伝言 技能者養成所・事務所周辺

日中戦争期、軍需産業および関連産業における労働力不足を補うために、技能者を養成することを目的にした学校技能者養成令および工場事業場技能者養成令がだされた。これは、国家総動員法第二十二条にもとづいたもので、一九三九年三月公布、四月から施行されている。

第二十二条 政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ学校、養  成所、工場、事業場其ノ他技能者ノ養成ニ適スル施設ノ管理者又ハ養成セラルベキ者ノ雇傭  主ニ対シ国家総動員上必要ナル技能者ノ養成ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコトヲ得

東京第二陸軍造兵廠技能者養成所忠海分所は、この法律に基づいて設置されたもので、この時期、特別なものではなく、陸軍工廠、海軍工廠はもとより、一般工場でも設置されている。

一九四○年(昭和一五年)、東京第二陸軍造兵廠技能者養成所忠海分所開校(定員六○名・三年終了・翌年の入所生は、二年終了。一九四二年より、一年で終了)一九四五年まで毎年約四〇名の入所生があった。

昭和一六年見習工員科養成工員科教育計画表

見習工員科は、午前午後ともに授業があり、幹部工員を養成することを目的としていた。陸軍工科学校に研修にいく見習工員もいた。一方、養成工員科は、実習(年間一三八五時間 見習工員科、年間一一○時間)を主に教育計画が組まれ、一般工員を養成することを目的としていた。

一九四○年入所生は、二年始めの試験の結果で、養成工員科と見習工員科に分けられ、さらに養成工員科は機械科、電気科、化学科に分けられた。また、教官は、普通教科のうち一部、英語、代数、幾何は近くの中学から来ていたが、ほとんどの教官は、忠海製造所の所員であった。

この教育計画表や次の頁の時間割は、村上初一さんが、技能者養成所時代に勉学のために宿舎に持ち帰ったガリ版刷りの学習資料の裏に印刷されている。戦後、大部分の資料は整理したが、「これは…」と思い、とっておいたそうである。

時間割  一九四一年(昭和一六年)五月

午前は、前段、八時から一○時まで授業。後段、一○時から一二時まで授業。途中五分の休息をはさむ。一二時から一時まで、昼食と休憩。午後は一時から三時まで、授業。時間割で空欄になっているのは、実習の時間である。終了後、一時間、精神教育などが行われ、五時に退所となる。

時間割は昭和一六年、五月、七月、八月のものと昭和一五年第一学期の一覧表が現存しているが、昭和一六年の時間割によれば、休みは日曜日と盆休みの一○日間(養成工員科第一学年は、二週間)となっている。授業が予定されていない日は、四月一日 入所式、四月三日神武天皇祭、四月二九日天長節、四月三〇日靖国神社例大祭、五月一九日は、大久野島神社祭(この日は、工場創立記念日にあたる)一九四二年(昭和一七年)から、休日はなくなる。

時間割の略字は以下の通り。

(精)精神教育 (國)國語 (地歴)國史または地理 (物)物理 (化)化學 (代)代数 (幾)幾何 (英)英語(兵器)兵器学 (機械)機械工學 (電気)電気工學 (材)材料學 (力)力學 (専工)専門工作 (分析)分析化學 (製化)製造化學 (化兵)化学兵器學 (圖)圖學 (工管)工場管理 (教)教練 (体)体操 (武)武道 (救)救急法 陸軍諸法規