伝言 三軒家工場群周辺
写真36 毒ガス貯蔵庫
写真85 擁壁

このコンクリートの擁壁は昔そのままです。ここを入っていくと塩化アセトフェノンという催涙ガスを造る工場があって、ルイサイト(A三)・イペリット(A四)そういう工場が付近にありました。

この貯蔵庫は、イペリットの小出しの貯蔵庫だと思います。ちょうどこの前にA四工場があって、そのA四工場からの製品がここに入っていたのではないかと思います。工場は係り以外の人が工場内を出入りすることはやかましく言われますので、はっきりした記憶でありません。ここのタンクは工場から直送のパイプがあって、送っていたと思います。この貯蔵庫にはたくさんの配管の穴が残っています。

この道路沿いに長くA四工場、イペリット工場がありました。そして、東側によったほうにエチレン工場がありました。この地図で言いますと、これがA四工場になって、これがルイサイトのA三工場です。この辺に催涙ガス、このタンクはブラウンタンクといいますが、エチレンガスをためていたところです。私が今話しているのは、私が大久野島にいた一九四一年(昭和一六年)から敗戦の一九四五年(昭和二〇年)ころまでの記憶です。一九四一年(昭和一六年)以前の状況は、この地図と様子が違います。また、ルイサイト工場も一九四五年(昭和二〇年)に入りますと、遊休施設になって、長浦のA二工場だけになっていました。そのように変わったのです。大久野島で働いていた人が集まって話をしたら、人によって違う場合があります。それは自分が勤めた時期によって、工場が変わっているからです。ルイサイトは一九三六年(昭和一一年)から製造し、一九四四年(昭和一九年)には遊休施設になり、A二(ドイツ式のイペリット)の製造が主になったです。そういうようにだんだん工場の製造体系が変わってきたのです。


写真86 海から見たA四工室