| 伝言 長浦毒ガス貯蔵庫周辺 | |||||||
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写真51 毒物タンク
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ここに六基毒物タンクがあり、イペリット、ルイサイトが貯蔵してありました。周りの石垣から見ると人の二倍ぐらいの高さの貯蔵タンクです。今こうしとったら、開口部が非常に広いですけど、そのころ、大久野島というところは、もう松がすごくしげっとったところで、昼間も暗いようなところでしたから、上空から見えんかったと思います。 貯蔵タンクをここで解体しましたので、ここに鉛がたくさんありました。戦後、たくさんの人が、拾いに来ました。鉛でもこまい砂粒と同じです。それをとおしでふるうて、今のコーヒーの缶、自販機で売りよりますよね、それより、ちょっと長いのに一杯たまったら一〇〇〇円でした。給料の四分の一です。でも、船になかなか便乗できません。それに、守衛が船に乗って、沖の方まで来るんです。隠れようがありません。遠ざかったら、守衛がまたひっこむんです。その繰り返しです。三〇歳ぐらいのときのことです。二八歳で町役場に入って、一九五八年(昭和三三年)が合併して竹原市になったんですから。竹原市になる前じゃったです。給料は、一ヶ月で四五〇〇円から五〇〇〇円。そのころは、役場に入るものはおらんですよ。給料が安いですから。大久野島に行きますと、一日に四〇〇〇円、五〇〇〇円になります。だから、大久野島に行こうじゃないかいうて、船に便乗できるような人に頼んでね。 あの向こうの地下になっとるところエチルアルコールがありました。戦後すぐもらいに来たことがあります。それもドラム缶に入れてあるイペリットの材料で使うエチレンガスの原料です。ここにはアルコールが一杯一杯ありました。九九パーセント以上のアルコール分です。戦後にやけくそになって、工員たちをどうしてくれるんじゃいうて、エチルアルコールをもらってね、老年工員なんか飲むんです。私も、それにわけてもらって飲んだことがあって、おいしかったですね。一・八リットル瓶があるでしょ、あれ一杯もらって、ある日クラス会に使うたです。一本を一〇本に分けてやってね、これじゃったら、大丈夫だろうと、思うて飲んで、飲んだらすごい酔ったんです
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写真52 北部砲台広場
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