行為)をとらなかったという面で、争いになったときには明らかに「裁判官の心証を害する」行為をしているように思える。 要するに、排他権によって、そのコピーを自分だけが行えるようにすることだけが法の保護であり、またそれ以上の事をの法は予定しているとも思えない。 日本でこのようなことをやったら、勝てるものも勝てなくなるように思えてならない。
但し、米国著作権法は、荒く言ってしまえば「著作権をコントロールする会社の利益保護」みたいな面があるようなので、これは米国的感覚とはかなり異なっているのかもしれない。
(3) これで負けたらどうするの?
SCOのアナウンスの内容が、あまりにも他社の実施を牽制しようとするものとなっている。 ところが、日本的に考えると、負けたときの不正競争防止法2条1項14号が動き出す、と言う問題があり、これほどあからさまに言うことは、実務上先ずは不可能、という感覚になってしまう。
以上、303/06/19記す
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