映画を見る楽しさは何か、やはり画面が動くことだろう。動くことによって何かが起こる。そこから、そんな単純なところからすべては始まっている。その最も原始的な部分をフィルムにおさめた「100人の子供たちが列車を待っている」はpureな輝きを放っている。今、映画は装飾によって鈍化していく方向と、技法に従って純化していく方向という2つの相反する運動にさらされている。物量的には前者が優勢であるが、質的には後者の流れにあるものだけが「映画的」という称号を与えられる。「映画的」とは現在の潮流の中ではある種の「慎みやかさ」である。その映画性の原点をこの映画は持っているのである。しかし、この映画が現代の反映画的作品に対する警鐘だなどと思ってはならない。真の映画はそれ以外の存在に対してコメントを投げかけるようなことはしない。映画は映画であり、それ以外の何物でもないからである。