05/10/16
この想いどうしても伝えたくて、勇気を振り絞ってあの人に電話したところ、僕が一生懸命になってどんだけ今起きたかを伝えても、彼ったら「もしもし。もしもし」と繰り返すばかり。お前はもしもし星人か。という人間関係を円滑にする上で欠かせないと古くから村に伝わる伝説のジョークを発したその時、プツリと切れました。プツリと切れたのが果たして電話なのか、人と人とを結ぶ絆なのかはよく分かりませんが、どっちにしろ話が違うじゃないかと村長に詰め寄るも、村長とは端的に申しますと僕の右半身に当たりまして、直感や芸術的な感覚を司ります。つまり、僕が直感に素直に行動するともしもし星人並の大惨事が引き起こされる訳で、普段はそれを何とか左半身で押し止めているのですが、左半身に刻みつけられた言い伝えによれば、前述の場合「お前はもしもし太郎か」という対応をとるようきつく躾けられております。 これは、もしもし星人は宇宙人であるため存在しないが、もしもし太郎だったら人名っぽいのであるいは存在しない事もないという極めて論理的な判断に則って発せられた言葉であり、流石は論理的な思考を司る左半身です。結局、色々な物がプツリと切れる事に変わりはございません。結果は違わず、ただ過程が変わるのみ。人生の縮図です。
という訳で、元から数少ない知り合いがまた一人減ってしまいました。友人にカテゴライズされる人類は現実世界には存在しませんので、最も親しい区分が知り合いである僕にとってこれは一大事、僕はもう…とバスルームのドアに目張りを始めておったところではありましたが、ここで思い返してみれば、そもそももしもし星人が産まれ出でたのは、電話の向こうであの人がもしもしと連呼したからに他なりません。なるほど、詰まりこの時点で既に電話は通じていない事が示唆されており、もしもし星人は流産、あの人との縁は切れていなかったのです。まあ確かに、元から僕と彼の間にはベルリン級の壁が存在し、本当は聞こえていたにもかかわらず無視していた可能性も否定はできず、その生活レベルの格差などを考慮すればむしろ壁はあったと考えた方が自然、段々と自分が東側の人間である自信さえ芽生え始めて参りましたが、 本当にそうだった場合、僕はめでたくもメンヘラーの仲間入りを果たし、日記の内容が手首を薄く切っては自慢するなどのオモシロカッコイイものになってしまいかねません。何としてもこの携帯電話が通じていなかった事を証明すべく、携帯から自宅の電話に掛け、二つの受話器を両耳に押し当て「うーうー」と呻き声を上げたところ、何たる事か、受話器から、声が、聞こえて…と思ったら聞こえてきたのは携帯側からだった。ふーん。
以上を簡単に纏めると、携帯電話がぶっ壊れました。まあ、ぶっ壊れはしましたが、特に何も困りません。そもそも、今回の件を除くと最後に携帯電話を見て電話だと思ったのは下二桁が04だった頃、それが果たして日なのか月なのかはここでは特に言及致しませんが、下二桁という事は、おや、その上にまだ何桁か?と、これは故障ではなく通話機能が退化したのだと言われても何の疑いもなく信じます。信じました。そうか、退化したんなら仕方ないね。恐らくは、この先更にメール機能とかカメラとかパカっと開く蝶番の部分とか必要のない機能が次々と退化し、最終的にはオブジェになります。唐突ですが、終わります。おやすみ。