『遥かなる大地へ』

前作「バックドラフト」はロン・ハワードらしい小粋な感じが出ていなかった。
この映画では信じさえすれば、すべて現実のものとなる。

★★★★
1992/7/30 相鉄ムービル5


 「コクーン」が大好きなぼくにはあまりに大味な「バックドラフト」は納得できなかった。脇役であるはずのロバート・デ・ニーロがいい味を出しすぎて本筋があいまいになってしまうし、ちょっとしたユーモアもカット割りが悪いのでだいなしになってしまっていた。(特に消防車の上でのラブシーン。無粋なカット割りであんなに映画的に魅力ある材料をだいなしにしてしまっていた。)「バックドラフト」はロン・ハワードらしい小粋な感じが出ていず、それを”言葉”や大写しの顔、絶叫、炎で上塗りしてゴテゴテした姿になってしまっていた。炎は確かによかったけど。

 それはもういいんだ。ロン・ハワードは再び帰ってきてくれたのだから。トム・クルーズのよさをうまく引き出した”遥かなる大地へ”はロン・ハワードらしい心配りが随所に見受けられる。例えば、トム・クルーズとニコール・キッドマンがオクラハマで再会する場面。二人をいきなり引き合わせたりはしない。まず、カメラに映る白いレース。これがなぜかすごくいい。その後に振り返ったニコール・キッドマンの顔。それにトム・クルーズの声がかぶさる。しかし、二人はまだ洗濯物で分けられてしまってる。まだ、二人の間には越えていない線がある。それも俯瞰で撮ることでさり気なく示される。そのさり気なさにうなってしまうんですね。

 ”奇跡のすばらしいことは、それがしばしば起こるということだ。”と誰かが言っていたが、この映画では信じさえすれば、すべて現実のものとなる。そんないいかげんさも好きですね。

 また、トム・クルーズが死んだとき、徐々に空に上がっていくカメラが最高。カメラが宙に遊離する。その時僕らの心も空に遊離してしまっている。どこともつながれていない状態だ。そこで働くのはどこかにつながれようとする力である。信じることで、信じられれば、遊離した状態から脱却することができるし、それが自然に感じられる。

 スローモーションがテンポをもちえていなくて弛緩してしまっていても、ニコール・キッドマンが連れさられないのが不自然でも、70mmにする必要性がどこにあったのかわからなくても、そんなことを指摘することはこの映画のすばらしさから見れば、無意味だ。

 この映画は信じられる。だからこの「遥かなる大地へ」が大好きです。