CARTIER/EBEL

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創業年

1847

創業者

ルイ・フランソワ・カルティエ

創業地

フランス パリ

現在地

フランス パリ

創業年

1911

創業者

ユージン・ブルム

創業地

スイス ラ・ショード・フォン

現在地

スイス

「宝石商の王であるがゆえに王の宝石商」カルティエ。

カルテイエが腕時計を製作したのもかなり古く、3代目のルイ・カルテイエが親友の飛行機乗り、ブラジルのコーヒー王の息子のサントス・デュモンのために1904年に作った時計、通称「サントス」が最初の腕時計です。

このモデルは1911年には、一般に市販されました。

ルイ・カルテイエはその後、第一次世界大戦で初めて導入された戦車を見て、そのキャタピラからヒントを得て代表作「タンク」を生み出しています。

1988年にはピアジェ、ボーム・メルシーを買収。

1992年には、フランスの現代建築を代表するジャン・ヌーベルが設計した時計工場をスイスのサンティミエに新設しています。

1900年代前半は、EWC(ヨーロッパ・ウオッチ&クロック・カンパニー)製のムーブを腕時計や置き時計に使用、それらはオークションで高額で取り引きされ、パテック・フィリップと人気を二分しています。

1972年、カルテイエの高級ライターを作っていたロベール・オックがカルテイエ・パリの社長となり、彼は「レ・マスト・ドゥ・カルテイエ」という、カルテイエのいわば廉価ラインを創設。

そこで、デザイン性に優れ、安価で大量に製造できる時計メーカーとして、エベルに白羽の矢が立ったのですね。

エベルは1911年にユージン・ブルムによってスイスのラ・ショード・フォンに創設されました。

社名の由来は、ブルム夫妻の名前、「Eugene Blum et Levy」の頭文字をつなげたものです。

その後はさほど目立たぬ時計メーカーとして存在していました。

1974年、3代目のピエール・アラン・ブルムが社長に就任。

エベルはカルティエの時計製造を一手に引き受け、「時の建築家」をキャッチフレーズに、クオーツ・ショックのまっただ中の1970年代、スイスで異例の大躍進を遂げます。

カルティエはなぜ、オメガやパテック、ジャガールクルトのような有名メーカーでなく、エベルに時計製造を依頼したのでしょうか?

当時、カルテイエ側はウオッチ本体に「PARIS」と表記するようにこだわり、スイスという文字を嫌っていました。

スイス製品に、「SWISS」とせず「PARIS」と表記することはマドリッド条約に違反しますが、ブルム氏はそれをうまく逃れるやり方を知っていたのでしょう。

昔ながらの有名メーカーは、「PARIS」と表記するのはそのプライドが許さなかったのか、あるいはクオーツ・ショックで他ブランドの時計を製造する経済的余裕がなかったのかもしれません。

ところで1970年代、スイスの最大手のオメガは、セイコーのクオーツ発表に血迷い、それまでの堅実な機械式時計製造を止めて、クオーツ時計の開発に全力をあげていました。

ここでオメガが犯した最大の間違いは、

1.アナログクオーツを嫌い、デジタルクオーツの開発・販売をメインにしたこと

2.それまでの優秀な機械式ムーブメントの製造をやめ、かなりコストダウンしてクオリティが落ちるもので当座をしのごうとしたこと

なんですね。

アナログクオーツを嫌った理由は、セイコーとは違うものをつくる(セイコーのアナログクオーツを世界の非主流派にする)、というオメガのプライドのせいか、あるいはオープン型ステップモーターのパテントの関係だったのかもしれません。

いずれにせよこのオメガの選択は全くの的外れであって、それまで営々と築いてきた高級時計のイメージを一気に地に落とすものでした。

とくにアメリカでは、1970年代に発表されたオメガのデジタルクオーツの安っぽさにあきれかえり、その10年間でオメガのアメリカ市場はほぼ消滅したそうです。

今回、私もこの腕時計博物館開館にあたって、いろいろ資料を調べ、そういう経過を知ってびっくりしました。

つまり、1970年代から80年代前半にかけて、「オメガはスイスの高級時計メーカーである」というブランドイメージを保っていたのは、なんと世界中で日本だけだった、のですね。

たぶん、日本ではセイコーとの関係上、安っぽいデジタルクオーツは輸入販売しなかったし、ムーブがクオリティダウンしたとはいえ、コンステレーションシリーズは相変わらずクロノメーター規格の高級ウオッチとして日本では認知されていたのです。

それに、コンステレーションCタイプというモデルは、デザインがあの時計界のピカソ、ジェラルド・ジェンタなんですね。なので、デザイン的にも一流のものでした。

もちろん、「栄光のスペースウオッチ」スピードマスタープロフェッショナルの存在も忘れることはできません。日本人は、ああいう歴史的な物語には、とても弱いのです。

ということで、日本以外、アメリカそして本家のスイスでもオメガは壊滅状態だったわけで、困ったのが小売店系列です。

スイスは日本と違って、店ごとに扱うブランドが決まっています。

日本のデパートみたいに、あらゆる時計メーカーのものを扱う、ということはしません。

1970年代、ロレックスは安定していたため(ロレックスの項参照)、ロレックスを扱うブッヘラー店は安泰。

ライバルのグベリン店はオメガ取扱店の最上位店として甚大な被害を受けていました。

オメガと特別の関係にあったアンバサダー店をはじめ、オメガを重点商品とする小売店はみな深刻でした。

なにしろ、肝心のオメガがボロボロで、まともに売れる高級機種がないのですから。

そこへ颯爽と現れたのが、エベルです。

エベルはオメガより少し上の価格帯で登場しました。

「十分に現代風な外装デザインとクオーツムーブメントという組み合わせはロレックスに対する良い対象であり、オメガに取って替わるには格好の商材だ。(中略)これからという時期に、エベル社は宣伝活動にも充分な支出ができる特別の状況下にあったのだ。オメガ取扱い店はこぞってエベルを取り上げた」(スイス時計交流記  久下晴夫著 グリーンアロー出版社より抜粋)

カルテイエをつくっている時計メーカーというブランドイメージの上昇も相まって、1980年代にはエベルはスイスにおいてロレックス、カルテイエに次ぐ第三番目の売り上げを誇るまでになりました。

実質上ウオッチメーカーとしては第二位はエベルだったのです。

エベルはこの大躍進をバックに、1980年代後半にウオッチ以外のアクセサリー販売にも乗り出し、エベルブティックをニューヨーク、ロンドン、ミュンヘン、シンガポールに開店。

ところが、こういう商品の多角化と急激な店舗展開は、やはり1992年に資金難をきたして、1993年にはアラブ系国際資本傘下に組み込まれることとなり、三代にわたる同族経営は終止符を打ちました。

現在は1999年にLVMH(ルイヴィトン・モア・ヘネシー)グループの一員となり、「エベル・スポーツ」に代表されるオーソドックスなエベルデザインの時計を毎年発表しています。

Name

Circa

Case

Mov

Ref

Cal

SANTOS 1988 SS&18KYG Automatic

札幌パルコの西武PISA で昭和63年に購入。

現在は復活していますが、当時、自動巻は製造を中止しており、わざわざ探してもらって、東京から取り寄せてもらいました。35万円。

ローマ数字の7時のV の字の細いほうは、よくみると小さくcartierと描いてあります。こういう、「隠し文字」があるんですね。

裏蓋のない一体成型で、防水仕様。

基本的には、エベル・スポーツと共通のデザイン・構造をしています。