「思いの欠片」後編

 

そして《夜会》当日、厳十郎は眼の前に置かれた衣装に呆気に取られていた。

「・・・坊ちゃま、これを私に着ろとおっしゃるので?」

「うむ、言い忘れていたが今回は仮面舞踏会と言うより仮装パーティでな。それぞれに衣装を贈ってあるのだ」

阿門はサラリと言うが、それにしても少々奇妙な衣装だった。胸を広めに作って堂々とした形に仕上がったピンストライプのスーツに糊の効いた白のワイシャツ、細めのタイにボルサリーノの帽子。とどめに太いシガーの入った銀ケースにコートときては、まるでローリング’60(鮮血の60年代)のアメリカギャングだ。これでドラム弾倉のトンプソン機関銃でも持てば完璧に違いない。ちなみに阿門はフランス皇帝ナポレオンで、日頃威風堂々としているだけに全く違和感が無かったりする。

「しかしこれはいささか・・・」

「ん? 俺が選んだのだが、何か問題でもあるのか?」

「いえ、そんな・・・」

そこまで言われては断りきれず諦めて袖を通す。すると外でザワザワと複数の人の声が聞こえた。どうやら客が到着したらしい。

「さて、行くか厳十郎」

「・・・はい・・・」

玄関に向かうと皆様々な仮装に身を包んでいる。カウボーイハットに“ファラオの鞭”でロックフォードの格好をした九龍を先頭に、“日本刀”を腰に差した柳生十兵衛の真里野、“玉串”を持った巫女姿の白岐(まんまやん)、弓の代わりに“ボウガン”を担いだウィリアム・テルの神鳳、フルプレートアーマーに“メイス”片手の夕薙、黒コートに“イカしたグラス”でマトリックスの甲太郎etc・・・。

最後に“八卦碑”を胸にぶら下げた女道士姿の瑞麗と雛川が一緒に現れたのだが、その姿を見た途端、厳十郎の心にある種の感情が湧き上がった。

それを言葉で表現するなら追憶・思慕・感傷といったところだろうか。雛川の姿は白い古風な洋装のドレス、デザインは“エレガント”というより“ハイカラ”と表現するのがピッタリだろう。そして手元には華奢な日傘とハイネの詩集、更に高く結い上げた髪は“琥珀の髪留め”で留められていた。その姿はさながら夏目漱石の名作“坊ちゃん”のマドンナといった風だ。

しかし厳十郎にとってはまるでその当時にタイムスリップした様な衝撃だった。封印した筈の過去、ずっと片想いだった憧れの女性。しかし彼女は欧州へ招かれ、そのまま還らぬ人となった筈。それが当時のままの姿で突然に現れたのだ。

(楓さん!?)

厳十郎は思わずその場に立ち竦んでしまう。

「―――すか?」

「・・・え?」

「マスター、大丈夫ですか?」

我を取り戻した厳十郎が声の方を見ると、雛川が顔を覗き込んでいる。周囲の人達も心配そうに囲んでいた。

「大丈夫か厳十郎。もし具合でも悪いなら・・・」

「―――大丈夫です坊ちゃん! 多少驚いただけで・・・」

「何にだ?」

「い! いえ何でもありません!!」

阿門が訝しげに首を傾げると厳十郎は慌てて誤魔化す。結局聞きだすことは出来ず、そのまま全員広間に移動した。

 

「おお! すげ―――!!」

「美味しそ―――――!!」

皿には山海の珍味・・・ではなく各自の好物が山盛りになっている。全員が堅苦しいテーブルマナーの苦手な若者なのでバイキング形式がとられた。皆リラックスした雰囲気で談笑しているが、会話の中心になっているのはやはり九龍と阿門だ。その様子を厳十郎は壁際で静かに眺めていた。

(坊ちゃんが御学友とにこやかに談笑される日が来るとは・・・。旦那様、奥様、見えますか? 坊ちゃんはまた一段と大きく成長されましたぞ・・・)

当人は感慨久しくしているが、周囲で配膳やセッティングを行なっている他の召使達は気が気ではなかった。普段自分達の指揮を執っている厳十郎をもてなすというのは想像を超えるプレッシャーで、自分達の一挙手一投足が観察・採点されているような気がする。

(勘弁してください―――――ッッ!!)

召使全員が心中で絶叫、胃薬の世話になったのは言うまでもない。

厳十郎はそんな部下達の苦労にも気付かずにいたが、手に持っていた皿が空になったのに気付くと周囲を見回す。テーブルに寿司があったのでそれを取ろうとすると、傍らから伸びてきた白いレースの手袋に包まれた繊手が厳十郎の皿に取り分ける。

「あ・・・」

「どうぞ、マスター」

白いドレスに身を包んだ雛川がニッコリと微笑んでいる。その笑顔を見て厳十郎は心臓の鼓動が1オクターブ跳ね上がった。

(やはり似ている・・・)

凝固していると雛川が先程と同じ様に心配そうに見つめている。それに気付いた厳十郎が慌てて取り繕うが、阿門と九龍はそれを見逃さなかった。

(・・・頃合いだな)

(そろそろいいんじゃねーの?)

主が手を挙げて合図すると、召使達が会場のセッティング変更に取り掛かった。それを確認した阿門・九龍・瑞麗はニンマリと笑う。

(さて、メインイベントの始まりだ)

厳十郎と雛川は客間の片隅で談笑を続けている。もっとも厳十郎は雛川の姿に気を取られそうになる自分を制御するのに必死だった。

「よろしいのですか? 話に加わらずに・・・」

「ええ、こんな華やかな席は苦手です。それにあの子達も同世代の方が気楽でしょうし」

「そういえば瑞麗先生は如何されました?」

雛川が無言で指差す先を見ると、瑞麗は手酌でグビグビと紹興酒を煽りご満悦の様子だ。その様子に2人は思わずため息をつく。

「・・・あれでは仕方ありませんな。しかし雛川先生、そのドレス姿は一体?」

「阿門君がこのパーティの衣装だといって送ってきたんです。そういうマスターこそその格好は?」

「私も坊ちゃまが選んでくれたものでして・・・」

まるでゴッド・ファーザーかアンタッチャブルそのままの様な衣装にお互い苦笑を浮かべる。

「小道具は瑞麗先生が見立ててくれたんです」

「ほほう、その髪留めもですか?」

「いえ、これは九龍君に贈られたのですけど何か特別なものを感じて・・・」

「それを見せて頂けませんか?」

髪留めを手渡してもらうと厳十郎はそれをじっくりと観察する。間違いない、これはあの女性(ひと)のお気に入りだった思い出の品だ。それが何故葉佩九龍の手に渡り、彼女に生き写しの雛川亜柚子の髪に納まっているのか? 厳十郎は戸惑いを隠せなかった。

その困惑の様子を見ている九龍達3人は、それぞれが持ち寄った情報を照合していた事を思い出す。それは千貫厳十郎のルーツといっていい事柄だった。

 

まずは九龍がレポートを読み上げる。

「まずは髪留めの由来だが、やっぱ日本人がらみらしいぜ。なんでも現王の2〜3代前に家庭教師として住み込んでいた日本人女性で、彼女はそのまま現地で亡くなって家族同様の扱いで埋葬されたそうだ。例のブツは当時教え子だった皇太子の祖母が形見として貰ったらしいが・・・、奴さんもそれ以上は知らないとさ」

「その女性の名前は?」

阿門が問いかけるが、今度は瑞麗が自分の情報を公開する。

「その女性についてはこちら(M+M)にデータがあったよ。名は“久島 楓(くじま かえで)”」

それを聞いた阿門は納得した風に頷いた。

「久島・・・、それならこっちの調査にも名前があったな」

「やっぱヒナ先生の関係者か?」

「うむ、しかし先生のを先にお願いできますか?」

「そうだな。彼女は当時としては珍しくかなりの高学歴の持ち主で、高額の報酬で王室付きの家庭教師として渡欧したらしい。もっとも高額の報酬には訳があったがね」

『?』

意味有り気な言葉に九龍と阿門は身を乗り出す。瑞麗は笑みを消して沈痛な表情で、

「就職というより完全な移住、いや、終身禁固といったほうが相応しいかもしれないな。帰国は許されないし、外出は必ず誰かが同伴しなくてはならない。その上出歩ける範囲も定められていた。手紙以外の外部とのやり取りは禁止、勿論内容は検閲だ。ここまで来ると就職というより、もはや身売りだな」

ガタンッッ!!

「ふざけるな! 何だよそりゃあ!!」

「落ち着け!」

「・・・悪ィ」

あまりに酷い条件に思わず激昂する九龍を今度は阿門が推し留めた。昇った血の気を無理矢理に抑えて椅子に戻ったのを確認すると、瑞麗は再び説明を続ける。

「機密保持の為だよ。家庭教師というのは教えている相手の相談も受けてしまうものだ。家族で一緒に食事中に親が愚痴をこぼしてしまう事など珍しくあるまい? 普通の家族ならいざしらず、国家元首が政治問題で悩んでいるのを子供が聞いてしまい、それを家庭教師に相談してしまう、しかもそれが外部に漏洩でもしたら・・・どうなると思う? それにセキュリティの問題もある。王族の趣味・嗜好・行動パターンを知っている人間は、反対派やテロリストにとって格好の情報源だからな」

「高額の報酬は口封じと危険の対価ってか? でもよ、それだけの人なら国内に幾らでも働き口があったんじゃねえの? 例えば女学校の教師とか」

「残念ながらこっちでは渡欧してからの情報しかないな。どうやらその辺は会長が確認済みの様だが?」

話題を振られると最後に阿門がレポート用紙の内容を読み上げる。

「まずは件の女性と雛川先生との関係だが、葉佩の予想通り血縁関係があった。とはいっても傍系だがな」

「傍系?」

「うむ、雛川先生の祖母・萩絵の姉だ」

「へー、やっぱしビンゴか。んで、何でまたそんな俊才が海外へ身売りまがいの永久就職なんざする羽目になったんだ?」

九龍の問いに阿門は何とも言えない顔をする。

「・・・はっきり言ってしまえば金銭の為だ。当時女性が身売りするとして、その理由は何だと思う?」

「―――家族の困窮、か?」

「その通りだ。元々彼女はお前の言うとおり東京の女学校の教師だった。実家は地方の名家だったらしいのだが、投資に失敗したうえに彼女の妹、つまり雛川先生の祖母が結核に感染、莫大な治療費が必要だったらしい」

その言葉に瑞麗が頷く。

「成る程、結核といえば当時の死病の代表だったからな。ペニシリンなど一般市民に手が届く代物ではなかった。サナトリウムでの長期療養にしろ、ペニシリンを輸入して投与するにしろ、女学校の教諭の給金程度で賄える代物では無かった筈だ」

「その通り。話が来た際に、彼女は二度と日本の地を踏めないに等しい先程の条件を呑む代償として、妹へ最先端治療と薬品の供給を実行させたという次第だ」

「その結果妹は助かって雛川家に嫁ぎ、ヒナ先生に至るってワケか。それじゃとっつぁんはその久島さんに如何関わるんだ?」

「実家に帰ってきた彼女は、暫くの間近所の家の子供達を集めて塾のようなものを開いていたらしい。その中の“千波喜三郎(せんば きさぶろう)”という少年が特に彼女になついていたそうだ」

「それが幼少の頃の千貫老人だったという訳か?」

「はい。千波少年は久島女史の元で学んでいた子供達の中でガキ大将というか、まとめ役の様な存在だったらしいですね。女史も弟同然に可愛がっていて、まるで実の姉弟の様だったそうです」

関係者から当時の様子を聞いた阿門は感慨深げに頭を振る。それだけ懐いていた姉同然の憧れの女性が永久に姿を消すというのは、少年にとって世界の崩壊に等しい出来事だったに違いない。

「久島女史が欧州へ出立して数日の間、千波少年は抜け殻同然だったらしい。家族もずいぶん心配したが、元に戻ってから少しして彼は失踪してしまった。そしてその後は・・・」

口篭る阿門の言葉を九龍が引き継ぐ。

「・・・お定まりの転落人生ってワケか。しかし千波ボーヤにとってラッキーだったのは生き延びる才能と運に恵まれてた事、そして経験を血肉にして自分を研ぎすますだけの知性を持ち合わせていた事だな」

言ってから九龍は苦虫を噛み潰した様な表情になる。その知性を千波少年は姉同然の久島女史から授かっていたのだ。あまりといえばあまりの皮肉に、その場に居た3人は何も言えなくなってしまう。すると瑞麗が沈鬱な雰囲気を振り払おうと、

「ああそうだ。久島女史の写真があるのだが、見るかね?」

差し出されたプリントアウトを渡りに船、とばかりに阿門と九龍は覗き込む。

「これは・・・」

「オイオイ、凄ぇなこりゃ」

それは古い銀塩写真を取り込んだらしく、かなり粒子は粗かったものの人物の顔を識別するのに不自由は無かった。国王と思しき人物を中心に王妃と数人の子供達がソファに座っていて、その背後に明らかに日本人とわかるドレス姿の女性が静謐な笑みをたたえて佇んでいる。どうやら王室の記念撮影らしいが、こうして同席しているところをみると本当の家族同然に受け入れられていたらしい。

しかしそんな仲睦ましい様子など2人の目には映らなかった。彼らの目線は背後の日本人女性・久島 楓の顔に釘付けになっている。それもそのはず、そこに写っていた日本人は九龍の担任教師・雛川亜柚子その人ではないか。

「悪戯写真・・・、じゃねえよな?」

九龍の問いかけに瑞麗は煙管を五指の間でクルクルとバトンの様に回しながら、

「私もそれを見たときは驚いたよ。しかしまぎれもなくそれは久島女史本人だ。ほら、隅に年号と日付が入っているだろう?」

確かに写真の左隅に“11th.Oct.19XX”と年号と日付が入っている。日付と人物の周囲を注視してみるがコラージュされた痕跡は見受けられなかった。こういったアナログ写真は意外と情報量が多く、下手にいじろうとすると思いも寄らない部分でボロが出る。天下の〈M+M〉機関なら遥かに高等な偽装も可能だろうが、この程度の情報にそこまで手をかける理由は無い。この写真は本物と判断して差し支えないだろう。

 

「―――さて、これでとっつぁんがヒナ先生に驚いた理由が判った。で? お前さん一体何を贈る心算だ?」

「・・・そうだな、それが本来の目的だった」

少しして九龍が沈黙を破る。そう、それこそが天香學園・裏の三大巨頭が一堂に会した理由だった。問われた阿門は深呼吸一つで思考を現実に切り替える。

感傷は感傷、現実は現実。その辺の線引きと切替をスパッとしている。傍から見れば冷酷かもしれないが、そうしなくては己が命に関わる世界に生きてきた男だ。そして九龍や瑞麗も同じ世界の住人だからこそ、その態度を平然と受け入れていた。

「髪留めを贈るというのはこの際却下だな。まさか雛川先生に『赫々云々の理由で髪留めを返してください』とは言えんだろう」

「まーな。かと言ってヒナ先生ごと贈るなんて出来るワケねーし・・・、どーしよ?」

首を捻る九龍に瑞麗がピクリと反応する。

「一寸待った龍、今何と言った?」

「何って・・・、“ヒナ先生ごと贈るなんて出来るワケねーし”ですか?」

「それだ!!」

「は!?」

九龍は思わずポカンとしてしまうが、阿門が慌てて口を挟む。

「瑞麗先生、人身売買は《生徒会》としても些か問題が・・・」

「人聞きの悪い事を言うな。私が言いたいのは雛川先生の協力を仰いで、千貫老人に懐旧の時を過ごしてもらおうという意味だ」

「な〜る、『思い出よワンスモア(Once More:もう一度)』って趣向か」

「確かに、モノを贈るだけがプレゼントではないしな。では雛川先生に事情を説明して協力を・・・」

「ちょい待ち、そう急ぎなさんなって」

善は急げ、とばかりに立ち上がる阿門を九龍が制止した。表情からすると何か思いついたらしく、それに気付いた瑞麗は阿門に再び席につくよう促す。

「さて、何を思いついたか聞かせてもらえるかな?」

「ま、アイデアって程じゃねーけどよ。もう一回《夜会》を開いてみねーか? 内輪で楽しむ為とか言って」

「《夜会》をか?」

「それにとっつぁんや髪留めつけたヒナ先生にも参加してもらって“久島女史の思い出との優雅な一時”ってのはどーだ?」

「ほう・・・」

「それはいいかもしれないな」

九龍のアイデアに2人は興味を示す。確かにこれなら周囲の雰囲気を作るにはもってこいの手段だ。

「それともう1つ、下手に第三者に事情話したら態度でとっつぁんに何かあるって感づかれちまう。プレゼントってのは当人にバレちゃ意味がねーからよ、あの人の観察眼が並じゃねーって言ったのはルイ先生だぜ?」

「そうなると雛川先生だけではなく、他の招待客にも事情は説明しない方がいいか」

「確かに、計画を隠密裏に進めるなら知っている者は少ない方が良いでしょう」

そして3人はその場で計画の概要を組み立てるが、何も知らない雛川が髪留めをつけても不自然でない状況を作り、なおかつ千貫老人の郷愁に訴えかけようと考えた結果、衣装もセッティングしようと仮装パーティに決定。そして計画通りに《夜会》を開催、今に至るという寸法だ。

 

「あれ? テーブル片付けてしまうでしゅか? ボクまだ全部食べてないでしゅよ」

召使達によってテーブルが移動されるのを見てハート(北斗の拳)の格好をした肥後が不満の声を上げる。それに対してホストである阿門はやんわりと、

「いや、隅に寄せるだけで皿をさげてしまう訳ではないから、安心してくれ」

「一体何をする気だ?」

「《夜会》には舞踏が付き物だろう? 何、ワルツやフォックストロットといった格式ばったものではない」

主の合図で部屋の隅にセットされたスピーカーからスウィングジャズの定番、グレン・ミラーのナンバーが響き渡る。

「ほう、一昔前のダンスホールといった感じだな」

「阿門さんにしては珍しいチョイスじゃないんスか? ま、確かにいいシュミだってのは認めますけど」

普段の阿門とは一味違った選曲に皆から感嘆の声が上がった。若者にソシアル・ダンスでは肩が凝るだけ、かといってディスコナンバーでは阿門邸の雰囲気ぶち壊しだ。お堅いイメージのあるこの男にしては珍しく気が利いている。

「さあ、踊るも休むも各自に任せる。自由にやってくれ」

『おお!!』

歓声と共に全員パートナーを見つけて踊り始めた。あぶれた者もリズムに乗せてソロでステップを踏んでいる。壁際で一人佇んでジュースのグラスを傾けている九龍に八千穂が声をかけた。

「九チャンどうしたの? 一緒に踊ろうよ」

「悪ィ、踊りてーのはヤマヤマだけどよ、足をやっちまってな。ほれ、見ろよコレ」

苦笑いしつつズボンを持ち上げると、足首が包帯で固定されている。八千穂もそれを見ると残念そうに一人で踊りの中に戻っていった。それを見送りつつ心中で詫びる九龍に、同じく壁の花を気取っていた瑞麗がさり気無く近づいてきた。

(うまく誤魔化したな)

(そりゃルイ先生がキッチリ巻いてくれましたから)

(まあな。・・・しかし誰も私に声をかけないとはどういう事だ?)

さっきからカモフラージュを説明している九龍とは違い、瑞麗には最初から誰も声をかけてこない。それを聞くと九龍は吹き出しそうになるのを必死で我慢しつつ、

(そりゃあれだけ飲んでりゃ引きますって)

(そんなに酒臭いかな?)

(千鳥足ならともかく、酔った勢いの震脚で足踏み抜かれたくねーからでしょ)

彼女のアクティヴ・スキル《螺旋掌》は発剄の一種だ。踏込みの震脚でパワーを乗せるのは基本中の基本で、その踏力は瑞麗程の達人ならトン単位に及ぶ。もし酔っ払った状態で手加減無しに踏まれたら・・・。

(ほお・・・)

ドズンッッ!!

(―――ッ!)

足の甲を踏み抜かれて九龍は悶絶する。この女性は結構過激なタイプで、つい先日年齢の事をからかわれた意趣返しに、擦り傷にオキシドールではなく老酒をぶっかけたりした事もあった

「そういえば会長は?」

「・・・・・・」

無言で指差す先を見てみると、阿門は“薔薇の花”を髪に差しカルメンの衣装に身を包んだ双樹と踊っていた。どうやら九龍や瑞麗と同じ様に逃げようとしたが失敗したらしい。他にもルイス・キャロルのアリスの格好をしたリカ(←違和感無さ過ぎ)とシンドバッドのトトが踊っていたりする。

しかしその中でも一際目立っているのは厳十郎と雛川のペアだ。レトロなドレスとギャングスタイルのスーツ姿は、誂えた様にジャズナンバーに合っている。暫くは他の面々も踊っていたのだが貫禄負けしたのか三々五々壁際に退き、広間の中心は2人の独壇場になっていた。

最初、雛川は足取りも覚束無かったのだが、少しすると人が変わったかの様に玄人はだしの動きをするようになった。クイックからスローへ、また逆へ。ステップ、ターン全てが完璧にシンクロしている。そのまま教本に載せても差し支えない動きに全員の視線が集中する。

(凄いな・・・)

(ああ、でもヒナ先生ってあそこまで踊れたか?)

(当人は運痴(運動オンチの略)だと言っていたぞ?)

状況を仕組んだ3人も呆気に取られていた。鍛え上げた厳十郎ならともかく、全く運動に縁の無い(とはいえ《チョーク投げ》で化人を撃ち抜く程度はやってのけるのだが・・・)雛川があそこまで動けるとは信じられない。

(楓さん・・・)

しかし踊っている当の厳十郎は全く気にしていなかった。いや、周囲の状況が全く目に入っていないと言って良い。例え他人の空似とはいえかつての憧れの女性と、当時のダンスホールを髣髴とさせる音楽と衣装で踊るという心地良い懐旧の温泉に肩までどっぷりと浸っていたのだ。

全員がその一挙手一投足に注目している中、神鳳が異変に気付く。見事なダンスを注視していると、雛川の姿が二重写しに見えてきたのだ。

(うん?)

気のせいかと思ったのだが、目の錯覚ではない。周囲を見回すが、他に気付いた者はいないらしかった。自分だけに視える、つまりこれは霊的現象という意味だ。そう確信すると密やかな足取りで九龍達へ近づき、小声で報告する。

(阿門様、雛川先生に何かしらの霊が憑依しています)

(何ィ!?)

(悪霊の類かな?)

(そこまでは・・・)

(ここが何処か忘れたのか? 悪意を持った霊なら屋敷の結界に阻まれる筈だぞ)

(そりゃそーだ。んじゃ一体どうやって?)

古来《遺跡》を守護してきた《墓守》阿門家には当然ながら敵も多く、屋敷には対人・魔・霊の様々な警戒装置が設置されている。特に重視されている対霊障壁は、同じ新宿にある某産婦人科病院に匹敵する代物だ。

(考えられるのは、何がしかの品物に封印されていたのが屋敷内で開放された場合ですか)

(成る程な。しかしその憑依した霊は何をするつもりだ? 見たところ千貫老人とダンスを楽しんでいるだけだが?)

そう、見たところ雛川先生を操っている霊は何もする様子がない。ただ楽しそうに踊っているだけだ。

(確かに、踊っているだけなんですよ。邪気の類は全く感じませんし・・・。代わりに暖かい気配を感じます)

(暖かい?)

(ええ、優しさや慈しみといった慈愛、そして成長を喜ぶ歓喜の気配。まるで我が子を優しく見守る母親のような・・・)

神鳳の感想を聞いた3人は『まさか』といった表情で顔を見合わせる。厳十郎に対してそういった感情を向ける相手に心当たりがあった。元々その人物への思い出をプレゼントする為にこの宴を用意したのだ。でもまさか・・・、

(神鳳、その霊の気配はヒナ先生のどの辺にある?)

(そうですね。頭・・・? いや、後頭部のあたりですか)

(・・・間違いねぇな)

(雛川先生に憑依しているのは間違いなく “彼女”だ)

「龍さん、阿門様も一体何の話をしてるのです?」

自分達だけで納得している3人を見て神鳳は珍しく声を荒げる。阿門の腹心と自他共に認められているこの男にすれば、自分抜きで何かしらの計画が行われているのは我慢できない事なのだろう。

「ああ、実は・・・」

『キャアア―――――ッッ!!』

説明しようとする阿門を遮るかのように悲鳴が上がる。何事かとそちらを見ると全員広間の真ん中に集まって輪を作っていた。その中心では厳十郎が大の字になって倒れており、雛川が泣きながら彼を揺さぶっている。しかしその様子を、九龍達は駆け寄るのも忘れて呆然と眺めていた。

喜三(きさ)ちゃん!! 大丈夫!? しっかりして!!

雛川が厳十郎の幼少の名前を知っているはずが無い。ではそれを知っているのは?

そんな3人の驚愕も知らず雛川、いや雛川に憑依した《久島 楓》の幽霊は厳十郎にすがり、泣きじゃくっていた。

 

後編に続く

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