| 伝言 三軒家工場群周辺 | ||||||||||
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左側の建物が戦時中は検査工室、そして右が毒ガスの研究室と薬品庫です。(八八ページ写真参照)休暇村の初めごろは検査工室はロッジに改造されて使われていました。また、研究室・薬品庫は最近まで、ネイチャーセンターとして使われていました。 戦争中の思い出としては検査工室の一番奥の部屋が毒ガスの分析を教育された教室だったことです。そこで、時にはウサギの実験が行われることがありました。一度見せてくれたことがあり、覚えています。そのときの実験は青酸ガスだったろうと思います。実験室で淵上中尉、私らの教官でしたが、たばこを吸ったと言ってひどく怒られたことがあります。そんな思い出があります。ここは分析専門にしていました。研究室というのは第二造兵廠忠海兵器製造所だけのではなくて、陸軍造兵廠化学部全体の研究室でした。最近、時々赤筒へ黄剤が混ぜられたとか聞くことがありますが、そんな研究がここでされていたと思います。当時は研究室でなにを研究していたか知りませんでした。私と養成工同期の化学部の人はここで毒ガスの教育を受けていました。こっちでは有機化学とか無機化学とかの化学の教育、こっちは毒ガスの教育をしていました。 検査工室は、準備室といっていいか作業所と言っていいか国民休暇村になって、外回りの職員がここにいて、営繕関係の仕事をする人がいました。以前中は教室のように分かれていましたが、今はそれも変わっています。ここの中も改造しています。ここは大久野島ロッジといい、休暇村が始まったころは寝泊まりもしていました。毒ガスを造っていたのに旅館になったと言っていました。
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写真87 検査工室跡
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写真88 休暇村団体宿舎(村上初一撮影)
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