伝言 三軒家工場群周辺
写真81 待避壕

そこの防空壕は、人が待避するため専用の待避壕でした。高さは一・八メートルくらいあり、奥行きは七、八メートル、コの字型になっていました。今はだいぶ埋もれてますが、空気孔が見えます。ここは修理工場の待避壕でした

この上に「たこつぼ」といって、個人用の防空壕がありました。この一帯にへこんでいるような穴があるのはみな「たこつぼ」です。今でも多くの跡が残っています。警報が出たときの待避壕です。待避壕もここのは個別に、自分の同じ班の人たちが隣り合わせに掘っていました。人が一人入るくらいの大きさです。今は埋まっていますが、自分の背の高さ以上に掘っているものもありました。これは個人が自分用に掘っていたものです。 

ところが、一九四五年(昭和二〇年)にはいりますと、ここの「たこつぼ」に入ることができなくなりました。呉鎮守府から警戒警報が入っても、「決戦作業だ。職場を死守せよ」といって、職場から離れられなかったからです。「たこつぼ」に入ることができたのは、呉鎮守府から待避の命令が出たときだけで、自分で待避壕を掘っていても使うことはなかったのです。

戦後、休暇村ができた後に、変なうわさを聞きました。この壕が元の土葬した跡であるとの話です。そんなことはありませ。一八六七年(明治一〇年)ごろの地図を見ると墓地もありましたが、この谷の向こう側になっています。これは工員の待避壕で、俗に言う「たこつぼ」個人の待避するところです。


写真35 たこつぼ