| 伝言 技能者養成所・事務所周辺 | |||||
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大久野島建造物配置図を部分的に拡大し、三軒家工場群周辺、長浦工場周辺、技能者養成所・事務所周辺の三枚の地図作成しました。この冊子を読み深めるため、また、大久野島で戦争遺跡のフィールドワークをする際に役立てて欲しいと思います。なお、この地図作成の経過については、全体図に記されている注を掲載しておきます。 この地図の原図は、平山柳次郎所蔵の二五〇〇分の一の原図を基礎として、田村譽志那が二倍(一二五〇分の一)に拡大したものです。平山氏は大久野島毒ガス工場(東京第二陸軍造兵廠忠海製造所)の事務関係の仕事を担当していました。その関係から何らかの用件で、この地図が同氏の自宅に保管されていました。それを田村氏は模写し、復元に努力されていました。不明な所や建造物を何に使用したかについては、当時島内で作業に従事していた人々に助言をいただいて、田村氏が復元したものです。田村氏の原図が完成したのは一九六八年三月です。なお、平山氏の原図には建造物に単に番号を附してあるだけで、何に使用したかは表示していませんでした。 また、本図の右上部に記入した符号で表現してあるところは、平山氏の原図では赤又は青鉛筆で後日追加記入されていたものを参考のため田村氏の原図にも表示していました。それを本図でもそのまま使用しています。 村上初一氏によると平山氏の原図は一九四四年頃、東京第二陸軍造兵廠忠海製造所の営造関係職員が作図したものだそうです。戦後五三年が過ぎ、大久野島毒ガス製造に関係していた方々も高齢になり記憶も薄れて来ているし、当時のことを知っている人も少なくなっているという危機感から、毒ガス島歴史研究所として村上初一代表と大川淳三副代表を中心に復元に取り組みました。お二方が関係者への聞き取りをしながらの作業で、精度の高い毒ガス製造時代(一九四四年)の大久野島地図が復元できたものと考えています。なお、関係者の方でこの地図を追加・訂正などのご意見がありましたら、同研究所にご一報くだされば、幸いです。 一九九九年五月一五日 毒ガス島歴史研究所 (この拡大図では、平山氏の原図に赤鉛筆で追加記入された「装置破壊除毒される建造物」「除毒される建造物または地域」「補修される土地地域」の記号は省いてあります。) |
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