お彼岸が過ぎたと思っているうちに、急に朝晩、肌寒ささえ感じる時候にさしかかってきました。
夜寝る時にもう一枚よけいに掛けたくなる温度、これまでは冷凍室の氷が欠かせなかったのに、もう製氷皿はあまり重要ではなくなる気配です。
ところで、今うちにはやかんがありません。暑い間は片手鍋でお湯を沸かしていました。さっと沸かしてぱっと土瓶や急須に注いでいました。それが太陽の通り道がだいぶ低くなって、影がこんなふうに映るようになってくると、鉄瓶のことを思うようになります。
鉄瓶はガスにかけてボッと強火でお湯を沸かすものではないので、暑い季節にはあまり向いていませんでした。弱火でゆっくりと沸騰させるやり方は、やはり秋から冬ならでは、、?です。
そろそろ火鉢に火をいれて鉄瓶をかけてみたいような、、
まだそんなに寒いわけではないんですけど、新しい季節の到来を心待ちにするとでもいうような気持ちから。
実際は夏が去ってどんどん日が短くなって、さびしいかぎりなのに、それはそれでまた楽しいような気持ちがするものです。
鉄瓶はご覧の通り、あられ模様の普通のものです。けっこうあられが丹念に作られた品だと思って使っています。鉄瓶にもピンからキリまであるとか。使ったあとは残った水分を飛ばすようにしています。
また、この鉄瓶の良いところは、蓋のはまり方を工夫して作ってあって、直角くらいまで傾けても蓋は落ちません。つるは熱くならず、素手で持つことができます。
今使っている手あぶり火鉢にはちょっと大きすぎるので、今年、小ぶりの鉄瓶を買おうかとも考えています。小さくて普通の形で、きりっと締まった良い鉄瓶(?)があったら、、
じっくり沸かしたお湯でゆっくりとコーヒーを淹れて飲むのは夜長の季節の大きな楽しみ。
今までは、ちょっと動くと体も顔も汗でいっぱいになっていたのが、九月も二十日になってぐんと爽やかな空気に入れ替わりました。日中でもひんやりした風が、キンモクセイの香りとともに吹き渡ってきます。もう蒸し蒸しの暑さもおしまいに近づきました。
日の当たる角度がだいぶ斜めになって、夏の間は塀全体に太陽がカンカン照りに照りつけていた場所にも、だんだんと蔭の部分が増えてきました。やがてもっと傾いてきて、冬へと移っていくんだなー、という実感を思い出します。
上の写真の彼岸花が土から顔を出したのはきょうです。昨日の朝はなかったんですから。
地球が温暖化しても空気が汚れても、とうとう車版シックハウスとかいうニュースが報道されるようにまでなっても、彼岸花はこの時季を識別しているんですね。人間ってなんだろう。
うちの庭の薮周辺に咲いていた雑草たち。
私も季節の到来とともに、気持ちを少しだけ新しくして、冷蔵庫内の掃除と、かつおぶし削りの刃の調整をしました。
(なんてまたささやかな、、)
かつおぶし削りは、ここ数年来使っていたのですが、最近、刃の出方が変わってしまったせいか、よく削れなくなってつい億劫になり、使わなくなりつつありました。どうしたらいいのかわからない、、と放ってあったのを、「つまり刃を出せばいいんだろう」と、金づちでカンカンカン、とたたいたら、快調に削れるように。
こんな簡単なのだったら早くすればよかったんだけど。
こんな小さなことで、「なんとなく面倒で」「なんだかよくわからないから、、」とそのままになっていることが日常いっぱいあります。腰を上げればすっきりするのにね、、越えられない壁、っていうのも大げさだけど、日常の澱。年齢とともにたまる一方っていう気もします。学校に行ってたころのように1学期2学期という区切りもないし、だれも咎める人もいないし。
反省しきりになっているとき、ちょうど折よく(?)、濡れ縁から猫が飛び込んでくる。勢いよく走り込んでくるのでこっちも走って追っかけて行ってつかまえる。
暑さ寒さも彼岸まで。めっきり虫の音の繁くなった昨今、ネコも季節を共有しています。
一日なんてこんなふうにして過ぎてゆきます。一日にできることはほんのちょっと。昔はもっと少なかったかもしれない。電気製品やパソコンもなかったころには。それに人の寿命も短かった。できることが「多い少ない」とは計り難い。現代に、パソコンでこなして量的に多いのと、むかし、筆で書いて量的に少ないのとでは比べられない。、、このあたりで私の思考は止まってしまうのですが、能率第一で疾走するのには不賛成、という方向をとろうという意志は決まっています。
この間の冬は火鉢を使いました。
火鉢そのものは前に古道具屋さんで買って持っていたのですが、
なにしろ子どものころにも使っていた経験が全然ないので
炭や火の扱いに自信がなく、
灰を入れて香炉がわりにするくらいにしか
生かしていませんでした。
でも、この家に引っ越してみたらなんだか使えそうな、、
ぜひ使いたい気がしてきたのです。
すると不思議と使い方を教えてくれるというお方(お店)と出会い、
習いに行ってきました!
その結果がこの通り。赤々と燃える炭、、、
ストーブをつけるほどではないけれど
ちょっと火の気があるとほんわかあったまる、
という日は、火鉢のぬくもりがぴったりです。
炭の微かな匂いと、時折聞こえるパチパチという音。 何かしている手を休めて 「火が弱まったかな」と思い顔を近付けて、フーッと吹いてやる、、 燃えて白くなったところを火箸で落としてやる、新しい炭をついでやる、 という世話がいるところも気持ちが和みます。 火箸で炭をいじったりするのはなぜか楽しいものです。
使い方を教わったときのことやら道具のことやらを
今度書きたいと思います。
なにしろHTML文字のお勉強から始めたもので、なにやかやとこのホームページを公開 にこぎつけるまでに季節は廻って夏になってしまい、はなはだ季節はずれの話題で恐縮で す。
少しずつ灯りも好きなものに変えたいと思い、玄関の三畳の間の灯りを変えました。
これは以前に「いつか使えたら」と思い、古道具屋さんで気に入ったのを買って持っていたもの。ずっとほこりをかぶったりしていたのですが、やっとこうして灯を入れることができました。
竹に雀の柄です。
この家は灯りをつける電源が昔のままで、(あるお店の人によればうちで現役の電気プラグはすでにコレクター物になってるそうです)よく映画でアイロンの電源を灯りのところからとったりしているあれなので、かえってこのコンセントの差し込み口がついた古い笠がそのまま使えました。

庭は最初、ヤマゴボウやらの雑草が太い木のようになってはえている状態でした。真夏に引っ越して来て以来、暑くてしばらく庭に手をつけなかったのですが、涼しくなってきた頃にまずそれらの雑草を抜くことから始めました。
荒れ地を耕すっていう作業はなんとなく人にやる気を起こさせるという作用があるようです。ごく小さな庭なので一人でも手に追えるという見込みがついたのがよかったのかもしれません。スコップを買って来てとにかく土を掘り起こし、腐葉土などを入れて草木を植えられるようにすることを目指しました。だいたい抜いた様子がこんな感じでした。

スコップを使ったことがほとんどなかったので、いつもは使わない筋肉を使った感じで筋肉痛になりました。手のひらなんかにも力がはいっていたらしく、知らないうちに手のひらまで痛くなる始末。
それでもどうやら掘って掘って掘りまくる作業の末、、秋になって撫子やミソハギ、アスター、ほととぎすなどを植えたり、ユリやチューリップの球根を植えたりすることができました。
部屋に飾る花を庭から摘んで来られる環境ってやっぱりいいですね。私はもともと田舎の人間 のせいか、花を買って来て花瓶に挿すというのがどうも習慣になりにくく、花瓶は空いたまま、ということも多かったのだ。恥ずかしい、、 だから、おもに切り花を買ってやがて枯れたら捨てるフラワーアレンジ方面より、根っこがついていて時季が済んだら養生にまわし再び季節が巡ってきたら登場させられる盆栽のほうが私には向いていそうだなー、なんて思っています。

今はちょっと自制しているのですが(着物など買いすぎて箪笥にはいらなくなった)、ちょっと前まで骨董市によく行っていました。
都内のいろんな所に行きましたが地域的になんとなく富岡八幡が最も私の肌にあっていたような気がします。ま、いろんなデパートや屋内の催し物にも行ったりしていましたが。
古本やお芝居で味わう空気の中にあった物、その世の中を生きた人たちが家に置いて身近に使っていたもの、という郷愁を抱かせてくれるものが好きです。
写真は帯と古布です。
上のピンク色の帯は絽で、とても派手に見えますが締めると案外おさまりがよく、地味な着物に華やぎを与えます。黒っぽい着物にも白っぽい着物にも締められて調法です。
下の二つのきれは縮緬です。丁寧な仕事で古風な雰囲気を醸し出している断片です。こんな布の襦袢や着物を着ていた人たちって、どんな日常を送っていたんでしょうか。
新派のお芝居で樋口一葉の「十三夜」というのがありますが、あの中のおせきの父親のせりふに、「世の中で奥様と立てられる人は多くいるが、その人たちでだれひとり毎日をおもしろおかしく暮らしている人はいやしない。」というようなのがあったのを記憶していますが、こんな縮緬を身につけていた人たちも、きっとそれぞれの悩み苦しみがあったろうな、、と思います。今なら、そんなのいやだから違う道を選択する!で済む場合でも、昔は世間が許さないなんていって耐えてたんですから。
古布を見て、ただ「きれい」と思って憧れる気持ちだけではなくなり、今より制限の多い世の中に生きた人たちの悩みなんか考えたりする年齢になってきたということを痛感します。
「世間はさまざまだなー」というせりふも別のお芝居にあったなー。お芝居は人生経験を積むといっそう味がわかるようになる。単にお芝居の見過ぎ、古本の読み過ぎだろう! という気もしますね。
布は額に入れたりして使っていますが、いつか表装なんかしてもらうといいかも、などと考えています。
小さな庭があるので、わからないながらいろんな草木を買って来て育てています。
そうしてかわるがわる家の中に入れて飾るのも楽しみのひとつ。
床の間をはじめ、茶の間の本箱の上、玄関の3畳の箱の上、玄関の上がり框、などがおもな植物置き場となってます。
きのうは竹とアジアンタムを玄関に置きました。
ただ並べてるだけでぜんぜんアレンジとかバランスとかが感じられないけれど、瑞々しい緑が茂っている空間に、涼しい風が渡って葉が揺れていることに満足したのでした。障子と竹って相性がいいです、やはり。

竹は「朱竹」という、幹の赤いもの。縁起物として人気が高いそうで、私もあやかりたくて購入!買った直後、葉がみんな枯れてきたので、「あー枯れちゃうのかなー」と、心配したら、その後次々にあたらしい緑の葉が出て茂ってきました。ちょうどそういう時期だったのか、それとも環境が変わったせいか、、?青い焼き物の鉢が好きで多く使っています。

7月31日、最初の夕顔が咲きました。朝顔もさわやかでいいけれど夕顔もまた、白い色が夏の夕方の空気を涼しく清浄にするようでいいですね。
庶民の家の垣根に、人々が縁台で夕涼みする横には必ず夕顔が咲いている、というイメージがあります。そういえば夕顔は茅屋の軒やあばらやに咲いていると歳時記にも書いてあります。
普通の人の生活の声を昔から傍らで聞いてきた花、なんですね。歳時記を開いたのでついでに
夕顔や白き鶏垣根より 其角
夕顔やすなほに出来し今日の髪 茅花女
夕顔や床几の上の渋団扇 きみゑ
なんだかちょっと前まであったけど今は失われた空気がそこに蘇ってくるような句がそろっています。夕顔を植えてよかった。
夕方帰宅したときすぐに見えるように玄関の脇に植えましたが、来年は座敷からも見えるようにおもてにも植えようかと考えています。そうすれば闇に浮かぶ白い花を見ながら夕飯のお膳に向かうことができますから、、
夕飯のお膳に向かう、で思い出しましたが、こういう平家の家の良いところのひとつに、座敷にいると通りがかりのネコが横目で挨拶して通っていく、、なんてのもありますよね。こちらも「やあっ。今日はどおだったー??」なんてのどかな気分になります。
生け花の素養がまったくないのですが、部屋にその季節らしい彩りを添えたいという気持ちだけあります。
小さな枝を切って来て花瓶や、お菓子のはいっていたきれいなビンやらに生けたり、鉢ものを自分なりに合うと思う場所に置いたりして、何日かごとに変化をつけています。
左はつい先日、水引きの穂が出ているのを発見して切って来たもの。水引きの穂が今ごろの時期に出ることは庭にあって初めて気付きました。遠くからでは赤い色は見えないくらい小さいのですが、部屋に入れて間近く眺めると、この控えめな美しさになんともいえず共感したくなる。
なにか一緒に入れて雰囲気のいいものはないかと見回して、撫子と笹を入れました。この日は35度もある蒸し暑い日でしたが、この草花の回りだけは涼風がふくようなすがすがしさ。
中はおなじみ、ギボウシ。あまりの元気のよさに庭から株分けして鉢に上げたもの。放っておいても形良く葉っぱを見せてくれるので不思議なくらい。斑入りがまたゆかしく涼しげ。
横に置いた箱は、「のり焙り」の箱。昭和の前半くらいまでは旅館などで普通に使っていたらしきもの。箱の中にろうそくか何かで火を入れて上の網にのりを載せて焙ったもの、、らしい。私は使っていたところは知らない、、露天の市で売っていたおじさんも知らず、「虫籠かなー」なんて言っていました。切り込みを入れて竹に雀やら瓢箪やらを四面に型どってあります。どんな人が作ったのか考えるだけで想像の海に乗り出してゆけます。指物師のような人なのか、こういう小物専門の職人さんがいたのか、、。だいたいこういう木の細工物は好きで、見かけると興味津々です。
右はこれもおなじみアイビー。樹形がのびやかでよかったので鉢に入れて部屋に置いてます。夏らしく団扇をバックに。
季節が遡りますが、濃いピンクの菊やシクラメンの時季もありましたので、ついでに!


水鉢を置いてホテイアオイを入れるところまでは到達していたんですが、
そこにメダカを入れるところになかなか踏み切れずにいました。(ちょっと大げさ?)
おもな理由は、猫がいることと、蚊が多くなるんじゃないかと思ったこと。
この度、この理由は杞憂に過ぎないことがだいたいわかったのでメダカを迎えることにしました。水草があればメダカは隠れることができるし、蚊はメダカがいたほうがボウフラを食べてくれるので減るのでした。メダカを入れたあと暫く観察していると、さっそくどんどんと食べてくれててやがて蚊がいなくなるんじゃないか??と、とっても頼もしく感じました。メダカのいない水鉢を置いてるのが最も悪い状態ですね。おバカでした。
ホテイアオイは本当は外来種だそうで、できれば在来の水草を入れたいけれど、一番よく売っていて見慣れているのがホテイアオイなもので、まず入れてしまいました。
メダカが元気に泳ぎ回っているのを眺めるのは、動物園のサル山とまでいかなくても、なかなか楽しいものです。トンボや野鳥も来る豊かな庭に成長させたいと思っています。
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