| 伝言 医務室周辺 | |||||||||||||
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写真31 医務室
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灯台にあがる道の右側の斜面が段々になっています。砂防工事をやった形跡があります。土を下ろして、土地造成をやったのでしょう。ここは、土地造成が遅く、一九三七年(昭和一二年)ごろに医務室ができています。それまで、病院は診療所として、各工場地域にありました。 私が、医務室の中を詳しく知ることができたのは、奥歯を抜歯し、血が止まらず、二日、入院した時です。入院室は、陸軍病院ですから、五〇床まではありませんでした。外科、内科、歯科、耳鼻科、入院室、事務所がありました。今目印になるのは、井戸、消化栓です。そして、何よりモミの木が病院の位置を物語っています。当初からもみの木は、医務室の中にあり、もみの木を避けて治療室があり、かどが外科でした。消火栓は、今の位置より、もっと海岸よりにあり、消化栓から先が、すぐ海でした。井戸は、医務室の裏にあたると思います。(表紙の写真参照。消火栓は、キャンプ場にも残っている)受付で受診券をもらって、内科や外科にそれぞれ行っていました。総合病院ですから、看護婦は一二〜一三人いました。 「自昭和一六年四月 軍需動員實施概況報告綴 忠海製造所調製(防衛研究所図書館所蔵)」を読むと医務室での患者の状況がわかります。一九四一年度(昭和一六年度)の患者数は四三八人(気管支炎、八一人)。これは、全従業員数二一〇五人の二一%にもあたります。この綴を読んで、思ったのですが、せきやたんを排出する患者が多く、医務室はいつも満員で時には診療打ち切りとなることもあったようです。全従業員の約二一%が何等かの病気で治療を受けると云った状況で、特に内科の診療では、たいてい『限就』といい、作業制限が行われ、治療専念することが指示されました。殊に発熱(三八度)の病状になれば数日間の医務休業(有給)が与えられました。急性症状の場合、医務室で治療すれば、治りますが、繰返すと慢性化し、長い診療生活が続くことになったのでしょう。このような症状になったのはたいていが、工場勤務者です。工員の病状に圧倒的呼吸器疾患が多いのも、化学兵器製造の影響だと思いました
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写真77 モミノキ側に移された消火栓
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写真76 砂防工事跡
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写真78 井戸
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