観ている間、ずっと登場している人間関係がなんだろうと考え続けた。犯人探しの映画じゃないのに、とにかく登場人物の関係が理解できない。あの奥さんは後家さんなのか?あの男の子と妹は兄弟じゃないのか?おとうさんはどうなったのか?あの青年は母親がいないというのはわかる。だから、あの女の子は彼とは兄弟ではないのだろう。そうじゃないと、兄弟の中での恋愛感情というちょっと奇妙な話を含んだ映画ということになるが、そんなどろどろした映画じゃないみたいだし。でも、奥さんは後家さんで、妹は連れ子ということなら、恋愛関係となっても問題はないぞ。うーん。
映画祭のプログラムに書いてあるこの作品の説明を後から読んで、よくやく人間関係が理解できました。こんな簡単な人間関係をどうしてうまく説明できないの?そんなに入り組んでいるわけではないのに、観ている人が理解できないのは描写不足なんです。村の人を撮った8ミリのシーンをつけるより、こういう基本的な部分をしっかりと押さえて欲しかったです。
あと、対象の捕らえ方が表層的で、じっくり映してその奥深い部分まで迫っていこうというのもないので、画面の中に出てくる感情が薄っぺらなんだよね。盛り上がらないし、彼らが何を考えているのか、まったくわからないまま話が進んでいってしまうんだよね。
ただね、外国(カンヌ)で評価されたのは理解できる。アジアっぽい山、川といった自然があり家族の存在がある。そしてその崩壊。以前、エドワード・ヤンが新聞のインタビューに答えて、「外国の映画祭はアジアの作品にアジア的なものを強要しすぎる」を不満を述べていました。彼はこういう映画が評価される映画祭に不満を持っていたのでしょうね。
部分部分に魅力あるショットがあったとしても、全体として構成することができなければ、半端なものしか出来上がらないし、それを”作品”として認めることはできません。次の作品に期待して、その際に改めて評価をしたいと思います。