

今年(08年)初め、文京区アカデミー市民講座で田中先生の「イメージで読む源氏物語 真木柱を読む」講座があり、その受講生を中心に5月に発足した「源氏物語を原文で読む会」です。
「きよら会」の特色は「予習・復習・テストなし」でスタートしたことと、メンバーの三分の一が男性であることです。
月1回、約2時間の読書会ですが、毎回「源氏の世界」に浸りきる喜びを味わっています。ある会員は「毎回登場人物がアリアを歌い上げるような美しい場面が見えてくるような気持ちになります」と言ってます。生命ある限り、続けていこうとメンバー全員張り切っています。
2009年11月12日 「帚木」 感想
「噂話」 「姉妹」 「しのび込み」へと進みました。
源氏が紀伊の守に放った次の言葉が印象的でした。
・「とばり帳もいかにぞは。さるかたの心もなくては、まざましき饗ならむ。」
・「似げなき親をも、まうけたりけるかな。」 「世こそ定めなきものなれ。」
・「さりとも、まうとたちのつきづきしく今めきたらむに、おろしたてむやは。かの介は、いとよしありてけしきばめるをや」
全く新しい源氏の姿に接しました。実に生々しい思いです。
今回寄せられた会員の感想は、以下の通りです。 (文責 高松)
〇女君(空蝉)の芯の強さ、気位の高さ、なかなか源氏のくどきにも落ちない次の場面が待たれる、興味あるプロローグでした。
〇いつの世も噂話は女につきものでしょうか? 週刊誌のタネはつきませんね。
源氏の性格がいろいろわかってきて、興味津々です。
〇女性の運命 父親の死によって入内の話がなくなり、弟の面倒を見るためか、身分の低い高齢の伊予の守の妻となる。
この運命が、源氏の同情もあったのか? 魅力的に見えたのか? 心(気持ち)が高ぶり近づいて行くが、どうなりますか。
私としてはつっぱねてほしいですが・・・・・
〇平安貴族の生活は想像できないのであるが、階級によって部屋、寝所が違うのは面白かった。
また、医学が発達していなかったので短命だった。母との死別も多かったであろう。源氏のようなマセた子がでてくるわけである。
源氏のこれからの出来事がどうなることか。
〇「思ひあがれるむすめ」に興味を抱く源氏。
自分の噂話に夢中になっている女房たちを仕切り越しに観察する源氏。
伊予の介の後妻や連れ子になった「姉弟」への源氏の思い。
帚木もいよいよ佳境に入ったようである。
〇回数を追う毎に、源氏の君の鋭利な感性に不思議な驚きを覚えています。
〇その時々の社会の状況によって、人の年齢とその成熟の度合いは一定しないことは自明の事です。例えば、明治維新前後に活躍した人々の年齢を、現代のそれと比較すれば驚くばかりですから。
ここでの源氏が17歳前後としても、今の同じ年と比ぶべくもない事です。しかし、それにしても源氏は人の世のことに深く思いをいたしている事がよく分かります。
式部は、源氏を中心とする当時の社会に生きる人たちの群像をとおして、人間社会の様相を深く広く私たちに伝えてくれています。そこに、この物語の汲み尽くせない魅力があると私は感じております。
2009年年10月8日 [帚木」感想
長い長い「雨夜の品定め」から、物語は「源氏と女房たち」「方違へ」「中の品の家」へと進みました。私達はこれからまた新しい源氏像に接していくわけです。
源氏と「大殿」「北の方」「紀伊の守」とのかかわりを、「女房たち」や「中の品の家」を背景に、物語は重層的且つ多面的に描いていきます。これからの展開に、私達一同身を乗り出す思いをしております。
今回寄せられた会員の感想は、以下の通りです。 (文責 高松)
〇厳しい階級社会で、未知の社会を見る目が夫々の立場によって違った目線である事がわかり、興味深いものがありました。
〇女性論で夜を明かし、梅雨の間の晴れ間が切っ掛けで、いつも頭のすみにある左大臣への気持がよみがえり、気がすすまない家に帰る所から2冊目がスタートする。
これからが楽しみです。
〇源氏は紀伊の守の屋敷に案内され、女房供と会うのを楽しみにしているなど、興味を女性にもつところが面白い。
それを秋の風情を背景にして描写しているところが、紫式部の文学的に優れているところなのだろう。
〇源氏と妻の行き違いが気になる。人ごとではないようで。
とり込み中の「紀伊の守」の慌てた有様、その気持ちがよく分かる。急に人が訪れて来る時、大忙しで部屋を片付ける自分のように。
〇@今日の学習「源氏と女房たち」から「方違へ」へ移る前に、先生の解説部分(テキストP9〜11)を読む時間があると、もっと理解し易いと思います。
予習をしてこないのがいけないのですが、解説を読む時間が欲しいです。
A「はづかしげ」、「さうざうし」、「なやまし」等、1000年の間に意味が違ってきている言葉は、いつ頃から変化してきたのだろうか。
〇父君の左大臣様は几帳隔ててごあいさつ。紀伊の守様は酒のさかな求めて、こゆるぎ 急ぎ歩く。今日の源氏はちょっと楽しいかな。
上の品と中の品の違いがよく描かれていると思います。
〇深夜に近く、飲み会の挙句の果て、上司が「家庭訪問」と称して、お供を引き連れ我が家を襲ってきたときの様子が目に浮かびます。そういえば家内の機嫌がそのあと1週間ぐらい悪かった。すまじきものは宮仕えですね。全く。
2009年9月10日「帚木(雨夜の品定め最終回) 感想
「帚木」に進んで9ヶ月、「蒜食いの女」を最後にようやく「雨夜の品定め」を読み了えました。
最後に源氏は「人ひとりの御ありさまを、心のうちに思ひつづけたまふ。これに、足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかなと、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。」様子であったとあります。
次回からは「イメージで読む源氏物語U」へと進みます。振り返ってみると、08年5月にスタートしてから「遥けくも来つるものかな」との思い一入ですが、物語はまだまだこれからです。物語の新しい展開への期待に、メンバー一同胸を膨らませています。
今回寄せられた会員の感想は、以下の通りです。(文責 高松)
〇雨夜の品定めもいよいよクライマックス。
当時の公達がたの教養の深さが垣間みられて 面白く感じました。
手紙の返事はすべからく早く、一日延ばしにすると とめどなくなりますので、あまり こらないでと思います。
〇この時代ににんにくを食べていたとは驚きました。(それも女性が)
逃げようとする藤式部丞の「逃げ目をつかひて」の表現が確かに面白いです。
それでも女性は追いかけたいと思う気持ちで、「この香失せなむ時に立ち寄りたまへ」と。
逃がさないと言う必死さが伝わってきます。
逃げるなと言いたい。
〇にんにくを喰べたために、男に去られて、歌を相聞する。優雅なひとこまである。
紫式部は、これらの男女についても詳細に叙述している。
驚きである。
〇女はこうあるべきと決められていた時代の女性にも、「蒜食いの女」のような女性がいたことがおもしろい。
現代のトップレディ――雅子様、鳩山夫人――を見たら、どう思うかしら。
〇高熱に苦しむこの才女の元へ、もし若くて美しいエクセントリックな文章の生から、蒜の花を添えた漢詞の恋文が届いたら、どう反応するか想像して楽しくなってしまいました。
しかし、古の雅の世ではありえないことですよね。
この才女、好きな学問をさらに深め、父上を超えた陰の博士になってほしいです。
〇冷厳な階級社会の様相を垣間見た思いがしました。ここまで、あまり描かれることがなかった下級貴族の姿を見ることができたのです。
「蒜食いの女」は登場した女性の中では異色で、むしろ現代では他の女性よりも高く評価されるのではないでしょうか。勿論過ぎたるは及ばざるが如し、ですが。
2009年8月13日 「帚木」 感想
「常夏の女」の講義を受けました。常夏の女は、中将の理解の枠を超えた存在で、ここでもまた男と女のすれ違いの物語が語られています。
常夏の女は次のように描かれています。
中将が「いと忍びて見そめた」人で、「さても見つべかりしけはひ」で「ながらふべきものと」は思わなかったが、「馴れゆくままに、あはれとおぼえ」た。中将は「たえだえ忘れぬものに思」っていたところ、「さばかりなれば、うち頼めるけしきも見えき。頼むにつけては、うらめしと思ふこともあらむと、心ながらおぼゆるをりをりも」あったが、女は「見知らぬやうにて、久しきとだえをも、かうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて」、中将は「心苦しかりしかば、頼めわたることなども」あった。女は「親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、ことにふれ思へるさまもらうたげなりき。」
女が「かうのどけきにおだしくて」中将が「久しくまからざりしころ」、中将の北の方より女に「情けなくうたてあることをなむ、さるたよりありて、かすめ言はせたりける」。このことは後に中将が聞いたことで、女に「さる憂きことやあらむとも知らず、消息などもせで久しく」たった頃、女は「むげに思ひしをれて、心細かりければ、をさなき者などもありしに、思ひわづらひて、撫子の花を折りておこせたりし。」
女の文には『山がつの 垣ほ荒るとも をりをりに あはれかけよ 撫子の露』とあった。
中将が「思ひいでしままにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて、虫の音にきほへるけしき、昔物語めきておぼえはべりし。」
中将が『咲きまじる 色は何れと わかねども なほ常夏に しくものぞなき』と詠みかけると
女は『うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり』と返した。
しかし女は「はかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見」せなかった。中将はそのさまを見て「涙をもらしおとしても、いとはづかしくつつましげにまぎらはし隠して、つらき思ひ」をしていると見られるのを、女が「わりなく苦しきものと思」っているのだろうと勝手に思い込み、「心やすくて、またとだえ置きはべりしほどに」、女は「あともなくこそかき消ちて失せにしか。」
こうした結果を招いた中将は、まだ失ったものの大きさに気づいていないし、まともな反省も出来ずにいます。その浅はかさについては、以下の感想文の中でメンバーから完膚なきまでに叩きのめされている次第です。また、皆さんの同情を一身に集めた「女」との再会が、この先あるとのことですので、私たちはその機会を楽しみにして更に読み進んで行くことといたします。
〇常夏の女が後の夕顔の事かと思うと、とても感慨深いものがあります。
頭中将の正妻にもきつい事を言われ、源氏とつき合うようになってからは、六条御息所にとりつかれて哀れな死に方をするにつけて、この方は印象深い存在です。
〇経済生活を、たよらなければならない女性の生き方として、何とあっぱれ。
そして自信過剰の男の・・というか男性一般の、女に求めるものの何と理想の高い事。
古しえでも今でも決して見つからないでしょうが、人間よくしたもので、人は好き好きだろうと思い楽しく読んでいます。
〇常夏の女(夕顔)が中将の所より姿を消して、その後どのようにして生活し、又どのような形で光源氏と知り合い寵愛を受けるようになるのか、そうなった時、中将の心情はどうだろうか?
楽しみです。
〇中将の女性観は、最後笑い話でまとめたが、常夏の女(撫子)の古歌を踏えて和歌で文を寄せる教養のある女性を、もっと大切にすればよかったと後の後悔先に立たず、当時の男性の浅はかさを知ることが出来た。
現代においても言えることである。
〇社会通念は変わっていても、男女の心の機微は本質的には変わらない。
これから源氏がかかわって行く女性の伏線も垣間見えて、ますます楽しみです。
〇この様にもの静かで賢くて、主人を立てる女は素晴らしい。
現在であれば妻の鏡であると信じます。
それに引き換へ石頭の中将は男ではないぞ。
少しは女の立場に立って考へよう。
〇@常夏の女は、どんな恐怖からのがれるために身をかくしたのだろうか。
当時のことを考えると直接殺されるとかではなく、呪いとか、もののけによるわざわい等のたぐいのことを、ほのめかされたのだろうか。
A常夏の女と中将は、どういうきっかけで知り合ったのだろうか。
〇教養の有る貴族の人達は和歌で会話ができるということですが、会話とはつくづく難しいと感じました。
場面は撫子と常夏の花をそえて美しいです。
この女性は、中将よりもっと人間が大きい男の人に巡り会えればいいと切に願います。
〇私なら、こんな人は絶対捨て置かないなぁ。中将は苦労知らずの「ボンボン」で、「猫に小判」「豚に真珠」と言ったところでしょう。
2009年7月9日 「帚木」 感想
「指喰いの女」から「木枯の女」へと進みました。
「指喰いの女」では男と女のすれ違いや行き違いが、そのまま交わることなく悲劇的な結末を迎えました。短い文章の中に、複雑な葛藤のさまが細やかに描きつくされていることに感銘を覚えます。
一方「木枯の女」では、全く対照的な女が描かれています。当時の貴族社会での男女の交情の様子が、臨場感をもって語られていて、興味が尽きないところです。
左馬頭の打ち明けた秘め事に、源氏は「すこしかた笑みて」「いづかたにつけても、人わろく、はしたなかりける身物語かな」と言い放ちます。
今回寄せられた会員の感想は、以下の通りです。(文責 高松)
〇指喰いの女も 木枯の女も 面白く拝見しました。
平安時代と思えない程 リアルで 奥深く 細やかで 筆者に敬服致しております。
〇一途に自分を愛してくれた指喰いの女と、一段上に思っていた木枯の女、どちらも思い通りに行かず、思わず天を仰ぐ左馬頭の姿が目に浮かぶ。
〇左馬頭の女性遍歴を聞いていて、作者式部の男性観がわかる。冷静に、つきはなして男性を見ていて、恐ろしいまでに的を射ている。
〇(今日のへぇ〜) 木枯の女 こんなにドライな女は、現在は掃いて捨てる程いる。当時、話題になる位稀だったのですね。
とても雅やかな状況が現出してすばらしい。
〇姫は、左馬頭が自分の気持ちを分かろうとしないので、悲しすぎて、うつ病になって衰弱死してしまったのでしょう。
左馬頭の子供っぽい、そしてこっけいな、何か憎めない可愛いいところが、実はこの姫様好きだったのかもしれません。
かわいそうだったけど、確かに好きな人に愛された姫でした。
〇当時の貴族社会のさまざまな出来事を、式部はどのように取材したのでしょうか。その豊富で多彩な内容に何時も驚かされます。
またその時代の女官達の生活がどんなものであったのかも、興味を覚えます。
2009年6月11日 「帚木」 感想
「指喰いの女 其の一・二」を読みました。
左馬頭が「はやう、まだいと下臈」であった時「あはれと思ふ人」がいた。「容貌などいとまほにもはべざらしかば、若きほどのすき心には、この人をとまりにとも思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、とかくまぎれ」ていた。「もの怨じいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからで、おいらかならましかばと思ひつつ、あまりいと許しなく疑ひはべりしもうるさくて、かく数ならぬ身を見も放たで、などかくしも思ふらむと、心苦しきをりをりもはべりて、自然に心をさめらるるやうに」なっていた。
その女は「思ひいたらざりけることにも、いかでこの人のためにはと、なき手をいだし、後れたる筋の心をも、なほくちをしくは見えじと思ひはげみ」、「ものまめやかに後見、つゆにても、心に違ふことはなくもがなと思」えるありようだった。そして「進めるかたと思ひしかど、とかくになびきて、なよびゆ」く。「みにくき容貌をも」、「見やうとまれむと、わりなく思ひつくろ」う。「うとき人に見えば、おもてぶせにや思はむと、憚り恥ぢ」る。「見馴るるままに、心もけしうは」ないのだが、左馬頭は「ただこの憎きかた一つなむ、心をさめ」できずにいた。
「かうあながちに従ひおぢたる人」だろうから、「いかで懲るばかりのわざして、おど」せば、「このかたもすこしよろしくもなり、さがなさもやめ」るだろうと思って、「まことに憂しなども思ひて絶えぬべきけしきならば、かばかり我に従ふ心ならば思ひ懲り」るだろうと「ことさらに情けなくつれなきさまを見せて、例の腹だち怨ずる」女に、左馬頭は言い放ちます。
「かくおぞましくは、いみじき契り深くとも、絶えてまた見じ。限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。ゆくさき長く見えむと思はば、つらきことありとも、念じてなのめに思ひなりて、かかる心だに失せなば、いとあはれとなむ思ふべき。人なみなみにもなり、すこしおとなびむに添へて、またならぶ人なくあるべきやう」などと。
左馬頭は「かしこく教へたつるかなと思ふたまえて、われたけく言ひそしはべ」ったのです。
ところが意外にも女は「すこしうち笑ひて」左馬頭に返します。
「よろづにみだてなく、ものげなきほどを見過ぐして、人数なる世もやと待つかたは、いとのどかに思ひなされて、心やましくもあらず。つらき心を忍びて、思ひなほらむをりを見つけむと、年月を重ねむあいな頼みは、いと苦しくなむあるべければ、かたみにそむきぬべききざみになむある」と。
左馬頭は、女が「ねたげに言ふに、腹立たしくなりて、にくげなることどもを言ひはげましはべるに、
女もえをさめぬ筋にて、指ひとつを引き寄せてくひてはべり」
左馬頭は「おどろおどろしくかこちて」、こんな疵がついては宮仕えも出来ない、もう昇進もかなわ
ない、世を捨てる身になってしまった「など、言ひおどして『さらば今日こそは限りなめれ』と、この指
をかがめてまかでぬ。」
左馬頭の残したうた
「手を折りて あひ見しことを数ふれば これひとつやは君が憂きふし えうらみじ」に、
女は「さすがにうち泣きて」
「憂きふしを心ひとつに数へきて こや君が手をわかるべきをり」と返します。
ここへ来て、「帚木」がにわかに面白くなってきました。千年前の壮絶な「夫婦喧嘩」に引き込まれ
長々と原文を引用してしまいました。
ここでは、男(夫)、女(妻)の果てしなく続くすれ違いや行き違い、そして決して交わり溶け合うことのない葛藤が、実に生々しく描かれています。それは男の側からで、しかも筆者は女性なのです。この取り合わせは、絶妙というほかありません。
講義終了後、人形コレクターの会員宅、そして「おでんや ふみ」へのにわかツァーに出席者全
員が参加し、コレクションの素晴らしさや、「とまり」と「よるべ」などの話題で大いに盛り上がりました。
今回寄せられた会員の感想は以下の通りです。 (文責 高松)
〇雅びな時代なのに、指喰いの女とは驚きでした。喰いという言葉が強烈だったのですが、その時には噛むという言葉が無かったとの事。
愛情表現がとても興味深い事でした。
〇いつも男を待つだけの受身な女にも、意地があることを感じました。
「すこしうち笑ひて」は、自分へのなさけなさも含めた笑いのようにも思います。
現代でも「とまり」だけでなく「よるべ」も必要かもしれませんね。
〇女の嫉妬、男のうぬぼれ。いつの世でもが程々が・・・・
人間模様が楽しい!!
〇左馬頭の女性観が述べられているが、現代の男性と変わりなく、指をかじられるに到る話が面白かった。
このように奥行きのある文章は、漢文で書かれなくて、さすが「ひらがな」を使ってこそ書かれた。まさに、ひらがなの誕生なくして「源氏物語」はなかったであろう。
〇男と女の愚かな自尊心が生んでしまった悲しい話です。
この二人には、憎めない親しみを感じています。
古典落語の秀作が生まれそうです。
〇男の身勝手、浅はかさ、思いあがり、世間体のみを気遣う愚かさなど、哀れな男の姿が余すところなく描かれています。
一方、健気できめ細かい心遣いを決して忘れない、やさしい女の姿も見事に描かれています。
でも、自らの矮小ともいえる感情をうまくコントロールできない、「業」とも言える女の姿も的確に描いています。(この点については、ご婦人方の多くのご批判があろうかと思います。それは甘んじてお受けいたします。)
2009年5月14日 「帚木」 感想
「法の師左馬頭」を読みました。
左馬頭は「よろづのことによそへておぼせ」として切り出します。
【木の道の工】
「臨時のもてあそび物」は定まった形がないので、見た目がしゃれていて「時につけつつ、さまをかへて」今風の面白いものが出来る。しかし「大事として、まことにうるはしき」「調度の飾りとする」ような「さだまれるやうある物」は実用品の飾りだから、それ自体地味で目立たないけれど、それを「難なくしいづることなむ、なほまことのものの上手は、さまことに見えわかれはべる。」
【絵師】
「絵所に上手多かれど」「劣りまさるけぢめ」はすぐには「見えわかれず。」
唐絵の画材では「人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海のいかれる魚のすがた、唐国のはげしきけだもののかたち、目に見えぬ鬼の顔などの、おどろおどろしく作りたるものは」「ひときは目おどろかして、実には似ざらめど、さてありぬべし。」
しかし大和絵の画材ように「世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家居ありさま」は「げにと見え」る。「なつかしくやはらいだるかたなどを、静かにかきまぜて」遠景の「すくよかなる山のけしき、木深く、世離れてたたみなし」、近景の「け近き籬のうちをば、その心しらひおきてなどをなむ、上手はいといきほひことに、わろものは及ばぬ所多かめる。」
【書】
「深きことはなくて、ここかしこの、点長にはしり書き、そこはかとなくけしきばめるは、うち見るに、かどかどしくけしきだちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、今ひとたび取りならべて見れば、なほ実になむよりける。」
左馬頭は「はかなきことだにかくこそはべれ。まして人の心の、時にあたりてけしきば
めらむ、見る目の情けをば、え頼むまじく思うたまへ得てはべる。」と結びます。
〇今日の木の道の工も、絵の上手、手の道の処も現代に通じて、とても面白く思いました。殊に書
については身につまされて、読んでいて恥じ入るばかりでした。
〇絵所(絵を司る役所だというが、共同作業をしていたという)。このようなことがすべての分野で行われたとのこと。絵が残っていないのは残念。
〇暇つぶしとはいえ、何だか和やかで長閑な場面です。
得意気に講釈を並びたてる左馬頭、それを素直に一所懸命聴いている中将。
しどけなく狸寝入りをきめこんで、「下らんな」と思いつつも、けっこう会話を楽しんでいる源氏。
登場人物全ての人の良さ、育ちの良さが伺えます。
なるほど、とどのつまり良いものは良くて、誤魔化しは効かないですよね。
〇表面の美しさが大切なのではなく、ほんとのものを見抜かなければならない、それは妻選びでも同じだとのご託宣です。ありがたく承りましたが時既に遅しであります。夫と妻、男性女性を問わず、お互いに思うところは同じでありましょう。
「侘びさび」に通底する美意識が、当時既に日本人の中に形成されていたことも興味深いところでした。
2009年4月9日 「帚木」 感想
「甘えた妻」から「女の心変わり」まで進みました。
なおも左馬頭は夫婦(男女)の思い違い、すれ違い、行き違いについて語り続けます。そこで述べられていることは、現在の私たちのそれといかほどの違いがあるでしょうか。驚くばかりです。
面白いなぁと思ったところを幾つか拾ってみます。
「今はただ品にもよらじ、容貌をばさらにも言はじ」「ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむよるべをぞ、つひの頼み所には思ひおくべかりける。」
「心一つに思ひあまる時は、言はむかたなくすごき言の葉、あはれなる歌を詠みおき、しのばるべきかたみをとどめて、深き山里、世離れたる海づらなどにはひ隠れぬかし。」
「心ざし深からむ男をおきて、見る目の前につらきことありとも、人の心を見知らぬやうに、逃げ隠れて人をまどはし、心を見むとするほどに、長き世のもの思ひになる、いとあぢきなきことなり。」
「濁りにしめるほどよりも、なまうかびにては、かへりてあしき道にもただよひぬべくぞおぼゆる。」
「心はうつろふかたありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、さるかたのよすがに思ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。」
「すべてよろづのことなだらかに、怨ずべきことをば、見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも、にくからずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。」
「あまりむげにうちゆるべ見放ちたるも、心やすくらうたきやうなれど、おのづから軽きかたにぞおぼえはべるかし。つながぬ舟の浮きたるためしも、げにあやなし。」
ここまで言われるとご婦人方からは「何事ぞ」との怨嗟の声が聞こえてきそうです。
今回で講義は12回を数えました。この間に新しいお仲間をお二人お迎えできたこともあり、久しぶりに全員で食事会を催し親交を深めました。
今回、会員から寄せられた感想は以下の通りです。(文責 高松)
〇思い立って尼になって了ったものゝ後にも引けず、こんどは後悔して思い悩む様子は興味深く、さぞかしと思います。現在でもよくある話だと思います。
〇古来より男が女に対するものは同じ。都合が良すぎる!!
〇左馬頭、中将、源氏、三人の男性の性格が浮き彫りされ、式部のするどい観察がつづく。
〇男心、女心は千年経ても変わってないものだと感心しました。
善い女と好きな女、妻にしたい女とは夫々違うんですね。やっぱり。
〇家出を敢行して、尼寺に行って、何だか分けがわからないまま尼さんになってしまって、べそをかいている妻は私の目にはとてもかわいく映ります。
さっさと迎えにいかない夫などいらないでしょう。
〇「言はむかたなくすごき言の葉」や「あはれなる歌を詠みお」かれることもなかった私は、かのひとは「あつれきに身も心も疲れ果て、やむにやまれぬ思い」であったのかなぁと、ぼんやり考え込んでいました。
2009年3月12日 「帚木」まとめと感想
「家の主」から「妻の条件」へと進みました。
左馬頭は続いて語ります。
「おほかたの世につけて見るにはとがなきも、わがものとうち頼むべきを選らむに、多かるなかにも、えなむ思ひ定むまじかりける。」
「狭き家のうちの主人とすべき人一人を思ひめぐらすに、足らはであしかるべき大事どもなむ、かたがた多かる。」
「とあればかかり、あふさきるさに」思い悩んでも、「なのめにさてもありぬべき」ほどの人でも少い。それなのに「ひとへに思ひ定むべきよるべとすばかりに、同じくは、わが力いりをし、なほしひきつくろふべき所なく、心にかなふやうにもやと」するから「選りそめつる人の、定まりがたきなるべし。」
しかし「かならずしもわが思ふにかなはねど、見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひとまる人は、ものまめやかなりと見え、さてたもたるる女のためも、心にくくおしはからるるなり。」
美人で若く思わせぶりな振る舞いの女にやっと近づけても「なよびかに女しと見れば、あまり情けにひきこめられて、とりなせばあだめく。これをはじめの難とすべし」ということにもなる。
妻の役割に「なのめなるまじき、人の後見のかた」がある。それには「もののあはれ知り過ぐし、はかなきついでの情あり、をかしきに進めるかた」は「なくてもよかるべしと見え」るが、「まめまめしき筋を立てて、耳はさみがちに、びさうなき家刀自の、ひとへにうちとけたる後見ばかりをして」いるだけなのも困る。
夫は「公私の人のたたずまひ、よきあしきことの、目にも耳にもとまるありさまを、うとき人」には言えないので、「近くて見む人の、聞きわき思ひ知る」妻と「語りもあはせばやと」望み、「うちも笑まれ、涙もさしぐみ、もしは、あやなきおほやけ腹立たしく、心ひとつに思ひあまることなど多かるを、何にかは聞かせむと思」うから「人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ、あはれともうちひとりごたるるに『何ごとぞ』など、あはつかにさし仰ぎゐたらむは、いかがはくちをしからぬ。」
「ただひたぶるに子めきて、やはらかならむ人」は「心もとなくとも、なほし所あるここちすべし。」しかし「をりふしにしいでむわざの、あだごとにも、まめごとにも、わが心と思ひ得ることなく、深きいたりなからむは、いとくちをしく、たのもしげな」い。「常はすこしそばそばしく、心づきなき人の、をりふしにつけいでばえするやうもありかし。」
ここまであからさまに、男の女性に対する見方や願望がこの物語に描かれているとは思ってもいませんでした。ことの善し悪しは別にして、また時代の違いを超えて、今もそれは殆ど変わっていないでしょう。そんなこともあって今回は長々と原文を引用してみました。
今回寄せられた会員の感想は以下の通りです。(文責 高松)
〇(今日のへぇ〜!)昔の妻えらびは、男の人がいろんな条件をつけたのですね。
現代というより私の時代は親の決めたもので、後は二人の努力で、お互いに思いやりの気持ちで生活するよりなかったと思います。
〇(今日のへぇ〜!)女にとって、結婚することが生きていく上での大へんなことであるという事が良く理解できましたし、大変な努力がいる事と、現代に生きれた事をよろこんだ事です。
〇(今日のへぇ〜!)式部の時代の女性評は、なかなか微に入り細に入りで興味深い事ですが、現代にも通じていると思いました。
〇本居宣長は源氏物語の基調が「もののあはれ」、風流だといったという。
私は、今までの講義を聞いて、男女(人間)の真実に迫る小説ではないかと思う。一千年の歴史を超える文学である。
〇左馬頭という人は、女の人に「あなたって、良い人ね」と軽くあしらわれそうな人のように、私には感じられます。本当に善良な人ですよね。
私が男なら「耳はさみがちの、びさうなき家刀自」の奥さんをとても可愛いく想って、色々お手伝いしてあげて、用事が終わったら「ごくろうさんでした」とねぎらって、奥さんの為に用意した立派で美しい「くし」を、毎回さし出してあげることでしょう。
〇(今日のはてな?)妻訪い婚のこの時代に、家の中に入れる「つま」を誰がどのようにして選んだのだろうか。親にも勧められたのか。
(感想)理想の女性はこうあってほしいという男たちの雑談を、女性が書いているところが面白いです。
〇男女や夫婦のすれ違いはもう千年も前から始まっていて、未だに何も変わっていない。暗然たる思いです。
男性の女性観は「ないものねだり」で身勝手きわまると、きっと女性は思われていることでしょう。
でもご安心ください。残念なことに、女は男なしで生きていけますが、男は女なしでは生きていけないのです。
2009年2月12日 「帚木」 感想
物語は「三つの品」「今時の中の品」「葎の門」へと進みました。
そこでは、源氏、頭中将それに左馬頭・藤式部の丞も加え、彼らの女性観が続いて語られています。
それはそれとして、ここでは源氏はどのように描かれているか見てみましょう。
・頭中将が「『見劣りせぬやうはなくなむあるべき』とうめきたるけしきもはづかしげな」るさまに、源氏は「いとなべてはあらねど、我もおぼしあはすることやあらむ、うちほほゑみて、『そのかたかどもなき人はあらむや』とのたま」います。
・頭中将の「いとくまなげなるけしきなるもゆかしくて」、源氏は「『その品々やいかに。いづれを三つの品に置きてか分くべき。もとの品高く生まれながら、身は沈み、位みじかくて、人げなき、また直人の上達部などまでなりのぼり、我は顔にて家のうちを飾り、人に劣らじと思へる、そのけぢめをいかが分くべき』と問ひたま」います。
・「世のすきものにて、ものよく言ひ通れる」左馬頭の品定めの数々に、源氏は「『すべて、にぎははしきによるべきななり』とて、笑ひたま」います。
・語り手は、源氏を「いでや、上の品と思ふにだにかたげなる世を、と君はおぼすべし。白き御衣どものなよよかなるに、直衣ばかりを、しどけなく着なしたまひて、紐などもうち捨てて、添ひ臥したまへる御火影、いとめでたく、女にて見たてまつらまほし。この御ためには、上が上を選りいでても、なほ飽くまじく見えたまふ。」と述べます。
こうして私たちは、17歳に成長した源氏の人となりや佇まいを、更に深く知るところとなりました。
今回寄せられた会員の感想は以下の通りです。(文責 高松)
○この時代には、これ程 “かたかど” という事を重要に思っていると思っておりませんでしたので、その言葉の “かた.かど” に、とても面白く感じました。
○家柄というものは昔も今も同じで、成金の人はいかに贅沢にすべてをしても、品がともなはない。やはり気位は高くもつといいのかも? それも困りものかもしれません。
それ相応に勉強するのもいいかも。女の品定めも現在とかわらないかも・・
○進化していない人のこころ。 男性が寄れば話題に上る事々。 女も男も変らな−い!!
○源氏、左馬頭などの男性の女性論は、それぞれが率直な意見交換をしている。しかも身分差も意識しているのが面白い。
○男たちの話す「女の品定め」は、あまりにも具体的でかつ的確、しかも現代の私たちから見ても違和感が殆どありません。
そこで描かれている女性観は、@式部のものなのか A特定の男性のものなのか B式部が見聞きした複数の男性たちのものなのか Cあるいはこの「帚木」の著者は式部ではなく男性ではないのかなどなど、ある意味では荒唐無稽とも言える疑問が限りなく広がります。
それにしても源氏物語はほんとに面白いですね。また、式部の取材力にも驚かされます。
2009年1月8日 「帚木」 感想
物語は一変しました。源氏は既に17歳、近衛中将の地位にあります。
頭中将とは「夜昼、学問をも遊びをももろともにして」、「心のうちに思ふことも隠しあへずなむ、むつれ」あう仲です。
「つれづれと降り暮らして、しめやかなる宵の雨に」、源氏の御厨子にある文どもを頭中将は「わりなくゆかしがり」ます。源氏は、「さりぬべき、すこしは見せむ、かたはなるべきもこそ」とかわしますが、頭中将は、「おのがじし、うらめしきおりおり、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見所はあらめ」と食い下がります。
こうしたやり取りの中にも源氏は、「言少なにて、とかくまぎらはしつつ、とり隠す」複雑な表情を見せます。
そして物語は、いわゆる「雨夜の品定め」につながっていきます。
「帚木の巻」はこうして始まりました。先生のお言葉によれば、読了には一年ぐらいかかるとのことです。「桐壺」とは全く違った物語のありように、メンバーは戸惑いつつ、今後の展開におのがじし胸をときめかせています。
今回寄せられた会員の感想は以下の通りです。(文責 高松)
〇いよいよ源氏も17歳となって、現実味をおびて、先々が楽しみになって参りました。
雨夜の品定めの前に、こんな事が書かれているのも知らず、さわりの処ばかり覚えていたと反省致します。
〇源氏の時代は通い婚という事もあって,男の人は割合に自由な生活をしていた様です。非常に真じめとあった様に見えても、仲良しの頭中将とのやり取りで、女の人にまめだったのでしょうね。
恋文が沢山あった様ですから、頭中将はそれを大変うらやましく思っている様子も見えます。でも大した人は見えなかった様にも見えますが・・・。
〇帚木の巻
絵物語を読んでいる様だった前巻から一気に現実に引き戻された。
婿を大事にする親心、女性の人をみる眼力の鋭さにおどろきます。
〇恋文は男から先に出すということは、光源氏が先に手渡しているのであろうから、相手の手紙を識りたいと思う中将の心は、源氏の心を識りたかったのだと思う。
〇次回本論に入る男性の恋愛論、きっと現代に通じるものと思い、楽しみ。
〇源氏が急に身近かな人になってきました。
我が日々の反省もかね、今年は性格改造致しましょうか?
〇雨の日のつれづれに、若者二人が若者らしい会話をしているのが、何かほほえましいです。
こんな折に、多感なお姫様達は女房と何を語り合っているのでしょうか。
〇がらっと変わった物語のトーンに驚きました。でも源氏と頭中将の語り合いに、現在の私たちとどれほどの違いがあるでしょうか。自らはすきがましきあだ人のくせに、女の、これはしもと難つくまじきはかたくもあるかなと言い放つのには笑ってしまいました。
一気にリアリズムの世界に引き込まれましたが、これから先にロマンもあると先生がおっしゃっていますので、それを楽しみに読み進んでいきたいと思っております。
2008年12月11日 「桐壺」(最終回)感想
きよら会での読書会が始まって8ヶ月、長大な物語の序曲に当たる「桐壺」をようやく読み終えることができました。
「帝と更衣の愛」「若宮の誕生」「更衣の死」「藤壺との恋」「元服」「結婚」そして「さまよう魂」へと、物語は光源氏の成長に合わせて、重厚な展開を示していきます。
この日は参加者一同で「望」年会を催し、あらためて、「命ある限り」源氏の世界を読み続けていこうとの思いを確かめあった次第です。
新しい年から始まる「帚木」に胸膨らむ思いです。
今回寄せられた会員の感想は以下のとおりです。(文責高松)
〇源氏物語を原文で読む、8回を終了し桐壺1帖を読み終わったところで物語の面白さが深まる一方で、これからが益々楽しみになります。
禁断の恋の行方はいかに?
〇源氏は元服式を終えた後、直ちに有無をいわさず(一昔前の日本もそうであった様ですが)意志に反して四才年上の気位の高い姫君を妻に迎えざるをえない不幸があった。
その故から母似の、帝の后藤壺の面影が忘れられず、もんもんとした気持ちで過ごす。
これからどう展開するか、気にかかる事です。
〇いよいよ桐壺の巻も終わり、始めから読んでみて(いつも途中からでしたので)、後の展開の理解のためにも非常に大事な事がよく分かりました。
うい冠りの式の有様など、読んでいるうちに眼の前に浮かぶようで優雅な気持ちにひたる事が出来ました。
〇五月から始まった源氏物語の原文による勉強、今日で桐壺が終わった。
一千年前に書かれた日本語のもつ素晴らしさ、難しさを楽しんだり悩んだり、これからか帚木以後五十三帖どこまで行き着けるか・・・。やはり楽しみでしょう。
〇絵巻物のように華やかで豊かな元服式の様子が目に浮かびます。
子供の世界から追放された源氏の切れ長の美しい瞳が、悲しく凛と輝きました。
〇桐壺も読み終わって、いよいよミステリー小説が始まった。
本居宣長は「もののあはれ」が基調となっているとするが、私は恋愛小説として読んでゆきたい。
〇本日はとても面白かったです。
毎回のことですが「おぼしいたつく」など、今まで聞いたこともない言葉が次々に出て来て、いつも新鮮な気持ちにさせられ、勉強した気持ちになります。
帚木が楽しみです。
〇桐壺の帖を読み終えて
華やかな宮中の出来事にはじまったが、人と人(男と女)とが織りなす心の綾と言うか、葛藤とかが次第次第に複雑になり、深くなり、読み手の心を引きつけてしまう。
この帖の終わりになって、複雑に絡まり合った心の糸が、上手くほどけるのだろうかと気が気ではない。
〇これからの物語を暗示する桐壺の終わり。 古文のおくゆきの深さに今更ながら感服します。 何時の世でも変わらぬ父の心情(帝でも)が読み取れました。
〇一千年の時空を超えて、「人間の物語」が私たちの今の心を捉えます。一月に一回、それはこの物語の世界に浸りきる至福のひと時です。私だけではなく、読んでいく中で絵巻物を観るように、またアリアを聴くように、視覚と聴覚も同時に刺激を受けるのはなぜでしょうか。不思議なことです。
2008年11月13日 「桐壺」感想
物語は「藤壺入内」から「少年源氏の恋」、そして「后と御子」・「元服式」へと進んでいきます。
四の宮の母后も「あな恐ろしや」と「おぼしつつみて、すがすがしうもおぼし立たざりけるほど」でしたが、帝の「ただわが女御子たちの同じ列に思ひきこえむと、いとねむごろに聞こえさせたま」いて姫君の入内が実現します。
帝は更衣を「おぼしまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなうおぼし慰むやうなる」様子です。
源氏は藤壺のもとへ「常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばや」と思います。
帝は藤壺に源氏を「な疎みたまひそ」「なめしとおぼさで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」と頼みます。
源氏は藤壺に「をさなごこちにも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見」せています。弘徽殿は「こよなう心寄せきこえたまへれば」「またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、
うちそへて、もとよりの憎さも立ちいでて、ものしとおぼし」ています。
一方「世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむかたなく、うつくしげなるを、世の人光君と」「藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と」たたえます。 (以下次回)
今回寄せられた会員の感想は以下のとおりです。(文責 高松)
〇日本語=古語の奥深さと趣き深さが何とも心地良く思います。
〇いよいよ物語の始まり。
源氏の君として登場。恋心芽生へる。
〇少年の恋心、今も同じですね。
一千年の 令(とし)を感じさせない 花もみじ
〇(今日のへぇー!) 12歳の少年、源氏が、16歳の、父帝の妃に恋心を抱く。どうしても理解できないが、当時の年代は別として、父は判らないで終わる程、空気を読めない(KY)人間であったか。
〇昔の宮中の生活様式がよく分かり興味深い。ここで源氏が少年となって現われ、母似の人にほのぼのとした気持ちを抱くたぐいまれなる美しい少年であった事でしょう。
これから二人の間に出来る事を、ワクワクした思いで待って居ります。とても楽しい一時でした。
〇「かかやく日の宮」とはにごりが無いだけですが、何とも「かがやく」とは別のひびきがあって、優雅さがただよってきました。光君と日の宮が、可愛らしくしのばれます。
〇帝は、桐壺とは無明の恋に沈んだけれど、「日の宮」に対してはそこまでの愛は読み取れないので、私としては嬉しいです。
光源氏も藤壺も、本当の若く清らかな初恋ができて良かったと思います。
(今日のはてな?) 帝の血液型はO型?
2008年10月9日 「桐壺」感想
回を重ねて、物語は「若宮の微笑」から「藤壺入裏」に差し掛かってきました。
7歳になった若宮は「いみじき武士、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべきさま」で
「今よりなまめかしうはづかしげにおはす」様子です。また「わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲居を響か」す天賦の才能を示します。
高麗人の相人は「帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。おほやけのかためとなりて、天下を輔くるかたにて見れば、またその相違ふべし」と見立てます。
帝は「無品の親王の外威の寄せなきにてはただよはさじ、わが御世いと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ」「きはことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど」「源氏になしてたてまつるべくおぼしおき」と決断します。
さて、物語はここで急転、先代の四ノ宮が登場し、新たな展開が始まります。(以下次回)
このような物語の展開に、会員一同「源氏の世界」に引き込まれ、毎回深い感動を覚えています。以下会員から寄せられた感想です。(文責 高松)
○今更ながら、式部の物語の構成の巧みさに感心します。短い言葉に秘められた奥深さに、ますます楽しくなってきました。
○光源氏の誕生!!で、心がワクワクです。次回の読書会が楽しみです。
(今日のはてな?)藤壺はじゃー兄妹ではないのか?臣下の姓は全部源氏?調べてみたいです。
○先生が読んで下さると、自分もすらすらと読んでいる気分になります。説明も分かりやすく、知りえた気分になります。少しずつ勉強です。
○「相人おどろきて、あまたたび傾きあやしぶ」のところで、ふとThe BeatlesのNowhere Manの歌を思い出してしまいました。
♪He’s a real nowhere-man? Sitting in his nowhere-land? Making all his nowhere plan for nobody♪
光源氏はまさにどこにも属さず、どこにもいない。しかし、チャーミング(魅力と魔力)。そして高貴
なダイヤモンドみたいな人。でも、ダイヤモンドがあっても幸せ(とは限らないし)、孤独からのがれ
る方法はありませんね。
○帝が高麗相人に考えを聞くなど、また倭相・宿曜などに見させて自分の考えを決めるなど、当世風で面白いと思いました。
○昔から占いにたよる事が多かったという事がよく分かり、又源氏のいわれがはっきりして、とても面白かったです。
○源氏の姓を賜い、ただの人になったことは、はたして適格な判断であったのかどうか。
(今日のへぇー!)@更衣なきあと、藤壺の登場と、人変わりしてきた帝の心境。 A高麗人が宮中を出入りしていたこと。
○(今日のはてな?)帝が外国(高麗人)の言葉を少しぐらい話せたのかな?
○6回を重ねて、すでに物語の興味深さにどんどん引き込まれています。
(今日のへぇー!)親が子を思う心、男が女を思う心、いつの世も変わりがないと思いますが、現代は少し変わってきているのでしょうか。驚く様な事件に心が痛みます。
○段々馴れるのでしょうが、主語→語り手を探すのに苦労しています。
○(今日のへぇー!)若きスーパーチャイルドついに現わる。上流階級の人は、当時の国際語である中国語で高麗人の相人と文(ふみ)など作りかわす程になっていた。
○主人公の人となりが、多角的・多面的に描きあげられ、特に先回の終わり「今は内裏にのみさぶらひたまふ」から、更に深くそれを知ることができました。主人公を中心とするこの物語が、今後どういう展開をとげていくか興味津々です。
2008年6月12日 「桐壺」感想
すべての生活が身分階級できまっていて命を保つことへもつながっているというのが大変な社会だと思いました。そしてそのためにもなのでしょうか、いじめもすごい!!人の心というのは平安時代から同じで変わっていないというのもすごいと感じ入っています。日本語の奥深さ趣深さがすばらしいです。
わたしが参加したのは単に員数合わせみたいなつもりでしたが、興味が出てきましてこれからが楽しみになりました
西川祥子
帝も普通の人だったのですね。子を失った母のなげきがひしひしと伝わってきました。時代が変わっても同じです
小山美智子
今までは帝が一方的に桐壺更衣を愛してやまず、そのしつっこさにかのじょはさぞありがた迷惑をしていたと思ってました。
しかし今回の読書会で彼女の帝に対する甘美な敬愛の情に気づきました。私が描いていたあの有名な渡り廊下の光景もすっかりかわりました。彼女は誇らしく立派に花道を勤め上げたのです。帝に告げ口をして何らかの報復もできたはずなのに、女徳をふりまいてそのような帝を困らせる事はしなかった。彼女は高潔な人だと思います。周囲から追い込まれ痛めつけられるほど、帝の腕の中に愛と安らぎを求めたのだと思います
愛が彼女に死をもたらしてしまったことはとてもかわいそうですが、人の心は変わるもの、帝の桐壺更衣に対する愛も、桐壺更衣の帝に対する愛もいつか必ず色あせていきます。彼女はこの上ない麗しい花を咲かせ枯れる前に美しいままで散っていったのです。
天はごく希にこの地上に信じられないほど美しい、だからこそはかない魂をパラパラとばらまくのかしらとふと感じました。
光源氏が美しいのは桐壺更衣だけが美しかったのではなく帝も美しかったのでしょう、絵になりますね
平井明子