| 伝言 長浦地区工場群周辺 | ||||||||
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写真39 A二工室
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戦争中、ここはA二工場があったところです。イペリットの製造とフランス式イペリットの再蒸留工室がありました。かなり大きな規模でした。当初はA二工室と並んで、茶一工室もここにあったんですが、茶一工室は一九四一年(昭和一六年)に長浦毒ガス貯蔵庫の手前に移りました。残ったのはA二工室、黄一号、ドイツ式の沸騰性のイペリットも作っていましたが、その装置を壊して、フランス式イペリットの再蒸留にしました。 このA二工室を建てる前の一九三九年(昭和一四年)頃は、ここで、くしゃみガスを作っていました。そのガスを作る時には、近郷の大三島、瀬戸田、向かいの大崎上島の方から勤労奉仕でここにくる人が多かったです。その毒性が低いことから採用するにいたらなかったのですが、その後、ジフェニールシアンアルシン、砒素とソーダを使って再び作るようになりました。そのころに、沈殿槽がありました。その跡で今回砒素の調査をサンプリングしたら、環境基準の二二〇〇倍(調査地点は地上から四メートルの地下)でした。この沈殿槽があった状況は環境省からもらった地図を見てわかったことです。沈殿層の跡ですから、その当時のくしゃみ性ガスの砒素の成分が残っとったんじゃなかろうかと思います。 この写真を見てもわかるように煙突があります。この煙突を見て別に驚くことはありませんでした。工場ですから、煙が出るじゃろうと思われるかもしれませんが、この煙突は一切煙が出ません。この工場の中のよごれた空気を出す排気塔です。排気塔ですから、その中には、毒ガスも混ざっています。この辺だけじゃなく病院の方や、養成所の方へも匂いがたびたびしました。「こりゃあ今日臭いのお。」いうことが多かったです。「臭いのお。」いうことは、毒ガス成分も吸い込んどたということを考えないけんです。だから戦後の健康調査の時、ほとんどの人がなんらかの呼吸器障害をもっとったということと合うような気がするんですね。それから考えると一応、これは、国がおこした大気汚染で公害でしょう。それなのにそれを整理していないことはどういうことでしょうか、ということが言えるんじゃないかと思います。一九七三年(昭和四八年)頃、大気汚染にかかわる健康調査をやって、その結果大気汚染の影響である呼吸器患者は、これを公害環境部で補償するようになりました。男女年令別で違いますが、一四万円ぐらい。ところが、そのころ大久野島の毒ガス工員は認定患者で三八八〇〇円。こうも違うんです。大久野島の障害をいったい何なんかといったら、国が出した公害現象ですよ。それを国が処理するのはあたりまえのことですね。そこらを障害者のみなさんがどのように考えておられるのでしょうか、一考する必要があると思います。国家で補償すべきです。 |
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