みなさまからのお便り


佐藤成美 2003/8/29

私は、小学校の時に、社会見学などで、何度か毒ガス資料館に行ったことがあります。(旭小学校でした。)村上館長のお話を聞いたりしたことを思い出して、この夏休みを使って大久野島について、もっと深く調べようと思い、このサイトを訪問しました。村上さん、お元気でしょうか?また、大久野島に行きます(^^♪

長谷川隆 2003/8/26

8月の19,20日の一泊二日で大久野島への平和ツアーを行いました。大人12名、子ども3名。山内さんとの細かい打ち合わせと、現地での村上初一さんの証言、山内静代さんとペアでの案内に、「毒ガス」のおそろしさと戦争の悲惨さ、いまなお中国の人々に被害をもたらしているという日本の「加害責任」にたくさんのことを考えさせられました。当時の写真やたくさんの資料を用意して頂き、本当に感謝しています。ありがとうございました。

大府高生 2003/8/26

はじめまして。今年5月に修学旅行として大久野島を訪ねた大府高校の1人です。今、他の高校では沖縄や北海道といろいろなところへ行くので昔ながらの広島は実は言うと乗り気ではありませんでした。しかし、実際に行ってみると楽しく過ごせました。大久野島までは船で渡り、降りたとき目に付いたのが「うさぎ」でした。友達と休暇村まで歩きながらうさぎを目で追っていました。休暇村につくと4クラスに別れ、毒ガスについてのビデオを見ました。その日は休暇村に泊まりました。次の日事前に決められていたプログラムをこなしていました。私たちはゴルフだったので友達と騒ぎながら遊んでいました。時間よりも早く終わったので自転車を借りて島を一周することにしました。楽しく回っている間にも生々しい毒ガスが作られていた跡を目にしました。何とも悲しい気持ちで回り終え、毒ガス資料館へと赴きました。そこで見た資料は当時のことが詳しく書いてあり、大久野島が載っていない地図を見ました。そして、一番心に残ったのが作っているときの服でした。私たちから見てもこんなので大丈夫のだろうか?と思うほどのものでした。見終わる時には私も友達も何も言葉が出ませんでした。

8月には、広島、長崎に原爆が投下され58年になります。今、平和と叫ばれ続けています。そして、日本には戦争を知らない人がたくさん居ます。私もその中の1人です。文化祭に向け修学旅行で学んだことをまとめています。全世界に核兵器の無い平和が来ることを祈っています。

細江太郎 2003/8/2

毒ガスの島という観光にとっては決して有利なものではない事実を、隠すのではなく積極的に伝えることに対しては、地元の方々にとってはいろいろ複雑な想いもあったことだろうと思います。

でも、戦争があった事実は決して消せるものではないし、毒ガスという加害者の面での日本の姿、負の遺産を正しく伝えるからこそ、今の大久野島の素晴らしい自然や平和な時間が本当に大切なものに感じられました。是非多くの人に訪れていただきたいと思いますし、だからこそ、きっちりと毒ガスの状況を調査し、正確な情報を提供することが何よりも大切であると思います。これからも毒ガス島歴史研究所の皆さまのご活躍をお祈りいたします。

長谷川順一 2003/7/31

お世話になります。毒ガス被害者をサポートする会のHPを開設しました。http://dokugasfc2web.com/

貴サイトもリンクしていますのでご承認下さい。


角田恵司 2003/7/29

8月17日にそちらへ行く八女支部です。いろいろご迷惑をおかけします。つきましては事前学習に活用したいので下記の書籍を送ってもらえませんか?○戦争と平和の島○毒ガスと少年○平和教材おおくのしま以上3さつです。できましたら至急送ってほしいのです。送金の方法も教えて下さい。急なお願いですがよろしくお願いします。

新澤 茂夫(新澤 肇の息子) 2003/4/5

私の父も、昭和16年〜19年までの約3年間ほど大久野島の毒ガス工場で勤務していました。(定期的に、忠海病院に診察に行っていま。)時々、昔の事を話してくれますが、大久野島の事は話しにくそうです。私から子供にと語り告ぐ予定でいますので、ゴールデンウィークの期間中に、父と私と私の息子(21歳)で大久野島に行こうと計画しています。(その時、いろいろと昔の事をゆっくり聞きたいです。)現在、竹原市下野町に父と同居しています。(父も、多少痴呆が出てきたので、元気な時にいろいろと昔話を聞き文章で残して行きたいです。)

秋山 慧 2003/3/29

今日大久野島を見てきました。広島子ども派遣団の者です。原爆も怖いけど化学兵器も恐ろしいなと思いました。このような化学兵器を作り、使う時代を繰り返さないためにも、このような機会は僕達にとって貴重です。また、長い時間ガイドしてくれた村上さん。

本当に、ありがとうございました。

上田文子 2003/3/19

毎年 夏休みに家族で旅行に行きます。今年はどこに行こうかとかんがえていつも利用する休暇村のホームページを見ていました。初めて 大久野島の名前を知りました。私の子供はまだ 小学校3年と1年ですが、地図から消えた島というフレーズにとっても興味を持ち,さっそくこの ホームページを見させていただいて 是非 行ってみたいと思いました。8/1〜8/3に2泊3日で山梨から行きます。私も戦争を知りませんが 負の歴史を持った大久野島の今と毒ガスと言う耳を背けたい言葉の歴史をちょっと子供といっしょに知ろうかと思います。今は とっても人気の観光地でもあるそうで「よく 予約取れたね」と広島の知人に言われました。今からとっても楽しみですし、しあわせを感じ得ないこの時代だからこそもう一度 今の平和を感じることができるといいかなと思っています。

遠藤周吾 2003/3/8

この度、仕事の関係で初めて大久野島を訪れました。砲台跡や発電所跡などは作業中に見ておりましたが、関心があったもので後日再度訪れて資料館やそのほかの毒ガス製造工場跡等詳しく見て廻りました。技術職に携わる私にとって、土木、建築、設備、そして毒ガス等の科学技術の60年昔から今現在にかけての推移が最も関心あるところです。戦争という特種な環境下でのこれまた毒ガスという特種な物が製造されていたわけですが、用途や意味は別として日本人の物作りに対する真剣さと誇りを感じました。それと毒ガスの保管に使われていた阿波島に関する資料があれば見たいのですが御座いましたら宜しくお願いいたします。

毒ガスの過去・現在・未来を考え、旧日本軍の被害者をサポートする会 2003/3/3

【国際シンポジウム 毒ガスの完全廃絶を求めて〜悪魔の連鎖を断ち切ろう〜】

みなさまのご参加をお待ちしております。

▼日時 3月8日(土)午後1時―5時

▼会場 家の光会館7階コンベンションホール(飯田橋駅西口5分)

    新宿区市谷船河原町11(電話3260―4791)

▼内容 

 第1部 「毒ガス被害者の実相」 

  遺棄毒ガス兵器による中国人被害者

  寒川町国道工事現場被害者

  村上初一・元大久野島毒ガス資料館館長

 第2部 パネルディスカッション「毒ガスの完全廃絶を求めて」

  常石敬一・神奈川大教授(科学史)

  水島朝穂・早大教授(憲法学)

  吉見義明・中央大教授(日本近代史)

  歩平・中国黒龍江省社会科学院副院長

▼参加費 一般1000円 学生500円

▼主催 毒ガスの過去・現在・未来を考え、旧日本軍の被害者をサポートする会

▼後援:北海道新聞、中国新聞

協賛:週刊金曜日

賛同団体:毒ガス島歴史研究所、ABC企画委員会、軍医学校跡地で発見された人骨

問題を究明する会、新宿平和委員会、中国人被害者の要求を支える会、日本軍毒ガス・

砲弾遺棄被害賠償請求訴訟弁護団、日本中国友好協会新宿支部、日本の戦争責任資料

センター

ご案内

 中国での旧日本軍遺棄化学兵器による中国人被害者が日本政府を訴えた裁判の判決が近く言い渡される運びとなる一方、70万―200万発とされる遺棄化学兵器の廃棄処理問題は具体化には至っていません。こうした状況の中、日本が日中戦争以来、ふりまいてきた毒ガス問題を包括的に検証する国際シンポジウム「毒ガスの完全廃絶を求めて―悪魔の連鎖を断ち切ろう―」を3月8日に開催します。政府資料なども取り寄せ、日本の毒ガス問題の歴史、現状、将来を考える本格的なシンポジウムです。中国からは、1982年に遺棄化学兵器の被害に遭った42歳の仲江さん、遺棄兵器被害の現地調査に当たった黒竜江省社会科学院の歩平副院長が出席。日本側からは、生物・化学兵器問題に詳しい科学史の常石敬一神奈川大教授、毒ガスの歴史検証を精力的に行っている日本近現代史の吉見義明中央大教授に加え、パネルディスカッションのコーディネーターとして、有事法制などについて活発な意見表明をしている憲法学の水島朝穂早大教授が参加。さらに、陸軍の毒ガス製造施設があった広島県大久野島の元従事者で大久野島毒ガス史料館の元館長、村上初一さんと、海軍の毒ガス製造施設があった神奈川県寒川町から奥山辰男さんも体験談を語ります。日中の毒ガスの被害者と毒ガスをめぐる各分野の第一線の研究者が一堂に会するシンポジウムの開催は初めてです。

 主催する「毒ガスの過去・現在・未来を考え、旧日本軍の被害者をサポートする会」は旧日本軍が中国で遺棄した毒ガス兵器による被害者の支援活動に端を発し、被害者の人権回復・救済と化学兵器の完全廃絶を実現するため国内外の世論喚起に向けたアピール運動を目的にした、生まれたばかりの市民団体です。

みなさまのご参加をお待ちしております。

岡村啓佐 2003/2/23

はじめてお便りします。小生HPを再立ち上げしまして、リンク先に勝てながら加えさせていただきました。また、よろしかったらリンク先に加えていただけたら幸せです。

Mami Sasaki 2003/1/29

素人のうさぎ愛好家です。昨年7月に初めて大久野島を訪れました。毒ガス工場の事は知っていましたが、資料館へ行き島自体が一大要塞だったと知り驚きました。そして今でも人、環境共に後遺症を引きずっているという事も・・・それでも北国も者からすれば信じられないくらいの風光明媚な島。そしてうさぎ達。その歴史を含め「大久野島」という所が自分にとってとても気になる存在になりました。11月のウサギ観察会と先日調査の為3度島を訪れました。これから島を元の平和な島に戻すため遠方から見守っていたいと思います。研究会入会希望です。(1/28入金しました)

長谷川順一 2003/1/3

明けましておめでとうございます。昨年暮れのお忙しい時期にガイドをして頂き有り難うございました。土佐沖にLSTごと沈めたとご説明されましたが、翌日、南海地震の記事を見て、もしもの時は大変な問題になることを実感しました。今年の8月23〜4日に行われる戦争遺跡全国シンポは宇佐市で行われると案内がありました。ぜひご参加下さい。貴重な戦跡保存の運動を発表して下さい。貴研究所がご案内しました3月8日の国際シンポの協賛団体になって頂きたいのですがご検討下さい。よろしくお願いします。


投稿者:長谷川順一  2002/10/16

日本が残した毒ガス被害者を支える会の新事務局長長谷川です。

冬休みに大久野島ツアーを企画していますが、島内見学の標準的なコースと時間を教えてください。地元の被害者との懇談も計画しています。


投稿者:katsumi Ucibayasi 2002/9/16

中国でオリンピックが開かれるまでに不発弾の処理がなされると新聞に載っていました。その方法について巷ではプラズマ焼却の話があります。

その施設を造るためには試作施設を造る必要があると聞きます。

その費用を広く一般から集めて成功のあかつきには配当の形で還元するそうです。そんな話が本当なのか知りたいと思います。


投稿者:常石敬一  2002/9/2

アジア歴史資料センタ―のホームページ、http://www.jacar.go.jp/ で忠海で検索したら79件ヒットしました。もし未だなら、一度お試し下さい。


投稿者:磋蛇西小学校卒業生より 2002/8/9

2000年に磋蛇西小学校を卒業したものです。もう中学三年生になりました。六年生の時、修学旅行で大久野島を訪れました。この間、広島に原爆が落とされた日だった6日に、ふと思い出しました。ホームページがあるとは思ってもみなかったので、びっくりしました。これからも世に出て行く子供達に戦争のないことが当たり前になっている世の中がどんなに幸せであるかを伝えていってください。


投稿者:おくまさひろ  2002/7/27

前々から関東軍に、興味がありまして、初めてインタ−ネツト、で、検索しましたら、大変解り易く、丁寧な、コメント、及び説明が、あり、何とも言えない、気分に、なりました、そうそうに、行きたくて、8月2日の、航空券を、入手しました、まず、大連より、列車で、ハルビンまで、行きます、それから、先が、ぜんぜん、解りません、孫呉県に、行きたいのですが、交通機関は、気車、やバスなど、ありますか、又時間など、教えて、もらえたら、大変助かります、お急がし、所申し訳御座いませんが、宜しくお願いいたします、当方52歳の、男です、千葉県より

投稿者:風のうしろのケンちゃん  2002/5/21

貴サイトへのリンクを設定させて頂きました。「風のうしろのリンクサイト」→「風のリンク/BLACK」お知らせ方々、御礼申し上げます。20代の頃、主に長野県にひっそりとその余生を送られる、元731部隊員の方々をお訪ねさせて頂いた事があります。昨今の世界情勢を鑑み、次世代へ戦争を語り継ごうと、再びネット上で各方面を調べていて貴サイトへ行き着きました。島での創作劇などは、実に拍手喝采の見事な総合学習と、言い得るのではないでしょうか?

http://www.tiny.jp/~kazenoushiro/

投稿者:光南台中学校 2002/5/19

5月22・23日お世話になります。村上さんをはじめ、資料館のみなさま、よろしくお願いいたします。

投稿者:東浦 進 2002/5/12

日本にこのような施設があったことを恥ずかしながらこのHPで初めて知りました。あの戦争はまだ終わってはいなかったのですね。私に今できることは何なのでしょうか?深く考える必要があります。

投稿者:佐藤三郎 2002/4/29

新緑のさわやかな季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。さて、私し、このたびホームページを以下に移しました。「毒ガス戦の視角からとらえた《党生活者》の世界」の第一部、第二部を公開しています。リンクしていただければ幸いです。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/3676/index.html

投稿者:竹田教子 2002/4/25

初めてメールいたします。私は金沢大学大学院物質工学専攻の学生です。有機ヒ素化合物を微生物に分解させる(バイオレメディエーション)ことを目的とした研究を行っています。この目的のためには、まず有機ヒ素化合物を分解できる微生物を探さなければなりません。そこで有機ヒ素化合物を含む土壌中にはそういった微生物がいるだろうと思い、インターネットでヒ素汚染にあった地域を探していたところ、こちらのサイトに出会いました。

汚染土壌は処理されたという記事もありましたが、処理後の島内の土壌中ヒ素含有量は測定されたのですか?もしそのような文献がありましたらぜひ教えて頂きたいです。

この研究は始まったばかりで、実際にヒ素汚染に苦しむ地域のためになれるのはまだまだ先の話ですが、基礎研究なくして応用はありえないのでどうか情報をお寄せ下さい。

投稿者:小城 恵 2002/0214

突然メールさせていただきます。私は今24歳です。大久野島のことはごく最近知りました。修学旅行では広島へ行きましたが、毒ガスのことはまったく知らされませんでした。毒ガス島のことをもっとよく知りたいと思い、三月の中旬に大久野島へ見学に行こうと思っています。大久野島はもちろん、当時の参考になるものが近隣にあればそこへも見学へ行きたいのですが、何かありますでしょうか?また現地でここの会報や資料を手に入れることは出来ますか? お忙しいとは思いますがよろしくお願いします。

投稿者:佐藤三郎 2001/11/23

初めまして。 私は小林多喜二の小説「党生活者」を研究している者です。それがなぜ、「毒ガス」に興味を持つのかといいますと、実は1933年に『中央公論』に掲載された「党生活者」の小説の舞台は、陸軍からガスマスクを受注していた「藤倉工業」であり、1932年初頭の上海戦争を背景に高まった軍の要請に応じて過酷な労働を強制し、増産に次ぐ増産で軍に供給したものでした。 小説「党生活者」は「倉田工業」とされるその工場では、共産党職場支部の臨時工大量首切り反対闘争を通じた生活擁護の闘いを通じて、反戦・平和の闘争を描いたもので す。

 ここには直接的な言葉で、なぜ当時の日本軍が防毒マスクをこうまで必要としたかについては描かれてはいませんが、731部隊創設の石井四郎が1932年に731部隊の前進<東郷部隊>をハルピン南東の背陰河に設置した時期とほぼ重なる時期であることは偶然ではないと思われます。 

 今日、<毒ガ ス・細菌兵器>が悪魔的兵器であることは<731部隊>問題の解明を通じて随分明らかになったきたことと思うのてすが、日本軍の毒ガス戦準備の様子をいち早く暴露した「党生活者」の意義は充分論議されていません。その意義を明らかにすることは日本民族がすべて<731部隊>に象徴されるような悪魔的侵略の手先となったのではなく、少数であったとはいえ毒ガス・細菌戦準備に抵抗した人々がいたことは強く記憶される必要があると考えています。 来年はその「党生活者」の成立70周年になります。なんとしてもここで一定の研究成果をしめしたいと思います。その関係で都合がつきましたら(いつになるかわからないのですが)御地を訪ねたいと思います。その際にはよろしく、ご指導お願いいたします。−自己紹介が長くなりましたがお許しください。

投稿者:地球人 2001/11/12

ゆきでースvvv このまえ大久野島にエンジョイしに行きました〜♪ 大久野島のウサギたちは、みんなプリチーvで、ゆきメロメロ〜v 毒ガスの実験にウサギも使われていたってコトを、毒ガス資料館を見学して、知ってチョーかわいそうに思っちゃった〜。やっぱ、戦争っていろんな意味で良くないしー、二度と繰り返さないでほし〜なぁ〜。これからの時代を背負って行く若者として、二度と戦争が起きないように、ウサギのためにがんばりま〜すっっ!!

投稿者:のぞみ  2001/10/12

私は大阪府のS第4小学校の六年生です。来週の10月18〜9日に広島へ修学旅行に行きます。その時、大久野島の「休暇村」でお世話になります。毒ガスのことなど悲しい事があって、ワイワイガヤガヤするような場所ではないけれど、勉強する場面ではしっかりと勉強し、楽しむところではめいっぱい楽しもうと思います。

投稿者:BOSS   2001/8/14

私は地球物理学研究会Webページを担当しております、環境都市工学科の学生で、小林(BOSS)と申します。最近先輩らが残した風船爆弾(気球爆弾)のデータを編集しておりますが、岡田黎子聞き取り「加害の日本『毒ガス島』大久野島に非常に詳しい風船爆弾に関した話が掲載さているので、是非リンクを張りたいと思っている次第であります。許可が頂ける様であれば、http://namaz.ge.fukui-nct.ac.jp/cgi-bin/listmessage.cgi?ini=board.iniに書き込んで頂ければ幸いだと思います。なお、今編集している風船爆弾のデータは、http://namaz.ge.fukui-nct.ac.jp/ronnbunn/fu-baku/index.htmlを参照してください。

投稿者:野原千明 2001/7/30

初めてカキコします。夏休みの宿題・「歴史新聞」の資料を探していたとき、このHPを見つけました。前から戦争のことに対して興味があったので、このHPが気に入りました。是非「歴史新聞」の参考にしたいと思います。

投稿者:山田衛 2001/7/6

実は鞄毎Oに大久野島について、「地図にない島」の話しを本で読んでいました。学校事務職員ですが、北海道教職員組合の函館支部に現在属しています。そんな中で、個人的にも、新潟水俣病や富山イタイイタイ病、四日市公害、熊本水俣病などを見て歩いています。で、今回O重へ行く用事ができたので、ぜひ、足をのばして、大久野島へ行こうと思っています。ぜひ、資料などの送付をお願いします。また、日程は、7月31日を考えています。国民宿舎に泊を予約しました。ご連絡ください。

投稿者:小出陽介 2001/6/6

僕は2年前の今ごろ修学旅行で大久野島を訪れました。あの時はキャンプファイヤーをしたりみんなで遊んだりと楽しい思い出がいっぱいできました。まさか昔あんな悲劇が起こった場所であるなんて想像もできませんでした。今高校生の人にも必ず一度いって欲しいと思います。

投稿者:岡山市立光南台中学校 2001/6/4

昨日6月3日、大久野島にて村上初一先生に毒ガスについて語っていただきました。とてもためになりました。平和を願って頑張って行きたいと思います。ありがとうございました。

投稿者:中尾やすみ 2001/3/20

三ヵ月ぶりに鈴の進と普段、ガイドをしていたら行けない、南部・北部探照灯跡、弾薬庫跡をおもにいきました。弾薬庫跡ははじめて中にはいりました。上からみると今にも崩壊しそうですが、けっこう頑丈でした。手入れをすれば戦争遺跡として残せそうです。

投稿者:TAICHI 2001/3/10

僕がここを訪れたのは99年11月です。学校から行き戦争の悲惨さを広島市で学んだあと大久野島に行きました。大久野島は地図からも消されていた島。その島をサイクリングしました。砲台後なども見ました。これを見たとき戦争を知らない僕たちもここを訪れた1人として戦争を語り平和な世界を作らなければいけないと思いました。

投稿者: 阿河大介  2000/11/14

コメント: ひさしぶりにこのページを見ました。すると新しい記事が増えててよかったです。いろんな企画や活動を現在も積極的にされていることがわかりうれしく思います。日本における研究所・博物館としてはここはとても特殊な存在だと私は考えています。それだけに今後もここの特性を活かした企画・活動に取り組んでください。私も機会があれば参加したいと考えています。これからもがんばってください。

投稿者: 呉市立阿賀中 若本  2000/10/24

コメント: 10月5日に私たち阿賀中学校の2年生は、大久野島遠足にとりくみました。その事前、事後学習で、このホームページなどで調べたことや、山内先生にお借りした資料をもとに、学年全員131名による「ひみつの一四歳」と題した映画+劇に10月27日に文化祭でとりくむことになりました。今、そのとりくみの真っ最中です。勉強不足でどれだけのことができるかわかりませんが、大久野島の毒ガス被災者の痛みだけでなく中国に遺棄された毒ガス弾の問題など「現在も戦争はおわっていないんだ」ということを少しでも多くの人に訴えれたらと考えて生徒とともに今がんばっています。お近くの方で興味のある方はぜび、おこしください。この問題に詳しい方に、みていただいていろいろと感想やまた内容的に不十分な点などご指摘をいただければうれしいのですが…
二年生の劇は10時頃上演予定です。

投稿者 毒ガス島歴史研究所 松田宏明 2000/10/1 

コメント:高山さんへ。毒ガス島歴史研究所代表の村上初一さんにうさぎのことを書いてもらいました。

私とウサギ

敗戦の歳の暮れでした。町の消防団に入団しました。早速消防団の事業として年末警戒につきます、敗戦というまことにすさんだ年の暮れです、『火の用心』を徹夜で警戒に当たりました。そのときの事です。深夜に夜食が 配され、先ず「すき焼き」に舌鼓を打ちました。長い戦争中のことで、深刻な食糧難に合ったころだけにとても美味しくいただいた、そのあとのことです。「久しぶりの牛肉だったが淡泊な味でしたなぁー」と言った者がいました。あのすき焼きの肉は 『ウサギ』だったんだ、ということでびっくり、実は敗戦後の大久野島から失敬してきたんだと言う事です、二度びっくりしたことを思い出します。

戦時中大久野島では、ウサギを毒ガスの実験に使ってきました。それが敗戦になって、追放されたものです。いわゆる、大久野島ではそのころウサギをたくさん飼育していたんです。それを失敬してきたものがいて、かような事と相成った訳です。

戦後15年経ったころは島にはウサギはいなくなっていました。戦争中の毒ガスは占領軍監督の内に取り除かれたから安全だと言うことになったのでしょう。大久野島は国民休暇村に指定されて観光地になりました。そのとき観光地のマスコットにウサギを10羽くらい導入した、それが自然繁殖したのであろう、あるいは、当時学校などでたくさん飼育していて異常に繁殖したので島へ捨てに来たのであろうともいいます。とにかく 今は島に約五百羽くらい生息しているだろうと言うことです。

また、1990年の早春ころの事ですが、外国の方の父子が島に来ました。毒ガス資料館に来まして、「実はこのウサギを島へ置いてやって欲しい。これまでに自宅で飼育したのがこんなに成長した。(茶色のメス)私は近々アメリカに帰る(客員教授)ことになったが、このウサギはもって帰れなくて、大久野島へ預けたらいいのでは」と言うことを聞きましたから、「持って来て、ぜひ大久野島へ置いてやって下さい。」と返事をしました。約10キログラムくらい飼料も添えていました。まあウサギのことですから反対することはないと思って、そのウサギを島に置くことにしました。一日二日かは資料館に姿を見せましたが、その後は一向に姿は見られなくなりました。何げなく一、二年を経過したころです。珍しくも茶色・黒色・まだらのウサギがよく見られるようになりました。今では白ウサギを見るのが珍しくなりました。目の色も黒くなっています。 このように早く生育の上に変化が起こるのかと思っています。

したがいまして、昔毒ガス、今は温泉、ウサギの島、休暇村大久野島とイメージ変化しています。「皆さん聞いて、私のじいちゃん、ばあちゃんたちは、大久野島で毒ガスの実験に使われて亡くなったのです。このようなことは二度としてはいけません」と私たちへ呼びかけているようにも思われます。ウサギと共に呼びかける次第です。
(写真は、1990年大久野島に置かれた茶色のメス。)

                2000.9.26     毒ガス島歴史研究所代表 村上初一

投稿者: 黒山 加津美 2000/9/27

コメント: 始めまして。私はw校の6年生です。こんど、10月12日、13日に修学旅行で広島に行って、大久野島のことについて調べて勉強します。インターネットで初めて大久野島の事を知りましたが、すごく怖い経験をしたところだったんですね。こんど、訪問したときにもっと知りたいです。

投稿者 高山隆之介 2000/9/26

コメント: どうしてうさぎがいるんですか。うさぎは、最初から大久野島にいたんですか。

投稿者 若本 正 2000/9/9

コメント:はじめまして。私は、呉の中学校の教師をしているものです。戦争の問題は被害者の立場からだけでなく、加害者の立場からも、という村上さんの思いに共感し、平和学習で大久野島をいくどか扱ってきました。この10月に4年ぶりにとりくもうといろいろ調べていて、このホームページをみつけました。多くの人が、熱心に、また継続して、歴史のほりおこしにとりくまれていることに感動しています。その成果を学び、生徒への教育へいかしていくことが、私たち教師の役割だと思っています。
 さて、質問なのですが、ガイド養成講座が次回は10月とありましたが、もう詳細はきまっているのでしょうか?また、それは、私のような教師や、中学生の有志でも参加可能なのでしょうか?また、第2回のようすをビデオ撮影されたとかいてありますが、みせていただくことは可能なのでしょうか? よろしければ教えてください

投稿者: 橋村 美智子 2000/7/19

コメント: はしめまして。どうしても20世紀中に広島に行きたいと思い、仕事の予定を何とか調節して、8月5日、6日に予定しています。8月5日の日にはゼヒ記念館を見学したいと思ってます。今は、毎日本当に行けそうなのかどうか自分なりに計画を立ててます。大久野島に立てることを夢見て〜・・・

投稿者: BU PING (HO HEI) 2000/4/16
コメント: 毒ガス島歴史研究所の皆様。 新しいHPを読めましたが、どうもありがとうございます。16日の集会の成功をおめでとうございます。 中国黒龍江省社会科学院 歩 平

投稿者:深代 従 2000/4/7
コメント: 新装開店おめでとうございます。今後のご活躍を期待しています。

投稿者: yamanaka  2000/4/7
コメント: こんにちは。村上様、毒ガス島歴史研究所の皆様お元気でしょうか?
村上様にはだいぶ前(館長時代とその後)にお世話になりました、広島の伊奈商会の山中です。メールを頂いたので早速よってみました。HPも綺麗になり、気持ちがいいですね。
これからも頑張ってください。