おおくのじまの歴史をたどる写真展


“写真展を開くにあたり”

戦後の大久野島の印象は暗い面が多かったのですが、明るい面としては、1960年4月(昭和35年)休暇村建設プランを厚生省と広島県が発表したことでした。しかし、この計画は、日本の戦争犯罪の「罪証」でもある毒ガス製造の実態をその施設の残骸まで、悉く取り壊して遊休施設を設置し、暗黒の歴史を塗りつぶそうとする狙いがあるでは、の声もでて、完全保存か永久保存かの議論が高まって行きました。そんななかで、毒ガス後遺症に苦しめられている障害者たちは、「毒ガス製造施設の全面撤去することは傷害者の補償要求の基盤を奪われるのも同じで、いわゆる救済問題の後退を憂えて『施設の一部永久保存と、毒ガス記念館の建設』を県を通じて厚生省に強く要望していました。一方地元竹原市では、“レジャー”の地として大久野島を再生させようと、国の施策を大きく期待しこれを実現するために、旧軍施設の全面撤去を竹原市と国民休暇村協会で国に要請していたから、陸上自衛隊第十三師団施設大隊が「演習」の名目で旧軍施設の撤去作業を行いました。その後、遊休施設を完成させ、永い歳月一般社会から目隠しにされていた大久野島は、1963年(昭和38年)7月、国民休暇村をなり開所式典を挙行しました。早速地元の商工振興会では開所を祝い記念の祝賀踊りを町内や島内に繰り出し、大勢の観光客も加わり島内では終日祝賀パーティーが盛大に行われ、大久野島国民休暇村の繁栄を祈念したものです。

                 村上初一(むらかみはついち)

プロフィール

1925年生まれ

1940年 東京第二陸軍造兵廠技能者養成所忠海製造所(大久野島)入所

1943年 同機械科卒業後、工場配属

1953年 忠海町役場に採用され、竹原市行政職を継続。

1982年 定年退職、非常勤特別職(家庭児童相談員)

1988年 大久野島毒ガス資料館館長就任

1996年 同定年退職。現在「毒ガス島歴史研究所」顧問

編・著に『戦争と平和の島』 『毒ガス島の歴史』 『毒ガス島と少年』

写真集に瀬戸内海国立公園『黒滝山石仏の道』

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