副題:琵琶湖の外来魚問題は市場主義的外来魚低減システムを採用し解決せよ!
※以下のテキストは思考実験である。まじめな方はお怒りにならぬよう、脱力して読んでみてください。
■概要
これは市場を通じて、釣り人でもなく漁業従事者でもなく第三者を呼び込む、つまり新たな釣り需要を掘り起こすという公共投資のアイデアである。単純にいえば金儲けという目的の手段として外来魚を除去するシステムを開発するのである。外来魚の重量自体に経済的価値を付けるようにするのである。予算は200億円くらいあればいいだろう。今の駆除対策事業で無駄金(失礼!)を半永久的につぎ込むよりましである。外来魚駆除対策は国策でもあるし、国から半分くらい補助金をぶんどってきてもよろしい。詳細なシステム(商品)開発は商社、シンクタンクなどから公募してコンペで選んでもいいねえ。この予算が高いかどうか議論はあるだろうが、ちなみに200億円というのはどの程度の金額なのかといえばゴルフ場を二つ建設するときと同じくらいの相場である。
単純な話で、個人でも法人でも漁業者であっても差別なく誰からでも平等に高額で買い取るという仕組みにすればよいのだ。理想をいえば、竿一本持って一年間頑張って釣り続ければ十分生活が出来る程度の収入が確保できるほどにするとなお良い。なぜならプロ化した個人や企業体が生まれるとそこで彼らの間で競争が起こり技術の向上が見込めるからである。大雑把に計算すると頑張る人の年収が400万円位になるようにすればよい。ということはそこから逆算して、年間釣行(駆除)日数を200日。ということは一日あたり平均漁獲高2万円。がんばれば10キロ前後の水揚げが考えられるので、キロ2000円の買い取り価格にすればよい。さらに累進加算の仕組みを採用し、取引単位が大きければ大きいほど買い取り価格を上乗せするとか、駆除のボリュームに応じたボーナスを支給してもいいだろう。
さて、これから資本主義のシステムに乗っけて解決するのが一番早くて確実なのではないかというテーマで以下色々検討してみる。だが、その辺の商人としての「知の集積」というものは、琵琶湖は近江商人のお膝元だし沢山あるだろう。私が以下書くまでもなく、良いアイデアを持っている人々がきっといるだろうから、もっとよいシステムが築けるはずである。
リリース禁止の処置は、今の釣り人を琵琶湖から遠ざける原因にしかならず、リリース禁止の目的である外来魚の駆除という県の目論見を達成できるかどうか怪しい。さらに漁業従事者という生活者にとっても網に掛かった外来魚は経済的価値がないため、いままでは捨てるか安い金で県に引き取ってもらうしかなかったのである。ということは、その他からこの駆除というアクションに多数の参加を募らなければ問題解決は出来ないのである。
■現行の駆除事業の問題点
現在の外来魚駆除対策事業によって駆除できる外来魚のボリュームには限界がある(聞くところによると平成14年度でも高々400t位らしい)。さらに私が以前試算したようにそれではほとんど駆除の効果が得られない。最低でも年600tが必要だ。そもそも外来魚駆除に充てるには漁業従事者の絶対数が不足しているのではないか。また現在琵琶湖に年間70万人も来ているバスアングラーの大半の協力も得られそうにない。はっきりいえばリリース禁止の施策は失敗する可能性が高い。今緊急的に駆除しなければならないのは外来魚の8割以上を占めるといわれるブルーギルのほうである。バスフィッシングのタックルでブルーギルの駆除の効果が得られるとはとても考えにくい。リリース禁止を従順に守るバスアングラーがいたとしても彼らが持って帰るのはほぼバスだけである。バスとブルーギルの資源量の関係には負の相関関係があるといわれており、バスが減ると結果としてブルーギルが増えるという事態も起きかねなない。それは無意味な、否むしろ逆効果となりかねない。
資源量を半減させるだけでも最低年間600t以上の駆除を行わなければならない。漁業者の補完的な駆除にも限界がある。その上釣り人は協力しない。だったら駆除する機会をもっと増やすしか方法がない。リリ禁という「改宗」を強制するようなやり方は間違っていることに早く気づくべきだ。ときには環境のためという大義名分で動くボランティアも中にはいるだろうがそんな奇特な人は少数である。それでは焼け石に水だ。であれば、個人、法人を問わずすべての人々の協力をもっと得る方法を考えるしかない。新たにその機会を増やすには経済活動の目的で外来魚を採捕してもらうのが一番手っ取り早くなおかつ吸引力がある。漁業者と釣り人だけに外来魚の駆除を任せるだけでは機会という面で不十分なのはあきらかだ。
■市場主義的外来魚低減システムとは
このシステムを例えば市場主義的外来魚低減システムとでも名付けよう。これは、外来魚の問題を、大きな公共需要が発生することで出来た市場のメカニズムで解決する手法と換言出来る。
このシステムについて今思いつく概略を説明しよう。この通りにしなければならないという意味ではなく、例えばこんなものという意味である。
具体的には、例えば以下のような方法も考えられる。
上記に追加すれば、この事業の真の意味を機会を捉え啓蒙する必要もあるかも知れないが、私はさほど必要ないと考える。要は結果主義である。お好きな人はやればいいだろう。
■システムの効果
取引量に応じた累進加算の真の意味は、経済活動の自由化の促進の為である。これをしておけば小遣い稼ぎに来ている一般の釣り人から釣れた外来魚を高く買って回るという「回収業」が成り立つ。県は回収ルートの整備や委託などに費用を掛ける必要が無くなるであろう。市場に任せておけばなにしろ勝手に出来てしまうのだから。他にも思いがけないサービスが立ち上がる可能性もある。釣り上げた魚を入れる容器の開発。コンビニエンスストアによる24時間回収なども出来るであろう。県は地域通貨の発行を検討しているようだがそんな回りくどいことは不要である。
さて、これがうまくいけば漁業者や釣り人への精神的負担を軽減し、外来魚の低減は市場が解決する。これなら誰からも文句はでないはず(ん?納税者からは出るかな)。これが成功すれば各都道府県に波及し一気に外来魚問題は全国的に収束に向かうであろう。さらにリリース禁止というバスアングラーからみれば不合理な規制も市場的反発ゆえに不要になるであろう。簡単にいえば、高性能なバスボートで登場し、目の前で魚をじゃんじゃん釣られてしまうと小遣い稼ぎのお父さん達はきっと反発するに違いないからである(笑)。きっと心の中で「ばらせー」とか「逃がせ」と思うに違いない。
まあそれは冗談だが、遊びたい人は遊べばよい。リリースしたい人はリリースすればいい。それは市場が後から回収するからである。外在的な法規制がなくても、内在的理由(金儲け)によって、結果として外来魚が減る手段があるのなら、規制は撤廃すべきである。
元バスアングラーとして思うに、リリース禁止はやはり無理がある。たとえそれが道理としてわかっていても従いたくないという気持ちはある程度理解できる。またこの市場主義的外来魚低減システムが動き出せば、バスフィッシングの性質も変わるだろう。バスは遊びとしてリリースし、小遣い稼ぎにギルを釣ってライブウェルに満載したボートがドックに帰ってくるかもしれない。ガソリン代が出るかどうかは微妙だけど帰り道の食事代くらいにはなるだろう。
■結び
このシステムが上手く行けばゴールドラッシュならぬブルーラッシュ、ブッラックラッシュが起こるのである。文字通りの意味でのバスプロや新たにギルプロ(笑)が誕生するであろう。
再びボート屋に人は戻り、漁師に笑顔が戻り、バスアングラーはリリースできる喜びを再び噛みしめ、老若男女一般市民は小遣い稼ぎができ、外来魚回収業という新たな産業も成立し、雇用の確保も少しは出来る。新たに釣りに参加した人々の間で釣り本来の面白さに目覚め、釣りを趣味とする人間も増えるだろう。そうすれば斜陽の釣り業界も再び浮上に向かうだろう。ただしルアーは売れないかも知れないが。結果として外来魚の抑制も出来るし、琵琶湖の将来は明るいね。
ちなみに漁獲率f=0.4程度の漁獲にするには概ねギル600tとバス300tの併せて900t程度の漁獲が毎年見込まれればよい。これを上記の買い取り金額キロ2,000円で計算すると年間18億円の支出となる。総額200億の予算が有れば200/18=約11年は事業が続けられる。恒常的に900tの漁獲を確保することは現実的には困難だと思われるが、計算の上では実は9年程度で駆除は完了しちゃうのである。さらにそのときの処分費は900t*9年*15万円/tなので約12億円である。9年間の買い取り額が162億円と処分費12億円で計174億円。200億円の予算があればお釣りが出る。
追記
上の文書は400tを漁業で500tを市場で駆除すると想定しているが、設定単価が高いため、実は漁業者のがんばりが予想される。何しろ彼らはプロである。伝統的な在来魚の漁が失われ金になる外来魚駆除ばかり行うようになるという批判が来ることもあるだろう。でも実はそれも織り込み済みである。在来魚の漁が少なくなるとどうなるかといえば、市場への在来魚の供給が少なくなり価格が上昇するのである。するとマジメに在来魚を採っている漁業者にもメリットが出てくるのだ。それと余計なことだが、漁業者が行っている漁労は元来経済活動であって、魚を捕ることは文化の継承のためではなく、生活していくための手段である。「伝統的な漁が失われ...」云々の批判をする人ってたまにいるけど、何か勘違いをしているに違いない。
在来魚の漁が少なくなるとその間漁獲圧から逃れた在来魚は増殖する。外来魚が減った分ニッチが生まれるのでその分も増えるであろう。そんなメリットもある。
さらに、なぜこの手法が良いのかといえば、競争により目的達成のスピード化が期待できるからである。外来魚を捕獲に参加する主体を自由化することで競争が発生し、漁獲率f値を相当上げることが期待できる。つまり絶滅へのスピードが加速する。人間の得意な「共有地の悲劇」を逆手に取る作戦である。それによって時間と予算の短縮が期待できる。予算のお釣りはもっと出るかも知れない。
そして駆除プロ化した人間や企業がある程度発生するとどうなるか?琵琶湖の外来魚問題が解決すると引退するか?いやそうではあるまい。そのうちのある程度は職を求め余所へ回り、色々な働きかけを行うであろう。琵琶湖の外来魚問題が解決すると余所はどうするか?きっとある程度は真似をするだろう。したがって結局はこのシステムが一旦立ち上がると日本全土を巡り国内の外来魚問題はすんなり解決するのである。(完)
しかし我ながら良い解決方法を思いついたもんである・・・んなわけないか。
最後まで読んでくださいましてありがとうございました。本気にされる方がいらっしゃいましたらいけませんのでもう一度書いておきますが、以上はあくまでも冗談というか一つの思考実験です。
・以下マジメモード
最近色々と考えて文章化してみるのだが、何を書いても結局私はバスアングラーの味方でもなく、かといって環境派の味方でもないということがはっきりしてくるだけである。強いていえば釣り保全派、あるいは問題解決至上主義派(なんじゃそりゃ)なのだろうか。上記の文章はアイロニーとして読まれても良し、なんらかのヒントになってくれればなお良しである。
こんなシステムが動き出すことはまずないと思うが、滋賀県の提唱する「琵琶湖ルール」では外来魚の絶滅はおろか半減すら困難であろう。まず駆除をする主体を増加させなければかけ声倒れで失政となるだろう。滋賀県の誤りは現在琵琶湖に来ているバスアングラー自身に駆除の手伝いをさせようと思った点である。彼らの内在的ルールとベクトルが全く違うことを強制しようとしても以前書いたとおり、前には進まない。ということは外来魚の消費を目的とする釣り人を大幅に増やすか、これは個人的には気持ちが悪いので嫌だが、琵琶湖の環境のためという大義名分に賛同してくれる駆除者を大幅に増やすしか方法はない。
これが難しいのであれば(いやきっと困難であろう。困難である理由は以前書いた。)、釣ること自体が目的な奇特な?釣り人達に駆除を強制するより、見込み薄の需要を無理して喚起するよりも、新たな主体を多数招き入れることを主眼としたほうがベターである。釣りを手段として行う何がしかの動機付け、つまり目標を与える必要がある。上記の文はその動機付けとして金銭獲得という直截的経済目的を置き、少々脱線しつつ書いてみたものである。以前引用したとおり、問題解決という行動に関し、「行動の原因帰属は、外的帰属(他者に強制されているから)であるよりも内的帰属(自分がそうしたいから)による問題解決が望ましい」からである。
だがしかし、外来魚の影響を排除すればすべて琵琶湖の在来魚の問題は解決するのかといえばそうではない。当然乱獲も防がねばならない。さらに環境を総合的に改善する施策が同時進行で必要である。知事の言葉に「今いる私たちが、この湖を健全な姿で次の世代に引き継いでいかなければならない」という世代間倫理に関しての記述があるが、それに対して異存があるわけではない。しかしそのためには非常に長い射程の問題解決装置が必要ではないかと私は思う。琵琶湖の環境は琵琶湖の水涯線の内側だけで決定されるわけではない。空間的にもっと拡げてゆかなければならないことはもちろんのこと、もっと突き詰めれば近代というシステム自体の洗い直しが必要となってくる。さらに、近代というシステムが採用する共時的意志決定システムと所謂「世代間倫理」は根本のところで相容れない可能性が高い。しかし伝統(封建主義)的社会のような通時的意志決定システムを採用していた昔に戻ることにも困難を伴う。
では、我々はどうすればよいのだろうか。・・・・ここから先は大テーマであり、私の手に負えない。それでもあえて書こうとすれば、合理的な利害調整を暗中模索するしかすべがないとしかいえないのだ。そして私は釣りに出掛けるのだ。
以上'03.02/07記す&大幅改訂&2/15修正