会報第10号 第3回日中友好平和学習の旅 記録その1

はじめに

毒ガス島歴史研究主催の日中友好の旅は今回で3回目である。前2回は中国黒竜江省で遺棄毒ガス被害者の証言を聞き、中国で毒ガスがどこに遺棄されたか、どんな被害が出ているかを訪ねる旅であった。今回は、遺棄毒ガスではなく、実際に日本軍が侵略戦争中、国際条約に違反した毒ガスを使用し、たくさんの中国国民を虐殺した北坦村を訪ねる旅であった。

今回の旅の目的は日本軍が毒ガスを使用してたくさんの中国人を死傷させたことに対する日本国民としての謝罪と、日中友好交流一歩になればという思いがあった。合わせて、大久野島で毒ガスを製造した加害者であり、自らも毒ガス被害の後遺症に悩む元毒ガス工場の工員と北坦村毒ガス虐殺事件の被害者との交流の実現。さらに、一人でも多くの日本人に日本軍の毒ガス戦検証の旅に参加してもらい、毒ガス使用の事実を自分の目で確かめてもらいたい、というねらいもあった。

8月17日(火)

8月17日午前11時 広島空港集合、今回の旅の参加者が初めて全員で顔を合わせる。お互いに簡単な自己紹介のあと、諸連絡と打ち合わせを急いで済ませ、搭乗手続きへ。その前に、見送りにきていただいた中村さん夫妻と藤本安馬さんのご家族と一緒に記念撮影。写真は中国新聞社の広田さんが撮ってくれた。なんと頼もしいカメラマン。12時50分少し遅れて広島空港を出発。

8月17日上海の浦東空港で侵華日軍大屠殺遇難同胞紀念館の通訳、常嫦さんの出迎を受ける。6年前、南京を訪れた時も案内してくれたのが彼女だ。その後、3度ほど彼女は南京大虐殺の幸存者などと一緒に広島を訪れている。その度に会うことができていて親交を深めていたのでなんの不安もなく空港に降り立った。上海〜南京までは高速道路もあり、かなり近くはなっているそうだが、丁度、高速道路が工事中とのことで4時間あまりかかって南京へ到着。南京到着後、侵華日軍大屠殺遇難同胞記念館館長の朱成山館長に夕食歓迎会に招いていただき大変ご馳走になった。朱成山館長にも6年前、南京でお会いし、その後も何度も広島でお会いしたことがあり、温厚な人柄の館長の招待に感謝、感謝の歓迎会であった。食事後、南京の名所、孔子廟を案内していただいた。

8月18日(水)

午前8時10分出発の予定が、帰りの飛行機のリコンファームに手間取り、約30分遅れての出発。まず侵華日軍大屠殺遇難同胞紀念館を訪問、朱成山館長はすでに門のところで待っておられて、到着した私たちを案内してくださった。紀念館に入ったすぐの広場に大きな平和の鐘が作られ、庭に幸存者の足跡を彫刻するなど、6年前よりも見学する中身も増え、紀念館が充実していることがすぐに解った。合わせて、たくさんの中国人が訪れているのには驚いた。入場料が無料になったことは知っていたが、6年前とは違った光景だった。

朱成山館長の親切丁寧な説明で広場を案内していただき、追悼式をおこなう場所に到着。用意されていた花輪を献花後、南京大虐殺の犠牲者の追悼式をおこなった。黙祷・追悼の言葉・歌という追悼式だったが、遺棄毒ガスによる中国の被害者への謝罪を歌った歌(「大久野島の歌パート2」)を歌う頃には紀念館見学に来ていた、たくさんの中国の人に取り囲まれていた。みんな私たちが追悼式をおこない、歌を歌っていることに興味を示して集まって来たのだった。皆、好意的なまなざしで見守ってくれた。私たちが紀念館を訪れて追悼式をおこなっていることを知り、後から新聞記者も駆けつけインタビューも受けた。

南京大虐殺紀念館での追悼式

追悼式の後、私たちは幸存者から証言を聞いた。常志強さん、1928年生まれ、76歳の男性である。彼の話に私は冒頭から衝撃を受けた。彼は自分の南京大虐殺で受けた残虐な出来事は思い出したくもないし、人に説明するのもいやでずっと話さなかったそうだ。彼は、南京大虐殺で日本軍に家族をほとんど殺され、生き残っていた姉も死に、1人ぼっちになり、よく人から何故一人ぼっちになったか聞かれたそうだ。しかし、彼はいやなことを思い出すので、あまり詳しくは話さなかったそうだ。しかし、彼が話す気になったのは、いや、話さなければならないと思ったのは日本で「南京大虐殺はなかったのだ」ということを言う者がいると知ってからだった。歴史の真実を歪めようとする日本の動きは許せなかった。それ以来、証言するようになったと話された。一部の日本人とはいえ、歴史の真実を歪曲しようとする言動が南京大虐殺の幸存者をさらに苦しみのどん底に陥れていることを改めて知り大変申し分けないと思った。常志強さんの涙を流しながらの証言は、聞く私たちも涙なしには聞けなかった。証言の内容は別のところに記すのでぜひ、読んでいただきたい。証言を聞いた後、紀念館の中を参観した。大虐殺の現場に建てられた紀念館には掘り出された万人杭がそのまま保存されてあった。紀念館の広場の壁に刻まれた日本軍の残虐行為の様子の彫刻がその残酷さを私たちに伝えている。

私たちが訪れた時、紀念館の特別展として毒ガス展が開かれていた。4月に南京を訪れた人から、毒ガス展が開催されているとは聞いていたが、8月にはもう特別展は終わっているかと思ったが、丁度、間に合った。特別展の会場は広い会場にさまざまな毒ガス問題の情報が展示されていた。実物の毒ガス弾も展示され、大久野島の毒ガス工場の写真も展示してあった。毒ガス島歴史研究所が提供した資料も展示されていた。南京にも戦争中、毒ガスが運ばれていたことも解っており、近くで毒ガスも見つかっている。南京大虐殺と毒ガスが無関係でないことを物語っているともいえる。南京大虐殺と日本軍の毒ガス使用をもっと掘り下げて調べる必要がある。

毒ガス展の会場にて

紀念館の内部の展示も6年前来たときとは展示方法が違っており、内容もより充実していた。何度、見ても日本軍による残酷な虐殺現場の写真は目を背けたくなるような残虐なものである。しかし、目を背けてはならない。歴史の真実を直視しなくてはと一生懸命見て回った。

紀念館を出て南京市内の虐殺現場を一ヶ所訪れ黙祷し学習した。南京市内にはあちこちに虐殺現場があり犠牲者を追悼する記念碑が建てられている。

その後、南京唯一の観光であった中華門を見学した。古代中国の合戦の歴史を残す有名な門だが、しかし、ここも南京大虐殺の時日本軍が侵攻し、大虐殺がおこなわれた場所でもあった。

17時55分発の飛行機で南京をはなれ北京へ向かった。19時50分無事、北京到着。北京では陳俊英教授が出迎えてくださった。6年前、毒ガス事件幸存者の李徳祥さんと一緒に三原で証言集会をした時、通訳で来られていた。陳俊英教授には会いしたことはあるが、話したことはなかった。私たちのことが解ればいいがと思っていたが、案ずることもなくすぐに陳教授と会うことができた。北京空港からすぐに車で河北省保定市へ向かった。保定市のホテルについた時は21時を回っていた。

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