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<松波源氏の会の紹介>
  原文の良さ・美しさを直に味わいながら読んでいこうという会です。年4回のペースで、「桐壺の巻」から順を追って読み進んで行く予定です。毎回テーマを設けており、参加者がそれぞれの人生経験に照らして女性の(自分の)生き方を考えながら味わえるような会にしたいと思っています。7月に立ち上がったばかりの会ですが、皆さん、とても意欲的です。

平成21年9月26日 テーマ:涙の出会いー北山の少女と明石入道の女と

自分で何回か読んでいるが、先生のお話を聞いていると、イメーシ゛が広がって行き、面白さ、奥深さが少しは解ってくるように思えてくる。次回を楽しみにしています。(男性)

年齢も同じ人が(明石と若紫)氏と育ち方で、今後の展開が楽しみだと期待するので次回待遠しいです。(女性)

遂に若紫が登場!明石の君も現れて、これからが楽しみです。(女性)

古文で解説していただいて本当に深くて広くて源氏がますます楽しくなります。(女性)

情景が目に浮かぶ。特に走り来たる女の子の可愛らしい様は源氏のみならず読者をもひきつける。また、北山の晩春の風景は特に好き。明石の入道はどんな顔つきか、体つきか面白そう。(女性)

明石の入道やその妻がリアルで面白い。出世できない「ひが者」がリベンジを果たすために、娘に期待をするのはなんと残酷なことか。対する若紫の幼さが、伸び伸びして可愛らしい。こういう育ち方の違いから書き起こしていく作者はやっぱり凄い。(女性)

今日は美しい貝合わせ「若紫」を見せていただいた。小さな雀も描かれていて今日の読書会に花を添えた。源氏の供の者から聞いた「明石」の君と目の前で見ている若紫の姿。源氏の運命に大きく関わる二人の少女の登場を今日はたっぷりと楽しんだ。(女性)

源氏物語を読んでいて、あたかも構成のしっかりした「交響曲」を聞いているようです。全編を通じての主題は「藤壺への思慕」と思われますが、「権力の獲 得」の副題としてあり、これを愛した女と、それらとの間の子供の入内工作で結びつけていると思われます。「若紫」の章は、「紫の上」と「明石の君」のその 後の展開への提示部分と考えられますが、紫式部は物語執筆前に、この壮大な構成を完成していたのか。もしそうだとしたら、驚くべき「構成力」と思われる。 (女性)




平成21年6月20日 テーマ:源氏、夕顔の真実を知る


夕顔を最後まで読めてすばらしかったです。原文は美しいですね。(女性)

夕顔の巻は古語の持つ情感や情景があます所なく表現されて心にくいばかりです。源氏は楽しいですね。(女性)

夕顔のイメージが今日で変わり驚きました。同時に空蝉も同様で「ニ道の別れ」で歌われた歌がそれをあらわしている様で興味深かたです。それにしても
若き源氏の君は現代の「誰」かしら?次が楽しみです。(女性)

夕顔は心の強い人だったのかと感じられた。心の内の悩みを打ち明けずにいることは常人にとっては重いことを一人で耐えていくことのできる心を私は羨ましく思いました。これからの源氏がますます楽しみになりました。(女性)

怖がりで子供っぽい女性というレッテルをはられがちな夕顔。原文を読むとそれが雑な読み方であることがわかります。人に、自分が悩む姿を見せたくないとい う美意識を持った繊細な女性。そして三位の中将であった父親の優しさが一行だけですが書かれてありとても興味深い箇所でした。原文を読まなければ、源氏の 本当の面白さはわかりません。(女性)

空蝉の話がどうしてこの場面に出てくるのかわからなかったが、今日謎がとけたように思う。六道のどこへ行ったかわからない夕顔と一緒に任地へ下る夫と共に去る空蝉。今回も紫式部の筆力・構成に感心するばかり。(女性)

先生の話を聞きながら、話が進んでいくと深く理解できて面白くなる。また、原文を読み直すとまた味わうことが出来て大変助かっている。(男性)

得体の知れない訪問に戸惑いながら、その不安を源氏に見せないで、さりげなくもてなした態度が夕顔を謎めかしている。相手の気持ちも考えないで自分の苦悩 をさらけだしては今の関係がこわれる恐れがあったのではないか。源氏らしき人への憧れ・愛などが表にあらわれてないので、後ろだてなしでは、生きられない 当時の女性の悲しさが背景にあるように思えてなりません。(男性)

平成21年2月28日 テーマ:悼む心 ー源氏 遺体と向き合う

夕顔の遺体の描写の美しさにも感動しました。私は「声も惜しまず泣きたまふこと限りなし」この一文が強く印象に残っています。皆さんの話題にもなりました が、あまり男性が泣いている姿を見たことがない今、この時代の人々の悲しみに対する接し方に学ぶものが多いなと思いました。(Y・S)

この中で「紅の御衣」というのがとてもイメージが鮮明である。そういう華やかな場面から死の場面への移ろいが何とも悲しい。雅な方の生活、歴史が知られて楽しくもある。(女性)

夕顔は幸せだと思いました。源氏のピュアに改めて驚き右近の律儀さも古の時代とは申せ感心するばかり…(面白くて感謝いたしてます)次回が楽しみです。(M・N)

若き源氏の初恋は本当はこの夕顔であたのかと思われる場面を感じつつ読みました。日頃は華やかな源氏がホ゛ロホ゛ロにクタクタになっている様は興味を引き ます。惟光の仕事ぶりを見るに、昨今の中川某の行動を制することができなかった秘書官達の無様さが情けない思いです。(女性)

何回か本を読んで出席しているが、先生からいろいろそして直接説明して頂くと、更に理解が深まっていくのが大変参考になる。やはり独学には限界があることが判る。(T)

夕顔の突然の死に源氏がとまどい容易に死を受け入れられない様子が微細に描かれ、身分を考えると、異常な行動ではあるが、かえって、源氏の純愛ぶりが強く感じられ感動した。(男性)

夕顔の様子(死相も現れず美しい)からも源氏は夕顔の死を受け入れられないだろう。「うはむしろ」からこぼれ出る美しく豊かな黒髪、対面した時にまとって いた「紅の御衣」が帰り道でも心から離れない。美しい描写の連続であきない。最後の二条院の女房たちの反応もさすが紫式部と思わせる。(H・I)

夕顔の死に直面した源氏の様子、深い悲しみに、心を乱され、でも表立って表現できないところ。源氏と惟光の対比。また最後の三行に書かれている第三者の目でのこの出来ごとに対しての見方がまた面白いと思いました。(女性)

源氏の悲しみがつきないものであることが、多様な表現でよくわかります。「目くれまどひて」「われかのさまにて」「御せきあぐるここちしたまふ」「御ここ ちかきくらし」「胸もつと塞がりで…」など。十七日の月の光のもとで「上むしろ」から美しい黒髪がこぼれ出る描写に、動かせない、夕顔の死の悲しさを感じ ます。(C・T)

平成20年12月13日 テーマ:「源氏、孤独と闘う」

惟光が好きな私としては彼の登場シーンが一番内心で盛り上がりまし た。そしてその後「君もえ耐へたまはで〜」から源氏の惟光に対する絶対的な信頼感が伝えわってきました。高校時代に読んだ夕顔の巻の鮮やかさが、見事によ みがえってくる有意義な時間を過ごせました。(Y・S)

源氏の心の動き、あたりの情景が細やかに伝わってきて源氏物語の広がり、その深さをひしひしと感じます。読み応えのある一節でした。(A・M)

ドキドキしながらお話を聞いてしまいました。今でが考えられない状況ですけれど、その場のフンイキがヒシヒシと感じられ、源氏のすごさを実感しました。久しぶりに参加しましたがなかなか素晴らしいですね。(M・N)

若い源氏にとってこの出来事はとても耐え難いものだったのにちがいない。「これはあの事のむくい」と考えても無理はない。惟光が来るまでよく耐えたものだ。惟光に会った途端、心がおれてもしかたなかったと思う。(H・I)

描写が真に迫っていて細やかでびっくりしました。人の心の動きも細やかに描写されていて臨場感がありました。原文から読むことのよさをひしひしと感じています。(Y)

現代文に訳してある本は数多くかつ有名な作家が訳されているが、この松波源氏の会では原文を解説しながら進ので古語の微妙な言い回しなどが良くわかて大変面白いし、深さが解るように思います。(I)

初めて参加させていただきましたが分かり易く本当に学生時代にもどったようで熱中しました。知らないことが多く改めて勉強させていただいた意義あるものでした。これからも楽しく参加させてください。(M・N)

突然の夕顔の死の遭遇した源氏のとまどい、悲しみが心理状態の変化を含めて表現されている。その素晴らしさに感動した。(T・M)

今回はたっぷりと女君との別離を読みました。古文の基礎を改めて考えさせられました。助詞をまた勉強し直してみたいです。(N・Y)

枕上にいとをかしげなる女」が座っているという出だし、「面影に見 えてふと消えうせぬ」という表現。本当に恐ろしい描写です。闇の深さと時間の長さを感じさせる秀逸な表現にまたまた魅せられてしまいました。原文ならでは の迫力を楽しみました。やっぱり「源氏物語」は原文で!(T)

 

平成20年9月27日 テーマ;「夕顔の魅力ー柔らかさと憂わしさと」

「対比・比較の名文」の一言につきる本日でした。空蝉とのコントラスト・源氏の心情と夕顔の思いの格差・五条の住まいとなにがしの院との大違い等々。世間 では夕顔をはかない「女らしい」、美しい「女」そのものの様に印象づけられている様だけど、今回によって私観だけれど、不安を抱きながらも決行する性格等 から、実業家タイプの男っぽい性格、見かけの美しさ故に誤解されているようだ。女っぽい源氏と気が合うわけだ。きっとジュデイ・ホスターみたいな顔をして いる。(前川)

夕顔について。美しく可愛い過去のある女。でも自分を見失わず浮かれている源氏のい同調せず。なにがしの院での2日間楽しかったでしょうね。(井上)

初めての講義でしたが楽しく学ばせていただきました。少し短歌をしておりますので歌に興味を持ちました。(女性)

「雨夜の品定め」で知った理想の女性に巡り合った若き源氏の姿が眼前に浮かび上がってきました。式部の歌の上手さも改めて知りました。(女性)

恋を語らう二人の充実したひとときが良く伝わってきました。それにしても自然描写の素晴らしいこと。
刻々と移りゆく雲の様子や「いさよふ月」「たとしへなく静かなる夕の空」など秋の涼やかな空気や匂いまでもが表現されていることに感動しました。(女性)
  
 

平成20年6月7日 テーマ:「やつしの恋ー恋に生きる源氏と夕顔像」

分室の門構えが目に入った途端に和の世界へ入りました。源氏の世界にはうってつけの部屋です。65歳ですが20代に谷崎源氏を読んで(光源氏は一度も好きになったことはない)千年前の人の心、男心、女心に魅了され続けています。谷崎の本は読みやすくてサラリとしていますが今回、原語を拝見し読んで尚一層とりつかれました。(三橋)

源氏が夕顔に惹かれる気持ちがよくわかります。今ならばこんな風な女性は沢山いるのでしょうけれど。二人の話し合い、すてきですね。(中川)

夕顔の巻はお聞きしていると情景が美しく思わず引き込まれうっとりとしてしまいました。(前島)

やつしの恋に挑戦する源氏のひたむきさの中にとまどいの様子がよく描かれており、興味深い。また未知の女性との遭遇の驚きも新鮮に見え十七歳の源氏の共感を覚えた。(男性)

魅力は夕顔の素直さ。下の品の人々の中にあっても卑下することなくふるまう。源氏が魅かれるのも当然。夕顔の置かれた環境を美しい文で描く紫式部の筆力のすばらしさに今回も驚かされる。(井上)

今回のハイライトは、「源氏『げに、いづれか狐なるらむな。ただはかられたまへかし』…女もいみじくなびきてさもあるぬべしと思ひたり。」ではないでしょうか。「だまされてみるか?」「そうね。だまされてみようかしら」こんなに平安貴族の会話が現代に蘇って身近に感じられるとは。田中先生の解釈の妙に本当に感服しました。空蝉とのかけひきの恋ではなく、六条わたりの女の気の張った恋でもなく、源氏は心から夕顔とくつろいでいる。恋とは「人にしむこと」納得しました。(塚内)

今回は源氏物語の中で始めて庶民の生活が出てきて私のような者にとっては別に変わった生活とは思えませんでしたが源氏の感じ方が面白く思えました。夕顔と源氏との会話もとても生き生きとして面白く、初めて人間らしい源氏の恋心が文の中から心にしみて感じられました。(松本)

第15回平成20年3月15日 テーマ「はかなき一ふし」に感じる見知らぬ女との出会い」
男性を迎えて今回はいつもより女性が静かだったような気がします。
源氏物語は千年も前に書かれた作品ですが人間の心の動きは1000年前と同じだと思いました。雅の世界に浸ることができてあっという間の楽しい二時間半でした。人の心をいろいろと忖度する有り様は今のコミュニケーションの薄い時代には大切なものだとまた思い知らされました。(亀井

今日より夕顔の巻。夕日が差し込む部屋で手紙を買いている美しい女性。夕顔の花が咲く古びた垣根。舞台はそろった。この女性の召し使いや源氏の隋身の文化度の高さにもなるほどと思う。次回が楽しみ。読売新聞のおかげで新
会員が増えてうれしい読書会でした。(井上

まさに映像の世界であった。余韻?を感じさせる「一ふし」夕闇の中の真っ白な夕顔の花。あじろ編みの垣根。黄なる生絹の袴。そして「それかとぞみる光」「寄りてこそそれかとぞ見め」今日もこの蔀の前渡りしたまふ…。その時の光源氏の顔の表情、目の行き場所。いくらでもイメージがわいてきます。(前川

ほんの少しの時間に感じた小家に住む女の方の様子。まだ姿も見えて来てませんがこれからの展開に期待を持たせて今回は終了。次回がすごく楽しみです。(松本)

初めて参加したが源氏物語を原文で読み適切な解説を聞くと今までと違った源氏の世界を興味深く味わうことができた。(男性

早速寂聴さんの訳を読んで原文に忠実かと比較しながらその他も読んでみたいものです。(平井

数時間があっという間に過ぎてしまいました。源氏の世界にひきこまれ美しい情景が目に浮かんで平安の昔を日本人としてうれしく思いました。世界に誇れる大切な物語だと思います。(前島

きりかけだつ物に、ここちよげに白い花が咲いている。どんな女性が住んでいるか、源氏でなくとも心惹かれるすばらしい書き起こしだと思います。対照的に、洗練された住まいの六条渡りの女の所から出てくる源氏の姿が「朝明の姿はげに人のめできこえむもことわりなる…」とありましたが、距離を置いた源氏のほめ方に、この二人の心の隙間を感じます。源氏がどんどん夕顔の家の女性に傾いていくのが自然に読者に伝わってくるようです。(塚内


第14回平成19年12月15日 テーマ「二人の女ー口説きの折に
もしかして源氏の人生の中で最も強く愛した女性が空蝉でしょうか。そんな風に感じました。紫の上はすてきな女性なのは伝わるのですが、今ひとつ精神性を感じませんでした。とても面白かったです。(中川)

40年ぶりに晶子訳の帚木と空蝉を読んでみました。正直楽しいちうより気が重くなりました。平安時代の貴族の女性の生き方の大変さとでもいうのでしょうか。一夫多妻、心のつながりで夫婦が成り立ち、法の保護がない時代…。(匿名)

今回も反源氏派です。参加者の中には空蝉を誇り高い、気高い人と思うとありました。私は誇り高き自尊心ある行動力ある人と見るより自分を傷つけたくない、自分を守る故の行動とみる。「今の若者と似ているな」と。恋愛するのが怖い。失恋するのが怖いという心理と似ていると思った。(こんなことを書くと不評を買うかな)私は西の方の芳は好き。可愛い!あの生まれつきの鈍感さがうらやましい。憎めない。西の方に対する源氏は許せる。決して人を傷つけてはいけない。(前川)
  
この場の空蝉はいつもの通りの拒む女。いつもの行動をとったが残してしまた薄衣。義理のグラマラスな西の方も中の品のちょっと足りないこの娘も気の毒だけどちょっとおかしい。源氏と西の方が関わっている間滑り出た(逃げた)空蝉はどういう思いですごしたのか。この事はとても気がかり。いつものことながら源氏もどじ!紫式部のこういう人物を創り出す力に感動。(井上)
  
今日の「もぬけ」を読み聞いているうちに、もしも西の方と一緒にいなかったら空蝉の態度はどうだったのかしらとふっと思いました、でもそれでは、この話は全然つまらないものになってしまいますね。西の方への源氏の対応は男の気持ち、行動を理解していなければ書けない事と思いました。登場人物が又、新しく加わって何の知識も持っていない私にとっては、これからの話がどのようになっていくのか興味が次ぎに向かっていくのを感じて楽しみです。(松本)

初めて参加させていただきましてありがとうございました。昔々を思い出しながら講義をうかがいました。私の好きな空蝉を改めて読み直すことができました。行動力と自制心のある空蝉をさらに愛着を持って読めました。敬語、助詞を注意しながら読む大切さを思い出しました。(矢富)

面白かったのは「ものものしくおぼゆる」「いぎたなきさまぞ」と表現された西の方の眠り方のリアルさ。口をあけて寝ている様な…。対照的に、源氏の面影が離れずに昼は物思いにふけり夜も寝覚めがちという空蝉の苦しさがよく伝わってきます。今回は、闇の中で聞こえる衣擦れの音と「かうばしくにほふ」様から源氏と察して、生絹なる単を一つはおって「すべり出でにけり」という空蝉の行動がまるで映画でも見ているような印象深さで残りました。かなりドキドキする場面なのに下品にならないのは何故?ちょうど良い間合いで、作者が時々顔を出して「困ったものですね」と言ってくれるからでしょうか。(塚内)

第13回平成19年9月8日 テーマ「二人の女ーかたちくらべ」

ずいぶん久しぶりの参加でした。物語の進度はすすみ具合はわかりませんでしたので、ちょっとついて行くのに大変でした。
平安時代の言葉がどのくらい現代に通じているのか考えさせられます。日本の言葉なのですから、微妙なニュアンスが読み解くごとに、日本人の心を思い起こさせてくれます。特に明治〜第二次大戦後と変わってきた現代の日本人を考えさせられます。 (土器屋美千代)

 今回は屋敷の様子が良くわかった。渡殿・妻戸・格子・屏風・ひさしの間等々。
空蝉に対する源氏の思い切れない想いを今回学びましたが、一言、私は源氏に言いたい!それは恋心ではなく、”自尊心”が傷つけられたのであって恋ではない。あくまでも今まで味わった事がない思い。それは源氏の自分では気がついていない自尊心である。もう一つ、伊予の湯桁も「おやじギャグ」みたいでないほうが良い。また、ついぶつぶと肥えた人を源氏は「親の世になくは思ふらめ」とあるが17才の少年が、そんな事想像するだろうか!?(前川綾子

 二人の女のどっちが好き?奥床しく上品な空蝉と大柄で美人で開けっ広げな若い娘と。こんな立場に立ったら若い男だったらどう思うだろうか。源氏は前者に魅力を感じている。が、後者も棄てがたい。いつも思うが紫式部は優れているストーリーテラーだ。さあ、源氏はどうする。次回が楽しみ!(井上久代

源氏の表面的な女性の美しさにだけ惹かれるのではなく、自分と同じ感覚を持っている女性により惹かれていく様子が感じられました。それと、今回は女性の普段の様子を目の前にして観察?したのはもしかすると初めての経験だったのではと思いました。まだまだ若い源氏なのに、考えの深さを思い知らされました。繊細で思慮深いところが素晴らしい。(松本佳子)

 「女どちののどやかなる夕闇の道たどたどしげなるまぎれに、わが車にて率てたてまつる」とあるだけで、神経質な紀伊の守が留守で、ほっとしている家の空気が良く伝わってくる。また、小君の大胆な作戦、源氏に応えようと懸命に考えたんだろうなという事もわかる。これを現代語訳にすると本当につまらなくなる。今回は源氏が息をひそめて二人の女を見ているが、女達を照らす傍らの灯の明るさまでわかったような気がする。人物描写もさることながら、闇の深さも空気も描いているなんて、やっぱり作者の腕はすごい。(塚内千寿子

第12回平成19年6月9日 テーマ「恋する源氏と拒絶する女」

恋する源氏と、魅せられながらも拒絶するしかない空蝉の心模様が面白かった。お互いにまっすぐに相手に想いを伝えられない苦しみが連綿とつづってあるような気がしたが、少しも重い気分にならないのはどうしてだろう。今回、逢瀬の直後の源氏が、南の高欄にもたれて物想いにふける姿の美しさに答えがあるようだ。「月は有明にて光をさまれるものから、かほけざやかに見えて…」心の有様によって普段見慣れているはずの空や月が変わって見えるという描写によって、どこかしら解き放たれる気分になる。夜明けの空気の中にいる源氏の美しい横顔を風景とともに味わっているうちに主人公達のせつなさよりも、冷たい空気によって清らかに洗われたような心持ちになる。「源氏物語」には主人公の生き方や筋をたどるだけでなく、まるで映画の一コマを見ているかのような楽しさがある。     塚内千寿子

突き進んでしまったら、自分が苦しむに決まっている様な状況に私だったら絶対に陥らないとおもうけど、こんな結婚の形態だったから仕方ないんでしょうか。考えてしまいました。     中川美枝子

箒木の巻の弟「小君」が可愛い。一途に源氏の役に立とう努力する様子や源氏から姉についてあれこれ聞かれても申し上げて良いことは答えあとは静かに口を閉ざしているところなどに育ちの良さ、素直さがかんじられる。下心のある源氏も「これ以上は踏み込めない」端正さがある。箒木は自分の立場(現実)を冷静に判断して源氏の情熱に負けない。恋の手引きをする弟を叱る場面など彼女の高い品性が感じられる。今回もまた源氏はある意味滑稽である。「彼は本当に恋しているのか?」世に並びなき自分ほどの男を拒む女にいたく自尊心を傷つけられ、幼い小君にやつあたりして困らせたりしている。紫式部は源氏や小君を自分の弟や息子の行動を見守るような気持ちで「まったく…」とか「おやおや」などと思いながらこの章を書いていったのだろう。箒木は自分に重ねて…。ことらは相当真剣に慎重に人物設定をした上で書いたのではないかな?    井上久代

 面白かった!
 源氏の一途な想い(年をとるとこうはいかない)
 空蝉の頑なな決心(どこまでもちこたえられるか、ちょっとした ミステリー小説の味わい)
 つきなしという宿世(現在、勝負で使う「今日はついてないな」はここからきたんだ?)
 神のなした二人の運命!(やっぱりこれが現実なんだ)
 いじらしいほど源氏を思う小君(育ちの良さとはこういうもの、女君が元は上の品であった証拠)
 空蝉の「心のうちは いとかく品さだまりぬ身~をかしうもや あらまし」の一節では、可哀想で泣けてきますね
 それにしても、帚木を引用した歌のやり取り。旨い!上手!素晴らしい想像力、最高の美意識、究極の恋愛、と私は思う(シンデレラでもわかるように身分の違いは女性の憧れの恋)
“帚木の正体みたり女君”今回は謎が解けてよかった
 それにしても、こういう恋は聞くにはいいけど、自分が味わうのはイヤだな私だったら、身の破滅を招いても源氏との恋にはしるかも。若かったらね!   前川綾子 
 

空蝉の自意識の強さを文中から感じられてビックリ。
 もし自分がその立場にいる空蝉だったとしたら、どうしたかしらと思うとまだ気持ちの整理はついてません. それと弟の小君の源氏に対する思慕の情、心づかいなどが少しずつ表現されていてほほえましい。
松本佳子

第11回平成19年3月17日 テーマ「中の品の女空蝉の意識のありようを考える…源氏との出会いがもたらしたもの:揺れる心のままに向き合う源氏と空蝉像を通して

伊予の守の後妻となった元上の品の空蝉にとってこの出会いは幸せだったか
源氏ははじめこの女性を今までの方法で何とか出来ると思ったろう。しかしなかなか手強い。ついには本音で、しかも泣きながら訴えることによって、女の固い心がほどける。
一生一度の恋として「よし、今は見きとなかけそ」と女が覚悟するところが見事。生きている証しとなったであろう
(井上久代)

 ちひさやかなる人と源氏との一夜の契り。短い時間での男と女の気持の葛藤がとても丁寧に描写されていて、読み解いていくにつれて心に伝わったのがとても興味深い今日の章でした
(松本佳子)

 改めて今さらながら、光源氏という男性の、自分に対する自信のようなものを感じ、ソフトな立ち居振る舞いに嫉妬さえ感じます。
 一夜の別れの切なさを実感しました。今であれば再会する機会を陰ながらにつくるでしょうね。女の歌に様々な思いを感じました。
(中尾和夫)

 この場面はつい先日講師の本を読んだばかりで、昔玉上先生の本で読んだ時には、場面の途中で一夜の契りがあったと記憶していたので、へえ〜とびっくりしてしまいました。でも講師の本の方がずっと深くて素晴らしいと思います。こういう解釈の違いってどこから生まれるのでしょう。絶対的なものってあるのですか
(中川美枝子)

本日は渡辺淳一も真っ青になる程の、恋愛場面!!ヒロインは好みも淳一好みで、きゃしゃで、小柄で、ちひさやかなる人!(ソフィアローレン系が好きな人にとっては魅力半減かな?)
相手がいくら源氏とはいえ、襲われそうになって私ならけっ飛ばすのにと、今日読むまでは思っていました。ところが、源氏物語の人気の秘密がわかりました!! 源氏の人間性、女性の身分、息詰まる会話、そして一夜の終わり。つづく……。
(前川綾子)

第10回平成18年12月23日 テーマ「中の品」と「上の品」と…空蝉と出会うまで

伊予の守の女房達の噂話にドキッとする源氏のところがとてもおもしろい。芸能人
や皇室の話題が今も人を惹き付ける、昔も同じだ。藤壺のことが口の端にのぼったら
どうしようと動揺する源氏。これまでに何かあったのだと示唆してくれた田中先生に
感謝。自分のことがこんなに他の人に知られるというのは不愉快を越して恐怖だった
のだろう。                                              (井上久代)

はじめて源氏物語に触れました。先生のわかりやすい解説で物語りの流れが理解で
きました。「中の品の家」の噂話は現代にもつながる心理が描かれ古典を身近に感じ
られました。「姉弟」のところでは後ろ立てを失った女性の定めを書き古代の社会構
造・女性の生き方・社会のあり方までとらえることに接し、とても感銘を受けまし
た。源氏物語を身近に感じられるご講義をいただき感謝申し上げます。      

(篠原美保子)
                         
なぜ、「帚木の巻」でこれまで中の品・上の品の女の事が源氏をとりまく頭の中将
達の会話で縷々出てきたのかやっとわかりました。身分社会の中で「上の品」と「中
の品」では教養も人柄も感性も違うのですね。中の品の女達がわざとらしいふるまい
で源氏を意識し、噂話に興じている様子。「ことさらびたり」「すこしほほゆがめて
かたる」など古語ならではの的確な表現に驚かされます。なぜ空蝉が源氏の心を捕ら
えていくのか。没落していく理由、それでもあふれる気品。「思ひあがれるけしき」
という心に誇りを持った女性に源氏が惹かれていくのがよくわかります。   

(塚内千寿子)

・言葉の美しさに驚かされます。現代の子供達、特に女の子達の言葉の汚なさにうも
れていると、こうした古語がなくなってしまっていることが残念です。学校で古文を
勉強した頃はそうは思いませんでした。

(中川美枝子)

上の品と中の品・階級の違いと同じように生活している人々の姿が浮かび上がって
来ました。空蝉の今置かれている状態が少しずつ見えてきてこれから出てくる彼女の
こと、源氏との出会いがとても楽しみに思えてきます。                                                  

(松本佳子)

女房達との会話とのやりとりのおもしろさ、源氏の表情のちょっと、ふざけたしぐ
さ等、まさしく、イメージの世界でした。「方違へ」は今でいう:風水:なんだと
思ったり、源氏の「中の品」への興味深々さが想像できたり今の時代も変わりないな
と思いました。「噂話」では自分はまさに中の品の人物だと確信したり「姉弟」の段
では身を落とさざるを得なかった「女」の運命を想像してこれからのストーリーを楽
しみ、先に一人で読んじゃおーかな…。
                                      
(前川綾子)

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第9回平成18年9月23日 テーマ「木枯らしの女と蒜食いの女」

例会報告 前川綾子
 今回はお彼岸のせいもあって、出席者は5名、しかし、キンモクセイの香り一杯、さわやかな空気のなか、雨夜の品定め、終盤に入りました。
 このここちよい読書会を紫式部ならなんと表現するだろうかとつい考えてしまいます。
 さて、「木枯の女」何故「木枯らしの女」かというと「神無月のころほい〜」つまり、10月初冬、木枯らしの季節から来ている。(私的には、一見緑の葉に覆われて美しく魅力的だが、葉が落ちてしまうと、味気ない軽薄な女のことかなと思っていました。違っていました。これだけでも出席した甲斐があった)
 前回、左馬頭の「指食いの女」(見目麗しくないが、気立ても良く生涯の妻にと考えていたが、並外れてやきもち焼きの為、勢いも手伝って別れることになった女)と同時進行していた女、つまり、浮気相手の女のお話です。
 「見はべりしほど」の「ほど」に注目。「ほど」とは期間限定を表す。つまり、はなから浮気。
 その浮気相手の女とは、才色兼備、華やかで、魅力的で、楽しむには新鮮で刺激的である。然し、生涯の妻にと考え始めると、今まで魅力であった所が厭になってくる(何時の世も同じかな)
 しかも、どうも男がいるらしい。
 ある日、勤め帰り上人と牛車を同乗する事になった。上人はどうやら女に逢いに行くらしい。しかもその方向が以前、自分が浮気していた女の方である。もしやと思い後をつけると案の定、見覚えのある崩れた塀、その隙間から月の影落とす池、まさしくあの女の家である。
 そうと陰から様子を窺っていると、プレイボーイ名高い上人は、やおら懐から笛を取り出し奏で始める。当時、女を口説くには楽器がひけて和歌も達者な風流人でなければ資格が無いのである。一方、女は待っていたとばかりに、琴で応える。キザの一言といえる男の振る舞いにすっかり舞上がる女。一変に熱がさめてしまったと言うお話。
 独白(コメデイになりそう、結婚してみたら、なあんだ、こんな男だったのかとよくある話 )
 ここでのキーワードは「さし過ぐ」⇒度が過ぎる、派手である           「まばゆき」⇒眩しい、目映しい⇒目を伏せる⇒見てられない、恥ずかしい
 次に、式部が話す「蒜食いの女」これがまた、面白い。
 式部と言うのは今で言う、平社員である。周りは皆、源氏ら重役陣の中で1人、平社員が加わっていることになる。こういう人物を1人いれる事が源氏物語を更に面白くさせている隠れたエッセンスではないかと私は密かに思っている。式部のキャラクターが窺い知れる場面でもある。
 面白い女の話を早く言えといわれて、式部は「蒜食いの女」つまりニンンクを食べた臭い女の話を始める。
 式部が学生だった頃、(貧乏人が出世するには勉強して官僚になるしか道は無かった。今は勉強するにも裕福でなければ出来ないけど)師と仰いでいた人の娘に軽い気持ちで言い寄ったところ、師に見つかり早速、結婚しろという事になってしまった。何しろ、師には大勢娘がいたのである。
 そこで、師は漢学の歌を挙げて説得する。「金持ちの娘は夫をバカにするが貧乏な娘は婿を大事にする」
 その娘、さずがに師の娘だけあって、全ての面で博学である。何しろ、寝物語の時でさえ、漢文調である。(学のある人は女でも仮名でなく漢文を書いていた)
 それでも、式部は女から学問が何時でも学べるだけでなく人生悩みに何でも答えてくれる師のような存在であったので、つい女の所に通っていた。(貧乏な男の人間性がよく出ていおもしろい)
 ある日、女の所に行って見ると、物越しの対面に出くわす。風邪を治すために蒜を食したので臭いから臭いが消えたら逢いに来てくれと女が言う。
 式部は「受けたまわりぬ」とそのまま帰ればよかったものを、「そんな事を言っていい男ができた口実ではないのか」といった歌を詠んでしまう。
 即座に女は(ここがまた、面白い所)「逢ふことの夜をし隔てぬ仲ならばひる間(蒜と昼をかけて)もなにかまばゆからまし」と返す。
  (ごもっとも)一本とられた女の話をするが(私にはここが落語のオチのようで一番面白かった)上流階級の貴族たちはそんな女がいるものかと誰一人信じない。 
 このへんも、階級の差がでていて興味深い。
 式部は小さくなるわけでもなく、貴族達の間にはさまれても平然としている。今でも式部のような人物が一人は居そうではないか。
 以上は前川綾子による解釈のまとめである。
 あれ?と小首を傾げられる方もおられるであろう。
どうぞ、そういう方は、原文を更にお読みになって、私の間違った点、気づかなかった点を教えて頂ければ幸いに存じます。

例会感想
木枯の女も蒜喰いの女も初めて読ませていただきました。私の知らない源氏物語の中
にはこういう話もずいぶん色々あるのだろうと、ますます興味が湧いてきました。食
わず嫌いを直せそうでこれからが楽しみです。今日はありがとうございました。
(岩城)

面白かった!1000年の空白は全くないのが又すごい。今、読んでも何の違和感も
ない木枯の女と。蒜食いの女であった。木枯の女はニュースキャスターをイメージし
てドラマができるし、蒜食いの女はさし当たって弁護士かな。どの人も、木枯の女、
蒜食いの女の要素を持ってるので、きっと皆が親近感がもてて、面白い原因なのだろ
う。(前川)

こんな話があったのかなあと面白く聞かせていただきました。男の立場から「勝手な
ことを言ってるわ」と。友人で「源氏物語の楽器」を卒論のテーマにした人がいまし
たけれど、そんな重箱のスミをつついて…と思いましたが、そうではなかったようで
す。(中川)

安っぽいドラマは、恋の成就までのあれこれを描く。しかし「源氏物語」の作者は恋
が成った後の男女の心の微妙な変化をじっくり観察する。そこが実にリアルで面白
い。左馬の頭は、木枯の女の本質を見てしまって、指喰いの女の妻としての誠実さが
よくわかっただろう。(しかし、もう遅い。)「上人」の口説き文句の巧みさ。恋の
手練れとはこういうものかと、しばし感心する。でも本当に女性の心に届く誠実・真
剣な恋をするのはやはり源氏だけだと今回も、源氏と較べながら読んでしまった。
今回で「帚木の巻」は終了。いよいよ次回「空蝉の巻」で源氏が表舞台に登場する。
乞う・ご期待!(塚内)

第8回平成18年6月3日 テーマ「常夏の女の生き方」

例会報告 井上久代
梅雨空の下、時おり松波分室の和室には涼しい風が吹き込む。今回は常夏の女、会場の庭にはまだ撫子は咲いていなかったけれど、集まったのは人生をよく分かっている11人の女性。雨夜の品定めの後半部分、頭の中将が若い日に関わり、今でも未練をもって思いだす女の話である。
 中将は「なにがしは、痴者の物語をせむ」と話しだす。<痴者(しれもの)>とは頭の中将が自嘲を込めて自分のことを言ったのではないことにまず驚かされた。(瀬戸内寂聴は「馬鹿な男の話をしましょう」と訳している)読み進めていくうちに講師の言う通り痴れ者はこの女のことなのだと合点がいく。後に夕顔の女として源氏と深い関わりを持つこの人・常夏の女は頭の中将の恋人となり、たまにしか通わなかった中将にもまめまめしく尽くす。幼い子ども(撫子)まで設けたのに、ある時中将の北の方からの脅迫を受け苦悩する。山がつである自分はどうなってもいいが撫子には情けをかけてほしいと歌を詠んで中将に助けを求めるが中将はそれに気づかず、撫子より常夏が一番と見当違いの返事を返す。女は絶望し、中将の前から姿を消す。逃亡はしかし生活手段を失うことでもあった。
<常夏の女は何故逃亡したのか?>について全員で話し合った。結論は[常夏の女は自分の誇りを守ったのだ」というところに落着いた。なかなかおもしろい問いであり答えであった。
今回も紫式部は女も男もしっかり描いていてすごい!今も昔も心はかわっていない。逃亡した女の気持もよくわかり、また男の現実認識の甘さはほんとうによくわかる。講師に導かれ原文の魅力を充分味わった読書会であった

例会感想
松波分室も初夏です。常夏は咲いていませんが楽しい会でした。中将が「痴者=女」
の話をしようと言った時私は自分のことを言うのかと思っていましたが、なぜこの女
を痴者と中将が言うのか今日よくわかりました。原文で読む大切さがよくわかりまし
た。(井上)

 雨夜の品定めの女の話というとどうしても中将の目から見た、うんでもなければす
でもない女・常夏というイメージが強かったです。それが今回参加させていただいて
一語一語じっくり考えながら味わいながら読むとその奥に常夏の込められた思いが
数々あったということがわかりました。その後の源氏とのつきあいとの対比、語の多
重構造のお話もおもしろかったです。(岩城)

「常夏の女」は、高校の教科書によく載るあの「夕顔」という女性のことである。こ
の巻を丁寧に読むと、はかなげというより、人を傷つけてまで自分を全面にだすこと
をしない、優しげな繊細な女性であることがわかる。頭中将に和歌で必死に自分の窮
状を訴えても理解して貰えなかった無念はいかばかりであったろう。どんなに言葉に
命をふきこんでも、理解して貰えぬ淋しさに彼女は絶望したにちがいない。やはり頭
中将だからか。もし源氏なら?こうして次の巻、源氏の恋に期待が高まっていく。
(塚内)

「源氏物語」の中では、夕顔が最も好きな女性ですが、今一つ性格が読みきれない所
がありました。今回のお話でそれがすべてわかったような気分です。しかし、女が隠
れて住んだ平安の社会はどんな社会か、想像できません。(中川)

常夏の女・女性の心細いしっかりした賢い女性であり、中将より思いのこえた方で
あった為に後では、中将も心残りの女性でありました。(福田)

「謎の女」こそ「常夏の女」というのが今日の感想です。殆どの方の感想はこの女性
はとてもしんが強くてプライドも高く、知的で繊細で…というものでしたが、私は内
心、意識して自分をコントロールしてる女性ではなく本来そういったものを持った人
物「天性の魅力」を持った女性、魔性の女というイメージです。今の世でも自分がど
んなに努力してもなれない人物といった人がいるのを実感してます。本人も努力して
る様には見えないのに魅力的な人がいます。(前川)

身分制度の時代で和歌だけが対等に表現できる手段としてとても重要だった。女性の
側から男性に手紙を出すことはない時代に和歌に託して伝えたのに中将は理解してく
れなかった。結果として彼女は子供のことよりも自分自身のプライドを守って逃亡の
手段を取った。中将より器の大きな女性だったと思われる。(松本)

第7回平成18年2月4日 テーマ「指食いの女の生き方」

例会報告 井上久代
今回は左馬頭の<理想の妻>の話である。彼がまだ若かった時のこと、美人とは癒えないが、低い身分の
彼を立てて、気配りも気働きも優しさも持ちあわせている女がいた。しかし左馬頭は頼りになる恋人と思いながらも「とまり」=妻に定められない理由があった。それは人並み外れた<もの怨じ>(嫉妬心)を持つ女だったからである。左馬頭は一計を案じる。これだけ自分を思ってくれている女だから、ちょっと懲りさせようと「別れ話」をする。この時の女の出方は左馬頭の意表をつくものだった。彼としては「もう嫉妬しないから別れないで」と泣いてとりすがってくるとでも思ったのだろう。女は「すこしうつ笑ひ」「みだてなくものげなき」男でも出世を待つのは平気、辛いのは「あいな頼み」の浮気心であるといい、私も今が別れ時だと思うと言い放つ。男もかっとなって無分別に言い立て、喧嘩がエスカレートしていく。ついに気持を高ぶらせた女は男の指に食いついてしまうという結果にいたる。
男は女の嫉妬心にうんざりし、女は浮気な男が許せなかったのである。別れてしまった二人だが、霙降る夜に訪ねてみると女は不在だったが、夜着など暖めてあり、女のけなげさに反省もする。しかし左馬頭が態度を改めないうちに女は死んでしまった。男は源氏や他の貴公子に「ああいう女が妻にふさわしいかったのかもしれない」と語るのである。
例会感想
 源氏の指喰いの女の男女の様子が細かくかかれています。生活の様子がうかがわれ
ています。又、細かな強い心づかいが男女にはあったと思います。        
 福田翠
     
                   
 「もの怨じ」の女が左馬の頭の計略にかからないところがなかなか痛快です。又、
いつまでも自分のことを思っているとタカをくくっている男を、そむきもせず…あし
らっている女は、自立していてすてきです。こんないい女が不幸になるなんて…相手
が悪かったわね。
井上久代
      
                        

 
 これだけ強い意志を持っている女の人が何故はかなく死ぬのか不思議です。(源氏
にはこういう死に方をする女の人が多いように思いますが)やはり女は弱い存在だっ
たのでしょうか。この時代こういう指をかんだりする程の激しさを勿、又、表現出来
る女の人がめづらしいことではなかったとしたら頼もしく嬉しい感じです。でも、ど
うしようもない、くいちがいの悲しさ、淋しさも思いますが…。         
池坂明美
                
 通い婚であっても、男性と女性の対等の立場が喧嘩のやりとりに表れているのが、
発見でした。今までは何となく只女の方が待つだけと思い込んでいました。    
松本佳子                         

 今回の「指喰いの女」面白かったです。先生の話し方が面白かったんでしょうけ
ど。今昔物語かなんかに似たような話があったかなあと思って聞いてました。どんな
に時代が変わっても男女の駆け引きは同じようなものですね。今朝の毎日新聞で、中
山千夏が男社会に嫌気がさしていた時に、古代社会の女が生き生きしていた事を学
び、自分を取り戻したと書いてましたっけ。                  
中川美枝子
            
 男女の気持ちの表し方の食い違いが悲劇を生んだ話であるが、激しい感情のぶつけ
合いの後に「手を折りてあひ見しことを…」など歌を交わし合うのがすばらしく、し
んみりさせられる。また、男が女の元に行こうかと心の変化をもたらす舞台立てが、
「調楽に夜更けていみじう霙降る夜」というのが心憎いではないか。「源氏物語」
は、もののあはれに満ちている。                       
塚内千寿子

 男女の心の動きが割り切れず言葉には出せない深さを感じます。其の頃の日常生活
はどうなっているのか興味があります。                    
飯高定子
                            
 久々に楽しめた。いつもは作者の影がちらちらして物語りに没頭仕切れない場面も
あったが、今回は作中人物に同化できた。フジテレビの「電車男」の後に8回シリー
ズのドラマ仕立てにしてみたい。配役は誰にしようか。
前川綾子                                                                        
     

第6回 平成17年11月19日 テーマ「妻選びの考え方と現実」
例会報告 前川綾子
 今回はサプライズがありました。清水国朗を20歳若くして一見、アウトドア風の男性が参加して下さいました。男性からの生の声「男性なら、まず羨ましい結婚制度」との発言を聞きながら、これは女性否男性必読の「妻にしたら最悪の女達」(あしかるべき・最下級・複数形)について学びました。
 前回に引き続き「雨夜の品定め」は恋の相手から結婚の相手の条件へと左馬の頭の弁舌なめらかに続きます。
 一方、源氏は聞いているのかいないのかそんな様子です。
 さて、左馬頭曰く妻とは「わがものとうち頼むべき」つまり、夫にとっては自分の人生を左右する全てのよりどころとなる存在である。政治の要人(vip)を選ぶのも難しいがこれは「上は下に助けられ、下は上になびきて、こと広きにゆづろふらむ」のように一人で行なうものではない。
 ところが、妻はそうではない。このように、政治を引き合いに出して説得するところなど、世慣れた左馬頭の人物像を読者は感じ取る。
 もちろん、妻たるもの全てにおいて、完璧にこした事はないがそのような女はいない。そこで少々大目にみてみるが、それさえもそういるものではない。そのことを7・5調でどんぴしゃに述べている。「なのめにさてもありぬべき人の少なきを」イメージの発揮のしどころ。
 そこで、現実は、妥協して結婚する事になるが、これも何かの縁だと考える事のできる人は、はた目にもこころにくくうつるのである。
 このように世間を見る事ができる左馬頭には敬服致しますね。(一読者として)
 そして、いよいよ「困った妻達」の登場です。
 その1、今で言う「ぶっりこ妻」(これには同感)どんなぶっりこ振りかはP、164〜P、165を)そういう女を妻にした挙句の果ては「あまり情けにひきこめられて、とりなせばあだめく」底無し沼にはまったようなもの、どこまでも、あだめく。
 その2、家事一辺倒で味気ない妻(独白:身につまされる)
 今で言えば、色気も髪型も関係無くひっつめ髪にして、なりふりかまわず、家事にのみ専念する妻。それを一言で「耳はさみ」と表現。(おもしろい!)当然、夫は妻に嫌気が差して孤独となり失望だけが残る。
 その3、何事も自分で判断できないかわいい妻
出席した男性の声(個人的には好みでは無い)確かに、自分好みの女に仕立て上げる楽しみはあるが、何から何まで自分で処理出来ないとなると矢張り、結果は、いとくちをし。
 その4、甘えた妻(おねだり妻の事ではりません)自分を悲劇の主人公にしたがる女。夫と真正面から向き合おうとせず、ある日、突然家出をする。
しかし、その目的は夫の愛を試そうというもの。ところが、世の中、そんなに甘くは無かった。夫は迎えに来ないどころか世間は深刻に受け止め、勢いも手伝って心ならずも尼になる羽目に。しかし、動機が動機故に涙に明け暮れる日々となり仏さえ、不純な気持ちを知っているので、救ってもくれない。まさに「なまうかび」イメージを楽しむところ。(笑えそう)
 そして、最後に、左馬頭は落とし所として次の様に結論づけます。
 生まれも容姿も、もうよい。性格がねぢけなく誠実に家事をこなし安心できる性格であれば表面的な女らしさは自然と後から供わってくる。
 これを瀬戸内寂聴の口から聞くのなら「ああ、さすが」と頷きもしますが、源氏より7つばかり年上とはいえ、まだ青年である人の考える事かと意外な感じがしました。
 最後に、何よりもこの会の魅力は「うち頼むべき」「なのめにさても」「なよびかに女し」「耳はさみ」等など「イメージで読む」そのままなのです。現代語訳は参加者各々でいいということです。(当然あるきまりの中での話ですが)次回も現代語訳は前川綾子で源氏物語を先生の手をお借りして楽しみたいと思っています。(まとめと感想)

今回の困った妻は現代にも通用する。どれも男から見たら困った妻だろう。”耳はさ
みがちにびそうなき”なりふり構わず不器量、その上夫の世話をまめまめしくしない
現代の」妻は左馬頭からどういう評価をされるのだろうか。自分勝手な要求をして結
果として「なまうかび」の人生にならぬよう、相手の気持ちを考えて行動できる妻に
だけはなろうと思う。(井上久代)

先回も意外におもいましたが、この時代の女性は人格が独立していたのだと驚きまし
た。江戸時代(のことも良くわかりませんが)よりも、結婚なども個人と個人の結び
つきという気がしますし、女性に対しても家柄、外見などだけでなく個人の素養が求
められていたのだと意外に想いました。ある意味自分が年を取って、人情のキビが少
しわかるようになったかたかもしれませんが。(池坂明美)

現在にも通じるお話ですね。読み手の方のお声もやわらかく心良く耳に入って来ま
す。(女性)

平安時代の一夫多妻の結婚制度は、どう考えても男性本位と考えていたが、理想と現
実の間で悩む貴公子達の話を聞いていると、妻に求めるものの中に、深い精神性があ
り「わがものとうち頼むべき」と言う風に心の拠り所を求めていることがわかった。
それにしても作者の人間観察の深さには驚く。男が避けるべき困った妻の4タイプ。
現実にいそうである。(塚内千寿子)

難しい古文が読む方によってこんなに心地良く入って来ました。先生の解説もわかり
やすくて時々笑ってしまいます。大変良い時間でした。(山田和子)

左馬の頭の女性論は良く女性の心情が出ていて面白かったです。やはり女性である紫
式部の文章だと思いましたが改めて彼女の人を見る目に驚かされました。左馬の頭の
理想の女性は、やっぱり性格重視。今と共通する部分?じゃないでしょうか。「外見
的な美はいずれあきる」ものなんでしょうね。初参加でしたが来て良かったです。
(中尾和夫)

前回に続いて、とても面白かったです。現代にも十分通用する内容でした。だんだん
読み進むにつれて、本文を読んだだけでは、全く分からない部分も増えてきて、先生
の説明についていけない所もありました。次回が楽しみですが、先の予定が全くわか
りません。(中川美枝子)

第5回 平成17年9月3日 テーマ:いい女の条件とは?いい女は中の品にいる!
例会報告 井上久代
 
17歳になった光源氏。世間の噂では『咎多かる』恋多き貴公子と見られている。しかし本人はその場限りの恋を重ねていくことなどは好まず生真面目なのである。結ばれることの難しい相手に心奪われ思い悩む青年は胸の奥に藤壷への思いをつのらせ『内裏にのみ』多く生活し北の方のいる左大臣邸へはたまにしか訪れない。『長雨晴れまなきころ』五月雨の降り続く夜、帝の物忌みに従って、源氏も内裏の宿直所に逗留している。そこに親友の頭の中将が訪れる。厨子のなかにしまってある源氏あての女の手紙を見たりしているうちに自然に理想の女は?という話になっていく。頭の中将は『すきがましきあだ人』上手に恋を重ねていく貴公子と称されているが、彼が口にしたのは意外にも女性への幻滅であった。『これはしも難つくまじくはかたくもあるかな』これはと思う女はなかなかいないことが最近わかったというのである。
それでは平安朝にあっていい女の条件とは何であろうか。ー紫式部の女性論が展開される。当時女を品定めするにはA手紙、B人の噂、C出身階層などによる。Aの手紙の場合紙質、文字、結んだ草花、などから教養、人柄を推察できる。が女性を取り巻く周囲の影響や違う自分を演じるために技巧をこらすことが可能であり本当の姿をつかむのはむずかしい。男性は女性の『かど』才能があることに多大の魅力を感じ、期待してつきあっているうち実像が現れがっかりしてしまう。噂を信じてはいけない訳である。出身階層の上の品の女性でも、案外拍子抜けするような物足りない人もいる。下の品の女性は論外である。『中の品になむ』中流の女性にこそ注目に値する人がいるのだと頭の中将は言う。
 左馬頭と藤式部丞が加わる。左馬頭はいい女は中の品、『受領』の中にいるという。受領階層は家柄も『いやしからぬ』し、安定した気持を持って暮らしている。『家のうちに足らぬことなど』ない。充分な財力で教養を身につけさせ、いい女にしあげていくというのである。さらに左馬頭は葎の門の奥に暮らす『いといたく思ひ上がった女』の話をする。失意のうちに『ものむつかしげにふとりすぎた』父と『顔憎げ』の兄と手入れもままならぬ家にひっそりと住む、プライドの高い美しい人。若き源氏の興味を引く話ではある。

(感想)

<前川綾子>

 お呼びでない雨夜の品定め

源氏物語といえば雨夜の品定め、雨夜の品定めといえば源氏物語。男が好む女とはどんな女か、マリリンモンローかはたまた、オードリーヘップバーンかと期待しました。ところが正解は「かど、才能」のある女性ということでした。これで私は、男にもてない女、お呼びでない女だということが分かりました。もう、面白くない。
そういうわけで、今回のお話は今までのうちで一番理解のできないことでした。まず、恋のシステムのイメージが膨らみません。すべては女房の手の内にある、腕のよい才覚のある女房に当たれば、良い男がゲットできる。本人の顔、形なんて無いも同然。何しろ薄暗い中での事んp様ですから。この点に関しては私には分があります。もう既に上の品になっている。この女房が発展して、今の見合いの仲人になったのでしょうか。ならば、歴史を感じるけど。
受領の段では、さすが式部。社会評論が冴えてます。人間の本質、社会を見る目、先を読む洞察力は松本清張なみだと。それほどに、分析力、知的な式部が男の理想の女性は才能、つまり、私式部なのよといわんばかりの解答。式部もただの人、式部の人間性を知らされたようで、がっかり半分、親近感半分。人間性と知性とは関係が無いということですが。
それにつけても、源氏の常に斜に構えたポーズはヴィジュアルですね。それに、頭中将とのやりとりでも「手紙はそちらにこそたくさん集まっているんだろう、ちょっと見せたまえ」なんて、誰もが映画監督の才能を刺激されてしまいます。ストーリーを追うだけの源氏も充分たのしいです

<井上久代>
おちゃめで意外な源氏が登場する二つの場面。
1,頭の中将が女性を三つの品に分けた時『いづれを三つの品に置きてか分くべき。もとの品高くうまれながら、身は沈み、位みじかくて、人げなき、また直人の上達部などまでなりのぼり、我は顔にて家のうちを飾り、ひとに劣らじ、そのけじめをいかが分くべき』と迫って頭中将をぎゃふんといわせた

2、左馬の頭が中の品の受領層の女性について熱っぽく語ったとき『すべてにぎははしきことによるべきなり』それでは財力がすべてというわけかい?とからかった

 ふたつとも光源氏は世の中を見ていて知っているんだなあということと、しっかりした価値観があるということが表現されていて興味深く読んだ

第4回 例会報告(平成17年5月21日)テーマ:光源氏の恋と結婚

いよいよ青年になった光源氏の登場です。父帝は、典侍の口利きで亡き桐壷更衣に生き写しの新しい妃「藤壷」を迎えます。母のことは「影だにおぼえたまはぬ」源氏ですが、典侍からとても母に似ていることを聞き、自然に御簾の中で芽生えた恋でした。この源氏の心情を「常にま参らまほしく、なづさひ見たてまつらばや」と本文では表現しています。一方藤壷は源氏を男と意識してその視線から「せちに(ひたすら)隠れ
たまへど」という様子。ところが父帝は我が子に新しい母を「な疎みたまひそ。…なめしと(無礼)おぼさでらうたくしたまへ」と紹介し、子供の恋心には一向に気づかない。とうとう少年源氏は「をさなごこちにも、はかなき花紅葉につけも心ざし(幼い恋心)を見えたてまつる」と藤壷に思いを告白するのでした。その源氏は12歳の成人の儀式と同時に左大臣の娘と政略結婚させられます。源氏の心を占めていたのは藤壷のみで、美しいとはおもうものの左大臣家の娘にはうちとけることができません。娘も源氏の若さに圧倒されて、年上の自分を恥ずかしいと思い込み「いと若うおはすれば、似げなくはずかしとおぼいたり」と心を閉ざしてしまいます。こうして心通わぬ不幸な結婚が始まります。改築させた里の邸、二条院にも左大臣の娘でなく「思ふやうならむ人(藤壷)をすゑて住まばや」と嘆かわしく思うのです。
 ドラマチックに幕を開けた「桐壷の巻」はこうして「光る君」と愛でられ成長した源氏の結婚と恋の痛みに苦しむところで終わります。さて次回はいよいよ「箒木」の巻にはいります。青年達の恋愛談義から女性(人間}ヘ興味・世界を広げていく源氏の姿が新鮮です(まとめ 塚内千寿子)

<前川綾子>

「源氏の結婚」のここがすごい!

 すごい!その1
まず思い浮かんだのがチャールズ皇太子とダイアナ妃との類似性。年齢、美貌の点ではかなり異なるが設定は同じ。つまりダイアナにとっては、父のように甘えられる包容力のある男性が良かったし、チャールズにしても母のような優しい女性が妃であればそれなりにうまくいっていたのではないか。そしてカミラの存在。世間ではよくある話だが、舞台が宮中であるという所がすごい。なにしろ一番のぞいてみたい世界であるから。紫式部は1000年後の、この結婚を知って、今ごろ何と思っているだろうか?益々自信を深めているかな?
すごいその2
 式部がすごい!のは人を見る目だけでなく、それ以上にその手法にあることに気がついた。
  例1 源氏が光るの君といわれるゆえん、藤壷の登場、一方、四の宮の立場、二人の結婚、不幸な予感
読者は完ぺきな女性の不幸は大好きである。これからのふたりの関係を知りたくなるのは当然。
  例2 この手法の極め付けは書きだしの部分。これは田中先生が一番先に教えて下さった事だったのに私は今、気づいた。たいした身分でもない女性が宮中(ここが大事)で一体何があったんだろう?ここで本を閉じる読者はいない。もう、この段階で読者は式部の手に落ちた。
 次回はどんなすごい!を発見できるだろうか。

<土器屋美千代>

源氏は父帝の若い后、藤壷への恋心を抱いたまま、12歳で元服した夜、左大臣家の娘と結婚します。この結婚は母方に後見人のない源氏に、有力な後見人をもたらし、左大臣にとっても大切にそだててきた娘の婿としてこれ以上はない望ましい結婚でした。しかし、源氏より4歳年上の女君は美しい源氏に気後れし劣等感で心を閉ざしてしまいます。この女君のこころは玉の輿ねらいの現代の女性より、私はずっと奥ゆかしく思われ共感できて、今後の女君の言動や生き方を理解する助けになるような気がします。
塚内さんが原文を読み田中先生がかいせつするのを聞きながら昔印刷技術がなくて、写本によってしか書物を読めなかった平安時代、もしかしたら貴族の家々や宮中のつぼねで、声がきれいで読むのが上手な女房のひとりが物語を読み女性達が取り囲んでみんな固唾をのんで読み手の一語一語に聞き入り物語のなりゆきに胸をときめかせていたのかもしれません。そんな風景を想像しました。
 漢字とひらかなだけで語られる原文はもともと私達の祖先が使っていた言葉ですからだんだんに回を重ねて聞きなれてきたら、カタカナ英語とコンピューター言語ばかり並んで理解するのに苦労している現代文と同じくらいには理解できるようになるかもしれません。
 それにしてもここ、千葉市の松波分室ほど源氏を読むのにふさわしい場所は他にないかもしれません。平安貴族の寝殿造りにはおよびませんが、もともと旧家の私邸で、本格的な茶室や池のある日本庭園は広くよく手入れされています。木造二階建のこじんまりとした外観の家は見事な日本建築で建てた大工さんや職人さんたちの腕と誇りが随所にみられます。昨今、新しい家はみんなビバリーヒルズ風の邸宅ばかりで、はずんだきもちにはなりますが、ここは昔の日本の懐かしい落ちついた雰囲気で充たされています。
 さて最後、今回のテータイムは[黄身しぐれ」とおいしい「ささや」さんのおかしがたくさん、それに新茶、そしておしゃべり……何を隠そう、私はこの時間が一番すきなのです。田中先生あしからず。

  <井上久代>

 気の毒な左大臣の娘と光の君

 副臥の妻となった左大臣の娘は本当に気の毒である。彼女は源氏より4歳年上ということ意外(それでも花も恥じらう16歳)何も引け目を感じる必要はないのに!と27歳で結婚した身は思う。春宮の后に望まれたとあれば美しさも教養も申し分なかったろう。家柄、経済力そしてあんなに寛大で婿を大事にする父の子なのだから。
 藤壷を恋する源氏も何とも痛ましい。男の子が母を慕うのは理解できる。まして幼いうちに母をなくしその人に似ていると典侍にいわれて恋心が一層つのるのも当然と思うが、藤壷以外にもっとふさわしい恋愛対象もいたのではないか(もちろん、でも他の人と比べられないほどなにもかもすてきだった)源氏が元服まで宮中で生活したということは優れた美意識、学識などを育てた。しかし6歳から12歳という多感な時代友と遊んだりけんかをしたりなか直りをしたりといった経験を通して学ぶ円満な人間関係、家族観には欠けるところがあったのではないか(源氏にも頭中将という親友がいた)
そこが昭和生まれの庶民と皇子との違いなのだろうか 

 <松本佳子>

元服まで内裏で育った源氏がどのような状況で亡き母そっくりと噂されていた藤壷に会ったのかが私の中の疑問でした。
 帝の父親としての盲目的とも思える愛情の表れで源氏をいつも御簾の内に連れていったことは私にとって驚きでした。内裏で成長したということはこのことも含んでいたのですね。光源氏の人間形成が見えてきたような気がしました 


第3回 例会報告(平成17年2月19日)テーマ:父帝の子育てについて

<井上久代>

「狂言半ばではございますが、口上を以て申し上げます。」と、舞台上の演者が突然平伏して、芝居や舞踏が中断される。歌舞伎役者の初舞台の口上である。まだ口が十分に廻らない挨拶や、一生懸命な演技。まことにけなげで愛らしい。観客も大喜びで、次回も来て成長した姿を是非見たいと思う。
桐壷帝が手元に引き取った幼い源氏を宮中に連れていった姿と、初舞台の子役の姿が重なる。幼いものは動物でも可愛いものである。まして源氏の愛らしさは神々しいなでの美しさ賢さを伴ったものであったろう警戒心の強い弘徽殿女御さえ、ふっと柔らかい心で接することができたほどのものだった。幼い源氏は全ての人々を暖かく優しい気持ちにさせたのだろうと思う

<前川綾子>

今回のテーマは私に言わせれば「源氏は帝に如何に育てられたか」とすべきである。何故なら「こんなふうに育てられた源氏は、これから一体どんな人生を送るのだろう」と、読み手は興味津々にさせられてしまうからである。その事こそが面白い小説「源氏物語」のすごさなのではないだろうか。私個人としては父親としての桐壷帝に興味はない。

<土器屋美千代>

「源氏物語を読む会」に参加しませんかと誘われて最初はあまり気乗りしなかった。私自身仕事もあり、まだ学生の息子もいる、趣味に英語も習っていて、けっこう忙しい。それに高校時代古典はあまり好きでなかったし、卒業後現代語訳で読んで、ストーリーはあらかた知っていた。もう30年前のことだが。しかし松波源氏も3回を終えて、だんだん面白くなってきた。といってもわたしは作者の紫式部に関心が向く。今から千年も昔に中宮彰子の女房という本業のかたわらこれほどの長編小説を書き続けた女流作家のスゴサに感嘆する。登場する多様な人々の心を一人ひとりていねいに描いている式部は冷静な目と豊かな想像力、自由で柔軟な精神を持っていたのではないだろうか。田中先生の解説で原文一語一語の深さを味わう時、式部という稀代の女流作家に近づいてゆけるような気がする、それが楽しみだ。
12歳で源氏にはぺヨンジュンやイビョンホンのような男になって欲しいと、ひそかに期待しているが、国宝源氏物語絵巻のような顔で夢にでてきたらどうしよう?

<矢澤比佐子>

楽しいです。田中先生の熱の入った「源氏物語」の講義はもちろんですが、休憩時間
のおいしいお茶とお菓子をいただきながらのおしゃべり(?)(今回は韓流につい
て)もとっても楽しく、2時間30分があっというまでした。             

< 中川美枝子>

昔から源氏物語は好きで、現代文で読んだり漫画で読んだりしてましたが古文そのも
のに触れるのは高校の授業以来です。かなりわかっているつもりでしたが、今回、こ
の会に参加させていただいて、こんなにも源氏は深かったのかとびっくりしていま
す。世界に誇れる物語文学と言葉では理解していましたが、改めてその素晴らしさに
感動しています。
              

第2回 例会報告(平成16年11月13日)テーマ:母君の人間像について

前回は大変魅力的な桐壺
の更衣について学びました。ではそのような娘を育てた母君とはどんな女性だろう、
何を拠り所として、どのような生き方をしてきた人なのだろうかという事が今回の
テーマでした。
 「いにしへの(由緒ある家柄)人のよしある(深い教養や奥ゆかしさ)にて」とい
う母君ですが、「かへすがへすいさめおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人
もなきまじらひは、なかなかなるべきことに思ひたまへながらただかの遺言違えじと
ばかりに、出だし立てはべりしを」からわかるとうり、ひたすら亡き夫の志をかなえ
させようと、強い意志と行動力で娘を入内させたのでした。華やかな妃の生活を陰で
支える気丈さは母としての深い愛情と誇りがなければなかなかできる事ではありませ
ん。母君は「妻として母としての役割を自覚しそれを全うすることに賭け凛とした姿
勢で生きてきた、だからこそ娘をもごとられたことに納得いかず<心の闇>を抱え
る。 :夫や子に寄り添って生きることで得られる充足感を大切にしていたのでは?
それがあるから他の価値観、出仕の栄達など見向きもしなかった。 家族へ注ぐ深い
愛情が生きる支えとなる。 分をわきまえているので権威に媚びたりしない」(レジ
メより)という人なのです。しかし、娘の入内は自ら選んだ事とはいってもその為に
「横様なるやうにて(非業の死)、ついにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらく
なむ、かしこき御心ざしを思うたまへられはべる。(かえってつらい。深い帝の愛情
がこんな風になるとは…)これもわりなき(言葉でははかれない)心の闇になむ。」
では、誰が悪いのかと自分を凝視し苦しむ母君の苦悩。そして常に「とかくつくろひ
たてて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる(家をきちんと感じ良い具合に気を配っ
ていた)」母君が、今は屋敷が荒れるにまかせて起き上がることもできない程落胆
し、娘の死を悲しみ取り乱す姿に同じ子を持つ母親として(会に参加した)一同、深
い悲しみを共有したのでした。
 田中先生が用意してくださるレジメの各場面のキーポイントとなる言葉を中心に細
部にこだわって読み進めてきましたが、作者の周到に用意された表現の巧みさにたく
さんの発見と共感があった一日でした。
 次回(2月19日)は「桐壺帝」を「父、帝の子育て」
というテーマで学習します。お楽しみに。(塚)
<参加者の感想>

前川綾子
*私の考える母君像、顔の輪郭は意思の強さを示すややえらの張ったおとがいの尖った五角形顔、目は頭脳の明晰さを表すぱっちりとした二重まぶた、鼻は人格を表すように鼻筋が通り(眉間の間が高いということ)もちろん鼻の下は下向き。決して高すぎずだんご鼻であってはならない。そう、若かりし頃の「岡田茉莉子」を私が監督だとしたらキャスチングしようと思う。(今の女優さんでそれ程のキャラクターと持った人を思い浮かべられない)となると娘の更衣には…目下思案中。こういう場合はいいキャスチングにならない。なによりひらめきが一番大事。(三谷幸喜もそういってた)当然、光源氏は優しさとまめさとその他の理由でやはりキムタクだろう(目元と口元がいまいちなのでドンピシャが思い浮かんだら替える)とくると
その親の帝は感情の気弱さと純粋さと高貴さと育ちのよさ、わがままさ(子供っぽさ)とを考えるなら田村亮といったところか。正和はハンサムだがちょっと子供っぽさが無い。ニヒル過ぎる。眠狂四郎の影響かな。眠狂四郎は市川雷三をおいてこれ に勝る者はいない。とこんな具合にまさに『イメージで読む源氏物語」をそのまま地でいってます。この役はこの人でしょうなんて気分はまさに監督!!そしてもう一つ重要なこと。                                             「夕月夜」から「虫の音」までは特にリアルに母君の邸の風景を映像として私の頭のなかに創ることが出来る。これはどうしても9月24日ころに読まなければならない。何故ならこの時期こそが虫の音が一際高く、空気は澄んで、台風一過で月の光が<さはらずさし入りたる>なのである。冬の寒さに震えるところで、夏のギラギラ太陽を実感することは出来ないのである。だから、この箇所は9月24日に読まなくてはならない。すべてをセッチングしてこそ『イメージで読む」の本の読む秘訣だと私は一人、確信しているのである。


第1回 例会報告(平成16年7月10日 参加者8名)
        テーマ 「恋」とは何か

今、冬ソナ人気で純愛という言葉がはやりですが、実はこの物語は恋する帝の登場で 幕があきます。「いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやんごとなきはにはあらねど(それほど高貴な身分ではない) 時めき(外から見た状態で、もてはやされる・愛されるという意味)たまふありけり」という冒頭から、当時の帝は身分の高い女性から大切にしなくてはいけないという掟があるのにそれを破っている帝が登場し読者を驚かせるのです。

 公人と言う立場を貫かねばならない帝なのに、人間として一人の女性に恋してしまいました。立場や理性、人の忠告、周りの批判が一切耳に入らずひたすらこの女性(桐壺の更衣)を愛しくてたまらなく思ってしまう心の不思議を作者は「いよいよあかずあはれなるものに思ほして 人のそしり(批判)をもえ憚らせたまはず(聞くことができない)」と表現しています。帝の恋の波紋は身分社会の中で人々の非難怨恨の対象となり二人は孤立していきます。

 「あまたの御方々を過ぎさせたまひて、ひまなき御前わたりに、人(桐壺更衣以外の後宮の女性達)の御心をつくしたまふ(また、桐壺更衣が呼ばれていると、神経を集中させている様子)も、げにことわりと(語り手も当然と思っている)見えたり」「事にふれて、数知らず苦しきこと(汚物をつけられたり閉じこめられたり )のみまされば、(更衣が)いといたう思ひわびたる(万策つきて困る様)を(帝)はいとどあはれとご覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を、ほかに移させたまひて、上局(控えの部屋)に賜はす。その恨みやらむかたなし(はらいのけようがなかった)」不憫に思った愛する桐壺更衣の為に、元からすんでいた妃の一人を追い出してその局に住まわせるという帝動。参加者の中からも、更衣のために良かれと思ってする帝のすべての行動が逆に更衣をつらい立場に追い込んでいるのではないか、という帝への非難の声があがりました。

 帝も後で述懐しています。「世にいささかも、人の心をまげたることはあらじと思ふを、ただこの人のゆえにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひし果て果ては 」少しも曲がったことはすまいと思ってきたのに桐壺更衣いとしさゆえに人々の恨みをかってしまった、と。そして身も心も病み疲れた桐壺更衣はついに臨終の時を迎えます。向き合う男女として作者は更衣と言う言葉ではなく「女」と言い、死の間際にも歌を詠んで帝の心にこたえようという人となりを作者は伝えています。 (塚内千寿子)


次回は同じ「桐壺の巻」を 母君の生き方 というテーマを切り口にして読んでいきます。 11月13日(土) にお会いしましょう。

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