外来魚問題を強引に社会的ジレンマとして解いてみるテスト(その2)

 

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■13.非合理性にも型があるかもしれない仮説

ここからは、オリジナルである。失敗したらゴメン(^^;)。擁護派の擁護論は破綻しているという指摘は随分と前から云われているのだが、ではどのように破綻しているのであろうか。それらがいかに不合理であるかについては参照したページなどみて頂ければ詳しく説明がなされているので、よくわかると思う。

(参照:例えばhttp://www.niigata-mizubenokai.or.jp/inpaku/report/bass/bass7.htmlhttp://bio-diversity.hp.infoseek.co.jp/zakki/discussion3.html

では、もう一歩踏み込んで考えてみよう。非合理であることはとりあえずエポケーして、それらの擁護論者は、擁護論を発することによって、それが届く相手方に、どのような気分を喚起しようと予期しているのかに注目してみよう。それをまとめたのが下記である。(これは、相手に『協力』を促そうとするシグナルであると解釈してみたのだ。)

  1. バス以外の環境問題があるのに・・・不平等だ→不公平感の喚起→規範的説得
  2. バスだけ駆除してもなぁ(1)・・・問題解決しないという不安感の喚起→感情的説得
  3. バスだけ駆除してもなぁ(2)・・・無駄である→消尽の指摘→功利的説得
  4. バス以外の外来魚も全て駆除せよ・・・不可能だ→規範違反の指摘→規範的説得
  5. バスは在来種を絶滅させた例がない・・・安心せよ→不安感の払拭→感情的説得
  6. 生態系は非定常である・・・普通だから気にするな→不安感の払拭→感情的説得
  7. いつの時代に戻したい・・・答えがないだろう→規範違反の指摘→規範的説得
  8. 完全駆除は不可能である・・・無駄である→消尽の指摘→功利的説得
  9. 在来魚が減ったのはバスじゃなくて他に要因(1)・・・安心せよ→不安感の払拭→感情的説得
  10. 在来魚が減ったのはバスじゃなくて他に要因(2)・・・えん罪である→不正への訴え→規範的説得

なんと、実はたった三種類の説得モードに集約できてしまうのである。そして、これは想像なので、確信をもっていえないのだが、擁護論を発する個人は、他者を説得するには三種類の説得モードが存在し、相手によってうまくそれを使い分けてやろうという高度な理性的判断や戦略が先にあって、意識的にそのような意見を発している・・・とはあまり考えにくいのである。「こういえば、相手が協力してくれる[説得できる]のではないか」と半ば無意識に、適当に状況を判断して発せられているのではないだろうかと疑われる。なぜなら、その最大の理由は、それらがほとんど合理性がなく破綻しているからである(^^;)。私がいいたいのは、これこそが人間のもつ「直感的意志決定」じゃないのかということである。これは、「おろか[感情的で非合理]であるが、効果的な」な社会的ジレンマ解決のための「ある種の知」の証拠かもしれないということだ。擁護論者は欺瞞に満ちた稚拙な論者なのではなく、普通の人間であり、同じく問題解決をしようと無意識的には努力しているのである。まあ仮説ですがね。(これを心理学でいうところの「コントロール幻想」と呼んで良いのか自信がないんだが、たぶんそれに近い作用の一種なのだろう。)

さらに、ここで大胆?な仮説を提示してしまうのだ。いわゆる「駆除派」的言動が、ときに何故攻撃的になるのかの理由も社会的ジレンマと無関係ではない。つまり、「駆除派」からみればバスアングラーの存在は「社会的ジレンマ」の発生源である「非協力者」として映るからこそ攻撃的、排除的な感情が言動をドライブしてしまうのである。「擁護派」の言動がお馬鹿だからではない(いやそれもあるかもしれないが、直接因ではない)。この感情には、集団の維持を脅かす存在(裏切り者)を排除するという、これもおろかであるが「ある種の知」が存在している証拠なのだ。だから、ねたみとか劣等感、あるいは粘着というレベルで「駆除派」の言動を捉えてしまう「擁護派」の認識は間違いなのである。(しかし、ほんとかなぁ。

※上記の分類はもっと細かく見て行く必要もある。一つの擁護論に説得モードが複数ぶら下がっていると思われるのは上記の二つだけではなさそうである。

※※そりと、ちょっと「擁護論者」を甘くみすぎかもしれない。彼らの無意識には「俺たちを怒らせると恐いぞー。協力しろ。」という脅迫めいたアグレッションも見え隠れしている場合があるからだ。あ。「駆除論者」も一緒か。これも感情的説得の一種だろう。

※※※さらに補足すると、「擁護派的あるいは駆除派的言説」はどちらに向かっているのか?ということに注意が必要かもしれない。説得すべき相手に向かっているだけではなく、内向き(各言語ゲーム内のプレーヤー)にも同時に向かっていることは留意が必要である。端的にいえば「内部プレーヤー(仲間)もみんなもそう思うだろう。」あるいは「みんなもそう思った方がよい。」という期待や効果も当然含まれる。これは利益対立という集団間葛藤の状況においては、それぞれの集団間で、社会規範の統制力が高まることと関連がある。だからひょっとすると、上記のような非合理な擁護論は、擁護派集団内の統制を高めるために、いわば戦闘モードを鼓舞するために行われる無意識的なデマゴギー噴出という機能の側面であるとの理解も可能かもしれない。規範や論理からみてたとえおかしいものであっても、戦闘モードを鼓舞する機能(同調作用をさらに高める圧力)がそこでは最優先に採用されるのである。だからゼブラ氏が、http://bio-diversity.hp.infoseek.co.jp/zakki/discussion1.htmlの冒頭で正しく指摘しているように、擁護派内での各擁護論の確認作業や検証的な議論は二の次になってしまうのである。

 

■14.論理的反バス論者がいくら説得しても駄目みたいな理由

ということは、理性的に判断して間違いを認める理知的なバス擁護者以外に対しては、論理的な反論=「お前の論は破綻して(すでに死んで)いる」は効き目が薄いと思われるのである。むしろ心理的リアクタンスを増大させ、「非協力には非協力を」という応報戦略を惹起するだけではないのかと思われる。つまり大部分のバス害魚論はバスアングラーの説得に失敗する(した)のではないかと思われるのだ。確かにバス擁護論は、不合理で欺瞞的で詭弁が多いのは事実であるが、そこで切り捨てず、その不合理性にも(不合理故に)なんらかの意味があるのではないかと考えたほうが先が見える場合もあるのではというのが私の意見だ。むしろ一番の妙薬は「わかった。協力しよう。」という非常に簡単でシンプルな態度表明だけだったりするのである。(これは逆にもいえるのだ。今回はバス擁護論ばかり悪くいっているが、駆除論者の言い分もときに破綻してたり、全体主義だったり、個人的自由を認めなかったりと、酷いのがあるというのは分かっておりますとも。)しかし、なぜその簡単なひとことがいえないのか?簡単に云えばそれは相手を「信頼」できうるという確証がないためである。

これから述べることは、その現状認識の上で次なる手はどんなものがあり得るのかというひとつのプラン提示である。

※進化論的アルゴリズムから云えば、「駆除派」vs「擁護派」の論戦の現状はこうなのかもしれない。害魚論によって考えを改める理知的なバス擁護者は論戦の舞台から淘汰されてしまい、非協力的で利己主義的な擁護論者が適応して頑張っている状態なのだ。

 

■15.さすれば、どうする?やっぱりゾーニングか?

6〜7割の「みんなが主義者」に対しては、協力的行動を示せばよい。では残り3割の利己主義的合理主義者をどうするのか。これは結局協力行動をとったほうが得であるということを促せばよい(そうなる環境をうまく作れるかどうかにかかってくる。)。具体的にどうするか。これは試案であるが、こんなのはどうであろうか。なんだ結局ゾーニングじゃないかと思われるのだが、社会的ジレンマ解決法に従った応用型ゾーニングであると理解して頂ければ幸いである。なぜゾーニングに解決策の方向があるのかと云えば、どうしても受け皿というかバスアングラーの拠点性を確保する必要があるからなのだ。バスアングラー側に譲歩や協力体制をとれるような環境を用意しないと、協力という行為の発生それ自身の可能性を将来に渡って閉ざしてしまうことになるからである。

 

・15-1.ゾーニングと同時に、名無しさんからコテならぬ実名への変換作業→責任所在の明確化

信頼を確保するにはどうすればよいにだろうか。例えば、ゾーニングに関して駆除派からどのような意見があるのかといえば、「公認された場所からの流出」である。これにはアノニマス(匿名性)への不信がある。では、思い切ってアノニマスを無くしてしまってはどうか。バスフィッシングは登録制(免許制でもいいけど)にし、全国にただ一つの組織をこしらえてしまうのである。そしてそこが窓口となり、エージェントとなり、バスアングラーを内部的に一元管理するのである。当然不法放流は御法度。資格停止。さらに厳しく氏名公表の処置。まあ罰則はなんでもいいのだが、これは集団内の相互監視の強化を行うためである。

※これは駆除派と擁護派の要求の間にギブ・アンド・テイクが成り立つプランのひとつである。それが成り立たないプラン(利得構造がどちらか一方に偏る手法は)多分駄目。何故なら、問題解決のために両者が協力するという形(協力行動には協力行動を返す)がとれないからである。なお、上記のことは「ゾーニングを認める代わりに、一元的管理組織を作れ。」という駆除派側からの提案であっても、「ゾーニングを認めてもらう代わりに、一元的管理組織を作ります。」という擁護派からの提案でもどちらでも結論(行動と協力)が同じなので等価である。お互いにお互いの存在を認めた上での協力行動という形にもなるし、いわゆる「落としどころ」(この言葉は嫌いだが・・・)のひとつだろうと思う。

※※あるいは、こんないいかたもあり得る。集団間葛藤が起こった場合に、それを低減する一番の方法は上位目標の導入である。これは異なるルールを採用する言語ゲーム間の決着にはメタ・ルールを採用しないと駄目というのと同じ構造である。駆除派と擁護派が協力しなければ解けない状況(インセンティブ)を作るのが早道なのである。ゾーニングに私が拘るのもそこにあるのだ。難しく云えば相互依存の状態をゼロ・サムゲーム(非協力が得になる)から信頼ゲーム(非協力が必ずしも得にならない)へ変えることが出来るかどうかが、協力-非協力のジレンマを解決する分かれ目である。

 

・15-2.細かな階層性をもった組織の編成と経済的自立

さらに、流動化とは逆の措置として、地域別に小さなグループを編制し、細かなツリー型組織にしてしまうのだ。そして釣り場の固定。あるいは釣り場移動の場合は課金制を導入しちゃってもいいかもしれない。(封建主義的アングラー管理(^^;)。)

以上は、匿名性を押さえ、固く組織化された集団づくりを目指せという話である。これができる組織なら別に上記にこだわる必要はない。これにより相互監視と相互制裁が可能だった、つまり、社会的ジレンマの発生が集団主義によってかなり抑制されていた伝統社会的機能の復古をバスアングラーの中で行うのである。なぜか。とりあえずバスアングラーの中でのジレンマを解消するためである。以上は法令で定めてもいいし、NPOみたいに自主的に作ってもいいだろう(理想は自主管理)。要は社会から信頼される組織が出来さえすればよいのである。当然登録にはお布施(登録料)を頂くべきだし、年会費も必要十分なものを徴収すべきだろう。釣り具に上乗せしてもいいかもねえ。例えば100万人から年2,000円徴収できれば、それだけで年間20億円である。琵琶湖の駆除予算よりもはるかに大きい?かもしれないが、重要なのは豊かな自主財源をもつことによるメリットである。

これだけ予算があれば、溜池にバスを不法に放流するような危険なことはやめて、専門の釣り堀(釣り池?)を他の環境へのリスクを低く抑えたままゼロから作れそうである。

※行動生態学者ダンバーは、サル・類人猿の大脳皮質の大きさを基に、ヒトの社会集団(群れ)の本来の大きさは概ね150人程度であると推論している。(『複雑さに挑む社会心理学---適応エージェントとしての人間』p.12)上記の集団主義的バス釣りコミュニティの最大構成員数もその程度に抑えるべきであろうと思われる。

 

・15-3.駆除あるいは移送への協力体制の確保

これは組織化されたバスアングラーだからこそ簡単に行えるようになる。また組織内での負担を平等化し、受苦のデメリットを低減するために、駆除活動は当番制もしくは特別職(バスアングラー以外の専門家)をそのためだけに採用したってかまわない。また、責任の所在が明らかになるというのも相当のメリットである。とある池で不法放流があったとすると、まず該当者の処分を社会に確約する。次に該当者の処分が出来るか出来ないかは別として、日本にはバスフィッシングの責任主体がただ一つ存在するわけだから、独自予算を使って駆除作業を行う。もしくは環境回復のための補償を行う。この際も税金を使わずにそれを行えるというメリットもある。第2章でみたような、ナショナルトラスト的選択の自由がそこにあるのだ。なぜバスアングラーが無茶をした尻ぬぐいを税金を使って行う必要があるのかという批判もそこで押さえられるはずである。

そして、ゾーニング(ま、どのようにゾーニングが行われるべきかということは、実際問題として実は非常に難しい。今回はパスしまつ。)により、バス排除が決定された場所から、容認された場所への移送に際しても上記の「(仮称)全日本バスアングラーズ機構」(かっこいいネーミングは適当に考えてくれ)は、協力行動を駆除派と共に出来るのである。人的援助という実働でもいいし、経済的援助も可能である。

さてこのようにアノニマスが消えて、はっきりと顔が見えてくれば、同時に、社会に協力する意志がありますと表明した上で、実際に協力行動を起こすことができれば、自ずと批判はぐっと減ってくる筈なのである。アノニマスな状態のままで「俺たちバスアングラーを信頼してくれ。」といくら力説しようが、大声を上げようが、信頼度には自ずと限度があるのだ。

以上は、公共財のただ乗り=「フリーライダー批判」をかわす方法でもある。こういった自己組織化および自主管理が本当にできるのか。それは夢物語ではないかと云われるかもしれないが、とりあえず以上はラフなスケッチとして描いてみたのである。私が描いたものよりも当然まともで、効果の高い手法があるはずである。それはバスアングラーが自ら考えなければならない。バスフィッシングが生き残るのはこうした方向しかないのではないかなあと私は考えているのである。

 

■16.バス釣り解体のための構造的施策

たとえば、リリ禁の場合で考えてみよう。バスアングラーにとっては「非協力(リリース禁止に従わない)のほうが、合理的(利益が高い)である」という構造がある。これをひっくり返す方法は二つ。一つはムチの導入である。罰則規定を導入すれば簡単にすむ。しかしこれは私も過去色々書いたので繰り返さないが、反対である。もう一つは非協力のままでは将来協力行動を得られなくなって、ひいては不利益となるという「ジレンマ状況」であると納得してもらう方法である。この後者の立場で今回は書いてみたのである。

しかし、同時並行でこんなことも考えておかなければならない。これは上記15-1から15-3までの案とは別物になる。バス問題解決のために、バスとバスアングラーを減らすという構造的解決法である。オリタさんそりゃ酷いよという声が聞こえてきそうなのだが、これも一つの問題解決法なので検討せずに捨て置くわけにもいかない。私はどちらの味方でもないのだ。

ではどうやって解体するのか。三たび秋月岩魚氏が本を書けばよい・・・というのは冗談だが、バスアングラーのリアクタンスを押さえつつ、バス釣りを解体するには、バス釣りはつまらない、あるいはかっこわるーと他者に云われるんじゃなくて、バスアングラー自らそう思ってもらうことが一番てっとり早い。(内発的動機付けであることが重要なのだ。そのためにはインセンティブが必要となる。)そして彼らの逃げ場所も環境として用意しておく必要がある。具体的には・・・え?それを私に書かせるの?いやそれは皆さんが一番よくご存知でしょう。比較的スマートな方法は、トレンドリーダーにバス釣り以外の釣りのほうが面白いと引っ張ってもらう方法である。バスアングラーのビリーフを「他の釣りで我慢しなければならない」というイラショナル(不合理な)ビリーフから、「他の釣りのほうが面白い」というラショナル(理にかなった)ビリーフに変換するほうが良いのである。実は現にそうなってきつつあるのだ。例えばオフショアーのルアーフィッシングや、トラウトルアーフィッシングの流行(これは流行というよりも先行き不安なメーカーや、見切りを付けた[あるいは先見の明がある]、バスアングラーが流れてきているというのが実体かもね。バスフィッシングの様式をさほど崩さなくても、釣れる対象魚がけっこういるという事実は幸いなのだ。)をみよ。その一方で、バスという実体を逓減させる手法を開発する(低リスクで効率的な外来魚の影響を抑制する技術開発を行う)のである。

でもそれじゃあ状況から逃げてるヘタレのようで嫌かもしんない。しかし、バスアングラー諸氏は『敗戦』の覚悟はいつでもしておいて損はないと思うよ。逃げ場を失うことは心理的に大きなダメージとなるからだ。今の内に逃げ場を確保しておくほうが賢明だろうと思うのである。バスアングラーのためには『闘争論』だけを提示するのではなくて、『逃走論』も必要なのかもしれないです。むしろ。>國明さん

※例えば「バスアングラーはバス釣り依存症(みたいなもの)である。」という仮定から、治療的にこの問題を解くという方向もあるかもしれない。当然、私は詳しくないけれど。だれかやってみませんか?この雑文スペースお貸しします・・・というのは冗談(いや半分本気)である。でもそれを云われると私も十分釣り依存症だからなあ。自ら襟を正せといわれそうだ・・・。

 

■17.まとめのようなもの

16章はまあおいといて、15章のようなことをなぜおこなうべきかといえば、それなら「協力してもいいよ」という社会的信頼に基づく合意がいまのままでは受けられないだろうという懸念からである。バスアングラーがバスアングラーをコントロールする(できる)システムがないと、例えば「バスアングラーは環境のためになんらかの譲歩をしろ。」と云われても、バスアングラー個人にできることは微力であり、そこに新たなジレンマが発生してしまうだけに終わる可能性がある。コントロールから外れる個人主義的利己主義アングラーに非協力の旨みだけもっていかれて、良心的なバスアングラーはさらに傷つき、行き場を失ってしまうのだ。(15-2で述べたようにバスアングラー集団内のジレンマを抑える理由はそのためである。)そして、バスフィッシングに逆風が吹いている今こそ、そういった自己組織化のチャンス(環境的インセンティブの到来)と捉えるべきではないのか。嵐が過ぎ去るのをただじっと待っていても何も解決しないのである。

今回はバス擁護派がどうにか何かを提示しないと駄目という議論主体で突っ走ってみたが、駆除派さんたちも何か考えてみられてはどうだろう。全国的にリリ禁にして、ひいてはバス釣り禁止にすればすむじゃんとは簡単にはいかないのである。なぜならそれだけではアノミーを引き起こす可能性があるからである。(かならずそうなるわけではないけどね。)狂信という一番非合理な感情が端的に表れているのは宗教である。あなたは宗教を抑圧する勇気をもちますか?

いきなり宗教をもちだすなんてとお思いの方も多いと思うが、この際思い切って書いてしまおう。バス釣りは当然宗教ではないが、殊にこの外来魚問題という側面においては、潜在していた宗教的性質が顕在化しているのではないかというのが私の観察である。デュルケムによれば「宗教とは、ある『聖なるもの』に関連した信念と実践のシステムであって、それを支持する人びとを単一の共同体へと統合するもの」なのである。(http://archive.honya.co.jp/contents/knomura/lec/lec59.html)釣りの本質に関して過去にも書いたように、「聖なるもの」=超越的体験の源泉としての釣りという観点を忘れ、たかが遊びではないかと甘く見ていると酷い抵抗に遭うであろう(現にそのような結果生まれたのかもしれない事象は多々あるように思われる。そして、私がバスアングラーよ自己組織化しろと主張するのも、根底にはこの考えがあるためである。きっと集合化するのはさほど難しくない)。

ある特定の宗教や思想の抑圧によって、社会的損失が必ず起こるとか、具体的にどようようなものになるかとかまで、私は描けないが、歴史上、そして今も世界のどこかで、どのような不具合が起こっているか、誰しも知っていることであろう。そして合理主義という観点から宗教の狂信性を批判してもあまり得るものがないことも。また、抑圧すればするほど、脱落者もでるかもしれないが、問題はむしろ逆に統合化や尖鋭化という方向に強くそれが働いてしまうことがある。では、どうするのがよいのか。簡単に云えば、ずっとみてきたように協力関係と信頼というパイプが上手く作れるかどうか、社会化と世俗化がいかに上手くできるかにかかってくると思うのである。例えば、駆け込み寺のような環境を用意できるかどうか。彼らがそれに乗っかってくれるかどうかにかかってくるのである。抑圧に対する怨念の発生をさけつつ、うまくドライブする方法を開発するのがベターである。

うみゅ。ちょっとおどしがきつかったかな。では少し優しいことを書いて終わりにしよう。バスアングラーにいいたいことはたった一つである。「信頼されるようになれ。」これだけなのだ。世間が冷たいのは馬鹿なマスコミに洗脳されているからではない(多少は真実性があるかもしれないが(^^;)それは些細なことである)。信頼されない→協力行動を得られない→それは世間が間違っているからだというビリーフの発生&それに基づいた行動→さらに信頼されない→もっと協力行動が得られない→・・・以下省略。このような負の循環的プロセスはどんな失敗をしてきたか私が例示しなくても分かるだろう。そのような状況に終止符を打つのにはどうすればよいのか。世間を憎悪しても仕方がないのである。私の提案はとりあえずアノニマスを消せであったが、他にも「信頼されるようになる」方法はあるはずである。

※駆除派さん達にいいたいこともたった一つなのだ。「北風ばかり吹かしていても問題は解決しない。」これだけ。でも相手方(バスアングラー)が信頼できないから、仕方がない面は確かにある。


参考

1.web上で読める社会的ジレンマ関係のテキストを少々ご紹介。

2.書籍です。

 


補記

バス問題が社会的ジレンマの手法で解けるかどうか、当然自信があるわけではない。ある社会的ジレンマを解くために、効果的な構造方略が存在しても、1.人々が社会的ジレンマが深刻な問題であると考えること。2.ならびにその構造的方略が有効であると人々が信じることの二つの条件が満たされることが必要であると云われている。(藤井[2001])まず、バス問題が深刻な社会的ジレンマであるか。なんとも自信を持っていえない。したがって私が上記に書いたことは無駄に終わるかもしれない。でもまあ書いてて面白かったからいいか。無責任な・・・。

さらに

一応これはゼゼラ本を誉めすぎ?たことへの反省文でもある。佐藤陽一氏の「(『ブラックバスがいじめられるホントの理由』とは「釣り」「漁業」の利害対立にすぎないというのは)肩透かしもよいところであった」という批判はある面正しい。その時点で私がはっきりと認識できなかったことを、今回こうしてとりあえず示して(というか示せてますかね?)みたつもりではある。当然私が書いていることが唯一の正しい真理であるなんて主張したいのではない。こんなモデルから解いてみればどうかと適当にコラージュしてみたのである。私なりの「ブラックバスがいじめられるホントの理由」提示なのだ。否、正確に云えば、「いくつかの理由の内のひとつ」に過ぎないかもね。

 

2004.09/08作成

2004.09/22、まだちょこちょこ修正中

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