
江東区女性センターパルシティーに集う主婦のグループ
そのひとり、高橋賀子さんのメッセージです。
多くの人に愛され続けている源氏物語の原文を読みながら、古文の美しさ、意味の深さ、雅の世界を堪能しています。現代にも通じる人の生き方、女性の生き方に共感を覚えます。そして知ること、理解できたとき喜びをわかち合える貴重な時間、場所でもあります。
各自分担を決め当日読んで感じたこと、意味を話し合いながら先生に補足して頂いて進めています。
現在メンバーは7人です。
参加御希望の方は江東区女性センターむらさきの会まで申し込んで下さい。
会費は1回2000円です
平成21年11月6日(金)「玉鬘 最終章」
新屋君子
玉鬘は数奇な運命で源氏の六条の邸に引き取られ思いもよばぬ上流の暮らしに入る(シンデレラ姫)
でも玉鬘にしたら父でもない源氏に手厚くもてなされるのは異和感がある
福川浩子
年の暮れに源氏にかかわる人たちの
装束が新調されます
源氏の見たてに心穏やかならざるところもみえる紫の上の心のうち
華やかな衣装選びの中に、微妙な内心が交錯します
「日本の色辞典」で当時の色を拝見しました
高橋賀子
年の暮れ、源氏が新春の晴れ着を女性たちに贈る華やかな場面
それぞれの着物の説明が一層想像をかりたてる感じでした
有明敬子
玉鬘の最後が末摘花で終了したのにはびっくりでした
衣の色見本と想像で素晴らしい色調を古の人は着ていたと思う
平成21年10月2日(金)「玉鬘」感想文
新屋君子
玉鬘は父でもない邸に引き取られるのは本意ではないが、そこにいれば父に知られるよすがもあるから
と、皆になだめられて六条院に行くことになり、源氏は衣装など色々取りそろえて送る、手紙を玉鬘に出し返事を見て安心する。玉鬘の住まいは六条院の花散里の西の対に。花散里が夕霧をまかされてお世話がうまくいったので源氏は玉鬘のお世話も頼む。花散里の人柄の良さがわかるような源氏とのやりとりだった
福川浩子
本日も玉鬘の巻
源氏はこれから会おうとする玉鬘の様子が心配で、まず自らが文を書き、その返事を待つのでした。当時は文と筆跡を見ればその人となりが一目瞭然。現在にも通じることでしょうが当時の身分の高い人々が日々教養を身につけるべく研鑽している様子が忍ばれました
有明敬子
玉鬘が六条院へ行くきっかけとなる源氏との文のやりとり、玉鬘のとまどいと不安の心情がよく出ている場面と思う。その中にしっかり自分が確立されている玉鬘の様もうかがえる章でもあると思う
高橋賀子
源氏から夕顔のことを打ち明けられた紫の上の気持ちにはつらいものがあったと思います。姫君がらうたげであればある程つらいと思います
新屋喜美子
しばらくお休みしたので予習の時読んだのですが、口がまわらない感じです。
源氏は夕顔の話を紫の上にしますが、源氏の気持ちを聞いてどんな思いだったのでしょうか
平成21年7月3日(金)「玉鬘」感想文
新屋君子
右近は夕顔の遺児の姫君に初瀬で出会いその美しさ、気品があって優雅な風情に
田舎に育ったのにこんなに立派に成長して乳母の苦労に感謝します
でも皆田舎人になったのに姫君だけがと心得がたく思いますが
私も心得がたく思いました
福川浩子
源氏を読む毎に
その場所に行きたい思いにかられます
今日は長谷寺に。いつの日か。
有明敬子
姫君の行く末に光明が差し込んで場面で
右近も乳母もいろいろな意味感懐思惑
ひとしおであったと思う
高橋賀子
右近が見る姫君の様子
乳母の養育が光っている
小笠原信子
今後の展開を楽しみにしています
平成21年6月5日(金 )「玉鬘」感想文
高橋賀子
長谷の椿市での右近と乳母一行との出会い
京都からの旅はどんなにたいへんな事かと思いました
とても劇的な場面でしたが「樋洗めくものなどカルチャーショックでした
新屋喜美子
長谷寺での姫君一行と右近との再会は
ドラマチックで面白いです
20年の歳月は人の様子も変えて
右近も自分の年を感じる
三条とのやりとりが楽しいです
新屋君子
一心に祈った甲斐あって
右近と姫君がぱったり会うことになり
お互いに相手の事情を知ることができる
姫君はここで右近に会ったことにより
運が開けて行く長谷観音の御利益は
験あらたかなり
福川浩子
本日の印象深い言葉二つ
@法師(宿の主人)…「頭掻きありく」
部屋割りに苦心惨憺の体
A三条(古き下衆女)…「食物に心入れて」
食物に夢中になってる様
紫式部は参詣の折りなど
鋭い観察眼で周囲の人々を見つめていたのでしょう
有明敬子
夕顔の使用人である右近と
三条がドラマチックに再会する場面で
二人の立場、心情がひしひしと伝わってきます
小笠原信子
久しぶりの参加で勉強不足ですが
物語の展開に心動かされました
次回も楽しみです
平成21年5月8日(金) 「玉鬘」感想文
新屋君子
九州から大夫監の手を逃れるべくそれぞれ
妻、夫を捨てて姫一人を守るためだけに
「あやしのわざ」と自身もあきれるおもいで
京への船旅に出る劇的場面
どうしてそこまでするのだろうと現代から見れば
考えられない逃避行
福川浩子
思い切った逃避行
ダイナミックな展開にわくわくしました
式部の精密な想像力に感服
この章はとても魅力を感じます
新屋喜美子
乳母、豊後の介の苦労や心情がよくわかり
当時の貴族の主人にたいする思いが伝わります
30日かかったという京都までの船旅を式部はどのように
調べて書いたのか不思議です
有明敬子
玉鬘の巻は源氏の中でも登場人物がさまざまでおもしろいと思う
この時代の人でも乳母や豊後の介のように
姫様主義、ご主人様大事による後先かえりみずの行動のすごさには
ただただ感心するばかりです。
豊後の介は母思いの草食系なのではと思う
高橋賀子
昔の旅の大変さを感じました
追っ手を心配し生きた心地がしないまま
やっと川尻にたどりつく
姫君のために取った行動がどんなに無分別であったか
京についても何のあてもなく心細い日々
従者たちも筑紫へかえってしまう
しかし監に味方して自分たちが多少の羽振りがよくなっても
「何ここちかせまし」心穏やかにはくらせないのだ
平成21年4月3日(金)「玉鬘」感想
新屋君子
大夫監という武士が出てきて
色々言いまくるが
公家社会からみて荒々しく
押しがふとい人たちを
うとましくいやと思う感じがよく出ていました
高橋賀子
少弐の役人としての現地での
生活ぶり「仲あしかりける国の人多くなどして」は
真面目であったろうと思う
上京する旅費等もあまりなさそう
大夫監の描写がおもしろい
桜井陽代
大夫監の言動について
自分の行動はまちがいないと
思い込んでいるところがおもしろい
ただその一途さが
応対した乳母にとっては野蛮で恐ろしい
この対比がおもしろく
思わずくすっと笑ってしまう
「肥ゆ」と「ふとる」のちがいを知って
なるほどと思いました
それにしてもこの時代と今のことばの
何と違うこと!!
新屋喜美子
少弐と乳母の
姫君を大事にする気持ちが
とてもよく伝わりました
田舎者の大夫監から姫を
どのように守るのか展開がおもしろそうです
平成21年1月9日(金)「少女」
新屋君子
六位に対する劣等感から
また雲井雁への思いに「心くづほれて」
いろいろ悩む多感な青年、夕霧が
花散里の美しくない容貌に驚くけど
「心ばへのやはらかさ」にその人の優しさを思う
ところがよかった
高橋賀子
大宮の生きがい(?)になったのか、
夕霧のために睦月の装束の用意にはげむが
心が晴れない夕霧、
大宮の作る六位の装束には
心が沈むばかり
いろいろ感じやすい夕霧が印象的
FUKU
箱入り息子の夕霧と
現在の政治の中枢に居る二世の方々の
頼りなさがオーバーラップした
今日の授業でした
平成20年12月4日(金) 「少女」
新屋君子
娘に文をよこしたのが源氏の息子の夕霧と知って
手放しで喜ぶ惟光を見て昔の、源氏の供をして
歩き回っていた惟光が彷彿として思い出されうれしくなる
新屋喜美子
「まし」「きむじ」の二人称を表すことばは初めてで
面白いと思いました。今は全く使われていないことばが
たくさんあるのですね
福川浩子
登場人物の年齢関係が今ひとつはっきりしないので
もどかしい思いです。でも今日は惟光の親子関係がリアル
なところが面白いと思いました
高橋賀子
惟光の親心
夕霧の文を見て「名残なくうち笑えて」
「きむぢ」らは自分の息子達と比べている所
平成20年10月3日(金) 「少女」
新屋君子
夕霧と雲井の雁の幼い恋物語で、一緒に住んで育っって自然発生した恋心を、周りが騒ぎだして本人
たちはただはずかしいばかりに困って行き来ができない
大宮は二人のことで大宮に睨まれるが、二人に愛情があるので心では許している
新屋喜美子
夕霧と雲井の雁のゆくすえが楽しみ。
夕霧の生真面目な性格が源氏と違いおもしろいです
内大臣の今後の行動もどうなるのでしょうか、気になります
高橋賀子
一つの部屋で障子を置いて男女が寝ている状況に驚く。
二人ともお年頃なのに。
内大臣が急に雲井の雁に目をとめたのは?
小笠原信子
風の音の竹に待ちとられてうちそよめくに」の表現は何ともその時代の風景を感じ印象に残りました
夕霧と雲井の雁の今後どうなるのでしょう
福川浩子
源氏と内大臣の確執の、やりとりのすさまじさを改めて知りました
平成20年7月4日(金) 「少女」
新屋君子
源氏の政治力の強大さには驚く
夕霧の大学の入学に上達部などがわれもわれもと見送り
立后には弘徽殿の女御、式部卿の王女御を押さえて梅壺を押して立后させたのだ
女君の時代から政治権力の争闘が繰り広げられていた
新屋喜美子
源氏の政治力に感心したり
夕霧と雲井雁のさきゆきが心配だったり
楽しみだったりします
高橋賀子
内大臣の家の栄と源氏の政治力との差がおもしろい
H,F
雲井雁の父君、内大臣の娘に寄せる心情は
昔も今も変わらぬところが有るものですね。
大饗の内容、特に食事の献立は知りたいなと思いました
源氏物語の流れを、まだ捕らえられませんが、いつの日か。
平成20年5月9日(金) [朝顔」[少女」
桜井陽代
いつもながら色彩のきれいなことに驚きます
月の光、氷、藤、浅黄
源氏の蓮の上には誰が…?と考えると面白いです
新屋喜美子
あらためて源氏の藤壷への強い想いがわかり
紫上の気持はいかにと想像しました
新屋君子
源氏は息子の夕霧を元服させて四位にはせず
大学の学生の六位にして学問をさせ基礎をしっかりつけさせるという
考えに感心しました
また朝顔の意志のはげしさに源氏はすこし気持が引くが
敬意を感じるからであろう
高橋賀子
藤壷が源氏の夢枕に立って恨み言を言うところ
また源氏の思慕の情がずっと続いていることが印象的でした
平成20年4月4日(金) [朝顔」
桜井陽代
源氏の言い訳めいたことば。紫の上を煙にまいてるの?
言い繕ってるように感じます
雪まろげの色彩の豊かさ、きれいでした
原文ではじめて味わえるんだと思いました
小笠原信子
雪まろばしの場面の雪の白さと
童女の着る衵の色との鮮やかさ
楽しげな様子が時代を超えて伝わってきました
高橋賀子
紫上を慰めながら雪まろばしの場面で
気分を変えさせる様なちょっと複雑な
気持ちになっていたのかな?
平成20年3月14日(金)[朝顔」
新屋君子
久しぶりに源内侍が出てきて、老いた姿でいろいろ言いかけるのに辟易する源氏。
清少納言の”すざまじきもの”におうなのけさうとあるが。
源氏のすばらしさを知りながらあれだけ源氏に求愛されても身を辞して受けない心強さに
驚かされます
高橋賀子
式部卿宮が亡くなって半年くらいで庭の荒廃振りがはげしくなったことには驚かされた
でも現代の家と違い、寝殿造りとは庭が殆どという説明を聞いて納得した
平成20年1月18日(金)「朝顔」
新屋君子
『枯れ枯れ』の庭の渋さに合う朝顔と源氏の出会いは源氏の一人相撲の様、
朝顔の巻に初めに登場するのが女五宮、女五宮の老女ぶり、今も似たような
年よりがいるなあと思った……この方はもう?才のすごいとしなのに全然老女じゃありません
新屋喜美子
斎宮と斎院の違いが今日わかりました。毎回何か発見があり楽しいです
朝顔の巻に入り、前斎院に想いを寄せる源氏ですが喪に服している
斎院はどのようなお気持ちなのでしょうか
これからの展開を楽しみにしてます……お嫁ちゃんと呼んでます。すごーく優しそうな方
高橋賀子
斎院と斎宮の違いが新潮日本古典源氏物語二巻めの「賢木」を読み返して納得。
前斎院には会えないのにその様子は女房たちに知られてしまい
その後の「うわさ」がどのように広まっていくのか楽しみ。……うちらの美人姉御事務局長
小笠原信子
日頃の忙しさから離れむらさきの会の時間の中で源氏の世界を楽しんでます…どんなに遅くなっても
人形町からはるばるかけつけてくれるの、うれしいですよ
平成18年11月10日(金)絵合を終えて 新屋君子
11月10日 出席者、新屋君子、新屋喜美子、小笠原さん、高橋さん。
> (すこし遅れてくる)
> 先生、学校がお休みとのことで5時頃迄やって、絵合せ全部終わる。
> 令泉帝の後宮では権中納言の女御と斉宮の女御がいらっしゃるが令泉帝は
> 年上の斉宮の女御になじめなかったが女御が絵が上手であったため絵の好きな
> 帝としだいに親しくなる。これを聞いた権中納言は絵師を集めて今様の
> 珍しい絵を描かせて娘の女御に贈った。源氏も伝来の古画を斉宮の女御に
> 差し上げる。朱雀帝もそれぞれ二人の女御に絵を下さる。
> かくて後宮は絵の論議が高まり帝のおなりをあおいで左右にわかれ
> 勝負を競うことになる、審判は源氏の弟の師の宮がなさる。皆すぐれた絵ばかり
> なので師の宮も定めかね夜に入り最後に左方(斉宮女御)が出した源氏の
> 須磨で描いた絵を出した所皆感涙して左方の勝ちにきまる。
> その夜の打ち上げの宴で、源氏、師の宮と学問絵書について論議する。
> 絵の上手な絵師が空想で画いたのと源氏程の人が實物を見て感慨をもよおし
> ひまにあかせて丁寧に心をこめて画いたのは全々勝負にならない事でしょう。
> 昔は源氏と権中納言(頭の中条)とは何処へ行くのも一緒で親友でしたが
> 歳を取り位が上がるとお互いに権力を競う様になっていく様です。
平成18年4月8日(金) 読書会を終えて 高橋賀子
今日は、「蓬生」の三回目。
私は、「惟光蓬生の露を払いつつ 源氏邸内に導く」を担当しました。
源氏に「よく尋ね寄りてを、うち出でよ。人達へしては、をこならむ」
との命を受け、恐ろしくさえ思える邸内で、月明くさし出でたるに
見れば、格子二間ばかり上げて「簾」 動くけしきなり。
女房どもに 《姫の変わらぬ御ありさま》を確かめ 「よしよし。まず、
かくなむと聞こえさせむ」と、源氏の元へ。
随分またされた源氏。「かかるしげきなまに、何ごこちして過ぐし
たまふらむ、わが御心の情けなさもおぼし知る。」
あまりのご無沙汰で源氏は、(ふと入りたまはむこと、なおつつましう
おばさる)と、あります。
前回の叔母がいきなり車を寄せた光景とは、かけはなれたものでした。
尋ねても われこそはとは【め】道もなく 深き蓬のもとの心を
と、ひとりひとりごちとありますように「とはめ」の【め】は、源氏の
強い意志の表れと、教えられました。
惟光は、足元の露を「馬の鞭して払いつつ入れいれたてまつる」
「御傘さぶらふ。げに木の下露は、雨にまさりて」と、
源氏が、女を訪ねる場面の素晴らしい演出の様におもえました。
最新の技術を駆使して再現された「よみがえる源氏」を、
見せて頂きました。
真ん中に描かれた荒れ果てた庭 点々と生えている草 右の方には
朽ちた板が落ちかけている簀の子と老女 左の上には、松と藤の花
左の方は「馬の鞭して・・・・御傘さぶらふ・・・・二人の姿。
「蓬生」のこの場面は、絵になります。いいところを担当できまして
よかったです。
さて、次回は五月。いよいよ再会をなるか?・・・・お楽しみです。
平成18年3月17日(金)読書会を終えて 諏訪峰子
乙一が書いた「暗いところで待ちあわせ」を読んだ時、ふと思いました。
主人公は自分の置かれた状況を素直に受け入れ、きっちり生きています。
そんな事が確かにあるのだということを!!知りました。「蓬生」で決して
貴族の生き方を変えず(それが不自由な生き方であっても)<なごり>を尊ぶ
姫の思いのうち…なんで??と理解しがたいものでした。今回、上記の小説を読んだ時
思いました。主人公ミチルは、目が見えません。それをすっかり受け入れた生き方を選んだミチル。
「杖をついて歩く練習をしたら?ガイドヘルパーを頼んで外界にもっとでたら」と
私は思うのだけれども…。ミチルは目が見えないことを楽しんでいるかのようにじっと家に
籠って生きているのです。私は見える。そうなのです。
目の見えない人の状況を理解する事でした。
私は貴族ではないし、目も見えます。貴族の人や目の見えない人の
素直な気持を丸ごと受け入れて読み取ることの重要性を感じました
全く私的な感想から始まったことを許してください
理解することの原点を知ったことをお知らせしたくて。
今回の「蓬生」は…
ひたすら叔母の猛攻撃に耐える姫君でした
姫君の分身のような乳母子の侍従を引き連れて行ってしまった叔母。
身分ちがいの二人に共通点は何もない
どんな仕打ちを受けようがどんなことばを浴びせられようが
一歩もひるまない姫君でした
後々源氏の共感するところになった行動でした
何と言っても、叔母が訪ねて行くところです。
門は壊れる、道はふさがれている、おたおたする住人…
いきなり姫の寝殿に車を横付けにする叔母。
どこまでいっても接点の見出せない二人でした
次回につづく!
平成18年2月3日(金) 読書会を終えて 諏訪峰子
今日は、「蓬生」の2回目でした。なかなか面白い話しにふれることが、
できました。前回は「なごり」の正しい解釈がありました。
それを踏まえた今回は、「塵は積もれど、まぎるることなき うるはしき
御住ひにて、明かし暮らしたまふ。」です。
その暮らしぶりというと、まず、誰一人としてお伺いする人はいない。
生い茂る草やヨモギを、刈り取るということに、気がつかない。
茅は、寝殿の南の白砂が見えないくらい生い茂り、ヨモギは軒をあらそいて
生いのびる。東西の御門は、つたにすっかり覆い隠れ閉ざされてしまう。
かえって用心がよくて心丈夫?だけど・・・・春夏には、土塀がすっかり崩れ
牛馬が踏みならした道ができ、お邸の中で牛飼いが牛を放牧している。
下屋の板すきの建物は、わずかに骨組みだけが残っているだけで、盗人に
して外見の貧弱さに愛想をつかして、入ってくる者もいない。
「蓬生」をして源氏物語を知るとまで言われている巻です。が・・・・
「末摘花」という、地味でみにくい女の話となると、一歩ひいてしまいます。
内容はと言うと、すさまじくあれはてた邸・叔母の攻撃・・・そんな所に
源氏の君は、やって来るのだろうか???
私の頭の中では、理解しがたいのですが。
俗世間にどっぷりつかり、世情の波に流されている私には、平安の貴族の
ほこり・気品なんてもは理解しがたいです。が・・・・・
源氏は再びやって来るのか? 次回の展開が気になるところであり、期待
したいです。
平成18年1月13日(金) 読書会を終えて 桜井陽代
今回で「澪標」がおわりました。15番目、「蓬生」に入りました。
常陸宮の君(末摘花)のお話は、この人が一生懸命なほど、
私のような庶民には、ユーモラスに映ります。
経済的にとても大変なのに、「名残」を大切に生きています。
どちらかと言うと、女房たちのブツブツ言う言葉に、共感できて
しまいます。
私にとって、ここでは「名残」という言葉がポイントでした。
(私の感覚では「なごり」とは、香とか、そんな風にしか捕らえて
いなかったのです。)
P55ー3L 常陸の宮の君は、父親王の亡せたまいし名残に・・
(名残は、死んでも生きているもの)
末摘花は、食べ物が底をついても、父宮の生きていた時のように
生活している。父君の生活していたように、ものも心も大切にして
いるので、女房に言われても、品物を売るくらいなら飢えても良いと
言う。
自分だけに、あつらえられた家具、父母との生活のままに暮らしたい
ーと言う希望があります。
「名残」を理解しないと、この部分はわかりにくかったです。
平成17年12月16日の講読会から 諏訪峰子
「澪標」を終えて
平成17年の12月の読書会が、終わりました。「澪標」は、あとわずかを
残して、終わりませんでした。
六条御息所は、源氏に娘(前斎宮)の行く末を託し死んで行きました。
源氏は男としてではなくて、親として斎宮の身を案じ良い方向へ、導いて
いくのでして。入道(藤壺)に相談し、二条の院に迎い入れ、そこから入内
させるのでした。そんなところで、「澪標」は終わっていきます。
次回の展開が「蓬生」期待されます。
前任者の福田さんが勇退されましたので、レポートというか、感想文を
書かせてもらうことになりました。
何かと行き届きませんが、精一杯がんばります。
(私一人が、いつも書くのではなく、むらさきの会には大御所が何人も
いらっしゃいますので、年間通じてみなさんと書いていきたいです。
宜しくお願いします。)
平成17年7月1日の講読会から 福田達(とおる)
澪標の巻の第2回
「みづからも、もて離れたまへる筋は、さらにあるまじき
こととおぼす。あまたの皇子たちのなかに・・・」から「・・・五日に行き着
きぬ。おぼしやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御とぶ
らひもあり。」まで。
前回に続いて、源氏の思いが綴られる。先帝の思し召しで臣下に下り、自らが
帝の位に就くことなど考え及ばぬ宿世と思うが、宿曜師の占いどおり、御子の
お一人(公には知られぬことではあるが)は帝位におつきになられ、また明石
の娘には女児がお生まれになり、いずれは后になられる方と予言されている。
あの偏屈な明石の入道が、娘の将来に及びもつかない高い望みを抱いたのも、
宿縁であろう。さびしい片田舎で高貴なお方がお生まれになったことは恐れ多
いこと、ぜひ京にお迎えしようと東の院の修理を急がせる。
かの地では「はかばかしき」人はいないだろうと、人伝に、母は故院に使えた
宣旨で、父も宮内郷兼参議も勤めた身分ある家の娘のことを聞き出し、明石で
のお世話を頼もうと打診される。両親も既に無く侘しく一人児と暮らしていた
ところに、源氏からの頼みとあって、深くも考えずお受けするとの返事を返
す。
源氏も、故あることとはいえ、遥けき明石に遣わすとあって、乳母をお訪ねに
なり、「特別に思う仔細があってのこと」と自ら考えるところをお話になる。
流石に家の構えは大きいが、手入れが行き届かない有様。源氏も乳母の品ある
姿にひかれて近くに迎えたいと思いつつ、歌を交わす。
信の置ける家来をお付けになって、明石に旅立たせる。「他言は無用」と心づ
けを与えて言い含め、お守刀を初め入用の品々を持たせる。入道への文にも
「くれぐれも大切にお育てになるように」とあり、迎えた入道は喜び畏まり、
京を向いて伏し拝む。姫を産んだあと物思いに沈んでいた娘も、源氏のお心遣
いに気を取り直し、お付きの人に格別のもてなしをして返歌を託す。
遠く田舎道を下ってきた乳母も、類無く「いとゆゆしきまでにうつくしい」女
児に接して、源氏が大切にお育てされようとするのも納得し、お世話申し上げ
るのであった。
指折り数えて、女児の五十日(いかのひ)に「遅れることなく着け」と、心遣
いの品々を持たせて使いを遣わす。身近の京でお育て出来ない歯がゆさなが
ら、明石で不遇を託っていたがゆえに、女児に恵まれた宿縁を思う。
今回の焦点は、紫の上に明石のことを打ち明けて、京に迎えることに理解を得
たいとするところ。「願う方(紫の上)には気配が見られないのに、明石でお
子が生れるとは。それも男児ではなくて張り合いがないが、放ってもおけない
ので京に迎えようと思う。悪く思わないで。」と本心は語らず、しかし明石の
娘の魅力を思い出しつつ話して聞かす。これを聞いて紫の上は、離れている間
もひたすら源氏のことを思い続けていたのに、その間かの地に心をとめる方が
いたのか、と心は深く傷つき悩む。源氏は「理解してもらえないのは残念」
と、空涙を流しつつも、腹立つご様子に魅力を見出す。女児であるが故の宿縁
を、どうして紫の上に語ろうとしないのか。生れたばかりで入内も遥か先のこ
と、確信が持てなかったのか。宿縁とはいえ、入内の構想が表沙汰になって壊
れることを怖れてか。それとも、紫の上と明石の君との、女同士の確執を恐れ
てのことか。
源氏の本心と紫の上への振る舞い、紫の上の思い、に会でも多様な意見が語ら
れる。
−古語あれこれ−
源氏の告白に対して紫の上が心境を読んだ歌「・・・われぞ煙にさきだちなま
し」、源氏が乳母に贈った歌に添えた言葉「したひやせまし」、など、助動詞
「まし」が随所に使われている。古語辞典では、[事実に反する状態を仮定し
て、想像する意を表す]として[@事実に反することを仮説する条件が上にあ
る場合]と[A事実に反することを仮説する条件が上にない場合]とに分けて
意味を説明している。上の例はいずれもAに該当するが、その意味として[も
し・・・だったとしたらよかっただろうに]を示しているが、源氏物語で使わ
れている実例は、どうもこの意味ではしっくりしない。仮定したことへの願
望、というよりも「こうありたい」「こうしたい」といったもっと強い意思を
示しているのではないか、と解される。
平成17年6月3日の講読会 福田達(とおる)
今回から澪標の巻に入る
「・・・」から「・・・当帝のかく位にかなひたま
ひぬることを、思ひのごとうれしとおぼす」まで。
源氏は、京に戻ると、夢にお悩みのご様子であった先帝桐壷院のご供養にと、
法華御八講を執り行われた。帝のお召しで参内し、政などご相談になっておら
れる。世の人々も喜び、ご威勢に靡き従う人々も昔のとおり多い。
弱気の帝は譲位を心に決めて、尚侍(朧月夜)と打ち解けて語り合う。尚侍の
父太政大臣も既に他界し、姉弘徽殿の大后もご不調とあって往時の権勢は見る
影もなく、退位したあとの尚侍のことを心にかける。「源氏に比べて見下げて
おられたようだが、いずれ源氏の庇護を受けることになっても、貴女への気持
ちは私に比ぶべくもないことでしょう。どうして御子が出来なかったのか」と
涙ぐむ。尚侍も、源氏のお気持ちが分かるにつけて、どうしてあのような若気
のいたりで源氏にも迷惑をかけるようなことをしたのか、辛い気持ちになる。
東宮は十一歳となって元服の儀を迎えられる。源氏と瓜二つのご様子で、眩い
ばかりに、母君入道の宮は人知れず心をお痛めになられる。
帝は東宮にいずれ位を譲ると語っておられたが、俄かに譲位を決意された。弘
徽殿の大后は源氏を退けることが果たせなかったと悔やむ。
源氏は先ずは内大臣に復位する。摂政として大役を務めることは辞退し、一旦
は退いていた致仕の大臣に譲る。初めは固持していた大臣も、周囲から説得さ
れて太政大臣に就かれる。息子の頭の中将も権中納言になり、一族もさまざま
に栄誉に与る。
葵の上が亡くなられて母大宮や父大臣が不遇を嘆いていたが、源氏は若君にも
お心をおつかいになって童殿上される。源氏不遇の間も退出されることなく、
若君をお世話してこられた方々、二条院でも引き続きお世話しておられたお付
の人々にも、源氏はお心遣いで適切な処遇を配慮される。
明石の娘のことも忘れることなく、そろそろかと使いを立てられたところ、急
ぎ立ち戻り「女児めでたくご出産」と報告する。初めての女の御子誕生を喜
び、帝の即位といい、若君といい、宿曜師の占いどおり望みが叶ったと嬉しく
お思いになられる。
澪標の巻に入って、これまでの須磨、明石での不遇な境遇から、一転光を浴び
る華やかな源氏の姿が描かれる。だが、その中で、譲位直前の帝(朱雀帝)の
心境が綴られる。これまでも、帝の弱気な性格、権勢欲旺盛な母君弘徽殿に頭
の上がらない様子が、随所に語られていたが、ここに至って弱々しいお姿に留
まらず、尚侍の前で気を許したのか、源氏への対抗心、嫉妬心も恥じる様子無
くあらわに口にされる。「人間」としては本来の姿であり、物語がとりあげる
のは素直なことであろうが、「天皇」の姿として描かれることは、他の物語に
見られたのであろうか。紫式部が初めてのことであったのか。宮廷の生なまし
い実態を把握する手法として、歴史学者は、この場面を素材として注目してき
たのか、それとも「ありえない語り物」として、無視してきたのか。
−古語あれこれ−
現在、会で使っているテキストの解説では触れられていないが、別のテキスト
で[自発の助動詞「らる」]を指摘している。これは、これまでほとんど意識す
ることのなかった助動詞である。帝と尚侍との語らいの場面で、尚侍の様子を
ご覧になっているところ。[女君は、顔はいとあかくにほひて、こぼるばかり
の愛敬にて、涙もこぼれぬるを、よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧
ぜらる。]の結びの「らる」。帝のご様子を語るところであり、「尊敬」とし
て軽く読み過ごすところ。それをあえて「自発」とこのテキストでは解説して
いる。「御覧ず」という語が、そもそも手元の古語辞典では[「見る」の尊敬
語。ごらんになる。]で、[「見給ふ」よりも敬意がやや高い。]とあり、これ
に尊敬の助動詞「らる」を付け加える必要は無い、ということから、ここの
「らる」は「自発」と解されるのであろう。
[平成17年5月13日の講読会 福田達(とおる)]
明石の巻の最終回。
「このたびは立ち別かるとも藻塩焼く 煙は同じか
たになびかむ」の歌から巻最後の「・・・おぼつかなく、なかなか怨めしげな
り。」まで。
[をとこのおんかたちありさま・・・]と語る最後の逢瀬の場面が、纏綿と続
く。なかなか琴を弾こうとしない娘に、源氏は京から持ってきた琴を取り寄せ
て先ずは自ら奏でる。娘も引き込まれて弾き始める。入道の宮の琴の音が思い
出されるが、ともに素晴らしい奥ゆかしさながら、対照的な雰囲気の音であ
る。心をこめて再会を約し、形見にと琴を残す。
出立の朝も、人目を避けて娘と文を交わし涙を流すが、お付のものは、住み慣
れたこの地を離れる淋しさかと察する。
入道は、源氏をはじめお付の者どもに、盛大に旅装束の支度をする。そこに、
娘が自ら裁ち縫い上げた狩衣に歌の添えてあるのを目に留めて、わざわざこれ
に着替え、身につけていたのを形見にと娘に贈る。
源氏の一行は、急ぎ京に上る。二条の女君をはじめ、京の人々、お供の人々、
夢心地に嬉し泣きの大喜び。悲しみに沈んだ明石の娘を思い、女君にお話にな
る。源氏の深い思いを察しつつ、「忘らるる身をば思はず・・」と歌を読んで
さらりと源氏の胸をつく。
源氏は、位あらたまり権大納言となり、冷遇されていた人々も元の官位を賜り
春が戻る。内裏に上り、帝も三年の間の源氏の不遇に涙しつつ、歌で「今さら
過ぎし年月を恨むな」と語る。
東宮、入道の宮にも久方の対面、そして明石の娘にもお付の者に文を託す。
源氏は、明石の娘をいずれ京に迎えると約したものの、身分故にかくなるも定
めと思いつつ嘆く娘。「それみたことか」と入道をきびしく問い詰め、娘にも
つらく当る母君。乳母ら周囲も入道を非難しあうのに、入道は源氏が懐妊した
娘を忘れる筈も無かろうとは思うものの確信が持てず、修行も上の空で怪我を
し病に臥せる。
初めて読み続けてきた当時の読者は、ここにきてどのように思ったか。やは
り、と明石の娘の境遇に涙したか、それとも源氏は必ず約束を果たすと明るく
確信して読み終えたか。
−古語あれこれ−
先ずは「正身」。[さうじみ]と読むとのこと。現在は全く使われない言葉であ
るが、古語辞典では「[(さうじん)の転か] その人。本人。当人。」とあ
る。手元の漢和辞典や広辞苑には出ていないが、漢和辞典で「正」の字義で、
「まさに、まさしく、ちょうど、たしかに、あたかも」とあることにつながる
のか。明石の巻でもここまでに2箇所見出している。一つは、入道が源氏と対
面して心を許して語りながらも、娘のことは言い出せなかったと、母君と語り
合ったあとに、「当の娘は」と娘のことに著者が話題を転じたところで使われ
ている。今一つは、今回の個所。入道と源氏の最後の語らいで、源氏が娘のこ
とは忘れまいと語り、入道が涙にくれる場面のあとで、著者が当の娘の心境に
転ずるところで使われている。まさに、「当人は」と解するのが最適か。先生
からも「つきはなした表現で、筆者が尊敬する人には使わない言葉」とのご指
摘であった。
今一つ、娘が源氏の歌への返歌で使った「頼める」。[他動詞マ行四段活用]の
「頼む」と区別されて、[他動詞マ行下二段活用]で「頼りになるように思わせ
る。あてにさせる。」とあって、まさにこの時代の男女の仲をピッタリと象徴
する言葉。[四段活用]と[下二段活用]の違いで意味が変わることは、「給ふ」
(四段)と「給ふ」(下二段)で用法が異なることと同様、注意すべきことと理
解した。
平成17年4月9日の例会は小石川植物園のお花見でした
[平成17年3月18日の講読会から 福田達(とおる)]
明石の巻の第8回
「あはれとは月日に添へておぼしませど、・・・」から
「・・・塩焼く煙かすかにたなびきて、とりあつめたる所のさまなり。」ま
で。
とうとう源氏が京に戻ることが公に許されることになる。帝の病も思わしくな
く、弘徽殿の大后も悩みが続くなか、帝は東宮への譲位を決意し、政を行なう
後見役として源氏が適任と考え、京に戻ることを許す旨の宣旨が出される。
ここで直ぐに(素直に)出立することとならないのが、物語というもの。紫の
上への思い深く、娘のもとに通うのを控えて、独り絵を描いては思うことを書
き込み、また紫の上の返歌が書き添えられる工夫がなされる。紫の上も同じよ
うに絵を描き、日記風にご様子を書き込んでおられる。
京に戻る宣旨が届くと、再びこの地に来られないのかと、途絶えることなく娘
のもとに通うようになる。娘に懐妊の徴が現れると、尚更心残りで日一日と出
立を延ばし、郎等どもに顰蹙を買う。
旅立ちも間近という夜は、いつもよりも明るいうちに娘のもとを訪れ、初めて
みやびやかで由緒あり、気品のあるご器量に、いずれ都に迎えようと心に決め
て娘に伝える。
明石の地で源氏を巡る様子と朝廷での帝を取り巻く動きが、対照的に語られる
中で、源氏の紫の上と娘への思いが交互に描かれて、明石の巻の終焉へと向か
う。その間に、入道の悩みと喜びも綴られる。
最後になって、娘の姿を明るいうちに眺めて人品卑しからざる雰囲気を初めて
知るというのも、現代の読者からは「え?」ということになるが、当時男女の
仲を取り結んだのは何だったのか、几帳の外から六条の御息所を偲んだことが
思い出される。
−古語あれこれ−
今回の締めくくりは、明石での娘との最後の逢瀬の場面。ここで、源氏は[男]
と表現されている。因みに、明石の巻のここまでで、源氏と女性3人の呼称を
まとめると、次のように整理できた。
○源氏 [君×8、わが君、源氏の君、さる人、人、源氏、男]
○藤壺の宮 [入道の宮]
○紫の上 [二条の君×2、二条の院、京のこと、恋しき人、やむごとなきか
た]
○明石の娘 [娘×4、女×3、人×2、正身×2、女の童、岡辺、人ざま]
[をとこ]を古語辞典で調べると [(「男君」の略か)愛情関係にある身分の高
い男女のうち男の方をさす]とあって、例文として、まさにここの一文が紹介
されている。著者が、ここで特にこの表現を用いたのは、二人の男女の深い関
係を強く浮かび上がらせようとしたのであろうし、当時の読者もそのように理
解して受けとめたのであろう。
なお、[をんな]についても、辞典に同様の記述があるが(例文として、源氏物
語の野分の巻を引用している)、物語に該当する表現はみられない。上述の事
例で、明石の君を[女]と呼ぶ個所が3回みられるが、特定の場面での表現では
なく、名も無き女性の一般的な表現と理解される。
[平成17年2月4日の講読会から 福田達(とおる)]
明石の巻の第7回
「近き几帳の紐に、筝の琴のひき鳴らされたるも・・・」
から「・・・なだらかにもてなして、憎からぬさまに見えたてまつる。」ま
で。
入道の密かな配慮で娘を訪ねることが出来た源氏に、突然のことで驚いて拒も
うとする娘であったが、結局(ここをどう表現すればいいのか、「とうとう」
「ついに」「やっとのこと」「思いを果たす」など、現代的感覚で言葉を並べ
ても、どうもしっくりしない)結ばれる。しかし、人目を忍ぶことゆえ夜の明
けぬうちに思いを残して分かれる。入道の側も後朝の使いに[ことことしうも
てなさず]対応する。
それからのお訪ねも忍んでのこと。時に控えることがあると、娘も「やはり」
と思い、入道も修行を忘れて気が気ではない。
二條院の紫の上に噂話で耳に入っても、と気が咎める源氏は、日頃の思いを一
段と細やかに記して届けるが、そこにそれとなく匂わせる。紫の上からも歌に
寄せてきびしい文が届き、源氏の足は遠のくが、娘の方はお会いする以前より
も遥かに嘆きが深まり「今ぞまことに身も投げつべきここちする」
いずれ娘の生んだ姫が入内するほどの身分となるというのに、最初の出会いの
何と淡淡としてむしろ冷ややかなことか。かえって、娘を訪ねて几帳の外から
「ほのかなるけはい」で、「伊勢の御息所」を思い出すところが印象に残る。
源氏と紫の上とで交わされる文「われながらこころよりほかなるなほざりごと
にて、うとまれたてまつりしふしぶしを、おもひいづるさへむねいたきに、ま
たあやしうものはかなきゆめをこそみはべりしか」「うらなくもおもひけるか
なちぎりしをまつよりなみはこえじものぞと」も、筆者の筆は冴える。
−古語あれこれ−
百人一首で親しんだ[末の松山波越さじとは]の[松より波]が登場する。そもそ
もは古今集の[君をおきてあだし心をわがもたば末のまつ山浪もこえなむ]が本
歌とか。[松山]は、松島海岸の辺りというが、かなり高い山(丘?)があった
のだろうか。この本歌からは、自らの決意(約束)を述べていると読めて、紫
の上の詰問とも解されよう。
[平成17年1月14日の講読会から 福田達(とおる)]
明石の巻の第6回。
「その年、朝廷に、もののさとししきりて、もの騒がしき
こと多かり。・・・」から「・・・乱れ怨みたまふさま、げにもの思ひ知らむ
人にこそ見せまほしけれ」まで。
源氏が須磨に住まう折、夢に現れて「・・・内裏に奏すべきことあるによりな
む、急ぎ登りぬる」と告げた故院が、雷鳴轟く風雨の夜、朝廷の帝の夢に現れ
てご機嫌悪くお睨みになる。源氏の身の上のことにも触れられたのか。帝は気
に掛かって母后に相談されるが、軽々しく振舞うな、と諌められる。しかし、
帝はお怒りの故院と視線が合ったゆえか目を患い、外祖父の太政大臣もお歳と
はいえこの時期に他界し、母后も患って衰弱されるなど、不幸が続く。それで
も、母后は、源氏を許すことに同意しない。
明石では、源氏が入道に娘を連れてくるよう促すが、娘は相変わらず頑なに考
えを変えようとはしない。とうとう入道は母親にも相談せずに、占いで吉日を
定めて源氏を迎える準備を進める。源氏はお忍びで月夜に娘の元に向かうが、
入江の月を眺めて京の紫の上のもとにこのまま駒を進めたいと歌を詠む。
娘の住む家は、入道の住む家に比べれば地味だが風情ある様子。娘は突然のこ
とに驚くが受け入れようとはしない。近くまで来ているのに拒みつづけるの
は、我が身がやつれているが故に侮っているのか、と源氏は悔しく思う。
都と明石の動きが並行的に叙述される。母后の強気な性格に対比して、帝が
弱々しく描かれるが、このような「人間味溢れる天皇」の姿は、筆者が身近に
見聞きしたことに基づくのであろうか。
娘の元に駒を進める途中で、入江の月影に京の紫の上を思う源氏は、女性の愛
読者にはどのように受けとめられるのか。
−古語あれこれ−
帝の弱気を諌める強気の母后を「弘徽殿の女御」と称するのは、お住まいの名
称から来るが、「弘徽殿」とはどのような由来のある名称か。漢和辞典を引く
と、[弘=ひろい、おおきい]、[徽=よい、うつくしい]とあって、字は難しく
親しみがなかったが、意味を素直に受け止めれば、特異な言葉と考えて詮索す
ることもないのか、と思い至る。
[平成16年12月3日の講読会から 福田達(とおる)]
明石の巻の第5回。
「横さまの罪にあたりて思ひかけぬ世界にただよふも、・・・」から「今さら
に人わろきことをばと、おぼししづめたり。」まで。
入道の来し方の話、娘への思い入れを聞き、源氏はわが身に重ねて感慨深く、
「何故これまで語ってくれなかったのか」と思う。娘のことも風の便りに耳に
しながらも、落ちぶれたこの身には近づくまいと思っていたが、と関心を示
し、入道は嬉しく思って、娘の心境を歌にして申し上げる。
入道は漸く思いが叶ったか、と爽やかな気持ちでいると、早速翌日源氏から娘
への文が届く。入道は喜び勇んでお使いの者を酒肴で歓待し、立派な裳を授け
る。娘は、格が違いすぎると思い返事を差し上げようとはせず、入道が返事を
代筆する。源氏は折り返し、使う紙にも書き様にも一段と心を配って文を送
り、娘もやっと「会ったこともない我が身に、何故それほど心を寄せられるの
か」と歌を差し上げる。
源氏は娘の文に接して京の身分高い女と変わることがないと感心するが、余り
人目に付いてはと数日おいて、時節を話題にして文を送り、やりとりが始ま
る。ますます関心が募るものの出かけることもならず、女房として出仕させて
くれればと願うばかり。娘も自ら動こうとはせず、意地の張り合いが続く。
京の紫の上のことも恋しい思いが深まるが、こっそり明石に呼ぼうかと思いつ
つ体裁を慮って我慢する。
入道と娘と源氏の三者三様の心境が綴られる。一族の栄華を願う入道は、何と
しても娘を源氏に近づけたく、源氏の言葉に即座に反応するが、「一人身の寂
しさは同じこと」と娘の気持ちを歌で語り、返事を書こうとしない娘に代わっ
て、悟りの身で色文を代筆する。源氏は、娘に関心を示しつつ一方京の紫の上
にも思いを抱きながら、いずれにも周囲の体裁に拘って行動に移せない。須磨
から離れる時と同じく、「世間」から注目されている立場を意識した迷いが繰
り返される。
折角の好機ながら、身分の余りの格差を思って、「まだ見ぬ人の聞きかなやま
む」と歌で投げかける娘一人が正常というべきか。
−古語あれこれ−
敬語は難しい。源氏と入道が語り合う場面で、入道に対して「たまふ」と敬語
をつけて源氏は語る。かって、京からわざわざ訪ねてきた頭の中将との語らい
の場面でも、中将に「たまふ」と敬語を使っていたことを思い出す。無官と
なった身を意識しての相手への敬語であろうか。それとも、作者が話者を区別
するために、源氏の言葉には「敬語」を使わせているのか。
今一つ。この「たまふ」には二種類あることにも気づく。一方は、四段活用と
して「尊敬の意を表す敬語」は、古語では頻出する言葉だが、他方、入道が自
身のことに使う「たまふ」は、源氏物語の原文を読み出して初めて知った用
法。下二段活用で、「自己の動作に付けて、話し相手に対しへりくだる意を表
す」とある。
そこで又混乱の生ずる例が出てくる。娘がこの地に長く住んでいることで源氏
が「浦なれたまへらむ人」と述べるところ。ここの「たまへ」は下二段活用と
も解されるが文意にそぐわない。あれこれ考えた挙句、四段活用「たまふ」の
命令形「たまへ」+完了の助動詞「り」の未然形「ら」+推量の助動詞「む」
の連体形「む」、と考えて、前者の用例と理解した。ということで、ここでも
娘に「たまふ」を使っている。
[平成16年11月5日の講読会から 福田達(とおる)]
明石の巻の第4回。「四月になりぬ。更衣の御装束、御帳の帷など・・・」か
ら「君も、ものをさまざまおぼし続くるをりからは、うち涙ぐみつつ聞こしめ
す。」まで。
春になって、装束や調度などの入れ替えなど、何事につけて入道は懸命にお世
話するのを、源氏はそこまではと思いながらも、入道の人柄から受け入れる。
京からお見舞のたよりも次々と届くようになり、気持ちもゆとりが出来て、眺
められる景色から、住み慣れた京の趣が懐かしく思い出される。
久し振りに琴を取り出して弾くと、周囲の人々も心引かれる。入道も勤行を取
り止めて参上し感激する。源氏も、御殿で帝をはじめ人々から賞賛された往時
の有様を思い出して夢の心地がする。
入道も琵琶、筝の琴などを取り寄せて弾く。延喜の御世の名手から弾き伝えて
三代となることを語り、京では途絶えた技がこの地に弾き継がれていることを
知って興味を深める。「女性の手で弾くのを聞けば素晴らしいこと」と気軽に
口にされるのを、入道は「娘も弾き継いでいることから、是非お召しいただき
たい」と心中喜びを篭めて申し上げる。
酒もすすみ宴もたけなわになる中、入道は問われることもなく明石に住み始め
て以来のこと、勤行のこと、娘のこと、親代々のことなど残りなく語る。大臣
を務めた
親に比べて、田舎に住む我が身、娘を何としても京の高貴の方に嫁がせたい
と、神仏に毎年お祈りを続けてきたと泣き泣き申し上げる。
源氏も我が身に思い合わせて涙ぐむ。
現世を捨てて来世のために祈り続けお勤めに励むのが、出家の身の行いと思う
のだが、ここには娘の身を思いつつ一族の出世を願う親の心情が綴られて、い
つの世に変わることのない「人間」が描かれる。
嵯峨天皇の御世のこと、樂の奏法のこと、秘曲のこと、神仏のことなど、唐土
からの出典も含めて、作者の学の広さに思いが及ぶ。
[平成16年10月15日の講読会から 福田達(とおる)]
明石の巻の第3回。「浜のさま、げにいと心ことなり。人しげう見ゆるのみな
む。・・・」から「・・・似げなきことかなと思ふに、ただなるよりはものあ
はれなり。」まで。
移り住んだ明石の様子、入道一族の生活の様子が語られる。入道の出自もあっ
て、単なる土地の豪族とは異なる貴族的な雰囲気が、あれこれ綴られる。さす
が齢相応の知識も深く、「古事」など源氏も初めて聞くこともあって、つれづ
れのまぎれに耳を傾ける。
気持ちに余裕が出てきて、源氏も京の人々に手紙を認める。出家して入道と呼
ばれる藤壷の宮にだけは、須磨での恐ろしかった体験、「めづらかにてよみが
へるさま」などを申し上げる。
二条の院紫の上には、届いた文への返事も、思いが募って思うように筆が進ま
ないが、明石に移ったことを伝える。
そんな中、入道は娘のことで悩んでいることを、源氏に時々愚痴を申し上げる
ものの、源氏は現在の身の上を思い、紫の上のことも慮って関心を示そうとは
なさらず、入道は仏神に念じ、母君と嘆き合う。娘本人は、遠くから源氏を見
上げるにつけても、両親の願いは不似合いなことと思いつつも以前よりは心境
が変わっている。
入道の人物描写が、貴族の出であることを語る一方、「まばゆきさまはまさり
ざま」といささか異なる雰囲気も述べられて興味深い。
[平成16年9月3日の講読会から 福田達(とおる)]
明石の巻の第2回。「やうやう風なほり、雨の脚しめり、星の光も身ゆる
に、・・・」から「・・・飛ぶやうに明石に着きたまひぬ。ただはひわたるほ
どは片時の間といへど、なほあやしきまで見ゆる風の心なり。」まで。
落雷を避けて大炊殿に移り、夜の明けるまでと念じ続ける。これほどの異変に
見舞われても、近くにこの天変地異を占う賢人もいない。「神の助けでこの程
度で済んだ」と語るのを聞いて心細さは募るばかり。疲れてまどろむうちに、
亡き父君が現れて、「住吉の神の導きで、早く船を出してこの浦を立ち去れ」
とのお告げ。「今はこの地で身を捨てる覚悟」と申し上げると「いとあるまじ
きこと、この異変はささやかなることの報いに過ぎぬ」「これより内裏にも奏
すべく京に上る」とのお言葉。「お供に」と申し上げた時にはお姿は見えな
い。
突然小舟が浜に着き、「夢のお告げで舟を用意しましたが、神のお導きか、あ
の異変の中で不思議な風に吹かれて辿り着きました。お心当たりは」との明石
の入道の言上。「父君のお告げの通りか」と源氏が舟に乗ると、飛ぶように明
石に着くのもあやしき風の心か。
父君のお告げとは言え、軽軽しくこの地を去ることで後々の非難はいかがか。
入道の迎えは折角の神のお導き、これに背くは後の世の物笑いか。と迷いつづ
ける源氏の心境が縷縷語られる。
身に降りかかる不幸は過ぎし世の因果かと思うも、何とか救われたいと神仏に
縋る。だが現世の人々の見る目を思うと、神のお告げとは言え素直には従えな
い。神のお告げに、千載一遇のチャンスとばかりに、嵐もものともせずに小舟
を仕立てる入道。いずれも今の世にも通ずる人の生き様か。
何の悩みも無いかのように、「あやしき」土地の人々の姿も添えられる。
−古語あれこれ−
助動詞「まし」のこと。記憶に残る意味は、「今しばし止まざらましか
ば、・・・」とあるように、「事実に反する仮定」と理解していたが、父君の
お告げに対して「今はこの渚に身をや捨てはべりなまし」と源氏が申し上げる
ところで、「はて?」と首を傾げる。先生のご指導で、古語辞典の本文を繙く
と、後段に「上に、「や」「か」「なに」「いかに」などの疑問の意を表す語
を伴って思い迷う気持ちを表す。・・・たものだろう(か)。・・・たらよい
だろう(か)。」と解説してあることに気づく。中途半端な記憶に頼ることな
く、じっくり古語辞典に傾注すべきことと反省する。
今一つ。火事となって仮の御座所となったところを「かたじけなく」と、周り
の人々の「申し訳なく恐れ多いこと」と気持ちが語られているのに、後段で疲
れてまどろみ父君の夢を見るところで、同じ場所を「かたじけなき御座所なれ
ば、ただ寄りゐたまへる」とあるのに、これに「もったいない仮の」とテキス
トに付記されているのは、この場に適さないちぐはぐな注釈であろう
[平成16年7月2日の講読会から 福田達(とおる)]
須磨の巻から明石の巻へ。
「弥生の朔日に出で来たる巳の日,・・・」から「・・・空は墨を
すりたるやうにて、日も暮れにけり。」まで。
頭の中将が都に戻りまた孤独の身となった源氏は、弥生の巳の日、
促されて海辺でお祓いをさせるが、穏やかだった日和が、一天俄か
にかき曇り、笠も間に合わぬ肘笠雨に雷鳴も轟き、お祓いも早々に
皆引き上げる。このようなことは初めてのこと、願の力でいのち落
とさずに済んだか、と皆語り合う。
巻改まって明石の巻に入るも、なお嵐は止まず。雨風の中、二条の
院から文が届き、小止みなく続く雨模様に源氏への思いが綴られ
る。使いの者の語るには、京もまた氷降り、雷鳴る悪天候が続い
て、公の行事も絶えているとか。
潮高く満ち、波音荒く、雷鳴りひらめくこと止まず、住吉の神に大
願を立てたまい、海の竜王、よろづの神に願を立てさせるが、ます
ます激しく、住まいの廊に落雷し、燃え上がる。
これでもかと書き続けられる天変地異は、菅公の怨霊になぞらえた
ものか。源氏が去った都であれば頷けるが、源氏の周りで起こるの
は、孤独な源氏の心境を浮かび上がらせることが狙いであろうか。
舟に乗せて流される人形を見ては我が身を思い、凪ぎわたる海原に
来し方行く先を思って八百よろづの神に思し召しを願う。夢に「何
故宮のお召しに応えぬ」と問われると、海の竜王に見入られたか
と、須磨の住まい堪えがたく思う。
都に戻るのも未だ許されぬ身であれば世の人に許されることもなか
ろうと思い、深山に絶えなんとすれば後の世に軽々しき名を残すか
と思い乱れる。
びしょ濡れの使いの者にまで親しみを感じ、京のことを尋ねようと
お前に召し出でる。
自然現象を具象的に描き続けながら、思い乱れる源氏の心境が綴ら
れる
−物語の構成−
源氏が須磨に赴くのは、弘徽殿、右大臣がたの画策によって、朝廷
の勘気に触れたがゆえ、というのは公知のことと思うのであるが、
どういう訳か、菅原道真などの史実に見られるように地方の官職を
発令することによる公式の「手続き」がなされなかった、というの
がどうしても納得できないことであった。
手元にあるいくつかの源氏物語の解説書を繙くうちに、次のような
解説が目に止まりました。
「かれは追われることを避けて自発的に京都を脱出していくことに
なっていることは注意しなければならない。作者にとっても、読者
にとっても、光源氏は公的に断罪されてはならないのであ
る。・・・・(略)・・・
もし左遷人として追放されてしまったら、当時の史実に照らして明
白のように、光源氏はけっしてふたたび政治家として都に返り咲く
ことはできない。須磨へ、明石へと、かれが流浪していくことが、
将来のかぎりない栄耀のためにかならず通過すべき試練にほかなら
ないとする構想からすれば、光源氏は断罪されてはならない。史実
の例から離脱して、かれのみずから退去するほかないゆえんであ
る。」(秋山虔著 源氏物語 岩波新書)
これには、中国の周公旦東征の故事からきていることを論じた研究
があるとのこと。
[平成16年6月4日の講読会から 福田達(とおる)]
須磨の巻第8回。
「明石の浦は,ただはひわたるほどなれば,良清の朝臣,・・・」
から「・・・名残、いとど悲しうながめ暮らしたまふ。」まで。
いよいよ,次の明石の巻に向けて、新たに明石の入道一族が舞台に
登場する。明石の入道は、今は国守ながら,そもそもの我が身の出
自に自負を持ち,播磨の国の貴人の世界には関心がなく、年に2度
も娘を住吉大社に詣でさせるなど,都に縁ができる機会を願ってい
た。娘も、身の程を弁え,高貴のかたがたは見向きもしないであろ
うとは思いながらも父と同じ気持ちを抱いている。源氏の君が近く
に住まうと知って,入道は千載一遇の機会と思い切った行動をとろ
うとするが、母は謫居の身の源氏には猛反対。
年月が流れて、春を迎えると源氏も都の華やかな集いを思い出して
は、涙ぐむ。一方,都の頭の中将は源氏との友情が忘れがたく、き
びしい指弾を受けることも覚悟して、思い切って須磨の源氏を訪ね
る。源氏も思いもかけぬ来訪に再会を心より喜び、夜を徹して文つ
くりなどして語り合う。
瞬く間に過ぎて暁を迎え、今一度都で再会できることを願いつつ
も,適わぬ望みかと菅公の例も思い浮かべつつ,都に戻る中将と
「はつかなる別れ」を惜しみ悲しみに沈む。
淡淡とした前回とは打って変わって,今回は今後の大きな展開の端
緒を語る。親の代の栄華を忘れえず、折があればと都の華やかな世
界に戻る機会を求める地方住まいの貴人。現実を見据えて地道に歩
むことを受け入れる母親。ともにいつの世にも通ずる心情であろう
が、地方官人の姿を描けるのも、父に従って越の国で暮らした紫式
部の体験が生きているのか。
頭の中将との別れの場面での記述で,意外なことと驚いたことは,
源氏から中将に向かっての挙措振る舞いに,「たてまつる」、「申
したまふ」と謙譲の表現が使われていること。謫居の身であれば源
氏といえども,今をときめく中将にはこのような敬語の使い方が当
然であったのか。
−古語あれこれ−
一語一語の分析が出発点と,一つ一つ古語辞典を引いて意味を把握
することに努めようとしているが,多彩な意味を持つ言葉に出会う
と「さて,どの意味が?」と迷うこと仕切り。そんな折に、テキス
トの漢字表現にも疑問が及ぶ。恐らくそもそもの古文書では,ほと
んど(すべて?)が「かな」で書かれているのではと推察される
が,テキストには随所に漢字が使われている。この漢字表現は,
「源氏物語学」として共通に認知されていることか。例えば,華や
かな都の行事を偲ぶ個所で,「ひととせ」と振り返るが,現在使っ
ているS社のテキストは「一年」と漢字をあてて「ひととせ」と
「かな」を振っている。
「ひととせ」は辞典では,「一年」の意のほかに「過去のある年、
先年」という意味も載せている。後者の「先年」の意であれば、欄
外の注釈とも矛盾しないのに、何故「一年」と本文に書いて,振り
仮名に「ひととせ」と記したのか。因みにI社のテキストは,本文
に「ひととせ」と書き、欄外の注釈には同じ内容を紹介している。
それぞれの「編者」の裁量(解釈)であろうか。
[平成16年5月14日の講読会から 福田達(とおる)]
須磨の巻第7回。
「そのころ,大弐はのぼりける。・・・」から「・・・家にあから
さまにもえ出でざりけり。」まで。
大宰府から京に上る大弐は,須磨に謫居する源氏を知りながらも,
訪ねることをためらい,手紙を送り、息子の筑前の守を遣わすが、
その息子もあわただしく立ち戻る。共に来た娘の一人五節の君は,
是非源氏に会いたいと憧れるが、文を届けて,返事を貰えたのがせ
めてもの慰め。
帝をはじめ都にいる貴人たちは,時とともに懐かしく思って源氏に
文を送っていたが、弘徽殿の大后からきびしい叱正を伝え聞くと途
端に源氏との交流を絶つ。悲しむ東宮を見るにつけて、入道の藤壺
の宮も悲嘆に暮れている。
二条の紫の上も時経ても癒されることはないが,源氏の許から移っ
てきた女房たちはお傍近く使える中で、その人柄に惹かれてゆく。
久しく須磨に住まう源氏も耐えがたくなってきたが,紫の上をここ
に迎えること適わずと思う。土地の者の暮らし様に興を覚えるもの
の,供のものと音曲を囲んでも、王昭君の故事に不吉な思いが広が
り、西に傾く月の光、明け方の千鳥の鳴き声に涙を催す。
今回はニュースバリューのある特別な展開はなく,都も須磨も悲し
みの雰囲気が綴られるが,弘徽殿を巡る権力の怖さに貴人たちの萎
縮した心情が語られる。
−古都でのこと−
先月末高校の同窓会で関西を訪ねたあとに,京都洛北を歩く。深泥
池近く,比叡山の借景で有名な円通寺。鷹が峰の源光庵、常照寺。
大文字の送り火舟形の麓の正伝寺。と,修学旅行生で喧騒の中心街
を離れて、静かな新緑の古都を満喫してきました。最高気温29度
近くの好天の一日でしたが、お寺のお堂に入ると、ひんやりとした
爽やかな風が流れてホッとする。京の建物は、冬の寒さよりも夏の
蒸し暑さを考えて建てられていると聞いてはいたが,初めて「成る
程」と実感してきました。
平成16年3月12日の講読会から 福田達(とおる)]
須磨の巻第6回。
「尚侍の君は,人笑へにいみじうおぼしくづほるるを,大臣いとか
なしうしたまふ君にて・・・」から和歌「憂しとのみひとへにもの
は思ほえでひだりみぎにもぬるる袖かな」まで。
源氏との係りで謹慎していた朧月夜の君も,父右大臣の計らいで参
内を許され、再び宮仕えに戻る。朱雀帝との語らいの場面で描かれ
る帝の性格は、何と弱々しいことか。母弘徽殿大后の権勢を恐れ
て,先帝の遺言も実現し得ない。
須磨にも秋が訪れ、侘び住まいする源氏の淋しさはいやが上にも募
り,一人夜分に起き出して、琴を弾き歌を詠む。だが,仕えの者た
ちの眠りを妨げたことから,「はっと目覚める」。仕えの者たちは
皆,栄達の望みを捨て家族と別れて源氏について須磨まで来た。口
には出さないが、真情はいかばかりか。自分一人が悲しみに打ちひ
しがれてばかりはおられない。
心を取り直して,昼はお付の者たちと,手習い、絵描き,歌詠み、
と明るく振舞い,親しく時を過ごす。
だが・・夜,月を眺めると,やはり都のことが忘れられず,入道の
君のお言葉を思い出しては涙を流す。「恩賜の御衣は今ここにあ
り」と,故事を引きつつ先帝の面影を偲ぶ。
明治憲法にいう「天皇は神聖にして侵すべからず」からは想像も出
来ないことだが,このように(弱さを表に出した)人間味溢れる帝
のお姿が描かれるとは。紫式部は,内裏でお近くから帝のありのま
まのお姿に接することがあったのであろうか。それとも,「源氏」
のストーリーを際立たせるための式部の創造であろうか。対照的
に,悲しみに沈むだけの源氏ではなく、部下への心遣いも丁寧に語
られる。
−古語あれこれ−
古文を理解するにあたっては,「一語一語の単語の理解」−「各文
章の主語を把握して、文意の理解」−「各場面のストーリーの把
握」と来て、その上で,「文学鑑賞」となるのであろうが,今はと
もかく古語辞典に使い慣れて,一語一語を理解することで精一杯で
ある。
純粋に古語であれば辞典に向かうが、現代でも使われていてしかし
意味の異なる単語が要注意と知りつつ,つい見過ごしてしまい迷路
に入り込む。
今回の範囲でも「さうざうし−心淋しい」「めでたし−素晴らし
い」「なつかし−心引かれる」「ののしる−声高に騒ぐ」「下−心
のうち」「まもる−じっと見つめる」などなど。

[平成16年2月6日の講読会から 福田達(とおる)]
「須磨の巻」に入って5回目。「やうやう事静まりゆくに、長雨のころになり
て、京のことおぼしやらるるに・・・」から「・・・近き国の御荘の者などもよ
ほさせて、つかうまつるべき由のたまはす。」まで。
侘び住まいでの生活も落ち着くと、分かれた京の人々が恋しく思い出されて、あ
ちこちに手紙を出す。入道の宮、尚侍、大殿の宰相の乳母、二条の院の君、伊勢
の宮、花散里。それぞれにお返り、またそれへの返信で、お互いに歌を伴って率
直な心境が交わされる。添えられたお付きの女房の文に綴られる「あるじ」の挙
措からも、心の内が伝わってくる。遠く離れて、いつまでという見通しのない境
遇に置かれて、それぞれ淋しさ故にか、率直な心境が描かれる。
世間に「露見」することなく過ぎたことに心を許したのか、入道の宮は「あはれ
に恋しうも・・」と語る。御息所には、「ひとふし憂しと思ひきこえし心あやま
り」と悔いて、共に伊勢に行ければと心を寄せる。
悲しみにくれる姫君には、「今は異事に心あわたたしう、行きかかづらふかたも
なく、しめやかにてあるべきものを・・」と述べる源氏には、女性の読者はどう
反応するのか。
朝日新聞新春の連載「私の古代和歌」で、島田修三教授は「古代和歌を読むこと
は、異文化に遭遇する」と同じで、当時の習俗、信仰、深層心理を理解すること
の必要を、「袖を振る」を例題として語っておられるが、まさにこの巻で、御息
所が「罪深き身」と自らを語っていることは、初めて知る驚きであった。
十字軍に見るように、内には博愛を説きつつ、異教はきびしく排撃するキリスト
教に比して、日本では「本地垂迹説」を見るまでもなく、神仏の融合が自然の姿
と理解していたのだが、「隠微」に排撃する深層習俗が形成されてたとは。思い
もかけないことであった。
−古語つれづれ−
これも初めて勉強したこと。
「・・・世にしほじみぬる齢の人だにあり、まして馴れむつびきこえ・・」の
「あり」が、後述の「恋しう思ひきこえたまへる」の意を代行しているという。
英語の「do」が、先行する形で使われているともいえるであろうが、「あり」
を古語辞典で引いてもこのことは読めない。
[平成16年1月9日 講読会 福田達(とおる)]
「須磨の巻」に入って4回目。
和歌「亡きかげやいかが見るらむよそへつつ・・」から、「・・いかで年月を過
ぐさましとおぼしやらる。」まで、が今回の範囲。
父君先帝のお墓にお参りして帰宅してから、都を離れるにあたっての春宮へのご
挨拶を、お付きの王命婦宛に送る。王命婦からは、春宮のご様子とあわせて、感
慨を込めた和歌が届く。宮中においてお仕えするさまざまな階層の人々の、去り
ゆく源氏への哀惜の感慨が語られる。源氏華やかなりし頃、源氏に恩顧を賜った
人々も、権勢を失った今、世を憚って、都を立ち去ろうとする源氏に挨拶に訪う
人がいないことに、源氏の世の人々への思いは深い。
二条の院で紫の上と最後の別れ。源氏に促されて、初めて御簾の外に出て月影に
映えるその美しさ。明け果てぬ前に、都を旅立つ。
須磨について、見慣れぬ風情、家居も珍しくはあるが、心から語り合える友がい
ないことの寂しさ、そして添い続ける紫の上の面影。
いくつかの古典の引用は語られても、あっさりとした須磨への旅の記述は、著者
が須磨に旅したことがあったのかと、会でも話題となる。
「須磨の巻」と名付けられたこの巻も、旅立ちまでの別れの場面に全体の4割を
割いて語られるのも、落魄の身の心情を読者に伝えたかったのであろう。
−古語つれづれ−
古語辞典に辿り着くのに、今一つ頭の転換を求められるのが、いわゆる「仮名遣
い」である。つい、現代仮名遣いで引き始めるが、求める単語が見当たらないこ
とがある。「何でこの言葉がないの?」と苛立つが、そんな折はえてして当時の
仮名遣いを忘れている。気がつきにくい最たるものは「ゐ」と「を」であろう。
そして、今一つが「音便」。
今回も「旅所ともなう、・・」で「伴う」かと思ったがどうしても意味が納得で
きない。ふと「ともなふ」ではなく「ともなう」となっていることに気づく。先
生にお尋ねしたら、「‘ともなく‘の「う音便化」したもの」とのご説明。「な
るほど、そうだったのか」と納得する
[平成15年12月5日の購読会(福田達(トオル)]
「須磨の巻」に入って3回目。
「よろづのことどもしたためさせたまふ。
」から「・・・ありし御面影さやかに見えたまへる。そぞろ寒きほどなり。」ま
で。
前回に続いて別れの場面が続く。尚侍(朧月夜)にも、先方の周りの人々に見つ
からないよう気を使って文を送る。いよいよ出発の前日に、先帝の墓所にお参り
に行く途中、入道の宮(出家していた藤壺の宮)に別れのご挨拶に参上して、
直々に対談し、さまざまな思いが駆け巡る。そして、北山の墓所に参拝。ご恩顧
に思いを馳せ、生前のお姿を偲ぶうちに、「ありし御面影さやかに見えたまへ
る。そぞろ寒きほどなり。」心理学ではどう表現されるのか、余りの悲しみの行
き着くところであろうか。恩顧を受けた方が失脚すれば、不遇を託つのは今も同
じ。
その間に「堅い」話が挿入されている。先ず、不在の間(というよりも、戻って
くるという見通しのない状況で)のもろもろの「殿のこととり行ふ」べき事柄
を、信頼できる人々に分担して定める。資産もすべて西の対(紫の上)にお渡し
になり、「はかばかしき者」と見立てた女房の小納言にお任せになる。そしてお
付きの人々も、(「待ちつけむ」と思うならば)西の対にお仕えするよう勧め
る。
作者が女性でありながら、このような「堅い」「公」の世界の事柄が具体的に縷
縷語られるのも、国守の父を持ったこともあろうが、やはり公的世界にも鋭い感
覚を持ちつづけた紫式部の天性の故であろうか。
古語辞典を繙くのに戸惑うのが、今使われている言葉でありながら、意味が全く
異なるか、別の意味も含まれている言葉。うっかりすると見過ごしてしまい、文
意に辿り着けないことになる。
「よろづのことどもしたためさせたまふ」の「したたむ」は、手元の古語辞典で
は、5つある語意のうち「書き記す」は第5番目、「整理する、支配する、用意
する、食べる」と今では使われない語意が並んでいる。
「あやしの山賎めきてもてなしたまふ」の「もてなす」も、辞典では「執り行
う、ふるまう、取り扱う、もてはやす」と続いて、最後に「ごちそうする」が出
てくる。
[平成15年11月7日の講読会(福田達(トオル)]
「須磨の巻」に入って2回目。
「若君の御乳母の宰相の君して、・・・」から
「・・・明けぐれのほどに出でたまひぬ。」まで。
お忍びで亡き正妻葵の方の実家にご挨拶に伺う。帰ろうとする頃に、北の方から
文が届き、乳母を通じて挨拶を交わす。二条の御殿に戻って、紫の方と、旅立ち
を前にしてしみじみとした語り合い。弟の帥の宮、三位の中将も訪ね来て対面。
そして、ここで又花散里の方を訪ねて、別れの挨拶。
ということで、須磨に旅立つ前の源氏と源氏を巡る人々との別れの場面が続く。
これからの筋立てを知っていればこそ、物語の展開も「客観的に」たんたんと読
み進むことになるが、物語の登場人物たちにとっては(当時初めて接する読者に
も)、源氏自身も、都に残る人々にとっても、「この先どうなるのか」「果たし
て、再び会うことがありうるのか」という深い不安と悲しみの心境であったこと
であろう。それゆえに、「これでもか、これでもか」と悲しい別れの場面が続
く。
今でこそ、JRの快速電車で1時間、100キロに及ばない距離だが、当時の
人々には「遥かな異郷の地」、我々には想像を越える心境であったろうと推測す
るほかはない。
華やかなりし頃に往き来していた人々も、表面的な付き合いの人は、失脚した源
氏には距離を置くようになるのも、これまた今と変わることのない心情か。
ここでも「花散里」が大きな存在として描かれているのも、将来への伏線か、源
氏の心に大きな存在となっているのも興味深いところ。
ところで、田中先生のご指導の下、原文を読むようになって早いもので1年半。
原文講読の第1歩である古語辞典で一語一語確かめることは、何とか軌道に乗っ
てきました。往時の受験文法がいまだ錆付いていないことを嬉しく思っています
が、ただ単語そのものに馴染めない(新発見の)言葉があることを知り、これに
はともかく幅広く読むほかはないと覚悟しています。
先日の講読会で読んだ「よのひとのおもへるよせおもくて」(賢木の巻)で、
「よせ(寄せ)」も初めて知った言葉でした。
[平成15年10月3日の講読会から 福田達(トオル)]
今回から「須磨の巻」に入る。
都を離れるに先立って、亡くなった正妻葵の上の
実家をお忍びで訪れる。帰り際のお言葉「・・さしも急がで隔てしよなどのたま
へば、ものも聞こえず泣く。」まで。
葵の上の父上致仕の大臣、兄上三位の中将らと御酒を交わしながらの語らいが続
くが、夜もふけると女房たちをお前に召してお話などさせる。そして、「人皆静
まりぬるに、とりわきてかたらひたまふ」
繋がりの解説も無いままに、場面がパッ、パッと切り替わる。葵の上の実家の邸
宅で、葵の上づきの女房一人と夜を過ごし、別れ際に独り言のように心情を吐露
して屋敷を離れる。葵の上の身内の人々には、「公認」のことだったのか。ここ
もまた、現代の「常識」でははかることのできない情景が自然なこととして進展
する。
ところで、源氏物語とは大学入試で取り上げられて完敗の苦い思い出。これまで
は解説書を読み漁るだけで、なかなか原文に立ち向かえなかったのを、フリーに
なって一念発起読もうと思い立つが、この際と、英、独、仏、露訳と合わせ読も
うと神田を歩いて訳文を買い求めた。英訳をベースにすれば何とか原文に近づけ
るのではと考えたのと、独、仏訳は特に時制の勉強を狙い、露訳は初歩から勉強
しようと考えその意味で、恐らく過去を振り返る記述が多用されるであろうと、
「須磨の巻」から読み始めることとした。だが・・・肝腎の英訳で壁に突き当
たった。
[Royall Tyler]訳の「Suma」の巻冒頭の記述
He faced mounting unpleasantness in a hostile world, and he knew that to
ignore it might well provoke still worse.
特別に難しい単語は無いのに文意が伝わらない。文学的表現を甘く見たと反省。
「さて・・」と思っていたところで、田中先生の講読会を知人の方からご紹介い
ただく。入学して1年半、ここまでの流れを理解してここの文章に来ると「成る
程」と溝が埋まる。
やはり、先生のご指導の下で、原文に真正面から取り組むのが正道と「学問に王
道なし」と実感しています。
<こののち福田さんからよせられた質問>
ところで、ここまでは「書いては」と思って控えたことがあります。
葵の上の実家で、大臣や三位の中将も交えてのお酒のあと、次の場面には「人々
御前にさぶらはせたまひて、・・」と源氏の主体的意思を表現していますが、そ
の次の中納言の君との場面には「人皆しずまりぬるに、とりわきて・・」とあっ
て、推移のプロセスが語られていません。
多数の「女」の居る場面から、一人の女性との場面に移るとき、どのような「意
思表示」があったのか。興味がそそられます。女性たちが退いたあとに、中納言
の君だけが居残るのはその場に居合わせたみんなが当然のこととして理解してい
たのか。
それも、正妻の実家において・・
余りに現代の常識とは異なる男女の間柄に、想像を越えた世界の存在があるよう
です。
<私の答え>
こういう場面をとても奇異な特別のものと思ってる節があるようですが
ごく自然に好き合った男女間の別れの光景がえがかれているとおもう。
日頃情けをかけている中納言の悲痛な表情を「人知れずあわれ」とだれにもさとられず目に留め中納言の存在を
気にしつつ人々とはわかれを惜しんでる。
この場合他の人々はふたりのことを知りません。だからこそ「人皆しづまりぬる」時
でないとあえないのです。
そういう源氏をイメージしなくては。
それが源氏の主体的意意思であり「人々」から一人にうつるプロセスです
<諏訪さんの意見>
あの福田さんが男女の世界に一歩足を
踏み入れたかと(?)驚きです
年上の方にこんな言い方は失礼ですね
福田さんの考え方は
私にもよくわかります 普通の人達は(私達)
一般常識の世界に生きているから
源氏を読んでいても ついやだ−とか
また とかそんな目で思い感じてしまうのですね
先生がよく これからの2時間は俗世を離れて
平安時代にどっぷり浸かってくださいと
言いますよね それなんですよね
自分でもよくわかります 理解度が足りません
福田さんがおっしゃったように原文にふれ
読んで理解するしかないのですよね
私は日本語一筋でいきます
[平成15年7月4日の講読会から 福田達(トオル)]
賢木の巻で前回の続き「二日ばかりありて、中将まけわざしたまへり。ことごと
しうはあらで、なまめきたる檜破籠ども、賭物などさまざまにて・・」から、巻
の終わりまで進む。
前の巻「葵」で正妻葵の上が亡くなり、この巻に入って父上の桐壺院の崩御、藤
壺の宮が突然の出家、と続き、世は朱雀帝の母方右大臣側が権勢を縦にする中
で、源氏は失意のどん底にある。葵の上の兄で親友の頭の中将が慰めに訪ねてき
て、気の置けない催しが開かれる。
後段は場面が変わって、体調を崩して宿下がりをしていた朧月夜に、好機再来と
ばかりに文を交わし、機会を捉えて寝所に忍び込む。この場面を、朧月夜の父右
大臣に見つかってしまう。これが、やがて源氏失脚への伏線となってゆく。
開放的な当時の建物であったが故に可能で合ったのであろうが、しかし源氏も朧
月夜も何と大胆な行動をとったことか。見つかることを覚悟していたのか、よも
や見つかるまいと高を括っていたのが思わぬ激しい俄雨で算段が狂ったのか。作
者は何も語らない。
だが、それよりも、帝の寵愛を受けている公職の「尚侍」の君を相手にすると
は、戦前の感覚でゆけば「不敬罪」にも相当する行為ではないかと思うのだが、
この当時は朝廷を包む雰囲気は、われわれの想像以上に「おおらか」だったので
あろうか。
若狭の中世史を記述した「海の国の中世」(網野善彦著、平凡社ライブラリー)を
読んでも、あの地の権益を巡って朝廷、公家、寺社、幕府入り混じっての争いが
続くが、そこでも天皇家や上皇家も権力者の一つでしかないことを教えられる。
「天皇は万世一系」とはいえ、決して絶対的権威ではなかったということでしょ
うか
[平成15年6月6日の講読会から 福田達]
賢木の巻の終わり近く、「故院の御子たちは、昔の御ありさまをおぼしいずる
に、いとどあはれに悲しうおぼされて、・・」から「・・・と、めできこゆ。つ
ひに右負けにけり。」までが、本日の勉強した範囲。
これまで源氏物語を一度も原文で読んだことのない人間が生意気にも講読会に参
加させていただき、最初の会で接した葵の巻の文章は全く理解に程遠いものでし
た。
今回で12回目、先生のご指導のお蔭で、古語辞典を引きながら何とか原文を辿
り、予習をしてゆくことができるようになりました。それでも、登場人物のこれ
までの経緯、時代の背景、舞台の設定などに考え及ぶ余裕は全くなく、先生のご
説明で「成る程そうだったのか」と思い当たることしきりです。
源氏と藤壺の対話の場面で、どちらが話しているのかも分からず、「敬語表現で
判断すること」とのご指摘で、あらためて古文における「敬語」の持つ意味(高
校の授業で習ったのだろうか)を知りました。
出家した直後の藤壺と源氏の二人の場面は、交わす言葉も少なく、作者は聴覚、
視覚、嗅覚に訴えて情景描写を進める。具象的な表現は理解も困難ではないが、
例えばよく使われる「あはれ」とはどのような感情であろうか。
機械が発する人工音、夜間の闇を奪う人工照明、そしてやはり人工的に生み出さ
れる異臭、そんな世界に生きている人間に、古文に登場する人々の心の襞を思い
描くことは、果たして可能なのだろうか。
かって、ドイツ文学ヘッセの講読会の席上、先生に「抽象的な言葉の翻訳という
ことは、可能なのでしょうか」と不躾な質問を投げかけたことを思い出してい
る。
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