進歩性≠発明が進歩していること(天声人語)(03/01/13・03/03/30加筆)

 ことの起こりは、02年11月17日付の天声人語である(これはネット上に無いようなので、Googleの「天声人語 進歩性」という検索結果にリンクしておく)。
 この記事、おかしい。 はっきり言って、特許の素人が「進歩性」という言葉を勝手に解釈して書いている。
 しかも、朝日新聞・天声人語という非常に影響力の強い媒体でこんな嘘を書くのは、まずい。
 そのように考えていたら、竹田和彦弁理士が、見事な批判をしている(特許ニュース・02/12/25号)。 この新聞は、全くの業界紙なので、こんな啓蒙的な良い記事でも一般の方々の目には触れないのだなぁ、と思っていた。 でも、我が友、村山弁理士のHPで紹介もしているし、ここでも触れない訳にはいかない (しかし、この記事、正式にアップしてもらえないのかなぁ・・・・ 著作権侵害はできないので、気になった方は、図書館にでも行って読んでください)。 
 要するに、竹田弁理士の記載を引用すれば、「天声人語子は「進歩性とは技術的進歩を必要とする要件である」と思いこんだところに大きな誤りがある」ということである。

 だるぺん、この天声人語を読んで「あぁ、編集委員が、特許法を勉強もせず、ヘンリー幸田氏の少数説のみを聞きかじり、また「特許取得のハードルが低いとプロパテントになって、結論として産業の振興を図ることができる」というわかりやすい、しかし間違った説のみに基づいて書いているなぁ」と思っていた。 ここで、前半は、要するに「誤認」である。 後半は「保護に値しない発明に特許権という排他権を与えると、陳腐な発明の自由実施が妨げられ、産業活動は不当拘束を受けることとなり、結局は技術進歩の阻害となりかねない」とする旨の昭和35年の「工業所有権制度改正審議会答申説明書」の記載そのものが理由となる。 要するに「間違い」である。

 昭和35年頃からわかっていた理を無視して、たった今、自分が見つけたような議論をすることについて、何か天声人語子に益になることはあったのだろうか?

03/03/30加筆
 先日、このページを読んでくださった竹田和彦弁理士が、「いろいろの方に論議してほしい」という趣旨で、上記の特許ニュースの記事について掲載の許可を出してくださいました。 このような許可を頂けるというのは望外・幸甚なことであり、またネット上ではこの記事の適法な公開はこれが初めてのようであり(03/03/30時点でgoogleで検索できない)、非常に光栄にも感じています。これについて竹田弁理士に、非常に深く感謝致します。 また、代表的な基本書(当然にだるぺんも使っている)を著されているような方(これも又、本当は心から「先生」とお呼びしたいところなのだが、「先生」というのは業界の外の方には見苦しい場合が多いと認識しており、また相対敬語の考え方にも反していると思うので、本HPの雑記帳以外で自ら課している規範に従わせて頂く)から、若輩者に対して非常に丁寧なご連絡を頂けたことにも感激しています。
 なお、記事の内容をできるだけ再現することとしましたので、例えば「拙著「特許の知識」」等の、だるぺんが自発的に書くのならば全く不適切な文言が出てきます。これはそのような事情からご容赦を頂きたく。
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特許要件としての進歩性(創作の困難性)について
-天声人語の進歩性の論議に関連して-
日本化薬(株)相談役 弁理士 竹田和彦

1. 天声人語が提起した問題
 平成14年11月17日付の朝日新聞の天声人語が進歩性などの特許要件をとりあげた記事が、あちこちで話題になった。 私は、その内容に誤りが多く、読者に誤解を与えたのではないか、と危惧している。 その理由を以下に述べると共に関連する問題を考察してみたい。
 天声人語の言わんとするところを簡単に纏めるのは、なかなか難しいが、大凡次のように要約できるであろう。
(1) 日本で特許が認められるためには、新規性、有用性、進歩性の3つの要件を満たさなければならないが、進歩性の有無が特許をとれるかどうかの鍵を握る

(2) ところが、「発明にとって重要なのは進歩性があるかどうかではない」として日本の審査方針に異議が唱えられている。
(3) 各国の特許法を見ると、我が国の「進歩性」にあたるのは「その分野の専門家にとって自明ではない」ことを指すから「意外性」に近く、「進歩性」は発明とは進歩と思いこんだための誤訳に近い。
(4) 「進歩性」は、明治期に先進国に追いつきたい思いこみからできたのかも知れないが、この言葉が特許の敷居を不当に高くしている。
(5) 特許が多くの人に使われるためには進歩へのこだわりと捨てて有用性を第1に考える発想の転換が必要である。

2. 我が国の進歩性の要件は、技術的進歩を必要としていない。
 天声人語が特許要件として、新規性、有用性、進歩性の3つの条件をあげ、進歩性の有無が重要である、としたこと自体には問題がない。
 しかし、我が国の進歩性は各国の特許法で定められた要件(天声人語子は「意外性」と呼ぶ)とは異なっていて、技術的進歩を必要とする要件であると思い込んだところに大きな誤りがある。
 もっとも、天声人語は、ヘンリー・幸田氏の説を引用したに過ぎないものかもしれないが、この説に同調することによって論旨を誤ることとなったといえよう。
 ヘンリー・幸田氏は、その著書において「日本の発明者は進歩性を強調する。 このため発明とは、進歩した技術であることを前提とする。 従来と同程度、あるいは退歩した技術は、特許の対象とはなり得ない。 米国ではどうだろうか。 実は米国の特許実務は、進歩性の概念が欠如している。 進歩している必要はない。 だから同程度あるいは退歩した技術であっても、公知技術との差異が認められれば特許の対象となる。」と述べて、我が国の進歩性の要件には技術的進歩が必要とされるが、これは不要な制限で、その点で米国の非自明生の要件と異なるとされている。(1)
 我が国の特許法は、第29条2項において特許出願前にその発明の属する技術分野における通常の知識を有する者が、公知公用、文献記載、インターネット公知等の発明に基づいて容易に発明することができたときは、その発明については特許を受けることができないとして進歩性の要件を定めているが、要件を充足するための技術的進歩が必要だとは示唆もされていない。
 また、審査実務に於ても、この要件をみたすために技術的進歩が必要だとの運用はなされていない。
 もちろん、請求項に係る発明が引用発明に比べて異質な効果、または同質であっても顕著な効果を示す場合、構成を比較すれば容易に想到できそうな場合であっても進歩性が認められる場合がありうるが、これは容易推考性の判断に当って技術上の効果が参酌されたものであって、技術的進歩が必要とされることとは異なる。(2)
 最新の平成12年12月制定の『審査基準(第3章新規性・進歩性)』は、進歩性の要件をみたすために技術的進歩が必要だなどとは全く述べられておらず、引用発明と比較した有利な効果が進歩性の存在を肯定的に推認するのに役立つ事実として参酌することがある、とするに止まる。
 さらに注目されることは、「請求項に係る発明が引用発明と比較した有利な効果を有していても、当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことが、十分に論理づけられたときは進歩性は否定される」(2.5論理づけの具体例)として進歩性の判断の中心はあくまで創作の困難性にあり技術的効果は間接事実であることが明記されている。
 また、この規定と同趣旨のことが平成6年制定の新規性・進歩性に関する『審査基準』にも記載されていることからみても、我が国の進歩性の要件を満たすために技術的進歩が必要とされることがなかったことが明らかである。
 以上のことから、我が国の進歩性は、米国特許法のnon-obvious subject matter(103条)、欧州特許条約(EPC)のinventive step(56条)、特許協力条約のinventive step(33条(3))等と類似の概念であり(3)、本質的な相違はない、といえるから、ひとり我が国の進歩性のみが技術的進歩を必要とする特殊な要件を採用しているかのような論旨は誤りであると思う。

3. 我が国の「進歩性」はinventive stepの訳語に由来する。
 天声人語子が、我が国の進歩性の要件に技術的進歩が必要であると誤解したのは進歩性という名称にある、と思われる。
 発明の進歩性という用語が使われ始めたのは明治期ではなく昭和34年の現行法の制定の当時からである。 昭和34年法は大正10年法(旧法)が、通常の人が思いつくような発明を「発明を構成しない」として拒絶してきた運用を改め、その発明の属する技術分野の当業者が公知の発明に基いて容易に発明することができたときは、その発明は進歩性がないとする29条2項の規定を設けた。
 この発明の成立要件から進歩性という特許要件への移行は、運用上すでに行われたことを明文化したものともいえるが、この規定を基にして審査レベルの向上を図ろうとの意図があったとみられている。(4)
 この法改正の検討の過程で参考にした英国特許法のinventive step(14条1項7号)が進歩性と訳されたため29条2項の要件を実務でも学界でも進歩性と呼ぶようになった。 inventive stepを発明的飛躍、意外性、非自明性、独創的ステップとでも訳しておけば、上記のような誤解はおきなかったであろう。 翻訳おそるべしである。 私は、誤解をさけるため、進歩性の次にカッコして創作の困難性と説明を加えることにしている。

4. 特許にするために技術的進歩を要求する国はない。
 過去にはドイツで特許にするため技術的進歩を必要とした時代があった。 すなわち、発明の成立要件として技術の豊富化を意味する技術的進歩性(technisher Fortschritt)と発明者の創造的精神活動を伴った発明のみに特許を与えるための要件である高度性(Erfindungshoehe)の二つの要件があったが、1978年欧州特許条約(EPC)との調和をはかるため技術的進歩は廃止され、inventive stepに相当する高度性のみとなった。(5) かくして現在、ドイツでは特許を与えるために技術的進歩は必要とされていない。
 ドイツの、この旧制度における審査は複雑で、例えば、触媒についての出願に対して、収率は従来の触媒と比較すると大差がないので進歩性が無く、触媒の構成は単純だから高度性がない、といった拒絶の指令が出されていた。
 米国に於ける非自明性の判断に於ては、先行技術を超える効果(advantage over prior art)、あるいは先行技術より優れていること(better than prior art)が必要だとの論議や判決があったことはあるが、現在では、かかる論は、根拠のない見解とされている。(6) また、EPCでも技術的進歩は「進歩性」の要件ではない。(7)
 以上のように、特許付与のために技術的進歩を必要とする国はなく、我が国でも同様である。 進歩性を論ずるに当っては、これらを正しく理解してからにして欲しいものである。

5. 特許の敷居は不当に高いか
 天声人語は、我が国の進歩性の要件が技術的進歩を必要としているという誤った前提にたって、これが特許の敷居を不当に高くしている、という結論をみちびいている。 その言わんとするところは、我が国の進歩性のレベルが高いため発明者が特許の取得を妨げられ、特許が多くの人に使われなくなっている、という点にあるようである。
 しかし、我が国の進歩性の審査レベルは果たして高すぎるのであろうか。 進歩性のレベルが高いか低いかは簡単には決めがたい問題であるが、私の耳に入ってくるのは、進歩性を厳しくみているという批判よりも、審査官は新規性しか見てくれない、進歩性を審査していないとする不満である。
 ここ約20年間、我が国の特許行政は膨大な数の特許出願の処理に追われ続けてきた。 日米構造協議などにより審査期間の短縮が至上命令とされ審査がやや粗雑になったことは否めないように思える。 短時間に審査の結論を出さなければならないとすれば、審査が甘くなるのは避けられない。 出願を拒絶するためには、その証拠や理由を示さなければならないし、出願人の執拗な意見に反論しなければならないが、特許にするのには、その必要がないからである。 審査の質とスピードは両立するという意見もあるが、審査や出願の実務を経験したことのない人の机上の空論であると思う。
 特許庁によると日本の特許庁審査官1人当りの年間最終処分担当件数は182.6件という恐るべき数である。 これに対して米国は81.2件、欧州(EPO)は33.0件である(2002年版『特許庁年報』)。 「我が国特許庁は、三極特許庁の中でも最も高い効率性を有している」などと言っている場合ではないのではあるまいか。 せめて米国並みにして余裕をもって適正な審査が出来るような環境をつくることが急務である。
 渡部温氏は、機械分野等の審決取消訴訟のうち、進歩性の問われたケースの分析を続け労作を発表されているが、平成12年に言渡しのあった特許関係の審決取消訴訟については、結論として、特許庁が進歩性無しとして訴訟に進んだケースの大半は東京高裁の支持を得ているのに対して、特許庁が進歩性有りとして訴訟になったケースの6割は東京高裁で取消されており、東京高裁の方が特許庁よりも進歩性に辛い傾向が続いていると総括されている。(8)
 言うまでもないことであるが、進歩性のレベルは高ければよい、というものではない。 適切なレベルでなければならないが、現行の法制度の下では東京高裁の審査レベルが基準とされるべきであろう。 その意味で、特許庁の進歩性の判断が甘すぎるという審査に対する批判はあたっている。
 平成12年に特許庁審判部は、事件が裁判に係属した場合においても、判決で取消されることのないことが社会的に要請されているとして、進歩性の判断において留意すべきポイントをまとめた『判決からみた進歩性の判断』(発明協会刊)と題する分析を発表したが、進歩性のレベルを適切にするための努力の一端を示すものであろう。 また、前述した平成12年の『審査基準』は進歩性のレベルが低すぎるという産業界の意見を考慮した上での改訂だと説明されている。
 以上のように、進歩性のレベルを適正にあげるための努力がなされているのが現実であるから、進歩性のレベルが高いため特許の敷居が高いという天声人語の見方は真摯な努力に逆行するものといわざるを得ない。
 進歩性の審査のレベルは低すぎてはならない。 昭和34年法の改正に当って出された『工業所有権制度改正審議会答申説明書』は、40年も前のものであるが、進歩性を特許要件に加えたことに関連して次のように正しくその理由を述べている。
 「審査基準が特許制度の運用上極めて重要な意義を有するものであることは、今更多言を要しないであろうが、とりわけ審査基準が低下した場合が問題である。 すなわち審査基準が低いときは、特許発明の質的な低下をきたし、保護に価しないようなものにまで独占権を与えることになる。 そのため産業活動は不当な拘束をうけることになり、また基礎的な発明の保護のためには非実用的な発明について防衛的出願をしなければならないことにもなる。 このようなことになると本来社会の技術進歩のための制度である特許制度が技術進歩の阻害のための制度となりかねないのである。」(9)
 天声人語は、強力なオピニオン・リーダーである。 実情をよく把握し、正確な知識に基いて知的財産関係に発言し世人を啓蒙されるように願ってやまない。
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(注)
1. ヘンリー・幸田『ビジネスモデル特許』P122。
 『知的財産権辞典』(三省堂)の「非自明性」の項もわが国の進歩性(特許29II)は、進歩を必要とする点で非自明性と異なるとする。 また、木村耕太郎『判例で読む米国特許法』も、日本では『進歩性』の名が示すとおり、従来技術よりも優れた発明であって初めて進歩ある発明と一般に考えられている(P112)という。本分で述べたように、これらは「進歩性」というネーミングにより生じた誤解であろう。
2. 拙著『特許の知識」(第6版)P165以下参照。
3. 進歩性、non-obviousness、inventive stepが類似の概念だからといっても、判断の手法まで同じということはできない。 実体特許法条約(SPLT)第12条(3)[進歩的ステップ・非自明性]の検討に当り、EPOの課題解決アプローチ(Problem Solution Approach)や米国の2次的考案(Secondary Consideration)が議論されているのはそのことを示している。
4. 『工業所有権制度改正審議会答申説明書』P2, 織田季明『改正の要点』(昭和35年)P10 。
5. 松本重敏『特許発明の保護範囲』(新版)P108, Dr. V. Tetzner著・布井要太郎訳『西ドイツ特許制度の解説』P30参照。なおドイツ特許法1条及びEPC56条の発明的活動(erfinderischen Taetigkeit)は高度性を意味すると解されている。
6. Donald S. Chisum et al. Principles of Patent Law P530。
7. 『欧州特許庁審決の動向』P78。
8. 渡部温「最近の審決取消訴訟における進歩性判断の傾向(機械分野)」『パテント』55巻6号P25, 同「最近の審決取消訴訟における進歩性判断の傾向(特許、機械、日用品分野)」『パテント』53巻2号P106及び3号P77。
9. 注4 前掲答申説明書、P43。

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