知床にて 2000年9月

 

プロフィール ver.1.0.4

〜ごくまれに更新中〜

 

とりあえず自己紹介

名前 織田(おりた)

HN:Oritaが最近多いが、おり太郎、某○○員とも。以前は長い間「信長」なんて安易なハンドルネームを使っていた。そのため殿と呼ばれることも多い。志村けんのバカ殿やビートたけしがたけし軍団に殿と呼ばせていたような感じがして、なかなか気に入っている(・・・嘘に決まっている)。

---姓の由来について 

なんでオダではなくてオリタなのかは不明。誰かの法事で親戚一同で集まったとき、「織田信長に遠慮してオリタと名乗った」説や、「本当は信長の子孫なんだが判らないようにオリタにした」説(ぜんぜん説得力がないじゃないか)が議論されたが多分いずれも間違いであろう。戸籍上は名前の読み方は関係ないらしいので、ほんとはオダでもいいと聞く。うちの戦死した祖父さんは、東京都庁に勤めていたころ「オダ」で通していたそうな。面倒だったからだろうか。今では真相は不明である。というか「織田信長」や「織田祐二」や「織田無道(笑)」のように「オダ」姓が主流だし、そう名乗る人が実際に圧倒的に多いのよね。昔ジャイアンツに「オリタ」さんが入団したんだけどどうなったんだろう。実は私のオヤジの従兄弟は、兄はブラスアンサンブルの世界では有名なトランペット吹き、弟は高松のフランス料理オーナーシェフなのでそちらに頑張ってもらい「オリタ」姓普及の一躍をになってほしい。ワシは諦めた。。。あ。釣りバカで有名になると云う手があったか(爆死)。

生誕地 岡山市 1960年代 血液型O型

---父親は香川県、母親は鳥取県の出身。だから生粋の岡山人ではない。讃岐人と因幡人のハーフである。父親がモロッコ人で母親がフランス人、今はスペイン在住と同じである。生まれてから高校生+1年(不本意ながら浪人した)まではずっとスペイン、じゃなかった岡山に住んでいたが、大学入学と共に千葉市民になった。それが2年間。その後2年間松戸市民にもなったことがある。勉強はかなり好きで、最初の二年間は学生寮に入り中国語(麻雀)を熱心に勉強した(今は忘れた)。学校の勉強も大好きで、同じくらい熱心にするつもりだったのだが、その後釣りを本格的に勉強し始めて時間が足りず、泣く泣く後回しとなり成績は低空飛行を続けた。今はもうその学科はなくなってしまったが、造園学科という珍しい学科を卒業している(ほんとうに)。で、低空飛行で岡山まで舞い戻ってきてしまった。今も勉強は大好きで釣りの研究にいそしんでいる。その他のことは低空飛行を続けている。

職業 ランドスケープアーキテクト なーんて書いてみたかった。かっこいいねえ横文字だと。ほんとうは某所につとめる技術職(とはいえまるっきり頭の中身は文系人間だと自分でも思う)。ランドスケープは守備範囲が広く、かつ曖昧模糊としていて、これが正解というものがない。これがベターだ。という世界である。全然説明になってないねえ。ほんの少し専門的なことを書くと日本には職能としての「ランドスケープアーキテクト」というのはほとんどいない。世界的な建築家は沢山いるのにね。いるのは造園関係の設計技術者だったり施工技術者だったりがほとんどの場合である。もっとも世界をみてもさほど多いわけではないのだが...。学生時代は風景を造り上げることがあこがれではあったが、特に川での釣りを初めてからそれにはまったく興味が無くなった。まるっきり自然主義になったのかといばそれはあたっているようであたっていない。実は風景というものはつくるものではなく「発見」するものなのだということにいい歳をこいてから気がついたのである。

特に、日本(を含めた極東)における、近代以降のランドスケープの最大の問題は、例え小さなローカルな社会集団であったとしても、共有する世界観(世界像)が、つまり数学の集合で換言すれば、「共有集合」部分がちっぽけで、そして弱いことに尽きる。息苦しくはないが、ばらばらで、混沌とした様相を呈するのだ。もう一点が通時的な生活感の欠如である。簡単に云えば、同じ家に同じ家系が数百年住まうという覚悟というか、諦念が失われたと同時に、街や里の風景は破壊されたのである。実は風景には型があって、無意識的レベルでさえも、その型の学習や共有と同時に、連句的な引用や応用が行われていた筈なのだ。そしてその道もある程度楽しみを日本人は発見していた筈なのだが・・・・あれれ、なんか話が横道にそれちまった。

独身 独身とは何か。それは男であれば妻帯者ではないことを云う・・・・そうではない。かつて独身だった経験は豊富にある(30年ほど)。従ってラブレターは受け取れません。残念ながら。妻一人・・・妻一人残して釣りにばっかりいってるというのはもっぱらの評判。本人はあまり気にしていない・・・こともない。

性格 占いは信じないが性格診断は興味がある。エゴグラムの診断結果はCAAAB型。よって自分が悪いのではなくて世の中がおかしいのだと思ってしまうタイプ。いやなヤローだね。

趣味 趣味は読書と音楽鑑賞。たまに料理もする。昔は凝っていた。今でもパスタは作る。トマトだけのシンプルなパスタ、ポモドーロが好きだったりする。釣りと通信はライフワークなので趣味ではない。(これは昔だれかが使っていたので無断借用のフレーズである。すんません。)

釣り 釣りについては沢山語ることが出来る。小学校2年生のころ、初めて釣りに連れていってもらった。そのとき一番最初に釣った魚はカサゴだった。その横で弟がチヌを釣ったときにはショックを受けた。そっちのほうがかっこうよく見えたからである。その後、フナを釣ったり、ウシガエルを釣ったり、ハゼを釣ったりと健全な小学生時代を過ごす。中学高校時代はあまり魚を釣った記憶がない。お盆にオヤジの里の香川の海で少し竿を出していたぐらいだろうか。大学に入って急変した。同級生の悪友に誘われブラックバスのルアーフィッシングにハマった。。

何故フライフィシングにのめり込んだのかは偶然が重なる。たまたま職場の同期に渓流釣りをするやつがいた。一緒に行くことになった。道具を買うときに餌とフライの両方をそろえた。最初はフライでは全く釣れなかった。そりゃそうだろう。なんにもわかってなかったんだから。暫くフライタックルは休眠していた(が、車にはいつも積んでいた)。ある日たまたま山奥へドライブに。なぜか車を停めた目の前の川でライズをしていた。ちょうどそのとき車のトランクにフライタックルがあった。半信半疑で投げたらたまたまよいところにフライが落ちた。さかなもたまたま躊躇せず、そのできそこないエルクヘアカディスを補食。あっけなく釣れてしまったのは、19センチの岩魚だった。その日以来どっぷりとフライ生活がはじまり、今日まで至る。

でもまてよ。どうしてその経験がルアーをほとんどやめてしまうほどのターニングポイントになったのかは、いまだ自分でも不明である。あれ?つまり何故のめりこんだのかのではなく、いつのめり込んだのかという話になってしまっている。なぜなら上記の話の続きとして「なんだフライって簡単だったのね。もういいや。」となってしまう話が来ても別におかしくはない。ということは人がなにかにのめり込むのはささいなことで十分であるということを証明しているにすぎない・・・ということか。

ではなくて、これは一気に認識が開かれるという経験と相似であるような気がする。たとえばヘレンケラーが初めてwaterという言葉を認識した瞬間がそうであるように。たった一匹の小さなイワナによってフライフィッシングという世界が目の前に開けたのだった。