| 会報 第11号 第4回日中友好平和学習の旅報告 | |||||||||||||||||||||
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山内正之(毒ガス島歴史研究所)
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はじめに
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地下通路 今は慰霊所になっている
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731遺跡(ボイラー室跡)
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午後はホテルに帰って分科会がありました。李国強さんも来られてホテルで待っておられました。2002年3月に竹原で中国遺棄毒ガス被害者の証言集会を開いた時から2年半ぶりに会うことができました。映画「苦い涙の大地から」の中で咳と痰に苦しむ李国強さんの姿を見て心配していたのですが、思ったより元気そうで安心しました。これは、9月はまだ、暖かいせいだと考えらえます。映画は冬に撮影されていましたから条件が違っていました。 分科会は3つに分かれて行われました。私たちの参加した分科会には李国強さんとその妻王雅珍さんも参加し、一緒に話し合いました。「侵華日軍細菌戦・毒ガス戦国際学術会議」には6カ国から参加がありましたが、私たちの出た分科会は中国・日本・モンゴル・韓国からの参加者がいました。国境を越えて戦争加害と被害について話し合うことはハルピンでは初めてのことで非常に意義があると731部隊研究所の金成民さんが言っていました。このような国際会議を来年は韓国のソウルで開催ことを計画しているとのことでした。 |
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「侵華日軍細菌戦・毒ガス戦国際学術会議」分科会の様子
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分科会では私たち毒ガス島歴史研究所のメンバーにも発言の機会が与えられました。中村代表をはじめ、それぞれが自分の思いやこの会議に参加しての感想を述べました。日本語でしゃべったものを中国語に通訳し、さらに韓国語、モンゴル語に通訳するわけですから時間がかかります。私たちにはダー先生がついて通訳・解説してくださったので大変良くわかりました。 この会議の席で李国強さんは次のようなことを述べられました。中国で日本軍が遺棄した毒ガスで平和に暮らしている中国人が死傷しているのに、日本政府はその責任をとらず、謝罪もしないのは不合理きわまりない行為で、憤慨している。今、日本政府を相手に裁判をしているが早く裁判に勝利して、正義を実現したい。 2003年8月4日にチチハルで日本軍の遺棄した毒ガスで多くの被害者が出た、戦後60年経った今でもこのような事故が起こることは大変悲しい。もう二度と私たちのような被害者が出て欲しくない。戦争が終わって平和に暮らしている人が被害を受けることはあってはならないことだと思う。しかし、残念ながら、いまだに被害が起きている。日本政府の責任でこのような事故が起こらないようにしなければならない。2003年8月のチチハルの遺棄毒ガス事件で思うことは、日本政府は、この時の被害者には見舞金を出したが、同じ遺棄毒毒ガス被害者である私たちには何の見舞金も出そうとしない。これは明らかにおかしい。日本政府のこのような態度は理解できないし、憤慨せざるをえない。遺棄毒ガス事件は戦争中の出来事ではなく戦後の事件なのだから日本政府はその責任を取らなければならない。早く裁判で日本政府の責任を明らかにしたい。ただ、2003年8月のチチハルの事件が中国に広く報道されたおかげで日本軍の遺棄弾や遺棄毒ガス弾のことを中国の多くの人が知り、危険を察知するようになったのは良いことだ。 日本政府には憤慨しているが毒ガス島歴史研究所の人たちなど、日本の国民の中には私たちに親切にしてくれたり、励ましてくださり、大変感謝している。毒ガス島歴史研究所は私たちを日本に招いてくれたり、その以後もずっと交流したりしてありがたいと思っている。私は日本に行って平和資料館で原爆の被害を見て初めて日本国民も被害者なのだということがわかった。悪いのは戦争を起こす政治家や軍人であり、人民は国境を越えて協力していかなくてはならない。 |
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「細菌戦毒ガス戦国際学術会議」閉会行事にて
写真右、前列左から2人目が李国強さん,3人目が王雅珍さん |
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今回の旅の目的のもう一つが李国強さんとの交流でした。今回の旅を毒ガス島歴史研究所事務局が企画を考えたのも、「苦い涙の大地から」を鑑賞してからでした。手紙での交流はしていたものの、李国強さんとの交流が疎遠になってこともあり、李国強さんに何かしてあげられないかとの思いから実現したのです。新学期も始まり忙しい中でありました、国際会議への出席もあわせて行こうということになったのです。行く前に、少しでも李国強さんの支援になればと、カンパ募金を集めました。毒ガス島歴史研究所会員の有志と広島県教職員組合の「苦い涙の大地から」の上映会の参加者にカンパをお願いし集め、持って行きました。日本政府に代わって、私たちが遺棄毒ガス被害者への経済的補償をするなんてことはとてもできません。カンパの額はわずかでも、頑張って欲しいという私たちの思いが李国強さんに伝わればという思いでした。 また、李国強さんが日本の薬を欲しがっているとの話を聞き、少量ながら、咳と痰に効く、薬を苦労して手に入れ、持って行き手渡しました。李国強さんはもらった薬を、喉の調子が悪いので、すぐ、いただこうと言って一錠飲まれました。あとは、冬に症状が悪化した時、飲めるように大切にとっておきたいと言われ大変喜ばれました。 9月4日中国黒竜江省ハルピン市のホテルで、李国強さんと妻の王雅珍さんにお会いし、毒ガス島歴史研究所代表中村京子さんより、みなさんからお預かりした支援カンパ金や薬をお二人に渡しました。李国強さんは心配していたより元気そうでした。しかし、会議の途中も、話をしている時も咳が出たりや痰が詰まったりする様子がうかがえました。これから寒くなり冬になると咳や痰ひどくなるそうです。持って行った薬は大切にして、冬のひどいときに飲みたいと言っておられました。お二人は「私たちのために遠く日本から会いに来ていただいて感謝の気持ちで一杯だ、また支援カンパをいただき大変感謝している。」「カンパに協力していただいた人によろしくお伝えください。」とのことでした。 |
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ホテルの部屋にて
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ホテルの玄関前で記念写真
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9月5日は東北烈士記念館を見学しました。ここには中国東北部で抗日戦争と国民党との解放戦争で犠牲となった革命人士の足跡を展示した記念館ある。1997年に来たときは地下で毒ガス展が行われ、大久野島のことも展示されていた。2001年に来た時もここを訪れているがその時とは展示が一変していた。抗日戦争勝利60周年を記念して改造されたのだろう。2階の烈士の展示場も見違えるように充実した展示に変わっていました。地下には日本軍の侵略戦争の罪状が詳しく展示してあり、日本侵略軍による中国人民への拷問の様子や、拷問に用いた道具などが展示してありました。また、日本軍が侵略した中国人民を支配するために麻薬などによって中国人民を堕落させる政策を取った様子などが蝋人形などで再現されていました。ハルピンにきた日本人は侵華日軍731部隊罪証陳列館とともに東北烈士記念館はぜひ訪れるべき所だ 。中国に味方して戦った日本人緑川英子(本名長谷川照子)なども展示されている。 ハルピンではその他、東北虎林園、極楽寺の見学に行きました。ハルピンの代表的観光地です。たくさんの中国人が観光に来ていました。東北虎林園、極楽寺ともに広大な敷地に作られ、見ごたえのある観光地でした。ハルピン3回目の私も初めて訪れた場所でした。少しでもハルピン楽しんでもらおうとのダー先生の心ずかいに感謝です。 |
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東北烈士記念館入り口
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9月3日に大連で、ハルピンへ行きの飛行機の待ち時間がたくさんあったので、旅順まで行き、日露戦争当時の遺跡(東鶏冠山補堡塁)と資料館(旅順日俄戦争陳列館)を見学しました。日本軍によって攻撃されたロシア軍の要塞跡があり、弾痕が多く残った要塞跡、や日本軍の業績をたたえる1929年に日本人が建てた記念碑などがありました。ほとんどが日本軍の侵略の歴史の足跡としての遺跡であり展示でしたが、一部、日本軍の業績を誇示するような遺跡もありました。資料館には大久野島などから持って行って旅順攻撃に使われた28cm留弾砲の弾やたくさんの写真が展示してありました。 |
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弾痕が残る要塞跡
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旅順日俄戦争陳列館に展示してある28cm留弾砲の弾 | ||||||||||||||||||||
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戦争中、日本人が多く住んでいた住宅地や大連港、星海公園などを案内してもらい、夜はビルの屋上から大連の夜景を見ることができました。中山広場から放射線状にのびた道路が美しい大連の夜を楽しませてくれました。 今回の旅は短時間であわただしい旅でした。帰りの飛行機が広島に台風接近のため、広島空港閉鎖で予定した飛行機が飛ばないと飛行場に行って初めて知り、あわてました。通訳さんの協力もありなんとか関西空港行きに乗り、予定の日に帰国できました。 旅の成果はなんといっても李国強さん王雅珍さんと交流できたことでした。日本政府の無責任な対応の、せめてものお詫びの気持ちも込めてこれからも日中友好交流を続けていきたいものです。
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