『心の指紋』

画面に感情を叩きつけ
フィルムに焼き付けようとする作家・マイケル・チミノここにあり!

★★★
97/09/25 シネ・スイッチ銀座 14:50 混雑度:20%


 ついに、マイケル・チミノの新作が公開された。6年ぶりの新作である。アメリカで不当に非難された『天国の門 Heaven's Gate』から『Year of the Dragon』公開までが5年間のブランクだった。今回はそれ以上の間隔が開いた。確かに、前作『逃亡者』はこれでもかと言わんばかりのひどいシーンの連続だった。映画を見ている最中に考えたのは、映画自体のできよりも、次に彼の作品とは出会うことができるのだろうかということだった。

 ぼくは、マイケル・チミノの支持者だ。ぼくは人を支持することというのはあまりない。監督よりも、その監督が作る作品が好きという立場を取る。でも、マイケル・チミノは別。彼の熱い思い、画面でうまく表現する事ができず、画面に叩きつけられたその”思い”を支持している。作品より、監督を志向させる、それがマイケル・チミノだ。

 新作が公開されたにも関らず、地元を離れることができなかった。公開され、感想が次々に会議室がアップされる。まさに、指を咥えているという状態になってました。

 雑誌などでも、好意的な批評も多く、期待が高まるばかり。ただ、ちょっと気になるのが、その中に”スランプから脱出”だの”復活”だのというフレーズが必ず入っていることです。これは、いったいどういうことなのでしょうか。

 「ぴあ」の『心の指紋』の紹介を読んでいたら、私は激昂して、雑誌を前にほうり投げながら、隣にいた友人に向かって次のように吐き捨てました「これを書いたやつに、誰か映画というものを教えてやれ」と。そこには「『ディア・ハンター』以降スランプであったが、、」と書いてありました。彼はこれまでの監督作6作がすべて日本公開となっていて、そのうち、傑作が3本、秀作が1本、佳作が1本とかなり優秀な監督であると言えます。確かに、前作『逃亡者 Desperate Hours』はどう擁護しようと思っても、難しいほどの失敗作でした。でも、『サンダーボルト』『天国の門』『シシリアン』という3本の傑作を考えれば、1本くらいそういう作品があったっていいじゃないですか。そもそも、彼のキャリアの中ではあまり優れたできとは言えない『ディア・ハンター』をありがたがる風潮もどうかと思う。あの話に流れる表層的なヒューマニズムよりも、はるかに優れたショットを他のどの映画も持ちえているのだから。

 巧い映画監督ではない。手際よく人を処理をしているなんていう職人芸を持ちえているわけではないし、芸術的な香り付けなどもできやしない。しかし、彼は”熱い思い”というものを画面に焼き付けること、これだけでやってきたし、これができうる貴重な映画監督なのだ。”熱い思い”を持っている人などは山ほどいるだろうが、それを画面に少しでも焼き付けることができる人は本当にわずかだ。血を流しながらも映画を完成させ、自分から流れる血を画面に塗り付けるように映画を作ってきた。

 前置きが長くなったが、『心の指紋』について。これは失敗作だと思う。人物はあまりにもステレオタイプだし、全体のトーンもどうも甘い。しかも、雑なのは相変わらずだ。けれど、かすかだが、彼の「思い」は画面に感じられた。その部分に共鳴して、ぼくは涙した。ラストでの雨の中のウッディ・ハレルソンは美しかった。そして思った。やっぱり失敗作でもチミノだなと。

 『Year of the Dragon』が公開された時、雑誌に「マイケル・チミノの旗のもとで」という文章が出ていた。それを読みながら、「俺もチミノの子分だぞ」とうなずいたことをよく覚えている。この文章は恥ずかしながら、その文章への支持という意味で、同じ副題をとらせてもらった。

 チミノについてはおもしろい話がある。彼が日本にきた時、ある雑誌のインタビューで「好きな映画監督は?」という質問に対し

「ジョン・フォード、クロサワ、ヴィスコンティ」と答えた。これについてインタビュアーは次のように説明している。

 何とも派手な答えである。が、この3つのビック・ネームこそが彼の映画を物語っているともいえよう。

 チミノは彼らから何を学んだか?

 フォードからショットを、クロサワから音響を、ヴィスコンティからイメージを- --というのはもちろんウソっぱち。このヤクザな映画小僧は、フォードから監督という快感を、クロサワから頑固さとはったりを、ヴィスコンティから湯水のような金使いを、それぞれ学んだのである。

新作でもやっぱりこれは変わらなかった。やっぱりチミノでした。