豊岡水害記


2004年10月20日(水)日本列島を縦断した超大型の台風23号は秋雨前線の影響もあって大量の雨を降らせ、兵庫県豊岡市は市街地の大半が水没してしまいました。
当日から数日間豊岡で僕が体験した事をまとめてみました。


2004年10月20日(水)

この日は通常どおり会社で勤務していました。
前日から台風が接近するのがわかっていたので、「あぁまたか、今年は多いよなぁ」くらいの気持ちで、管理する他の店と連絡をとりながら持って来た小型テレビで天気予報を見たりしていました。
昼過ぎから雨風とも激しくなり、勤務している会社の直営店の閉店を店長と検討し始めました。
14時頃から店の駐車場が一部冠水し始め、15時の閉店を決めました。
閉店作業終了後、従業員を社用車で送り店に帰りました。
もうこの頃には風雨がかなり激しく、傘もさせないほどでした。
店の駐車場の冠水はますますひどくなり、店の横の道路は通行困難なほど冠水していました

私と店長は17時半頃に店を脱出しました。
歩くのも困難なほどの強烈な暴風雨でした。

家に帰って普通に食事を取りました。
まだこの時には普通の台風くらいにしかおもっていませんでした。
17時頃には市内を流れる大きな川、円山川の水位は警戒水位を超えていて非難警告が出たそうですが気づきませんでした。
21時頃になってテレビで豊岡市街地が冠水し始めている映像が流れて初めて危険が迫っていることを知りました。
外に出てみると、表の国道から住んでいるアパートへ入る脇道は既に冠水して通行できない状態でした。
アパートの裏側はまだ冠水していなかったので安心していましたが・・・・
1階に住んでいるので2階に避難するわけにもいきません。
とりあえず部屋にある物でめぼしいものは高い位置に移動させましたが、部屋の中で高い場所も限られているので限界がありました。
みるみる水はアパートの敷地まで入ってきて、床下まで浸水し始めました。
隣の人と一緒に腰まで水につかりながら脱出しました。
車を脱出させることは既に無理でした。


この川から溢れた水が僕のアパートに流れ込みました。
この川の右側100メートルが僕のアパートです。
しかしこの川の左側には水は流れませんでした。


すぐ近く(100メートルくらい)に住んでいる店長に連絡を取りました。
彼も全く水害にには気づいていませんでした。
彼の家の東側にある小さな川も溢れる寸前でした。
実は僕のアパートに流れ込んだ水はこの川からの水でした。
店長のアパートの方には流れず、全て僕のアパートの方へ流れ込んだみたいです。
結局彼のアパートは最後まで浸水を免れました。
一緒に避難所である高台にある中学校の体育館に避難しました。
すでにたくさんの人が非難していました。
しかし体育館は寒かったので店長の車で過ごすことにしました。
22時くらいには円山川の堤防が決壊し、市内のほとんどが水没したようです。


2004年10月21日(木曜日)

朝になっても水は引きませんでした。
神戸新聞のHPによると市街地ほぼ全域が水没していたそうです。
どの道も冠水していて、私たちは半径500メートルくらいの地域に閉じ込められてしまいました。
JRの線路を歩いて豊岡駅方面へ行く人が見えましたが、私たちは線路まで行くこともできませんでした。
幸い冠水していないスーパーが1軒あり、朝7時から従業員2人だけで営業を始めました。
すぐに食料を買いました。
このスーパーのおかげで2日間食料の心配をせずにすみました。
近くの吉野家は停電していたのですが、店頭で豚丼弁当の販売を始めました。
冷蔵庫がストップしたため、ストックしている材料を売り切ろうということのようです。
昼過ぎには売切れてしまいました。

昼過ぎに高台にある避難所に行ってみました。
勤務地のあたりが見渡せました。

画像中央辺りが全て水没してしまっています。
結局この日は水が全く引かず、そのまま車の中で過ごしました。
時々道が通れるかどうか見に行きましたが、冠水したままで通行できませんでした。
スーパーでは弁当・惣菜類は既に売られていませんでしたが、パン・ソーセージ・お菓子などが売られていました。
朝から晩までずっと2人の従業員で頑張っておられます。頭が下がります。


2004年10月22日(金)

未明から徐々に水が引き始めました。
朝、膝まで水につかりながらアパートに行ってみると、見事に床上浸水でした。
まだ何もできない状態だったのでとりあえず様子だけみて車に帰りました。
道路の水も引き始め、孤立状態からは抜け出せました。
とりあえず車で勤務地に近づいてみることにしました。
JRの高架下はまだ全然水が引かないので、駅前から迂回することにしました。
まだまだ冠水している箇所が多く、かなり迂回をしなければなりませんでした。
途中円山川の堤防を通りましたが、水位はかなり下がっていました。
勤務地側の堤防は決壊しなかったのですが、川の水は堤防を越えて溢れ出したようです。
やっと勤務地の近くまで行くことができましたが、まだ回りは冠水していて入ることはできませんでした。

駅前に戻り、この日のホテルを予約しました。
最初に行った2軒のホテルは営業停止でしたが、なんとか駅前通りのホテルを予約できました。

昼過ぎになってかなり水が引き、アパートに戻りました。
部屋の中は泥水が残っていました。
とりあえず洗車用のワイパーとホースを買ってきて、泥水をかき出しました。
床上20センチくらい浸水していたようで、かなりの物がダメになりました。


ピグノーズがぁ・・奥のMorris S-1も


ギブソンB-25もボディが水につかりました。


セミアコ3本、フルアコ2本は押入れの棚でギリギリ難を逃れました

車もシートの上まで浸水しており、ドアとボンネットを開けて乾かしましたが、エンジンはかかりません。
大量のゴミを捨てました。
通りにはゴミが山のように積まれています。
市の回収・処理能力をはるかに超えたゴミが発生し、いつ回収されるのか全くわかりません。

夜になって店長にホテルまで送ってもらいました。
駅前の王将で2人で食事をしました。
久しぶりの暖かい食事で、今までで一番美味しい王将の餃子でした(笑

ホテルに入って3日ぶりの入浴のはずでしたが、バスタブ半分くらいで湯が出なくなりました。
眠かったので体を洗うのは明朝にしようと思い、とりあえず湯につかるだけにして寝ました。
しかし、翌朝になっても湯は出ず、結局風呂には入れませんでした。
町じゅうで大量の水を使っているので、断続的に断水していてホテルのタンクに水が溜まらないのだそうです。


土日の2日間もずっと家の掃除、ゴミ出しです・・・
車も整備工場にレッカー車で引き取ってもらいました。
直すのにも20万30万じゃ直らないとのことなので、廃車にしてもらおうと思います。


振り返ってみればいろいろと後悔はあります。
予想もできない水害でした。
まさか自分の家が水没するなんて・・・
情報が入らず、気がついたときには逃げるしかありませんでした。
もう少し早く気づけば車も家財道具ももっと助かっていたはずです。
やはり普段から備えが必要ですね。
貴重な体験でした。