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ここではTONBI様から頂いた昔の東急線の画像を公開しております。
今となってはステンレス王国の東急ですが数年前までは緑のレトロな車両が走っていました。
昔の東急は正面車の連結が多く貫通路から運転台を眺めたりすることが出来ましたが、
現在、分割・併合運転を行わない東急では先頭車同士の連結を見ることも出来なくなってしまいました。
現在は車両の生産コストを下げるためJRのE231に似たり寄ったりの車両が増え
当時の東急と比べると、本当に面白みがなくなったなぁと感じます。


昭和50年11月4日影撮。
写真部の東急ファンの部長に誘われて、 目蒲線と池上線で一日過ごした時のものです。
3000系もアコモの更新が進み、特にデハ3800が更新されるとのことで、これを目当てに行きました。
当時は3000系の天下でした。

この写真は、あまり記憶がありませんが、この近くに桜が綺麗に咲いていてこの桜をバックに
東横線の写真を撮った帰りに、近くの陸橋の上から撮ったものです。バックは田園調布の駅だと
思いますが、今でもこの陸橋はあるのでしょうか。

こどもの国ヘッドマークをつけている3000系
昭和54年(1979)3月25日、以前公開していただいた東急ステンレスカー20周年撮影会の時のものです。
この車両が、本当に、こどもの国線を走っていたのかはわかりません。イベント用にヘッドマークをつけて
いたのかも知れません。
当日は説明も無かったので、撮影会に来た人もあまり気にしていなかったようです。

正面貫通幌がついている3000系
残念ながらこちらのほうは正確な記録がありません。
前後のネガから推測すると昭和50年(1975)ごろだと思います。
多分、初めて鷺沼電車区に行ったときのものだと思います。
このころはまだ更新車は無く、窓枠がサッシになっていないデハ3600などが多数走っていました。
この写真の3000系も原型を保っているのではないでしょうか
.

昭和50年11月4日撮影。こちらは高校時代のものです。
以前公開していただいた、3800系と同じときのものです。
ご存知のように目蒲線と池上線は3000系のたまり場で、アコモ車が少なかったころは、
多種多様の3000系が走っていました。
この写真は、石川台のホームから撮ったものです。

8500系の新車の搬入があるとの情報を聞きつけて、
午後から、撮影会に参加した人と一緒に撮りに行ったものです。
残念ながらどこの駅で降りて、どうやって撮影地点まで行ったのか、全く記憶がありません。
ネガで確認すると、最初に牽引用の3000系の回送があり、その後長津田か
らの8500の搬入が写っているので、随分長津田よりかも知れません。

つきみ野行きの3000系
同じく、ステンレスカー20周年記念の時のものです。このころから3000系は徐々に更新車が増えてきました。
貴重なデハ3800もこの後更新されています。私はこの顔はあまり好きではありません。
更新車といってもエアコンもありませんし、乗り心地は変わりませんでしたから。
N E W

石川台って池上線ですよね。
この頃になると 3000系も更新車が増えてつまらなくなってきました。確かこの頃ですよね。
程度 の良い3000系が赤く塗装され名鉄に譲渡されて、話題になったのは。

前回、アップしていただいた画像と同じ場所で撮影しました。
場所は、自由が丘と田園調布の間で、自由が丘寄りで撮ったものです。
当時の東横線の急行は、7000系が主流で、普通は5000系の独壇場でした。
この写真は場所を移して、田園調布よりの目蒲線との併走区間で撮ったものです。
このあたりは写真のように桜がきれいで、4月の撮影の名所だったと思います。

鷺沼車庫での撮影と思われます。左から5000系、8000系、3000系、8000系、6000系と
往年の名車ばかりですね。特に6000系は現在、東横線の主力の9000系の誕生に大きく貢献しましたし
5000系なんかは、軽量化の基礎となった車両といっても過言ではないでしょう。
8000系も日本発のワンハンドルマスコンを採用した車両です。
[TONBI様のコメントを頂き次第差し替えます。]


昭和54年3月25日撮影。この日は鉄道友の会主催で、東急ステンレスカー導入20周年を記念して、
東急田園都市線車輌を記録する会が鷺沼電車区で開かれました。
私は参加する資格が無かったのですが、東急ファンの友人の代理で
彼のキャノンと私のペンタックスを持って、同じ写真を2枚ずつ撮ったのを
記憶しています。
この頃の5200は、中間に5000系の中間車を挟んで、5連で運行されていました。
このヘッドマークをつけての営業運転は無かったと思います。

5200と同じく、友の会の記録する会の時に撮ったものです。この頃になると6000系も旧型車のイメージが
強かったのですが、東急のステンレスカーでは、私は6000系が好きでした。モーターの音が特徴的で。

昭和53年頃の撮影と思います。同じ日に同じ場所で撮った5000系に、まだクハ5150Fが連結されて
いたので、記録する会より前だと思います。場所は私も良く覚えていませんが、上野毛の近くでしょうか。
私一人ではなく、東急ファンの写真部の部長が一緒でした。6000系はモーター音に特徴があったように
記憶しています。待っていると6000だとすぐに分かったように思います。

これも54年3月の記録する会の時のものです。当時8500がローレル賞を受賞したこともあって、構内には
ローレル賞のヘッドマークをつけた8500も並んでいました。7000系はアメ車っぽくて、
あまり好きではありませんでした。
東横線では主に急行に使われていました。10年ほど前に北陸鉄道に行った時に、7000系が走ってきたので
、びっくりしました。

撮影は昭和54年4月と記録されています。ちょうど大学受験が終わり、
入学までの長い休みを鉄道写真に費やしていました。
場所は、自由が丘と田園調布の間で、自由が丘寄りで撮ったものです。
当時の東横線の急行は、7000系が主流で、普通は5000系の独壇場でした。
この写真は場所を移して、田園調布よりの目蒲線との併走区間で撮ったものです。
このあたりは写真のように桜がきれいで、4月の撮影の名所だったと思います。銀色の7000系よりも緑の
5000系のほうが、桜映えすると思いますが、皆さんはどうですか

これも5200と同じ日に撮影したものです。
この編成は違いますが、確か8000系はパンタを2つつけていた中間車がありました。この頃徐々に
撤去され(?)始めたように記憶しています。この記録する会は結構盛況で当時の記念写真を見ると、
70人位が参加しています。
この日の午後、8500の搬入があり、3000系が2両で、8500系を挟んで長津田から回送しました。

昭和51年7月25日撮影。
当時大手私鉄の中で、唯一東急だけがローレル賞やブルーリボン賞を受賞したことが無く、
8500の受賞は長年の悲願が叶い、全社をあげてキャンペーンを行ったように記憶しています。
受賞記念列車を走らせるとのことで、田園調布近くの陸橋の上から撮影したと思います。

昭和51年7月25日撮影 8500系のローレル賞受賞記念列車を撮影した際に一緒に撮影したものです。
このころの7200系はすべて先頭車で構成されていました。
中間車が出来たのは7200系が登場してからしばらく経ってからでした。
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