長谷の教室は鎌倉長谷近辺に在住する主婦たちが3年くらい続けているグループです。メンバーの中に床屋さんがいるのでたいてい講師が休みの月曜に開かれてます。ここのユニークな点は午前10時〜午後4時まで1日がかりでお食事をはさみ、時間をかけてやっていることです。声に出して原文をよみいろんな話をしながら進めています。最後の方になるとその世界に浸り切り遊んでるという感じになってみんなその雰囲気を気にいっています。ちょっと前まではメンバーに料亭のオカミがいてその店の懐石料理を味わいながら優雅にやっておりました。写真下がその様子です。最近は静かなたたずまいの教会の一室を借りてやってます。(竹田三枝子さん談
平成21年10月19日 感想文「葵」
御息所と北の方、二人の女性の苦しみは源氏への思いが原因だと
思うと各々の女性の立場、性格はもちろん源氏からの思われ方に
大きく影響があるように思ってしまいます。すべての事柄が、正しい、
間違い、右、左と決められない人間の心のあり様に現在と少しも
変わっていないなあとある意味安心したりしました。
甲斐 恵
?
北の方がどうなってしまうのかと人々の驚く様が面白く書かれていて
次が楽しみです。 宮川 来仁
?
又、内侍が出てくるとは。若作りにして当意即妙に歌を詠んで、遊び心
たっぷりの振る舞いにただ感心してしまう。若い源氏には人前で恥ずかしげも
なく色気たっぷりなのはあきれ返るばかりかもしれないが現代にも居そうで
おかしい。 一方御息所のつらい悩みと北の方の病気とは今のところ何の
関係もないものと書かれているが、もののけと生霊そしてよりましとか、いよいよ
おどろおどろしい世界が繰り広げられる。本当の所はどうなのかと一字一句
見逃さずに読み進めたいと思う。 竹田 三枝子
常に堂々とした普段の姿はなく女連れの源氏の様子が
うまく描かれていて、又短い歌の中に源氏と掛け合う
あつかましい女との気持ちのやり取りがうまく表現されていて
面白かった。
源氏のつめたさが解りながらどうにもならない御息所の気持ち
が何か、読んでいてもいらいらしてくる。源氏ももう少しやさしく又
はっきりと言ってやる事が出来ないのかと思った。
有賀 静子
「車争い」の後、北の方が体調を崩し、ひどい苦しみようである。
源氏は、あまり近づきすぎたくないと思っていた左大臣家に留まり
加持祈祷をさせ、なんとか北の方の苦しみを取り除こうとする。
源氏の優しさは、こういうところにもよくでている。貴人は情がない
と言われているが、父桐壺院も源氏の後見人である左大臣家
の一大事を、源氏のことを思い心配しているのである。こういうところ
は普通人と同じだなあと思いほっとした。
永田 カヲル
平成21年7月27日 感想文「葵」
源氏の姫君に対する愛情の深さの表現が
改めて感じさせられた心温まるところでした。
有賀静子
?
見物の人々の源氏に対する気持ちが良く出ていて
面白かった。又源氏の姫君に対する気持ちもとても
可愛いと思いました。
宮川来仁
?
絢爛とした祭りの景色が目に見えるようです。
御車争いの葵の上と御息所のやりとりを源氏は本当に
よく理解している「貴人は情を知らず」と言うけれどそんな事
はない源氏の素晴らしさだと思う
永田カオル
源氏を一目見ようと見物に集まった人々の様子が、身分の高い人、
低い人、尼や賎の男などまるで見て来たように一人ひとりを
クローズアップしてユーモアと皮肉たっぷりに描いて見事で面白い。
又、御息所の心の内を感じて北の方に対する不満が募る源氏、
悩みがつきない時には二条の院の姫君の所で冗談を言ったりほほえんだり。
竹田三枝子
平成21年6月22日 例会報告感想文 「葵」
有名な車争いの場面である。
御契の日に源氏も加わるということで、北の方までも が女房達の熱意で急に見物に
出かける。慌しく支度をして出かけるのが「日たけゆきて」昼近くになってしまった。
この時間の成り行きが車争いの原因の一つでもあったことが解る。
もうすでに前の方には、沢山の車が並んでいる所へ、北の方の何台もの車が権威を
笠に分け入って傍若無人の振る舞いで、挙句の果てにはまた偶然にも六条御息所
が 忍びてやつして来た車と出くわしてしまう。その網代車の、けはい、衣装の色合い等
から 自ずと身分が、解ってしまい左大臣家の供達に散々さげすまれてしまった。
御息所はどんなに悔しく悲しい思いをしたことか。自尊心を傷つけられ、やっぱり
来なければ良かったと思いながらも、しかし後に押しやられた車の中で、かい 間見た
源氏の美しさに「出栄を見ざらましかば」と涙ながらに思う真っ直ぐな気持ちが美しい。
?
。この短い文章の中に沢山の牛車の中を華々しい行列が通過するという一大スペクタクル
が目の前に広がる。そして北の方の権勢に対して御息所の傷つけられた気持ちや、
人々の感嘆のざわめきまでが聞こえて来そうな 大きな場面の描写に魅了された一人です。
竹田三枝子
車争いの上下関係のおもしろさ
現社会とさほど変わりないところ
人間の感情も今もかわりない所
女心の表現に心をゆさぶられました
有賀静子
御息所がこんなに可愛い女だとは想像だにしなかった
世の中の説明は少しおかしい
おそろしい女、おどろおどろしい女と理解させられていた
六条御息所についこれからも読み込んでいきたい
楽しみである
永田かおる
葵がこんなかわいい女の人と思わなかった
宮川来仁
時代が移っても人間の本質は全くかわっていないということを
いつも感じさせられる
心の動きの機微は手に取るようにわかり同感できる
甲斐恵
御息所の
つらい気持ちと悲しい思いをさせられたのに
なお源氏を見たいという女心に
なぜという気持ちと切ない気持ちを感じた
竹田三枝子
平成21年4月20日 例会報告 「葵」
いよいよ源氏物語も佳境に入り、「葵の上」の巻になる。
「花宴」より2年が過ぎて、世の中も変わり、朱雀帝の時代になり
源氏も近衛の大将という重責を担うようになってくる。
六条御息所が本格的に物語に登場し、重要な役割を果たしてくるようで
御息所が故東宮妃であり、一流の貴婦人であることがわかってくる。
美しく、教養があり、誇り高い人柄であることも・・・。
葵の上の懐妊で、二人の貴婦人がいかように関わってゆくのか。
御息所が演劇や謡の世界でのように生霊になって他の女性を悩まし
とり殺すという恐ろしい人なのか、それにはいろいろと理由がありそうで
次回からが楽しみです。
永田カオル
平成21年2月16日 例会報告 花宴
花の宴も終わり源氏は酔いごこちで去りがたく藤壺の当たりに行って
みるが立ち寄るすきもなく閉ざされていた。藤壺への思いが完全に
断ち切られてしまい感情の持って行き場がなくなってしまった源氏は
「なほあらじに」という領域に踏み込んでしまうのだった。
そして次の恋に偶然遭遇して、「このように男女の仲のあやまちは
するぞかし」等と言ったり「まろは皆人にゆるされたれば」と自信たっぷりで
あったりその変わり身の早さとユーモアに感心してしまう。
一方二条の院の姫君は久しぶりに会ってみると愛らしく魅力的になり
利発な女性になっていた。源氏の御心のままに教えてきたことが実を結んで
きたようである。
桜の宴から藤の宴までの花の宴の巻は、源氏の装束の美しさ、ふるまいの
見事さ、人々の源氏に対する期待等が充分に伝わってきてすばらしく
華やかであるが反面源氏の心の中は、藤壺への満たされぬ思いや
二条の姫君の事北の方の事など思い悩む事ばかりだと思うが、源氏は
その時その時を誠心誠意行動して楽しんでいる様子がよくわかる巻で
あったと思う。朧月夜との今後の展開が楽しみである。
竹田三枝子
平成20年9月22日 例会報告 花宴
宴も終わり、源氏は一目藤壺に会えないものかと殿舎のあたりを 忍び歩くのだが、戸口は固く閉ざされている。 酔いにまかせ弘徽殿の殿舎をふらついてみると開いている。 そしておぼろ月夜の姫君と出会うのである。 どこの誰とも知らない女性を相手に、またも悩み事が待っている 気配である。 源氏はどうしてこう読者をドキドキさせるような困難な人を 好きになるのだろうか。 まったく困ったものだが、それが物語としては面白いのだが・・・。 長谷源氏教室 永田カオル
平成20年7月7日 例会報告 花宴
帝は南殿の桜の宴を催す。弘徽殿の女御は、中宮になった藤壺が 上座に座るので面白くないが、見ないわけにはいかないと言うところが 面白い。 よく晴れたお花見日和にこの広々とした南殿の前には、 親王から上達目、いつもは入れない地下の人々までが入場し、晴れがましい 場所に緊張した面持ちで集まった様子が短い文章に生き生きと表されて 目の前に広がるようだ。 宴のたけなわに管弦と舞楽が披露され、紅葉の賀 と同じように源氏のー春の鶯さえずるの舞ーと頭の中将のー柳花苑ーが 素晴らしく他の人は言うに及ばずといつものとうり。探韻の漢詩も人々が 感心したり、このような折中宮はやはり源氏の振る舞いを目にして、何の こだわりもなく源氏を称えられたらどんなによかったかという意味の歌を作る。 この一日の朝から夜までの出来事に大勢の人々の様子、身分社会の 立場や帝を初め女御中宮の気持ちまで理解でき、大舞台に一挙に 登場させて繰り広げられた宴に読者は圧倒させられました。
竹田三枝子
きさらぎの20日あまり、帝によって南殿で桜の宴が催される。 当日は好天で親王たち、上達部はじめ地下の人たちがうち揃って にぎやかに行われた。 漢詩を作り披露しあったり、楽を奏で舞を舞ったりと春の一日を楽しんだ。 こういう時のみんなの注目の的は、主人公とはいえいつも源氏なのである。 たまには地下の人の中から素晴らしい詩ができて 源氏が感じいるということがあってもいいのに・・・。 詩でも舞でも、他の人が涙するほどの美しさは天性の資質なのかと 感心してしまう。
平成20年5月12日 例会報告 紅葉賀
母の里の後ろ盾のない源氏が、左大臣の怨みを買うようになっては、と
どこの誰とも素性が知られていない女君との噂に父帝は心を痛めている。
宮中には、すぐれた女房たちが揃っているのに浮いた噂もなく
「まことに乱れたまはぬ人」と源氏は見られていた。
女房の一人に典待の司という官位の高い女房がいて(年齢50歳台)
家柄も高貴な上に人品いやしからず、教養もあり、評判の良い人である。
しかし異様なほど男の気を引く色気が旺盛であり、源氏は
よせばいいのに好奇心をそそられ言い寄ってみるのである。
典待は本気に受取り源氏は気がいいというのか優しいというか、はっきり
断わることができない。
こんな事が頭の中将の耳に入り、捨てておくはずもなくドタバタの騒ぎをおこす。
今まで優雅であった源氏の世界に喜劇性のあるおもしろい場面が展開する。
現代でもあまり例をみない年齢差に典待の司という人は
人間的にみてかなりな自信があったものと思えるのである。
永田カオル
平成20年3月10日 例会報告 紅葉賀
ある雨上がりの涼しい宵に源氏がそぞろ歩いていると典侍の琵琶の音が
響いてそれは美しい声で歌っていた。思わず近寄ってしまいすかさず典侍も
言葉をかけて源氏も躊躇するが例のお人よしで部屋に入ってしまう。
頭の中将が目ざとく見つけて、いつも非難されているので仕返しをしたいと
思ってしばらく様子を見て部屋にこっそり入ったら、源氏がすぐに気が付いて
直衣を持って屏風の後に隠れてしまった。中将はおかしさをこらえて屏風を
がたがたたたんで脅かしたが典侍はこういう場面に慣れているようで、源氏に
危害が加わらないように相手を押さえたり大変な騒ぎになり源氏も中将と
気づいて思い切りつねったり、二人が子供のようにけんかする様は可笑しい。
二人の歌のやり取りも面白くけんか両成敗という感じであるが、この若い
人達には冗談であっても五十七八の老女が真剣にうろたえる姿は、何だか
あわれで悲しい。
竹田三枝子
平成20年1月22日 例会報告 紅葉賀
源氏という人はうわさとは裏腹に宮中では乱れ給わぬ人
として見られていた。女房の一人に典侍という年老いてはいたが家柄
も良くたしなみもあり品もよく評判も良い人がいた。ただ非常に色めいて
いたので源氏はその年でどうしてそんなに色気があるのか興味を覚えて
近づいた。女は不似合いとも思わずその気になっていった。ある時
源氏は女を見かけたので裾を引いてみると派手な扇をかざして流し目
を送ってきた。その目つき目元の様子はとても皺だらけで、まぶたは
窪んでけばだっている。この描写はとても表現が現実的で作者の手厳しい
見方が表れていると思う。こんな人に源氏が言い寄るとは思いも寄らないが
若さゆえの好奇心と言うのだろうか。歌のやり取りなどしている所を
帝に見られてしまいうわさはすぐに広まってあのライバルの頭の中将が
聞きつけてしまい又騒動が起こる気配がする。
竹田三枝子
平成19年11月12日 例会報告 紅葉賀
二条の院の女君
源氏は悩んでいる時には、いつも少女のところへ
言って気分を慰められていた。そして今回も西の対
へ行く。ここでは少女を女君と書かれて、一人の女
として扱われるようになってきたようだ。登場する少女
も、すぐに来ない源氏にすねてみたり、「入りぬる磯の」
という歌で一人前の女のようにさびしさを訴えたり、気持ち
の上でも源氏の妻としてふさわしくしようとしている。
教養も身について琴も上手に弾き、あの雛遊びをしていた
少女から又一段と成長したように思う。源氏が一人前の女性
に、自分の好みの女性に育てることを理想としていた事が
着々と実現しているようだ。女君も源氏が側にいないと
寂しくてたまらない、それは幼いながら源氏への想いと、やっと
安心して頼れる人にめぐり会ったという事なのだと思う。
源氏は少女のために邸に止まることも多くなって左大臣邸では
それは「誰なのか」と大騒ぎして非難されていたが帝にも聞こえて
しまい、世話をしてくれた左大臣に申し訳ないとお説教されても
返す言葉もないが帝はそんな源氏を可愛そうに思っていた。
竹田三枝子
平成19年9月3日 例会報告 紅葉賀
藤壺は生後二ヶ月程になった若君を連れて参内して帝に会う。
帝はあまりにも源氏に似ていることに驚くが微塵も疑わない。
源氏が生まれた時には春宮にすることも出来ず臣下に下した
ことを心苦しく思っていたので、余計若宮には愛情を注いだ。
源氏が管弦の演奏に来た時帝が若宮を抱いてきて、小さい
頃からずっと見てきたのは源氏だけである、だからこんなによく
似ていると思うのか、と言われて帝の愛情を源氏は初めて聞いた
ことで、恐ろしくも、かたじけなくも、うれしくも、あわれにもと色々
な思いが一気に押し寄せて涙が落ちそうになった。こんなにも
神々しい程可愛い若宮に似ているといわれて自分まで大事な存在
に思ってしまうという身勝手な気持ちをもってしまう、本当に素直と
いうか源氏のまっすぐな気持ちがよく表れていると思う。
しかしあまりにも似ていることで心がかき乱されて、二条に戻っても
気持ちのやり場がないまま命婦になでしこの花を添えて歌を送る。
どうせ返歌はないと思っていたところへ思いがけず藤壺から返歌が
届く。愛する二人の子供でありながら喜ぶことが出来ない辛さは
源氏と同じ思いである、その上「なお疎まれぬやまとなでしこ」
という返歌は私には理解に苦しむところである。我が子を疎ましくさえ
思ってしまう程辛い思いはわかるが自分を嫌悪するという意味も
含んでいるのではないかと思うのであの一語は使って欲しくなかったと
思うのです。
竹田三枝子
皇子の誕生である。
本来喜びをもって迎えることなのに、出産の時期は当然のことながら遅れ
人々が騒ぎ立てる。
藤壺の心痛はいかばかりか・・・。
弘徽殿の女御が皇子の誕生を「うけはしげに」と語っているという噂に
呪いに負けて死んだらもの笑いになり、みじめであろうと
誇りを失うまいという強い心によって無事出産するのである。
源氏も気が気ではない。
今は帝の子としての母の強さで源氏の子への対面の希望にも
分別がないと拒絶する。
心を許しあっている命婦に対してのうとましさ(何もかも知っているので)なども
命婦にもわかる。
また、命婦の無念さもわかり複雑な心模様である。
まことに読みごたえのあるところなのです。
出生の秘密を隠し通さなければならない二人にとっての苦しみの日々は続く。
源氏の手紙の返事に
「袖濡るる露のゆかりと思うにもなほ疎まれぬやまとなでしこ」と
愛している人の子でありながら嫌悪する気持ちを打ち消すことができない。
藤壺の悲しみが伝わってきて、まことに哀れでならない。
永田カオル
平成19年7月30日 例会報告 紅葉賀
藤壺の出産が遅れ年を越してしまいとうとう二月になり世間の人々も
騒ぎはじめて、この事の秘密がわかってしまうのではないかと藤壺は
心痛のあまり病気になってしまった。ようやく二月の半ばに男の御子が
誕生するが、弘徽殿の女御が呪っているという様子を聞いて、このまま
呪いに負けて死んだら世間の物笑いの種にされてしまうと思った時、
彼女のプライドが目覚めて強く生きなければという思いが、快方にむかわせる。
一方源氏も早く会いたい一心で公務を装って会いに行くが「今はまだ」と
断られる。しかし彼女が見た御子は源氏に生き写しで見る度に良心の
呵責に苛まれる。自分の立場を思い世間に知れたらと「身のみぞ心憂き」
と言う短い言葉に強い苦しみが表れていると思う。
源氏は手引きをしてくれた命婦に会って御子に会わせてもらえるように頼むが
叶えられる筈もなく、命婦も源氏の気持ちを察して悩んでいたが藤壺も同じように
悩んでいることを歌に託す。源氏が寂しく帰って行く姿を見て藤壺はわりなきことと
冷静に批判しているところが彼女の強さをみたようである
竹田三枝子
平成19年6月18日 例会報告 紅葉賀
いまだに若紫はひな遊びに夢中である。
北の方は、そんな幼い人だとは知らないので気をもんでいる。
源氏に聞いてみればわかるものを自尊心が邪魔をする。
娘婿という以上の気持ちで左大臣は元旦の祝賀の衣装を源氏のために
取り揃えてやったり、藤壺の兄(若紫の父)や舅からも良く思われる。
源氏とはそういう人なのである。
永田カオル
平成19年3月19日 例会報告 紅葉賀
藤壺は内裏から実家の三条の宮廷に帰っている。
源氏は何をしていても藤壺のことが頭を離れない。
自分の邸に若紫を引き取り育てていることが
北の方の耳に入り機嫌を損ねたりと頭を悩ますことが
次々と出てくる。
あどけない若紫によってなぐさめられている。
可哀想にと同情しきりであるが、これもしかたがないと思う。
永田カオル
平成19年1月15日 例会報告 紅葉賀
帝は朱雀院の行幸の舞楽をいつもと違ってすばらしいので
是非藤壺に見せたいと思って、前庭で試楽をさせる。
そこで源氏は青海波を舞う。夕方の日差しが差し込む中
で舞う源氏の美しさ、妙なる声の響き、はこの世のものとは
思えない程で観ている人々は皆涙を流す程感動的であった。
この場面は本当に読んでいても、源氏の美しい衣装に夕日が
当たってそれはそれはすばらしい姿であったと思うがこちらの知識
の乏しさから想像に限界があると思うが、朗々としたその詠の声
も聞いてみたいと思った。そしてこの物語の始まりは帝の愛情を
受ける藤壺の気持ちと源氏の気持ちを受け入れかねている藤壺
の葛藤が表現されている。源氏の舞の美しさに感動したことを、
控えめにでもはっきりと、返歌に表していることに注目した
竹田三枝子
年もあらたまり、鎌倉長谷教室も新しく「紅葉ノ賀」の章に入りました。
新年にふさわしく物語りも朱雀院への行幸の話しから始まります。
行幸には参加できない妃たちのために帝の住まいの清涼殿で
当日と同じように演じさせる帝の気持ちである。
源氏はただ一人の人、藤壺に見てほしいと舞い歌う。
演じる方も、見る方も緊張感で息苦しいほどである。
罪深い二人である。
永田カオル
平成18年11月13日 例会報告 末摘花(最終回)
約一年半をかけて末摘花を読み終わった。じっくりと時間をかけて
、毎回どんな展開になるのか今までになく楽しみで、ハラハラしたり笑ったり
で、こんな源氏物語は予想もしていなかった。
この物語は源氏の夕顔への想いから始まった。源氏は命婦から聞いてから
どんどん想像が膨らんで、荒れ果てた邸には美しく教養のある女性が住んで
いると思い込んでしまった悲劇であるし、喜劇であると思う。
姫君の風貌や教養のなさに対する源氏の失望と対応は、源氏の誠実さや
まじめさを際立たせている。それが余計におかしみを誘って気の毒なくらいで
ある。 姫の周囲の人々の描写も面白いし、こんなに貧しい暮らしぶりを
源氏が知るという意味も後々の物語に影響してくるのだろうか。又、十年後
の話に末摘花が登場するらしいという事なので、姫君がどんな女性に成長
していくのかとても楽しみである。
竹田三枝子
源氏や命婦、女房たちの想いが通じて、姫も人の気持ちへの
受け答えができるようになるかと楽しみにしていたが
どうにも人の心というものは、少々の時間では変えることはできないらしい。
少し打ち解けたかに見え、心から喜ぶのだが
別れ際に姫の赤い鼻が見えてしまい<見苦しのわざや>とがっかりするのである。
天は二物を与えないという。
容貌が優れなければ、心根優しく、賢くあればと思うが
どうも末摘花という姫はそのどちらをもそなえていないのでは・・・。
しかし、悪気というものはひとつもなく、この後物語の中に
また登場するというから、その時はと、どうしても期待してしまう。
末摘花の中では、源氏の人として優れたものが随所にみられるが
一般的には外見的な部分だけ大きく語られているような気がしてならない。
またいずれ姫に会えるのを楽しみに、今年の源氏物語は終わりになる。
永田カオル
平成18年6月5日 例会報告 末摘花(第七回)
姫君の邸の貧しい内情を知ってしまった源氏は帰り際にも門番の老婆がよろよろと
出て来て雪の中寒そうにしている姿を見て、一層この姫君に対する気持ちも失って
しまう。それでも細々と生活の面倒をみたり、門番の老婆にまで着物を送ったりして
いた。大晦日には姫君からの歌と衣装が送られてきてどれも古めかしく、渡してよいものか
どうか悩む命婦とのやりとりが面白い。
最初は悲しい姫君の話と思っていたが貧しさに文句を言う女房達や昔からの事を守り
続けている老女房達のおかしさと、源氏の何かの縁と思って尽くしている姿も痛々しくも
面白い。また姫君の歌に走り書きの歌を書く源氏のやり場のない気持ちが伝わってくる。
源氏物語の中にこんなに面白い話があるとは思わなかった。
竹田三枝子
平成18年4月17日 例会報告 末摘花(第六回)
古語のむづかしさをつくづくと、一巻、二巻、三巻と
講義を拝聴して、小説としての筋立ての面白さや、主語が
ないための読み方や、古語と現代語の違いなど、一応理解
出来たように思っておりました。ところが今回の若紫で皆さん
は言葉の使い方が美しいと言われて居りました。私はそれど
ころではなく、呼びかけの名称さえ誰のことかと思い惑う有様、
古語のむづかしさを痛感いたしました。何とか皆さんについて
いきたいと思いますのでよろしくお願いいたします
我妻洋子
姫君に興味を無くした源氏はそれでも顔を見ればもう少し
親しくなれるのではとこっそり見に行くが返って貧しい暮らしぶり
を目の当たりにしてびっくりさせられる。知らない振りをして姫に
会いに行くが相変わらず何の話も出来ず雪が降ってきても風情の
ある言葉もない。翌朝雪明りで明るいので姫に雪を見にいらっしゃい
と声をかけると女房達にも進められていざり出てくるけはいに、源氏
は横目でしっかりと見てしまい余りの奇異な顔立に目が離せない、
しかし色々話し掛けても何も言わずいたたまれずに打ち解けてくれない
恨みを歌にたくすが姫は「むむ」と打ち笑うだけ。
悲劇のお姫様の筈なのに無口無教養で、やる気のない女房達も愚痴
ばかりで、貧しくてかわいそうなのに登場人物が余り深刻に考えてない
所が滑稽な話になっているのではないか。それに対して源氏の対応は
律儀でまじめで何ともあわれでおかしい。
竹田三枝子
平成18年2月13日 例会報告 末摘花(第五回)
P.60−73
姫君に無理に迫るようなことは決してしないと約束していたのに
今までこらえてきた悔しさに耐えられなくなり
襖を開けて押し入ってしまう。
源氏としては、まことにつまらない女だと思うし
腹立たしくもあるが、妻の一人として世話をする決心をする。
源氏の誠実さを感じ取れる。
しかし、末摘花が歌舞伎やオペラになっているところをみると、
なにやら謎めいた魅力のある女性なのではないかしら・・・。
永田カオル
平成17年12月12日 例会報告 末摘花(第四回)
命婦の絶妙なタイミングで、寂しそうにしている姫君に会いに
行く源氏、でも一言も話さない姫に源氏は色々手を尽くして面白い
話をして見るが一向に返事がない。こんなに源氏を無視し続ける
人は初めてではないかと気の毒になる。ようやく歌を返してくるが
女房が近くで訳のわからない返歌をしたのを、源氏は初めて聞く
声と歌にめずらしさとうれしさで口が聞けぬ程だった。その後も
色々話すが何も返事がなく何と変わった女だと、源氏もこんな
人に一生懸命思いを込めて話していたのかと思うとくやしくなって
、思わず戸を押し開けて入ってしまう。その後どうなったかは
来年のお楽しみになりました。
竹田三枝子
P.32−43
源氏は、たいして気のない人ではあるが、もしかすると夕顔のような
人ならいいのに、という気持ちもあり、手紙を出し続けた。
それなのに返事がこない。
まったく礼をわきまえない人、と
頭の中将とのライバル意識もあってなんとも腹立たしい。
源氏が苦々しく思っている末摘花という女性は、まったくの謎で
これからの展開が楽しみである。
P.46−58
命婦が苦心して姫君に会わせようとしている様が
何かおかしくもあり、命婦という人は、まだ年若いのに
賢い人なのだと感心する。
やっと襖をへだてての対面にまでこぎつける。
でも源氏が言葉をつくしても返答がない。
(もっとも返事をしなくてもいいという前提で会っているのだから)
これは奥ゆかしいとか、世慣れていないとかではなく、
人としての教育を受けていないのではと思ってしまう。
永田カオル
平成17年11月7日 例会報告 末摘花(第三回)
源氏と中将との姫君に対する心の中のさぐりあいの様子。思いどうりにいかない姫君
の
気持ちを命婦に詰め寄る源氏。源氏の真剣さにとまどう命婦の心遣い、自分の意の
ままを通そうとする幼さを感じさせる源氏、どの人物もそれなりに面白く、又命婦の
気持ちが理解できるような気になりました。
有賀静子
源氏は姫君がわびしい一人住まいをしているのだからきっと感性の豊かな女性に
違いないと思い込んで、何度も手紙を出しても返事がないのが面白くないし不愉快に
なっていた。それに引き換えやはり夕顔の素直でおっとりとした姿を忘れられず思い
出してしまう。その後わらわ病になり、ここから若紫の巻と平行して書かれていると
言う
ことで、春から夏には若紫と出会って自邸に迎えることで夢中になっていて、秋には
又常陸の宮のことが気になりだし命婦を責めて会う手はずをとるという流れは時間の
経過と源氏の感情の流れが相まって分かり易い。これから姫君に会えるのだろうか、
命婦の腕の見せ所で生き生きとした彼女が頼もしい。 竹田三枝子
平成17年8月22日 例会報告 末摘花(第二回)
命婦の駆け引きで源氏は姫君の琴を少ししか聞く事が出来ない。
源氏の思いを募らせておいて命婦も色々気を回して楽しんでいるように
みえる。源氏は頭の中将がつけて来たとも知らずにいたので、送って来
ただけと言われて悔しがる。二人の歌のやり取り、会話が面白いしお互い
に気心が知れているしライバルとして競争心もあるが、笛を吹き合わせて
一緒に家に帰るところなどはほほえましい。二人とも先程聞いた姫君の
哀れげな琴の音を思い出して色々想像をたくましくしているが、どんな女性
なのか、どんな展開になるか、興味を引かれる。
竹田三枝子
「末摘花」
源氏と命婦とは乳母子であることもあって
身分の差を感じさせない気楽な冗談を言い合い
とても楽しい関係である。
また、源氏の北の方の兄である頭の中将とは親友であり
なにかにつけての好敵手でもある。
末摘花に関心のある源氏の後をつけ
行方をくらました源氏にからんで歌をおくり
源氏もまた、男が密かに訪れる先まで後をつける者があるかと
非難の歌を作りやり返す。
しかし、本当に腹をたてているわけではない。
今の若者たちは忙しげに親指を使ってやり取りしている。
昔人はけんかも美しい歌でする、なんとも優雅であったものか・・・。
永田カオル
平成17年6月24日 例会報告 末摘花(第一回)
忘れられぬ夕顔との想い出、源氏の純粋な感情に哀れさをも感じる表現がよく
細かく写しだされている。
真綿につつんでくれるような女性を求める様子、又数々の女性との想い出、頁が進む
につれても変わりなく表している。 命婦の軽い言葉、強引に推し進める源氏と
のやり取りが面白く命婦のとっさの気転の様子が文中に引き込んでくれる、又琴の音
も聞く者の気持ち次第で良くも悪くも聞こえる様子、今私達も少し反省する部分も感
じました。 有賀静子
夕顔を忘れられない源氏が夕顔のように源氏を信じて打ち解けてくれる女性を
探し求めている。源氏が
隈なく情報を集めてまめに「一行ほのめかしてみる」という行動は何かユーモラスで
ほほえましいが本当は
もっと切実に心 安らぐ女性に出会いたいと思っているのではないだろうか。
大輔の命婦という女房が話していた父を亡くして一人で邸に住んでいる姫君に
興味をもち早速例のごとく命婦に無理を言って姫の邸にしのんで行って琴の音を聞
く。このような荒れ果てた邸に住む美しい姫の物語は昔物語にもよくあることですっ
かり源氏は恋する男となってしまうが、ぶしつけな振る舞いは慎もうと殊勝にもため
らっている。これからの展開が楽しみ。 竹田三枝子
末摘花」は、源氏が若紫を知る前の話しで、
夕顔の死後、悲しみに打ちひしがれ、重い病床にあった源氏が
夕顔のような女性に、また会ってみたいとの想いから
大輔の命婦という女房の手引きによって、末摘花の邸へ出かける。
この大輔の“いといたう色好める”女房は男女の機微に
通じているだけでなく、実に賢く、世慣れている魅力的な
女性なのである。
源氏物語には、このような素敵な女性たちが次々にでてくるので
おもしろい。
これからの展開が楽しみである。
永田カオル
平成17年4月11日 例会感想 若紫を読み終えて
瘧病の療養のために北山の奥に入った源氏が小柴垣
の垣根越しに十ばかりの清楚な少女を見初めその可憐さに心奪われる「かの人の御か
はりに明け暮れの
なぐさめにも見ばやと思う心深うつきぬ」 藤壺に似た少女への想いでいっぱいにな
りこの出会いに運命的な
ものを感じる源氏なのである。 その後後見人である尼君に自分が引き取り育てたい
旨の口説が続くそして
明石入道の話が又藤壺との密会が唐突に出て来て後の話の伏線としてまるでサスペン
スドラマである。
源氏物語は口説の文学というが若紫を自分の屋敷に引き取りたい気持ちを尼君にわ
かってもらうために言葉
をつくし策を練り上げ現代人にはとても出来る芸当ではない。 若紫を読み終えて
やっと物語のとばくちが見えて
きたような気持ちになってきました。
永田カオル
若紫を読み終えてまず一番印象に残っている所は最初の出会いの場面である。山桜の
霞む
山頂から少女の住む家を見ている源氏の姿といかにも子供らしく走り来る元気な少女
との構図
が美しい。春の終わりの新緑と山桜の霞みという景色も源氏の病を癒している様子が
「明け行く空
は、いといたう霞みて、山の鳥ども、そこはかとなくさへづりあひたり。、、、、な
やましさもまぎれ果てぬ。
」という文など随所に出てくる景色の描写がこの巻を美しい印象にしている。そして
尼君との理解されない
気持ちの応酬の後尼君の死後少女を父宮の迎えに来る前に救出を決行する時の息ずま
る源氏の行動力
が若々しくその情熱が迫ってくる。
竹田三枝子
平成17年2月14日 例会感想 「若紫」〔決行)
今、読み返してみましたが、少納言のあわてぶり、若君の可愛らしさ、源氏
の強引さが面白く、次回が
楽しみです。特に少女のおびえる様が手にとるように解って、なんだか源氏がにくら
しくなってきました
宮川 来仁
まるで回り舞台を見ているように生き生きと面白く笑ってしまう。「うちと
けて古人どものはべるに」、、、の
中をまるで眼中になく目的めがけて突進する源氏は実に若者らしく自信たっぷりであ
る。空蝉、夕顔などの時にはみられなかった天真爛漫な少女の前で源氏もまた、自然
体で若者らしく、そして保護者として対する事ができたのではと思います。
永田 カオル
真夜中の源氏の行動は一途に思い込んでいるとはいえ、余りにも唐突と思う
し一気に若君の寝所まで行って抱きかかえて連れて行こうとする行為は少納言でなく
とも気が動転してしまう。しかし源氏の口上といい、素早い動きといい思わず少女の
救出劇を見ているようで、はらはらしながら応援してしまうほど小気味よい。
次の朝の若君の様子も「何心なくうち笑みなどしてゐたまえる」という何とも美しく
愛らしい姿にこちらもほっとして一緒に微笑んでしまった
竹田 三枝子
12月6日 例会報告 「若紫」(父宮訪問)
物語はいよいよ佳境に入ってきました。父宮が訪れ「こよなう荒れまさり広
うもの古りたる所に幼い娘を
住まわせておくわけにはゆかない。 言い訳がましいと思われる言葉を残して夕暮れ
ともなればそそくさと帰って
しまう。父宮に対して祖母、母がわりの乳母はなんともせつない。父宮の所へ行くの
が筋とは思うものの若宮の
これからの幸を思うと悲しいばかり、、、、。乳母としては自身の力のなさをはがゆ
く思ったのではないだろうか。
父宮の迎えが明日と知り、源氏は二条院に連れ出すことを決断するのも尼君存命の時
から幾度か誠のある気持ちを伝えてきたものの、幼いというだけで反対されていた。
この機会を逃したら二度と若宮に会うことができない、
やむおえないギリギリの選択だったと思う。世の中にはとても理解してもらえないど
ころかわかってしまえばどんなそしりを受けるか、、、、。しかし源氏としてはせい
いっぱい誠意を尽くした上の決行となるのだろう。次回が楽しみである。
永田カオル
尼君亡き後の若君の面やせて泣いてばかりの日々を気弱な父宮もさすがに
察して明日迎えに来ると
約束せざるをえない。源氏はその事を聞いて自分の立場上若君を迎えになど行ける訳
がないし世間の非難を浴びるだろう。源氏は色々考えるが決断は早い、てきぱきと言
いつけ気遣いも万全にしていつもその行動力には
感心させられる。さて、しぶしぶの女君に言い訳をして夜明け前に出発してしまう
が、はたして若君を連れ出せ
るのだろうか。推理小説を読むような緊張感がある。
竹田三枝子
10月4日 例会報告 「若紫」(少女との一夜)
荒れ放題の邸に少人数の女たちだけで過ごす若君たち、源氏は打ち捨てて
帰ることが出来ない。源氏の若君に対するいちずさとひたむきさ、育ちの良い若者の
強引さで物語は盛り上がっている。乳母の不安はいっきにふくれ上がりまことに気の
毒である。その気持ちを察し「さりとも、かかる御ほどをいかがあらむ、、、」自分
を信じて見守ってほしいと乳母に念をおし誠実さを感じさせる。
実に優しい頼りがいのある源氏である。
永田カヲル
少女との一夜という衝撃的な場面では源氏の言葉で「かかる御ほどを
いかがはあらむ」こんな子供にどうするというのだという所と「かつはうたておぼえ
たまえど、、、」このように少女の寝所に入りこんでいるというのは尋常ではない行
為と思うけれど という2箇所に源氏の常識をわきまえた思いやりがあることで読者
は安心感を持って納得してしまうのだが、源氏の思いつめた気持ちは
どこへ行くのだろうか。
竹田三枝子
8月23日 例会報告 「若紫」(少女の声)
源氏が尼君のお見舞いに行った時のこと 少女の無邪気な声で「上こそおはし
たなれなど見たまはぬ」とかちょっと大人びて「見しかばここちの悪しさなぐさみ
き、、、、」などと言う尼君に対しての思いやりの言葉、これらを聞いた源氏が少女
の魅力を強く感じて側にいたい、成長を見守りたいと思うのは自然の成り行きのよう
に感じてきました。そして尼君の死に直面した少女がどんな気持ちでいるのか源氏の
思いはますます募ると思います。
竹田三枝子
6月18日 例会報告 「若紫」第六回(懐妊を中心に)
父帝の妃を愛してしまい密会したことだけでも罪深いのに、あろうことか
懐妊してしまう。恐ろしい結果である。それお藤壺にあってたしかめたいと
思い王命婦を責めたてる。拒絶され「当たり前である」つらいいみじうおぼしほれて
と打ちのめされる。このところの源氏は男らしくないと思うし人間的にも好きになれ
ない。父帝の妃を愛してしまったらそれなりの強い覚悟がなければならない。この秘
密は生涯かけてどんなに苦しくとも心の中にしまっておかなければ
ならない、それが覚悟というものではないだろうか。 永田カオル
藤壺の懐妊という大事件に帝や藤壺、命婦、女房たちの様々な気持ちが、
主語のない文章の中にめまぐるしく表現されている。又藤壺の罪の意識に苦しむ気持
ちとつわりの体調とが一緒になって悩む描写が細かい。
一方尼君への病気見舞いに立ち寄る源氏に最後の力を振り絞って少女の後見につい
て願い出る言葉は尼君の毅然とした生き方を映して見事な感じがする。 竹田三枝子
4月23日 例会報告 「若紫」第五回(密会を中心に)
少女に対しての恋心、藤壺に対しての恋心の表現の仕方が違っていても
その真剣さがうまく描かれています。又藤壺と源氏との生々しい場面、短い文章の中
で品のある解し方がされていて私の中でもはっきり感じ取る事が出来ました。[感
服」
有賀静子
都に帰ってからもどうしても少女のことをあきらめきれない源氏は、病的な感じさえ
する。
山寺に滞在中の尼君や僧都に手紙を出して、その返事の内容も
無理のないものとわかっているのにもんもんとしている。源氏に同情よりも常識に犯
されている凡人である私にはもっと気長に待てないものかと思ってしまう。そのよう
な不安定な時を過ごすなかで突然に藤壺との密会の場面が始まりなんとも驚いてし
まった。藤壺に対して想いがどんなに強くても父帝を裏切り、藤壺を苦しめ、手引き
をしてくれた女房をも
罪深い谷に貶め自身も生涯心に十字架を抱いて歩かねばならない。罪深い物語であ
る。
作者は物語の伏線としての重大な場面であることを読者に知らせている。しっかりと
頭に入れておかねばならないと思う。
永田カオル
若紫の成長をながめて暮らしたいという源氏が次々にその方法を考えて実行するが
かなわない。そこに突然藤壺との密会がかない、他の人とは違う彼女の魅力に夢うつ
つの
源氏に対して藤壺は二度と会ってはならないとつらい想いでいながら、源氏を目の前
にすると
「なつかしゅうろうたげに、さりとてうちとけず心深う恥ずかしげなる御もてなし」
という態度で
接してしまう。その女心の微妙さが一つ一つの言葉によく表れていて、彼女の心の深
さを
感じる所です。
竹田三枝子
2月20日 例会報告 「若紫」第四回(妻の一言を中心に)
少女の源氏に対する淡い恋心がこれから先どのように展開されて、表現される
かが楽しみ。
病後の源氏を迎え、自分の意志でなくても帰って来てくれた源氏に対し、態度、
言葉の表し方を、もう少しやさしい思いやりで迎えることが出来なかったのか。
女君に対して哀れさを感じた。
有賀静子
夕顔の死に、病になるほどの衝撃を受ける繊細な源氏。可憐な少女を引き取り
たいと無理を言う源氏。
時には世間並みの妻らしい心遣いを見せてほしいと、病気のときにもいかがとも聞
いてくれないと、不満をもらす源氏、色々な源氏がいるのである。
問はぬはつらきものにやあらむ」 無口な女君がもらす痛烈な皮肉が源氏を
いたく傷つける。その一言の中にはあなたが病気になった原因はなんだったのですか
という意味もこめられているのでしょうか。身分社会の中にあって女君のひとことは
痛快でありました。
永田カオル
源氏が山から下りる時の別れの宴の場面は、山霞みの背景といい、人物とい
い何ともゆったりとした情景がパノラマで見えるようです。そしてそれぞれが奏でる
楽器の音が流れて、この時代の文化の極みを感じます。
葵の上の「問はぬはつらきものにやあらむ」という一言は今までの万感の思いがこ
められていて特に待つ身のつらさが表れているのに、源氏の言い訳がましいおしゃべ
りは又若さゆえなのか、もっと重く受け止めてほしいのになあという感じです。
竹田三枝子
12月12日 例会報告 「若紫」第三回
(意中を切り出す〜送別の宴)
少女に対する源氏の真剣さが尼君、僧都に受け止めてもらえなかった時の疲労
感、世間の常識をこえた源氏の願いを
尼君に本心を聞いてもらった事だけで修行する僧の経、外部の風情が、その時々の気
持ち次第で明暗がはっきり表現されている。
有賀静子
今回は源氏の真摯な一人の人間として、若い男としての
純粋さに心打たれました。 「言うかひなきほどの年にてむましかるべき人にも立ち
おくれはべりければ」幼い時に母を亡くした自分の生い立ちの哀しみを幼い若紫に重
ねて非常識とも思える強引さで尼君に自身の気持ちを打ち明けてしまうそこには身分
の高さも、権力もみえてこない。多くの人が源氏に魅せられる理由はこんなところに
あるのではないかと思うのです。
永田カオル
若紫に対する源氏の若々しい情熱を感じました。
源氏は少女の素性や境遇が思っていたとうりだったので我が意を得たりと「されば
よ」と後見人になりたいと切り出してしまい、自分の今の事情まで言ってしまってか
ら「はしたなくや」と反省してみたり思ったことはすぐに行動したいという若々しい
一直線の気持ちに読者ははらはらしてしまいます。
竹田三枝子
10月10日 例会報告 「若紫」第二回
以前まだ何かで若紫のことを読んだことがありました。その時は源氏の人柄や複
雑な話の筋を知らず一般的に言われるドンフアンなどの先入観で、幼子を自邸に引き
取り理想の女性に育て上げるなんてなんといい気なものと思っておりました。
しかし実際に物語を読んで、源氏の性格や物語の背景に源氏自身の父帝の妃を愛して
しまった深い罪の恐ろしさにおののく
心がわかるにつけ藤壺に似た幼子を見、又その素性など知るに自分で育てたいと一途
に思ってしまうことも理解できるような気がします。 次回の展開がますます楽しみ
になります。
永田カオル
初めて登場する少女の描写は本当に可愛くて、髪は扇を広げたようにゆらゆらと
してつらつきいとろうたげで、眉のあたりうちけぶりとか、泣き顔で 雀の子を犬君
が逃がしつる。 と言って走ってくる様子はもう幼い声が聞こえてくるようです。そ
してそれを見つめている源氏がいつしか藤壺の面影を少女に見い出して涙を流してい
るとゆう場面は源氏の苦しい心の奥が見えるようで印象的です。その後の 展開
が興味をそそります。
竹田三枝子
8月15日 例会報告 「若紫」第一回
若紫の最初は源氏が加持、祈祷に行くところです。
3月の晦日の暁に出発して、日高くさしあがりぬお昼頃まで加持祈祷をして、その後
裏山へ上って霞んでいる京をながめながら話を聞き夕方まで過ごすという一日の時間
の経過がとてもゆったりとした感じです。そして北山からの春霞の景色も美しく目に
浮かびます。
竹田三枝子
すばらしい山水画の情景に似た景色が現実にあるとは
、知らなかった世界を毎日味わえたらどんなによいか。
又天下の源氏の申し出を理由をつけて断ってくる僧、
今まで思っても見なかった事の新鮮な体験、病も気からの
言葉どうり、美しい文面で表現されている所に感銘しました
有賀静子
若紫といえば可憐な子供を自分の理想の女性に育てあげて
いくお話で、空蝉、夕顔のあとでは興味があまりないなあと
思っていたところなんと明石の入道、娘の事等伏線として出てきたりで、やはりぼん
やりとはしていられないと思ったことでした。
永田 カオル
6月13日 例会報告 『夕顔』を読み終えての感想
女心は何と複雑なことか!空蝉の心はわかるのですが、やはりどこかでケジメが必要だったのでしょうね
甲斐 恵
魅力的な二人の女性、空蝉、夕顔を終え、やっと源氏の世界に浸りきれた感じがしました
特に夕顔は人間として、女性として、とても強く魅了されました
永田カオル
夕顔とは、六条の御息所に通う途中、ふとたちよった、夕顔の咲いている屋敷に魅せられた一瞬の場面
の話とばかり思って居りました。
今度二年がかりで勉強し終えて、源氏のあるいは紫式部の評価する本質的な女性像が書かれて居り、登場人物、或いは一つの言葉そのものがおろそかに使われて居らず、すべてが小説的ロマンの筋道に貫かれて表現されていることがわかりました。
我妻洋子
夕顔が終わって、源氏物語がやっと解ってきた様です。
源氏を取り囲む人物が面白く、今日の講義などでは右近がとてもあわれに思いました
空蝉はあれでよかった。源氏も小袿を返してさっぱりしたと思います
次が楽しみ!!
宮川来仁
夕顔の巻を終えて、今までで一番ドラマチックで面白く読みました
最後に、あの自分の立場をわきまえて自制心があると思っていた空蝉が、せっぱ詰まった思いを歌に託しているのは、ちょっと驚きましたし、哀れな感じがしました。
竹田三枝子
4月18日 例会報告 『夕顔』の正体が明かされていく終わり近くの場面
夕顔について
夕顔の生涯は運命のままに流された一生のような気がしてならない
頭中将との心安まる暮らしも北の方の父右大臣に恐ろしいことを言われ、身を隠すしか自身を守れなかった夕顔
五条の隠れ家から荒れ果てた院に連れだされ恐ろしい闇夜でもののけによって命をおとしてしまう
あわれとしか言い様のない、一日花の夕顔の花のようにはかない女君でありました
源氏の無分別な行動によって源氏自身も非常に苦しまねばならなかった。
夕顔の性格はとらえどころのないかげろうのように見えて、実は身の処しかたなどに判断力や柔軟性を持ち合わせていたのではないかと思えるのです
永田カオル
「げに、いづれか狐なるらむな。ただはかられたまへかし」と源氏が言うように、お互いに化かし合ってだまされていたいなどとふざけて言って夕顔も楽しそうにうなずくところは、二人とも素性を明かしていないのに信頼し合って会話を楽しむ大人の男女のような関係という気がする。
その裏には夕顔の、不安と苦悩をかくして振る舞っている理性的な姿が見えてくる。又環境に左右されない素直な感性が源氏に心をとらえて離さなかったのだと思う
竹田三枝子
私と源氏物語
幼い頃の方言、忘れかけていた頃、源氏物語の中に出てくることに驚きと感激、
ますます入り込んでゆけそうです
有賀静子
私にとって源氏物語の魅力は?何といっても源氏と関わる女性達の個性豊かさです。
これから先とても楽しみです
甲斐 恵
美しい日本語とは縁遠い暮らしの中で二ヶ月に一回の源氏物語との出会いは私にとって
至福の時といえます。日本人にうまれてよかったと思える一日です
永田カオル
高校出てから何十年、久しぶりに活字を見てドギマギしましたが、今ではなんだか
若返ったような気がして楽しんでます。とはいうものの、古語はやはり難しい!
いつまで続けられるかわかりませんが。
宮川来仁
源氏物語の講議を受ける中で紫式部の計算された筋立ての文学的センスに魅了されております
今度「平安の気象予報士紫式部」というお天気キャスター石井和子さんの著書が出たと新聞に
報道されてまたびっくり、そして女性です。女ならでは世の明けぬ国に生まれたことを身に
しみてるこのごろです
我妻洋子
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