会報 第9号 もう一つの大久野島 その1
蔵 本 正 俊

【大久野島と忠海分廠】

「大久野島」といえば、「『毒ガス製造の島』から『平和希求の島』へ」「瀬戸内の国民休暇村」という言葉が脳裏をかすめ、後述の裁判の支援にかかわるまでは、忠海分廠とのことなど知る由もなかった。

1935年11月24日呉線が開通し、それまで海上輸送に頼っていた、大久野島で製造された毒ガスの輸送は、陸上輸送中心へと変わっていった。その陸上輸送の拠点となったのが忠海分廠である。

忠海分廠では、大久野島で製造された毒ガスを入れた容器などを集積保管し、中国大陸などへの輸送基地として、憲兵の厳重な監視下におかれ、戦局の激化に伴い、子どもたちも学徒として動員されていった。

【学徒動員令昭和20年6月14日】

1945年6月14日学徒動員令が出され、忠海西国民学校(現在の忠海西小学校と忠海中学校を併せたもので、高等科が忠海中学校に相当する)高等科1年生であったHさんは、敗戦した同年8月15日までの間、動員学徒として同級生と共に数回に亘って、担任の教師に引率されて忠海分廠に行き、倉庫の内外で、両端に紐がついている木箱の運搬や整理整頓などの作業に従事した。

                   

【「毒ガス障害者に対する救済措置要綱」に基づく健康管理手帳】

広島県は、厚生省(現在では厚生労働省)から委託を受けて、「毒ガス障害者に対する救済措置要綱」に基づいて、県発行の「毒ガス障害者のしおり」を事務処理方針として、旧陸軍造兵廠忠海製造所(大久野島の毒ガス製造工場)、旧陸軍広島兵器補給廠忠海分廠に動員学徒、女子艇身隊員等として従事した人に対する健康管理手帳交付など毒ガス障害者援護を行っている。

【八回にも及ぶ健康管理手帳の交付申請、そして提訴】

Hさんは、多くの人の協力を得て、学徒動員令が出された当時の忠海西国民学校の沿革誌や高等科1年生の終業台帳の写しと、学徒動員された時に引率した先生や同級生などの事実証明を添えるなどして、1992年12月15日以来8回にも亘って、広島県知事に対して健康管理手帳交付申請をし続けてきた。

しかし、いずれも納得できない理由によって交付申請を返却され、とりわけ担当課の原爆被爆者対策課が「証明者のAさんとBさんには忠海東国民学校四年生の時従事されたことにより手帳を交付しており、あなたの従事歴と異なっているため証明者として不適です」という申請返却の理由は、不合理極まる独善的な証拠判定によるものであるとしか考えられなかった。

証明者のAさんとBさんは、忠海東国民学校(現在の忠海東小学校)4年生の時従事したことによって健康管理手帳の交付を受けているものの、二人は、1945年3月26日同校を卒業し、同年4月1日に忠海西国民学校高等科1年生に入学し、同年6月14日から同年8月15日までの間、当時高等科の先生であったCさんに引率されて、同級生のHさんらと一緒に忠海分廠で動員学徒として作業に従事してきたのである。しかるに、県は、交付されている手帳記載の従事歴が重なっていない、として証明者から排除したのである。

のみならず、1999年2月16日付けの返却通知では、福祉保健部長名で、行政不服審査法は適用されないものであるにもかかわらず、さも適用があるかのように弄して、「60日以内に新たな証拠・証明によるものを付さないと、再申請を受理しない」という申請そのものを阻む暴挙に出てきたのである。

ここに至り、もはや、裁判よる解決以外に方法もなく、Hさんは提訴に及んだのである。

【同級生の悔しさと怒りを背負って提訴】

Hさんの知る限りにおいて、忠海西国民学校高等科(現在の忠海中学校)1年生の時、動員学徒として忠海分廠に行き、作業に従事したにもかかわらず、その同級生は申請してもことごとく、広島県原爆被爆者対策課から健康管理手帳の交付を阻まれている。

Hさんは、手帳の交付を阻まれた11人(内1人はすでに故人となっている)の同級生の悔しさと怒りを一身に背負って、広島県を被告として、1999年5月11日広島地方裁判所へ提訴した。

【差別脅迫状1】

Hさんの提訴が中国新聞でとりわけ大きく報道されて2週間余を過ぎた5月28日、Hさんに、前日の27日づけ音戸郵便局消印の一通の封書が届いた。それは、死という抹殺と部落差別を攻撃の手段とした悪逆極まる脅迫状であった。

(脅迫状の内容)

Hうったえをとりさげろ さもないとお前は死ヌ ワシがコロス 言いたいことがあるなら ワシのところまで来い

コロシたる ぶらくみんのくせになまいきだ 会社もブッツブス いつでもこいコロシたげる

三原市〇〇〇〇〇           

〇〇〇〇 (故人の氏名を詐称)

デンワをして来い

  (電話番号)〇〇〇〇

デンワにちゅういしろ

【差別脅迫状2】

Hさんが、警察に被害届を出して約1か月半後の7月19日、またもや7月17日づけ広島中央郵便局消印の差別脅迫状が届いた。

(脅迫状の内容)

Hうったえを取り下げ オマエのようなブラクミンはうったえるけんりはない オマエらブラクミンはイキをするのもかげのほうでこっそりしとけ

いっぱん人にメイワクかけるな ワシがハンケツをくだしたる Hのうったえはきゃっかする そしてメイワクをかけたのでHはすぐ死刑

この判決にふふくがあるならシネ もんくあるならいつでもこい コロシてやる

  三原市〇〇〇〇〇

  さいばん所長〇〇〇〇  (故人の氏名を詐称)

【見えない敵との闘い】

Hさんにとって、犯人の心当たりもなく、全く見えない敵だけに、警察に積極的な捜査と見回りの強化を依頼したものの、いつなん時不審な電話や来訪者などがありはしないかと、自分の命と自宅や工場などの財産を守ることに神経をすり減らしながら、恐怖と不安の日々を過ごした。

2つの差別脅迫状の犯人は、同一人であると思われるが、いずれの封書からも犯人の指紋と思われるものが検出されなかった。このため、犯人を特定することができず、捜査が難航した。                  

【座して待つよりも・・・】    

第一の脅迫状よりも第二の脅迫状の方が残虐さと攻撃性が強められている。それは、行動が意識を強め、強められた意識により更に行動が過激化するからである。

Hさんが何もしないでいても、犯人がHさんに第三の脅迫状を出したり、危害を加える言動に及ぶかもしれないことは十分考えられるところである。

Hさんは、意を決して、差別脅迫状事件を公表することにした。犯人を刺激すれば、わが身に犠牲が及ぶ可能性が高まるが、犯人が証拠を残す可能性もある。Hさんは、部落差別が人権侵害であることも念頭において、親しい新聞記者に取り組んだ。そして、1999年7月23日の毎日新聞で差別脅迫状事件が報じられた。

【部落差別との闘いへの始まり】

Hさんは、被差別部落の人ではないが、社会意識としての差別観念がいまだ根強いなかで、新聞で部落差別を受けたと報じられることによって、「あのひと(Hさん)は、被差別部落の人・・・」と間違われることは十分考えられるところである。

Hさんが、被差別部落の人と間違われて、「わしは、違う」と答えれば、部落差別をしたことになる。

差別脅迫状事件のことを新聞で公表するにあたって再度、Hさんと部落差別について学習した。そしてHさんは、人間の尊厳を否定し、残酷なしうちをする部落差別への憤りを心に秘めて、新聞への公表を決意したのであった。

【差別事件の分析にあたって】

差別事件は、さまざまな視点から分析することができるが、指摘し合うことによって部落解放への認識を深めることができると考えるので、思うがままに分析を試み、皆さんからのご意見などをいただきたい。

【分析1 最近の差別事件からみて】

■ 最近の差別事件は、だれが犯人か特定できないような手法を用いたものが多く発生しており、その例として、1993年11月11日から1995年8月25日までの間4回にもわたって竹原市役所のファックスに、侮蔑語を用いて被差別部落を攻撃する差別文書が送信されたファックス差別事件をあげることができる。

差別脅迫状事件では、犯人は、住所を三原市・・・として、数年前に亡くなっている故人の名前をみだりに使用し、筆跡をごまかしたうえ、差別脅迫状が入った封書を音戸、広島中央郵便局で投函し、しかも封書から犯人の指紋と思われるものが検出されないなど、ファックス差別事件よりもさらに巧妙なものとなっている。

■ 「部落民は死ね」「部落民を殺せ」などと書いたファッショ的な恐るべき差別事件も全国的に多く起きているが、差別脅迫状事件では、「死ヌ」「コロス」など抹殺の言葉が多く使われ、攻撃的な敵対衝動が残忍で、露骨なものとなっている。

■ これまでの差別事件は、直接被差別部落を攻撃したり、同和行政・同和教育を攻撃することを通して部落解放運動や被差別部落を攻撃するものが多かったが、差別脅迫状事件では、部落差別が市民Hさんを攻撃する手段として悪用されており、しかも犯人は犯罪行為(刑法第222条脅迫罪)をも平気で行っている。

こうしてみると、差別脅迫状事件は、近年起きている差別事件の中でも、もっとも悪質極まる残忍な差別事件である。

【分析2 犯人は差別主義者】

差別主義者には、サディズム(加虐的)傾向がみられ、攻撃の手段として威力を発揮するものであれば、手段を選ばないという特徴があるが、差別脅迫状事件にはその特徴が顕著に現れている。

「コロス」「シネ」「死刑」など抹殺の言葉を使った点に犯人のサディズム傾向が現れており、市民Hさんを攻撃する手段として意図的に部落差別を悪用している点に、犯人のサディズム傾向と手段を選ばないという特徴が現れている。

犯人は、Hさんが被差別部落の人でなくても、部落差別を手段として攻撃すれば、打ちのめすことができるほど威力を発揮し、Hさんが被差別部落の人であれば、なおさら威力を発揮するとみている。このことは、犯人において、部落差別が命をも奪うほど残虐な、攻撃の刃となることを知っている確信犯の様相を呈しているからである。

【分析3 攻撃の身代わりにされたHさん】

犯人が数年前に亡くなっている故人の名前を差別脅迫状の差出人として悪用しているのは、故人に対しての報復であるか否かは別として、差別主義者の報復的な側面が現象しているものと考えられる。

犯人がHさんを報復の相手方とみているのであれば、Hさんの個人生活も当然攻撃されることになるが、そうではないので、Hさんは攻撃をフリ向けられた「身代わり」であると言える。

【分析4 部落差別という刃】

犯人は、「コロス」「シネ」などと抹殺にあわせて、「オマエらブラクミンはイキをするのもかげのほうでこっそりしとけ」と人間として生きることそのものを封じる脅迫をしている。

「ブラクミン(部落民)」という言葉は差別語であるが、犯人があえてこの言葉を使って蔑称するのは、部落差別をずっと残しておこうとするなかで、部落差別を受けて当然であると侮蔑し敵視するものである。

生きるのであれば、部落差別がいかに過酷なものであろうとも、抗うことなく、部落差別を受け入れて我慢し耐えて、「イキをするのもかげのほうでこっそりしとけ」、さもなくば、「シネ」。これが、部落差別を凶器とした犯人の目論みである、と分析してみた。

市民を絶えず「上見て暮らすな、下見て暮らせ」とさせるために、被差別部落の人を生かさないよう・殺さないようにして残酷な犠牲を強いているのが部落差別であると心しておきたい。

【分析5「部落は怖い」という偏見を煽る】

差別脅迫状を一読して、筆者自身、あまりにも恐ろしい脅迫であると実感したので、これを受け取ったHさんにとってどれほど恐怖感を抱かせたことかと、いまさらながらも思う。

犯人が、Hさんを単なる攻撃の身代わりにするだけのことならば、「コロス」などという抹殺による恐怖心を与えるだけでこと足りると思われる。

犯人が抹殺にあわせて、Hさんを「ブラクミン」として攻撃し脅迫したことは、Hさんが抹殺による恐怖心を感じることを利用して、「部落は怖い」という偏見を煽るものと言える。犯人に、「部落は怖い」と思わせる企てがあったか否かは別として。

【差別脅迫状事件のまとめ】

差別脅迫状事件は、部落差別の現状を映し出し、私たちの前に部落解放のための多くの課題を呈示している。

以上試みた分析のほかに、「経済(とりわけ二重構造)・社会・文化構造の視点からの分析」「社会意識としての差別観念の視点からの分析」「同和教育、啓発の現状と課題という視点からの分析」「人権という視点からの分析」「抑圧の心理構造の視点からの分析」などが不可欠であるが、この点は、今後討議を重ねながら考察していきたい。

犯人に対する怒りや部落差別に対する憤りについてHさんと話し合ったことなどを通して、筆者が考えたことや感じたことを述べて、差別脅迫状事件のまとめとさせていただきたい。

■ 被差別部落の人でないHさんが、部落差別を悪用して攻撃されたことにより、Hさんは、「自己の課題」として、そして「国民的課題」として部落差別をなくしていかなくてはならないと痛感されている。

■ 部落差別の実態はもとより人権侵害の状況であるが、部落差別が存在することそのものが人権侵害であるという視点から、今後学習を深めていきたい。

■ 差別脅迫状事件は、Hさんにとって恐怖と苦痛の事件であったが、私にとってはさまざまな視点から部落問題を学ぶことができたので、Hさんの心情に思いを馳せながら、学んだことを今後活かしていきたい。

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