SEIKO

創業年
1881
創業者
服部金太郎
創業地
東京・京橋
現在地
東京都中央区京橋
まずはセイコーの歴史を「国産時計博物館」「世界の腕時計」などをもとにご紹介します。
1881年に、服部金太郎が服部時計店(現在の服部セイコー)を創業。当初は輸入時計の小売り、卸と修理が主でした。1886年には、年間時計輸入量が3万7000個を数えたそうです。1892年3月に時計製造工場として精工舎を設立、同年7月には掛け時計の生産を開始し、1895年には国産初の懐中時計「タイムキーパー」を、1913年には国産初の腕時計として有名な「ローレル」を発売。このローレルのムーブは、スイス・AS(ア・シールド)社55番のコピーだといわれています。
1923年9月の関東大震災で精工舎の工場はほぼ全焼してしまいましたが迅速に復興し、1924年12月には腕時計の生産を再開。1937年には精工舎から腕時計・懐中時計の部門を分離・独立して第二精工舎を設立、腕時計の需要増に備えました。
1941年、太平洋戦争が始まると、精工舎は軍需協力工場となり、戦局が緊迫化した1943年から工場疎開を開始します。
1945年、終戦を迎え、諏訪、仙台、富山、桐生に疎開していた第二精工舎の各工場は亀戸に集約することになりましたが、諏訪工場だけは「精密工業を発展させて東洋のスイスを目指したい」という地元の強い要請により、現地に残りました。
こうして、セイコーのなかには第二精工舎(通称・亀戸)と第二精工舎諏訪工場(1959年に地元の協力工場であった大和工業と合併、諏訪精工舎となる・通称・諏訪)という、二つの時計製造会社が存在することになり、お互い切磋琢磨して「世界のセイコーを目指す」ことになるわけです。
1946年からはまず諏訪で、1948年からは亀戸で腕時計の生産を再開しています。その後は、スイス時計のコピーではなく、精度の高い自社ムーブの開発、生産に励むわけですね。
諏訪のスーパー(1950年7月)に対して亀戸のユニーク(1955年6月)、亀戸のユニークに対して諏訪のマーベル(1956年6月)、諏訪のマーベルに対して亀戸のクロノス(1958年5月)、亀戸のクロノスに対して諏訪のクラウン(1959年3月)。
そしてついに、1960年8月、諏訪からクラウンベースのグランドセイコーが発売になります。これに対して、1961年8月、亀戸はクロノスベースのキングセイコーを発売します。
・・・というように、「ひとつのセイコー」のなかに「二つの時計製造メーカー」があって、お互いをライバル視して競争していた・・・とも見えるのですが、実際、当時のトップクラスの技術者たちはそういうドロドロした気持ちはまったく無く、ただひたすら「スイス高級時計に追いつき、追い越すこと」を目標に頑張っていたとのこと。その結果として、傍から見ると競争しているように見えたのでしょう。
この辺がシチズンとちがうところで、当時のシチズンは業界の次男坊ですから、「セイコーに追いつき、追い越せ」をスローガンに掲げて頑張っていたようです。
たとえばクルマの世界では、むかし、ニッサンがスペシャリティーカーである二代目レパードを発表した際、自動車評論家の巨匠・徳大寺有恒氏が、こう評していたのが思い出されます。
「目標がソアラじゃ、ソアラに負ける」
この言葉はとても印象的でした。結局、トヨタとニッサンの行く末は、このころにもう決まっていたのかな、という気がします。
シチズンの場合は、初期のクオーツ開発には遅れをとったものの、その後は世界を目指した時計作りに励んだため、ニッサンのようにならなかったのは喜ばしいことですね。
さて、いまでこそ、セイコーといえば「世界のセイコー」ですが、昔は、スイスの高級時計と比較すると、ほとんど勝負にならない「普及品」の扱いでした。そもそも、「世界のセイコー」というコピーは、1950年代からあったらしいのですが、輸出数も少なく、世界レベルでいえばまったく根拠の無いものだったのです。そこで、精度の追及と同時に、セイコーの名前を世界に知らせる手段として、1964年からスイス・ニューシャテル天文台クロノメーター・コンクールに参加することにしたのですね。
参加にあたっての、セイコーの内部資料から抜粋します。
まえがき
SEIKO 時計を世界一流のコンクールに出品でき、上位の成績を得ることができたならば宣伝価値は非常に大きいであろう。ここで特にスイスの時計コンクールのうち腕クロノメーターおよびマリンクロノメーターの部門について実状を知り
1) 日本の時計の寄託の可能性
2) 宣伝価値
3) 技術的内容
4) 舎製時計との比較
について調査し今後の参考とする。
以上の結果、ニューシャテル天文台には寄託でき、最高位を獲得できないにしても、1等賞を何個か獲得できる見通しはついた。1等賞というのは後に述べるが減点値85点まで全数入賞できることになっており、1960年には92個、1961年には107個1等賞を得ている。しかし、1等賞を得るには現在の時計をさらに改良しなければならない。・・・・・(後略)
昭和39年2月4日
スイス時計コンクールについて
諏訪精工舎 研究課 第一研究係
「我々の目的意識は強かったと思います。理屈じゃなく“スイスを超える時計を”という頑張り、熱意。個人の力と総合力の発揮という言葉が当社の理念にもありますが、それはこのコンクールを経験しなければ出てこなかったものかもしれません。その意味では、当社の根幹をなす理念をつくったのが、この天文台コンクールではなかったかと思います」
(1963年当時・諏訪精工舎取締役・中村恒也氏・談)
スイス・ニューシャテル天文台クロノメーター・コンクールの成績です。
1964年、第二精工舎、最高位153位、諏訪精工舎。最高位144位。
1965年、第二精工舎、最高位124位、シリーズ賞(企業賞)6位。
諏訪精工舎、最高位114位。
1966年、第二精工舎、最高位9位、シリーズ賞(企業賞)3位。
諏訪精工舎、最高位104位、シリーズ賞(企業賞)6位。
1967年、第二精工舎、最高位4位、シリーズ賞(企業賞)2位。
諏訪精工舎、最高位12位、シリーズ賞(企業賞)3位。
つまり、4回目の参加にして、メーカー別ではなんと2位と3位を独占してしまったのです。なお、メーカー別の1位はオメガでしたが、当時のスイスメーカーは相当あわてたと思います。そして翌1968年、セイコーは1位を目指して5回目の参加をしました。
・・・ところが。この年、諏訪精工舎の出品直後に、突然腕クロノメーター部門はコンクール中止となりました。それは、あまりにもセイコーの時計の精度が良すぎて、シリーズ賞(企業賞)1位間違い無しの成績だったからなのです。結果のみ発表されたのですが、第二精工舎、最高位2位、諏訪精工舎、最高位4〜8位。まさに上位独占状態です。スイス時計業界の面目にかけて、1860年頃から始まったとされるこの歴史あるコンクールで、東洋の新参者にはなんとしても1位を渡したくなかったのでしょう。
そこでセイコーは、急遽、同年10月にジュネーブ天文台コンクールに出品。4位から10位までを独占、腕時計部門総合1位を獲得しました。1位から3位までは、スイスCEHの水晶時計だったので、機械式腕時計の精度では世界のトップに立ったわけです。
その成功の大きな原因は、スタッフがみな若く情熱的であったということと(スイスでは50ム60才代の調整者がほとんどでした)、なんといっても「高振動化」でしょう。1968年天文台コンクール出品の最終モデルは、15振動と20振動だったのですが、実際は50振動までテストした、ということです。結局、市販モデルでは10振動が耐久性から考えて限界である、ということで、天文台コンクールの経験と技術を生かして市販した、61グランドセイコーVFA、45グランドセイコーVFA、天文台クロノメーターは10振動で発売されました。
とくに量産モデルであるVFAは、日差プラスマイナス2秒、月差プラスマイナス60秒の精度を2年間メーカー保証する、という世界でも例を見ない機械式時計の究極の精度を実現したものでした。当時のパテックですら、こんな時計の発売はしませんでした。現実的には、いまの安手のクオーツくらいの精度だと思いますが、なにしろ歯車で動く機械式時計の精度ですから、それはもう、驚異的なものです。
さらにセイコーは、1969年12月25日に世界初の量産水晶腕時計、「クオーツアストロン」を発表と同時に発売。当時、45万円で発売されたこの時計、それに引き続くクオーツ時計の波で、スイス時計業界は壊滅的打撃を受けました。
・・・もっとも、発売当時は、クオーツ時計がこれほど世界的衝撃をもたらす、とはセイコー自身も思ってはいなかったふしもあります。
「スイス時計交流記」の著者、銀座和光元取締役・九下晴夫氏は、その著書のなかでこう述べています。
「当初は、高精度という時計産業界の、いや熱心な消費者の、願望して止まないものに向けての新しい可能性、というくらいが私や私の同僚の理解だったと記憶している」
わずか4年間で、精度では機械式時計の頂点に達したセイコー。そして、それに引き続く、クオーツ時計の大成功によって、1970年代前半、セイコーは機械式時計に訣別の宣言をします。
そう、当時のセイコーのポスターに、こういう言葉があるんですね。
「Someday all watches will be made this way」
そして、1972年9月、19グランドセイコーVFA、61グランドセイコーVFAの発売を最後として、セイコーはついに高精度機械式腕時計の開発を休止します。
・・・それから30年。
その間、1980年代に入って機械式腕時計が世界的に劇的な復活を遂げたのはご存知のとおりです。当時のセイコーの技術者達は、機械式時計をいったん捨てたセイコーやいまのセイコーをどう見ているのでしょうか。
「良かったと思うのは、とにかくメカ時計であそこまでやって、それでクオーツに移行したということですね。もし、あそこまでやらないでいたら、悔いが残ったんじゃないですか」(当時・第二精工舎・設計課長・久保田浩司氏・談)
「僕なんてものすごい表現をしたんだな。“メカ時計の研究はおしまいにする。もうやることはない”と豪語して、時計研究係を解散してクオーツに移りました。でも今のスイスのトップメーカーの製品を見ると、我々が当時やっていなかったことをしっかりやっている。“あ、やられた”と思ったね。だから“もうやることはない”なんて言わずにメカ時計を中断せずに続けてきたら、現在のセイコーはもっと進んでいたと思いますよ」(当時・第二精工舎・時計研究係長・小牧昭一郎氏・談)
「機械時計というのはやはり芸術品であり、これほど素晴らしいものはないんです。たとえばトゥールビヨンとか、パーペチュアル・カレンダーとか時打ち(リピーター)という時計が本当にできてから、やめるべきだったのかもしれません。そう考えると、やはり時計の一番素晴らしいところが、日本ではまだ実現できてないんじゃないでしょうか」(当時・第二精工舎・時計研究係・依田和博氏・談)
これらOBの熱い想いを背景として、1998年11月27日、機械式グランドセイコーが復活しました。以前のグランドセイコーよりもさらに厳しい条件に改訂されたGS規格のもと、「GS検定・歩度証明書」付きでの発売。検定日数は17日間、平均日差+5〜−3秒、6姿勢差、3差温度差、2種類の温度係数設定という、スイスCOSCのクロノメーター規格を上回る厳しさです。今後は依田氏の発言にあるような複雑モデルの開発や、昔製造した機械式腕時計のメンテナンスにも力を入れて欲しいところですね。
最後に、偉大なる創設者、服部金太郎氏の叱咤激励の言葉を紹介させていただきます。
「成功に酔うな。後ろを見るな。前を見て、つぎの成功に向かえ」
(この項は、徳間書店刊・THE SEIKO BOOK から多数引用させていただきました)
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Crown Chronograph 1960's SS Manual,21jewels 5719A
インターネットの個人ホームページから購入した、セイコークラウンクロノグラフ、通称セイコーワンプッシュクロノです.1964 年 3 月製造開始(諏訪)、キャリバー 5719A、21 石、18,000回転/時(五振動)、30 m防水.
このモデルはセイコーのクロノグラフのなかでもとくに人気が高く、美品で 9 万円から12 万 円くらいで取り引きされているようです.おおむねその 1/3 くらいのお値段で譲ってもらいました.発売当時の定価は 8,500 円でした.
東京オリンピックが開催されるときに発売された、日本で初めての腕時計のクロノグラフで、これを腕に付けてオリンピックを観よう、というようなキャンペーンがあったようです.裏ぶたには聖火マークつき.ただ、購入したモデルは研磨のせいでほとんど消えています.先に写真のようなカレンダーなしのプラスチック回転ベゼル付きのものが発売されたのですが、壊れやすかったため、のちに金属ベゼルに変更されたとのこと.このへんは、ロレックスのGMTマスター初期型と同じですね.
オリンピック終了後も数年間販売されていたようで、カレンダー付きも発売されました.カレンダーつきには聖火マークはなく、たつのおとしごマークだそうです.
私のこのモデルは初期型で、ベゼルに多少傷はありますが、ダイアルは奇麗で程度は良いほうでしょう.購入したところからは、この時代のクロノグラフは弱いのであまりパチパチやらないように、との注意がありました.いまのデイトナでも、むやみにパチパチやると壊れる、という話がありますね.
ベースが手巻きの普通の腕時計ですから、クロノグラフとしてはとても華奢な感じがします.クロノ針も折れそうに細いです.
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PROFESSIONAL
DIVER 600m1975 TITANIUM Automatic 6159-7010 6159
1975年当時、89000円で発売された、自動巻きダイバーウオッチの最終兵器、600mダイバー です。先年、ヒストリカルシリーズとして復刻版が発売されましたが、これはオリジナルモデルです。
当時としては、極めて珍しいチタン合金ケースのモデルで、グランドセイコーに準じた高性能のキャリバー6159Bを搭載しています。
当時は軍事目的等、特殊用途を意図して製造されたのではないかと考えられます。
私のこの時計は、ヤフーオークションで手に入れたもので、セイコーの正規オーバーホールを受けており、風防ガラス、内装パッキン交換済みで、「600メートル防水保証」となっています。
この時計を開発したのは、現在「時計創造家」として有名な徳永幾男氏で、氏はその後も一貫してセイコースポーツウオッチの開発の中心となっていました。
自動巻き600mダイバーを初代(1975年)とすると、二代目(1978年)はクオーツの600mダイバー、三代目(1986年)がクオーツの1000mダイバーなのですが、なんとすべて外装パーツに互換性があるんですね。徳永氏いわく、「二代目を開発した際に、機械時計と水晶時計のムーブメントの断面寸法や文字盤の足位置などを互換性があるように設計した」そうです。
なので徳永氏自身、ムーブが一代目の自動巻きキャリバー6159、ケースが二代目の金色硬化処理チタンケース、外胴のプロテクターが三代目の高靭性ジルコニアセラミックス製のブラックボディという、三代合作のスペシャルウオッチをお持ちだそうです。
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KING SEIKO Calendar 1960's SS Manual,25 jewels 4402-8000 4402A
1999 年 6 月のある日、デパートでアンティーク市があるというので、出かけてみました.比較的国産時計が多かったのですが、やはりお値段は高め.デパートのほうに売り上げの 20 %の手数料を取られるので、仕方ないそうです.
まあ、きょうもたいしたことないなーと思って回ってみていたら、45 GS一本、KS 二本発見.GS は当時の箱付き、12 万円ちょい.56 KSは、当時の箱、説明書つき、6 万円.どちらもデッドストックではありませんが、まあまあの程度でした.それともうひとつ、この 44 KS です.お値段は、56 KSよりさらに安かったですが、ねばって消費税サービスとしてもらいました.マニアから買った、とのことで、多分オーバーホール直後であろうとのこと.たしかに、ゼンマイを巻く感じや針を回した感じは軽やかで、調子良さそうです.文字盤そのものはかなり奇麗ですが、バーインデックスにやや荒れあり.純正の尾錠つき.全体に奇麗で、当時としては、けっこうお買い得のモデルでした.
トンボ出版、「セイコークロノス」によると、このモデルは1965 年 9 月に亀戸で製造開始.25 石、18,000 回/時(5 振動).SS 側は当時 15,500 円.後期型です.
だいたい十日くらい使用したところの精度では、トータルでマイナス七秒くらい.もう、驚異的に良いです.姿勢差により、若干の進み、遅れがあることがわかったので、夜寝るときすこし進めたいときはリューズを上、遅らせたいときは文字盤を上にしておきます.朝になると、だいたい時間に合っている、というわけです.
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45 KINGSEIKO 1971 SS Manual 4502-7000 4502A
亀戸製、初代の10振動時計です。1968年製造開始、当時17000円の高級機でした。このキャリバーをベースとして、翌1969年に有名な天文台クロノメーターやグランドセイコーV.F.Aが発売されました。
イソザキ時計宝石店・店主の「時計小話」によれば、このキャリバーはとても精度が出しやすく、「復活して欲しい手巻きキャリバーのナンバーワン」だそうです。
現在、セイコーは若い時計設計士がコンピューターで設計した時計を送りだしているわけですが、どこか昔の「実用を考えた、最高精度を目指した機械」とは違うような気がします。
当時の図面は残っているでしょうから、ぜひそのままのカタチで復活して欲しいものです。
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Quartz VFA (38SQW) 1970's SS Quartz 3823
セイコーは 1969 年に世界初の量産クォーツ腕時計を売り出したわけですが、この VFA は諏訪の第二世代の水晶振動子、38SQW を搭載しています.38SQW は1971 年開発で、この VFA は 1975 年のカタログに載っています.カタログ上の月差は± 5 秒ですから、いまの基準でみても立派なものです.
実際に精度を測ってみると、一年間で約1秒(!)以内の誤差でした.これはもう、年差クオーツといってもいいくらいで、凄すぎます.
当時の価格は 135,000 円.機械式のグランドセイコー VFA も同じくらいのお値段でした.いまは、機械式 VFA は 80 万円以上の値段が付いているそうですが、このクォーツ VFA はいまは閉めてしまった、 G-COLLECTOR から 4 万円くらいで購入.大きな木箱、説明書付き.
説明書の一ページ目には、この時計はJCIIの水晶腕時計検定基準によるAAA級試験に合格した高精度腕時計ですなんて書いてあって、JCII ってなんだ?と思ったら、つぎのページに検定基準の表がありました.JCIIというのは、日本クロノメーター検定協会のことだったんです.五日間の検定だったようで、資料的に面白いので載せておきます.当時の水晶振動子は手作りでしたので、個体差が大きく、そのために機械式クロノメーターに準じたような検定をしたのでしょう.さらにページをめくるとクォーツの作動原理が図解で説明してあって、時代を感じさせます.VFAというのは特殊モデルなため、修理・調整はSEIKOに持ち込んでくださいと書いてありました.
JC2水晶ウオッチ試験基準 試験項目
基準値(単位:秒)
基準日差 常温における五日間の平均日差 ±0.20
平均日較差 常温における五日間の相隣日較差の平均 ±0.03
姿勢特性 常温における五姿勢の各日差 ±0.30
温度特性 5℃、40℃における日差 ±0.40
耐磁性 30エルステッド直流磁界をかけたあとの日差 ±0.30
耐振動性 30-120Hz.加速度2Gの振動を1時間加えたときの日差の変化 ±0.30
デザイン的にも性能的にも今でも十分通用するモデルです.セイコーは 1978 年にはすでにツインクォーツと称する年差時計を発売しており、そうすると 20 年前にもう量産腕時計の精度は今と同じレベルに達していたわけで、結局この 20 年間はコストダウンの歴史だった、ということになりますね.
いま、安いクォーツの基盤は、それこそジュース一本よりも安いそうです.そのかわり、月差± 15-20 秒くらいですがあまり日常生活で問題になりません.正確といえば電波時計が一番正確なわけで、もはや年差± 5 秒以内のモデルよりさらに性能の良いものは(製造は可能でしょうが)無意味となってます.
話は飛びますが、結局、クルマも同じだと思います.約 60 年前、メルセデス・ベンツは 646 馬力、最高時速 400 km/h 以上のレーシングカーを作っていました.それを示して、かの巨匠・徳大寺有恒氏は「自動車屋さんはこの 数十年間、なにをやっていたのだろう」なんてことをある本に書いていました.そのような工業製品は、頂点を極めた後はつまるところコストダウンと快適さと環境との調和の歴史、ということになるのでしょう.
いまはあのアウトバーンでも平均速度は 100 km/h ちょいだというし、馬力競争、最高速度競走の時代は終わりを告げました.それよりもエコロジーのほうが大事だというわけで、ドイツでは信号待ちのたびにエンジンを止めるそうな.日本ではまだそこまでいってませんが、じきにそういう方向へ行くでしょう.となると、腕時計でいえば電池が必要なクォーツは淘汰され、多少精度が悪くても、太陽電池、キネティック、手巻き、自動巻きが生き残る、ということになります.
アメリカのエリート風にいえば、エクゼクティブはタバコを吸わない、太らない、深酒しない、ノンカフェインのコーヒーを飲む、家族を大切にする、それに加えてエコロジーを考えたクルマに乗り、腕時計をする、というわけです.
うーーーん、なんかつまらない生活かも.(^_^;)
というふうに、いろいろなことを考えさせられた、セイコーの初期の高精度クォーツ腕時計でした.なお、電池は一年しか持ちませんので、やっぱり環境には良くない時計です(笑).
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Quartz VFA (39SQW) 1970's SS Quartz 3922
38SQW発売の翌年、1972年に発売された、角形モデルです。右上の赤いLEDランプが一秒ごとに点滅する、可愛いヤツです。発売当時は、「光を時計のデザインに取り入れた」ということで、ずいぶんと話題になったそうです。
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Grand Quartz 1978 SS Twin Quartz 9943
セイコーは、クオーツを開発・発売後のかなり早い時期から、その精度の追及に余念がありませんでした。
世界最初の腕時計クオーツ、アストロンは月差プラスマイナス5秒。
いまの一般的なクオーツの精度は月差15−20秒ですから十分な性能と言えるのですが、まだまだセイコーとしては満足しなかったのです。
水晶振動子を一個から二個にしたらもっと精度が良くなる、と考えて、「ツインクオーツ」なるものを開発しました。
これは、機械式時計でいえば、孤高の独立時計師・フィリップ・デュフォーが作ったテンプが二つある「デュアリティ」と同じ発想ですね。もっと具体的にいえば、温度特性の違う水晶振動子を二個用いて、それぞれの温度誤差を相殺する、という理論です。現在の使い捨てクオーツと違い、使うひとの使用条件にあわせて、微妙な精度調整が可能なモデルであって、手元にある「精度調整マニュアル」を読むと、確かに当時の機械式時計の精度調整に準じるような、手間のかかるものであったようです。
1978年、セイコーはツインクオーツを採用して年差プラスマイナス5秒の年差クオーツ腕時計を発売。腕時計の精度競争に一区切りをつけたのでした。
クルマの世界では、20年くらい前、やたらといろんな技術を組み合わせるのが流行って、「鬼に金棒。ツインカムにターボ」とか、ついには「ツインカムツインターボ」のソアラとか売られていましたが、時(とき)の洗礼を受けて、そういう技術は自然淘汰され、結局はシンプルなものに戻るのが世の常です。
1981年、9483、9681という年差5秒のキャリバーを最後に、セイコーはツインクオーツの製造を止めました。
以後、私の手元の資料では、年差5秒の時計は20年以上経ったいまに至るまで作られていません。
その理由としては、ひとつは、製造コストがかかりすぎるということ。
もうひとつは、それまでの「AT振動子」に変わって、1983年8月に、「TM(ツインモード)振動子」というものが開発されたこと。これは、主振動(基準振動用)と副振動(温度補正用振動)の二つの振動を1個の振動子のなかで合成することにより温度誤差を消し高精度を実現する、というもので、セイコーは1983年にキャリバー9063の年差20秒の時計を発売しています。
写真のグランドクオーツは1978年製の年差10秒のものです。
外観はシンプルにまとめているところが、とても素敵です。
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MAJESTA 1983 SS Quartz 9063
1983発売、多分世界初のTM(ツインモード)水晶振動子を搭載した年差クオーツ腕時計、マジェスタです。精度は、年差±20秒。
マジェスタといっても、もちろんトヨタ・マジェスタの販促商品ではありません。この時計が発売されるまで、セイコーはAT振動子という水晶振動子を使用していました。これは水晶原石からATカットと呼ばれる切断角度で作り出された水晶振動片を内蔵した水晶振動子で、メガヘルツ(MHz)帯をカバーし、水晶振動子の中で最もポピュラーに使用されているものです。しかし年差クオーツの精度の確保のためには、温度特性と振動数が違う二個のAT水晶振動子(ツインクオーツ)が必要でした。
ところがTM振動子の場合、前述のように、一個の振動子で二個分の働きをするのです。このTM振動子の開発によって、ツインクオーツの時代は終わりを告げました。
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AGS FIRST 1988 TITANIUM AGS,5 jewels 7M42
現在、キネティックはセイコーの主力商品となっています。
1988年に発売されたときは、オート・ジェネレーティング・システム、AGSと称していました。
セイコーは、1969年に世界初のクオーツ腕時計を発売し、世界の時計業界のトップに君臨したのですが、それでもなおクオーツ腕時計には改善すべき点がありました。
電池の寿命が来ると、止まってしまう、ということ。
たとえばダイバースウオッチのような時計は、潜水中にもし電池が切れて止まってしまったら、命にもかかわるわけです。しかも、産業廃棄物としての電池は、環境にもよろしくない。
それで、シチズンは、主にソーラーバッテリーウオッチの開発に専念。
セイコーは、「ウオッチの分野で、なにか新しいものを作り出す」という使命のもと、1983年からキネティックの開発をスタートさせたそうです。
そして、1986年のバーゼルフェアにプロトタイプを出品したものの、じつはそのときにはすでに開発中止が決定していた、といいます。
当時、クオーツ時計は、「薄く、軽く、小さい」のがエライ時代。
それと比べるとあきらかに高価で、厚く、重い発電時計は、「国内市場では売れない」と判断されたのです。
1986年10月、キネティック開発担当のひとり、長尾昭一氏は、開発中止になったキネティックの技術発表のため、スイスの欧州時計学会に出席。
「複雑な気持ちでしたが、全く日の目を見ない技術開発も数多くあります。それを考えれば幸せだと思いました」(長尾氏・談 THE SEIKO BOOK 徳間書店より)
・・・ところがなんと、これが学会でバカ受け。
スイスで予想外の大反響を巻き起こしたそうな。
要するに、北ヨーロッパは、日照時間が少ないのですね。なので、ソーラーバッテリーウオッチよりも優れたシステムだと評価されたのです。
で、トップの決断でキネティックはお蔵入りから急転直下、商品化が決定。
1988年1月にドイツで、続いて4月に日本で発売されました。
当初は充電効率が悪く、しかもフル充電で3日しか持ちませんでした。(現在は4-6ヶ月作動するモデルがあり、また動かさないと最長4年間も冬眠して、動かしたときに正しい時刻を表示する、キネティック オートリレーという時計もあります)
普通の自動巻きモデルと違う点ですが、ローターが回ってゼンマイを巻き上げるのではなく、ローターが回るとそれに噛んでいる歯車が勢いよく回って、さらに磁石製の小さな発電ローターが毎分1万から10万回転して、それで発電コイルに電流が流れるのです。ですので、たとえば自動巻き腕時計用の自動巻き上げ器のような、ゆっくりとした回転ではまったく充電されません。
私が手に入れたのは、日本で発売された最初期モデルで、1988年1月製造のもの。
硬質チタニウムケースに金メッキ、両面サファイアガラス、定価は12万円でした。発売された当時、「なんだかすごい時計が出たなー、でも高いなー」と思いつつ、札幌東急の時計売り場に見に行ったのを憶えています。しっかり三つ折りのカタログももらってきて、いまでも手元にあります。
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SPEEDTIMER 1970's SS Automatic 6138A
シチズンのツノクロノに対して、「ウマ」と呼ばれるモデルです。
ステンレスのカタマリ、といった感じで、かなり大きく重く、しかも分厚いのが特徴です。
サイズが大きいせいか、とくに輸出をメインにしていた、というような話を聞いたことがあります。大柄なアメリカ人などに似合いそうな時計ですね。
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Quartz 06LCA 1970's SS Quartz 0624
セイコーは、1973年9月に06LC(諏訪精工舎)、12月に05LC(第二精工舎)という世界初のFEM方式の液晶デジタル腕時計を発売します。その翌年、1974年に発売されたのが、この06LCAです。セイコーの液晶デジタルでは三番目の商品になります。
当時のセイコーのパンフレットによると、この液晶盤は、約5万時間以上の耐久性を持つ、とのことでした。連続使用で、約5.7年。私が入手したこの時計は、さすがにそれ以上は稼働していたものと見えて、一部液晶表示に欠けがみられますが、ステンレスケースの造りは重厚なものであって、当時の高級品であったことがうかがえます。
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ATLAS A239 1979 SS Quartz A239
1979年にセイコーが発売した、ワールドタイム・液晶デジタルウオッチです。
カラー二層液晶パネルを搭載し、世界地図と時刻を表示するもので、たぶん、このようにコンパクトな世界地図表示の液晶デジタルウオッチは、世界初と思われます。
ビジュアル的にも優れたもので大変な評判となり、(未確認情報ですが)当時 Y・M・Oの坂本龍一氏が1980年世界コンサートツアーの際、愛用していたとのこと。
由緒正しい時計なんですね。
定価28500円。タグ付きのデッドストックで入手。
実際に手に取って見ると、二層液晶パネルの精緻な出来栄えは相当なものがあります。
正直言って、カシオのG−SHOCKのELバックライト液晶を見慣れた私にとっては、新鮮な驚きでした。とにかく画面がクリアーで、しかも立体感があるんです。
液晶デジタルウオッチの技術は、1970年代後半から80年代前半にかけてピークに達した感があり、まさにその代表的なモデルと言えましょう。
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UC-2000 1984 SS Quartz UC-2000
私が初めて、コンピュータというものにまともに触ったのは、たしか大学の学生時代だったと思います。それまでは、北海道大学の大型電算機センターに見学に行ったときに、なにやらパンチカードの束を見せられ、それでプログラムを動かす?ような説明を受けて、自分とは違う世界のもの、と認識していました。
それが、1980年代に入ると、「マイコン」と呼ばれるものが低価格で売られるようになりました。まだパーソナルコンピュータ、パソコンという言葉はあまり一般的でなかった時代。マイクロコンピュータ、あるいはMY(ぼくの)コンピュータ、という意味での「マイコン」。
・・・初めてシャープMZ2000を動かしたときの感動。
ガーガーピーピー鳴るカセットからプログラムをローディングして遊んだ、「スタートレック」。エンタープライズ号とクリンゴンの戦いは、いま思うとオモチャ以下のものですが、それでもけっこうハマッテ遊んでおりました。
大学では、物理の授業で富士通のFM7を使って、BASICでカード型データーベースのプログラムを組んで、単位をもらったりしてました。
大学を出てから社会人となり、ワープロかわりに仕事場で使ったのが、NECの16ビットパソコン、98シリーズで、ワープロソフトは、一太郎。でもあんまりアタマの良いパソコンとは思えませんでしたね、正直言って。
で、いろんなひとに話を聞いて、ついに自分のパソコンを購入したのが、平成4年のことです。当時、マッキントッシュのカラー表示できるタイプがかなり安くなってきて、レーザープリンターと合わせて確か50万円位で、通販で購入。激安通販で有名な、STEPというお店でした。
標準でメモリーが8メガ(たったの!)だったのを、12メガに増やしたんですね。ハードディスクは230メガ。いま思うと、たったの12メガで「漢字Talk7、通称・おにぎり」が動いていたわけで。いやそれより、たったの1メガ、フロッピー一枚でシステムが緊急起動できたという、エコロジカルな?時代でありました。
メモリーもめちゃくちゃ高価で、32メガのSIMMメモリーが30万円オーバーであったと記憶しています。メモリー、1メガ1万円の時代。でも、あのころのマックは輝いておりました。ほんとうに凄いツールでした。
ウインドウズ95が出たころ、マック派のぼくらは、「ありゃマック85だね」なんて陰口を叩いていたものです。マックには、バラ色の未来が開けていた筈、だったのですが・・・。
・・・それがいまや、世界はウインドウズ一色。さすがにマックのソフトがこうも少なくなってくると、そろそろマックを使い続けるのも厳しいものがあります。
さて私が大学でBASICのプログラムを組んでいたころ、1984年1月27日に、セイコーはこの リストコンピュータ、UC2000 を世に送りだしていたのです。時計本体19000円、コントローラーが29800円という、高価なもの。
当時は、私は腕時計にはさほど興味がなかったので、こういう時計の存在すら知りませんでした。
セイコー電子工業(旧第二精工舎、セイコーインスツルメンツ)製で名称は「腕コンピュータ」。UCというのはこの頭文字を取ったものと思われます。
いっぽう、それに対抗してセイコーエプソン(旧諏訪精工舎)が製造したシリーズは「WRIST COMPUTER」で、RCシリーズとして展開しましたが、定価が34800円と高かったせいか、あまり売れなかったようです。
このUC2000は、10文字100行の1000文字入力を2チャンネル使用で、計2000文字のカナ入力が可能です。また、マイクロソフト社の「8KBASIC」で簡単なプログラムを組むことができ、プリントアウトすることもできます。これは、当時のパソコンの標準プログラムであるBASIC80に、さらに腕コン専用の機能を付加したもので、たしかに8ビットパソコンそのものと同等の性能を持っていたようです。
この通称・腕コン、だれがどういう目的で使用することを想定して開発したのでしょうか?この腕時計でBASICのプログラムを組むひとはあんまりいなかったでしょうから、つまりは「セイコーの技術力を世界に示す」宣伝効果を狙って発売したものだと思われます。
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57 GRAND SEIKO 1967 SS Automatic 5722-9991 5722B
初代グランドセイコーは、1960年8月から諏訪精工舎で製造を開始され、同年12月18日に発表・発売されました。これは金張りのスナップバックモデル(わずかにステンレスモデル、プラチナモデルもあったようです)であって、防水性はあまり考慮されたものではありませんでした。どちらかというと、大企業の部課長クラス以上のポジションで、デスクワークを主にしているひとたちがターゲットだったのではないか、と思います。
当時の大卒初任給の二倍以上のお値段の高級機でしたが、それなりにけっこう売れたらしく(約36000個)、1963年11月にはセカンドモデルの「グランドセイコー セルフデータ」が製造開始されます。これは日付けカレンダーを追加したもので、さらに全機種スクリューバックの5気圧・50m防水(高級防水)としています。
1966年にはマイナーチェンジして、私が入手した 57グランドセイコー カレンダー を発売。文字盤・メダリオン以外の大きな変更点として、5振動から5.5振動に振動数をアップして、より精度を高めました。また微動緩急針も、おたまじゃくし型から歯車型に変更されています。これも文字盤のGSマークの大小、ムーブのネジ穴の有無と刻印の有無で前期型と後期型にわけられ、私のものは後期型モデルです。これらセカンドモデルはステンレスケースが主であって、高級モデルであるグランドセイコーをより一般に普及させよう、というものであったのでしょう。「ハードな使用に耐える高級品」という、いかにも日本的な位置付けの高級時計でした。また、機械式全盛時代の、諏訪精工舎・最後の手巻きグランドセイコーになります。
一般に、高級品というのは必ずしも実用的なものではなく、逆に壊れやすいもの、かもしれません。
たとえば、パテック・フィリップ。パテックが最高級時計であることに異論を唱えるひとはいないと思いますが、これはとても繊細な時計です。パテックのラインでハードな使用に耐えそうなのは、現在でもアクアノートとノーチラスくらいでしょうか。1970年代までには、そういうモデルすらありませんでした。要するに、汗をかいたり手に水がかかるような仕事のひとがする時計では無かった、わけです。それでも長い間、スイスの最高級時計として認められてきました。
日本では、明治時代以降、先進国に追いつき追い越せ、富国強兵で頑張ってやってきて、主にドイツの文化や学問にならったためか、高級品というのは「高価で性能が良く丈夫で長持ちする」ものである、というイメージが出来上がっていました。
日本人的な考えでの高級時計は、パテックよりもロレックス、グランドセイコー。クルマで言えば、ロールスロイスやベントレーよりも、ベンツ、セルシオ、なんですね。
グランドセイコー・セカンドモデルを解説するうちに、ちょっと横道にそれましたが、ロレックスが売れまくっている日本でいまだにパテックの認知度が低いのは、そういう高級なものへの認識の違いがあるようです。
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61 GRAND SEIKO SPECIAL 1970's SS Automatic 6155-8000
6156-80006155A
6156A
機械式時計全盛時代の1970年代末まで、国産機械式時計の最高峰は、セイコーの天文台クロノメーターでした。これは手巻きの45系キャリバー、4520Aを特別調整したもので、ニューシャテル天文台で45日間におけるクロノメーター検定を合格し、1968年10月に18金側・18万円でたった73個のみ市販されました。
この天文台クロノメーターに続いて、セイコーは二年間で153個をニューシャテル天文台クロノメーター検定に合格させ(キャリバー4580)、45GS・VFA(VERY FINE ADJUSTED)として市販しました。硬質ステンレス側10万円、ステンレス側8万5千円。
ごく少数、限定発売されたこれらの時計を最高峰とすると、二番目に位置するのは、61グランドセイコー・VFA(VERY FINE ADJUSTED)です。1969年6月発売。これは45GS・VFAと同じく、日差プラスマイナス2秒、月差プラスマイナス60秒以内の精度を二年間メーカー保証していた、という世界でも例の無い、とんでもない高精度のもので、クオーツに後を譲る「最後の花道」といった感がある時計です。
当時はSS側のベーシックモデルで10万円。61グランドセイコーのベーシックモデルが3万7千円ですから、ケタ違いに高価な時計でありました。最近のオークション相場では、おおむね80−100万円位で取り引きされているようです。いまやおいそれと手に入るお値段ではありませんね。
さて、国産時計で三番目にランクされる時計が、この 61グランドセイコー・スペシャル です(シチズンにも、同ランクの「グロリアス・シチズン」というものがありました)。
これは61グランドセイコーのスペシャル・バージョンということで、特に入念に調整されたもので、「VFAには手が届かないが、ひとと違ったGSが欲しい」というひとのために発売されたとのこと。ぱっと見は普通の61グランドセイコーとあまり変わらないのですが、良く見ると6時位置のGSマークが金色で、その下の「SPECIAL」も金色。針もインデックスもさらに細くなり、上品なイメージを醸し出しています。
クロノメーター標準級 クロノメーター優秀級 GS級 GSスペシャル級 グロリアスシチズン級 5姿勢平均日差 -3.0〜+12.0
-1.0〜+10.0
-3.0〜+6.0
-3.0〜+3.0
-2.0〜+3.0
5姿勢平均日較差 3.2
2.2
2.2
1.8
1.8
最大日較差 9.0
6.0
6.0
4.0
4.0
水平垂直の差 ±12.0
±8.0
±8.0
±6.0
±6.0
最大姿勢偏差 ±18.0
±12.0
±10.0
±7.0
±5.0
復元差 ±9.0
±5.0
±5.0
±4.0
±4.0
表に示したように、GS級、すなわちグランドセイコー規格はスイスのクロノメーター優秀級(SUPERIOR CHRONOMETER)よりも一段と厳しい規格となっていますが、1960年8月に発売されたグランドセイコー・ファーストモデルの規格は、この「優秀級」でした。その後、自動巻きの62グランドセイコーから、規格が変更され、「GS級」となり、その後のGSシリーズもこの規格で調整されていました。「GSスペシャル級」になると、ご覧のようにさらに高精度規格となっています。このへんはあまり知られていないらしく、オークションでは61GSも61GSスペシャルもいまのところあまり変わらない値段で取り引きされています。昨今のオークションでは、VFAを除けばGSファースト、セカンド、62GSといったロービートにとくに人気が高く、このハイビートのスペシャルモデルはまだ影が薄いようです。
しかしVFAの高騰を見ると、今後は入手しにくくなるかもしれません。私は日付モデルと日付・曜日付きモデルの両方を入手したのですが、とくに日付・曜日付きモデルは使用頻度の少ない極美品であって、当時のザラツ研磨の輝きがそのまま残っています。しかも基準合格証明書付き、という貴重な時計です。
なお、おまけとして「グロリアスシチズン」規格も載せておきました。お値段は1971年当時で5万5千円、GSスペシャルの日付つき5万円、日付曜日つき5万3千円、とほぼ同価格。精度規格は、わずかにセイコーを上回っています。まあこのへんは、たとえばトヨタのカローラに対して日産がサニーを売りだしたようなものでしょうか。・・・そのサニーもグロリアスシチズンもいまは無く、復活したグランドセイコーとカローラはいまだ頑張ってるわけですが、時計業界とクルマ業界もなにやら似たものを感じます。
話は飛びますが、ロレックスは、クルマでいえばベンツでしょう。パテックは、貴族的なロールスロイス。フランクミュラーは、一代でブランドを作り上げたフェラーリ。クロノスイスは、ポルシェかBMWか。我らがセイコーは、もちろん「トヨタ」。とすると、シチズンは日産か?いや、それほど経営は悪くないし。業界の三男坊・オリエントは、やんちゃなホンダってとこでしょうか。
なお、イソザキ時計店・店主の「時計小話」によると、当時のクラス分けでいえば、グランドセイコーは、「トヨタ・クラウン」、キングセイコーは「トヨタ・マークII」に相当する、とのことでした。
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56 GRAND SEIKO 1970 SS Automatic 5645-7010 5645A
この56GSは、機械式グランドセイコーの最後を飾る製品として1970年に諏訪精工舎から発売されました。25石、8振動、5姿勢・温度調整。1975年頃まで、販売されていたようです。61GSと併売されており、61GS・VFAよりも若干早く製造終了したようですが、8振動のせいか、いまだに現役で活躍中のものが多く、したがってGSシリーズのなかでも手に入りやすい時計です。1970年頃で定価が43000円。
時針は真ん中に黒線、分針は黒仕上の「尾なし棒剣」で、秒針は芯穴のない専用型とのこと。この7010の文字盤はプレーンな灰白色です。旧型GSとして完成されたデザインのもので、現行のGSよりも、そこはかとない上品さを感じます。
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CROWN SPECIAL 1960's GF & SS Manual 341
セイコーの「スペシャル」シリーズの第一弾です。セイコーはこのシリーズから、スタンダードラインのちょっと上のクラスとして、「特別調整品」という位置付けでスペシャルシリーズを展開しました。シチズンでいえば、「スーパー」シリーズに相当します。
セイコーは、1959年3月に「クラウン」を発売し、それは国際標準に達した時計であるとして高い評価を受けました。そのクラウンをベースとして、ついにスイスのクロノメーター規格優秀級と同等の精度をもつ「グランドセイコー」が1960年8月に発売されたわけです。当時グランドセイコーは25000円、現在の所得水準でいえば約40万円の超高級機です。一般庶民には、なかなか手の届く時計ではありませんでした。
そこで、中級機のクラウンのすこし上に、スペシャルバージョンとして、 クラウンスペシャル を置いたのですね。発売は1961年8月。グランドセイコー発売の1年後であり、「グランドセイコーのマイナーチェンジ版」と評するひともいるようです。お値段はAGF(80ミクロン14金・総金張り)で10000円、私が所有するGF裏ぶたSSで8900円。その性能からすると、とても良心的な値付けでした。
ムーブメントはロジウムメッキ仕上げ、角穴車にも高級時計のお約束、「飾り溝」が付いています。秒針規正装置も標準装備。グランドセイコーと多くの部品が共用できる作りとのこと。「SPECIALLY TESTED & FINISHED」と刻印された、クロノメーターシール風のタグが、いかにも誇らしげです。
当時はグランドセイコーに次ぐ高級機でした。
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LORDMATIC SPECIAL 1970's NSB Automatic 5216A
1970年代、自動巻きの中級機としてセイコーの屋台骨をささえた、名機・ロードマチック。そのスペシャルバージョンが、この ロードマチックスペシャル です。当時流行だった、「超硬ケース仕様」。当時、テクノスやラドーは、盛んに超硬ケースの時計を宣伝しておりました。ラドーバルボア、テクノスボラゾン。たしかシチズンやオリエントも出していたはずです。スクラッチプルーフ、という表示のものもありました。いずれも、確かに硬くキズがつかないのですが、「硬いがもろい」すなわち「割れやすい」という欠点があり、いつのまにか市場から姿を消してしまいました(超硬ケースが本格的に復活するのは、1990年代初め、セイコーがセラミックケースを開発してからになります)。
このロードマチックスペシャル・超硬ケース(NSB・特殊合金処理側)のお値段は、1974年当時で42000円。SSのキングセイコーよりももちろん高く、SSの56グランドセイコーとほぼ同価格でした。
日付・曜日は、ロレックスと同様に12時ジャストにパチッと変わります。
グランドセイコーならともかく、基礎が中級機であるロードマチックに当時42000円も払うひとはいなかったでしょうから、市場ではほとんど見かけない、貴重な時計です。
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52 KINGSEIKO CHRONOMETER SPECIAL 1971 SS Automatic 5245-6000 5245A
戦前から戦後にかけて、セイコーやシチズン等の国産時計メーカーには、文字盤に「CHRONOMETER」と表記してある時計がけっこうありました。もちろん、スイスの公式検定を受けたものではなく、「PRECISION」などと同様に、単にデザイン的な表記にすぎませんでした。
実質的なクロノメーターモデルは、1960年8月にセイコーが発売したグランドセイコーからであって、やや遅れてシチズンも、1962年11月に「クロノメーター31石」通称「シチクロ」を発売しています。どちらも社内検定でしたが、スイスBO局規格とまったく同じ検定を行っていました。
こういう自社検定の時代は、1960年代後半まで続きます。そのころは、国産時計は東洋の弱小メーカーにすぎず、本家・スイスからもまるで相手にされてなかったわけで、クレームもつかなかったのですが、1960年代後半、セイコーが天文台コンクールで優秀な成績をおさめ、かつ海外への輸出が本格化してスイスの牙城を脅かすようになってくると、これら「自社検定のクロノメーター規格」にクレームがつくようになりました。要するに、「オレらに断りもなく、クロノメーターを名乗るのはけしからん」というわけです。
そこで、1968年12月、日本クロノメーター検定協会(JCII)が設立されました。1969年4月1日から日本時計検査協会に認定業務を委任するかたちで検定を開始。国際クロノメーター検定委員会(CICC)への加盟が1969年9月に認められ、1970年、来日したCICC調査団の審査・合格を経て1970年1月に国際的にクロノメーター検定公式機関として公認されています。
クロノメーター規格の基準については、グランドセイコースペシャルの項に表でまとめてありますので、ご覧ください。
このように、当時の時計業界をあげての公式検定機関設立でしたが、クオーツ腕時計の普及に伴い、わずか数年でその存在意義が無くなり、1984年に解散となったそうです。
この 52キングクロノメータースペシャル は、亀戸(第二精工舎)自動巻きの最高機種になります。もともと諏訪精工舎の最高機種が「グランドセイコー」、亀戸の最高機種が「キングセイコー」という位置付けでした。さらにいえば、諏訪が主に「男持ち」すなわち紳士用腕時計、亀戸が「女持ち」すなわち女性用腕時計を生産していました。そういう関係からも、グランドセイコーが1番、キングセイコーが2番、という格付けにはなっていたようです。ところがその後ペットネームの共有化が進み、どちらもグランド・キングの両方を生産するようになったのですが、亀戸にしてみれば「キングセイコー」というペットネームには格別の思い入れがあったようです。心の底では、「グランドセイコーには負けない」という気概があった、と思われます(亀戸では、最後までグランドセイコーの自動巻きモデルは生産していませんでした)。
この時計は、1971年当時で35000円、諏訪61グランドセイコーのベースモデルと同価格帯です。裏ぶたのないワンピース構造、外部微動緩急調整式。ご覧のように、裏側はまったくの平面でメダリオンもなく、刻印だけとなっています。
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CRYSTAL CHRONOMETER 1960's SS Quartz QC-951
1950年代後半、日本の時計業界は、好景気と高度経済成長のはじまりで活気を呈していました。
しかし、世界の時計産業の頂点は、相変わらずスイス。
国産時計は、精度、生産数、高級感、どれをとってもまるでスイス時計にかなわなかったのです。
1950年、スイスの時計生産個数は2500万個、日本はたったの69万4000個。
セイコーは世界の頂点・理想の時計作りを目指して、1959年に諏訪精工舎から「59Aプロジェクト」を開始します。
理想の時計とは何かというと、正確な時計、巻かなくてもいい時計、美しい時計。
59Aプロジェクトでは、次世代の時計を水晶時計と考え、研究に取り組んでいました。
セイコーは1958年に自社開発の水晶時計(月差0.08秒)を開発しており、名古屋の中部放送へ納入していましたが、それは真空管式でタンス2個分はある大きなものでした。
それを腕時計サイズまで小さくする、というプロジェクトですから、当時は夢のまた夢、のようなもの。
ところが、翌1960年、セイコーが東京オリンピックの公式計時を担当することが決定。
超小型の水晶時計の開発が至上命令となり、多額の開発資金が投じられることとなりました。
それまでの水晶時計は、水晶振動子の温度特性(温度が20度変わると、2秒変化する)を解消するため、恒温槽に水晶振動子を入れて対応していましが、この恒温槽は消費電力が高く、小型化する際の大きな問題となっていました。
そこでセイコーは過去に培った精密加工技術を活かし、これらの問題を解決する温度補正装置(サーモバリコン)を開発。極低電力で安定作動する小型低電力同期モータを採用し、約100〜150Wだった消費電力を0.003Wにするケタ違いの低電力を実現。
その結果、わずか4年後の1963年9月に、乾電池で動く卓上型水晶時計、クリスタルクロノメーターQC-951 (日差0.2秒)が誕生しました。
これは一般向けには1964年2月に発売され、当時の価格は12万9000円。
おおむねロレックスの自動巻ステンレスモデルと同じくらいの値段ですから、一般庶民には手の届かない値段ですね。
大きさは縦20センチ、横16センチ、高さ7センチ、重さ3キロ。専用の移動ケースが付いていたものの、けっこう重たくて、実際はテーブルに据え置きで使用する、というサイズでした。
その後毎年水晶時計のサイズは小さくなり、セイコーは5年後の1969年12月に世界初の水晶腕時計、「アストロン」を発売し、それに引き続く「クオーツ・ショック」でスイスの時計産業は壊滅的打撃を受けます。
1970年代から80年代はじめにかけて、スイスの時計関連会社は1620社から560社に激減、時計産業従事者は最盛期の15万人から3万人まで落ち込んだ、といわれています。
ところで今回ヤフーオークションで入手した、このセイコー・クリスタルクロノメーターQC-951。
40年前の精密電子製品、という古いものにもかかわらず、単一乾電池にて動く実動品です。
さすがに精度調整の必要はありますが、こういう博物館クラスの時計がけっこう安く手に入るのも、オークションの醍醐味といえるでしょう。
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SEIKO
IMPACT1986 METAL&SS Quartz 8T23
1986年の秋から約1年間製造された、セイコーインパクト(セイコー電子工業・旧第二精工舎製)。
キャリバー8T23、世界初の手巻き充電時計です。
1988年1月にAGS(オートジェネレーティングシステム・セイコーエプソン・旧諏訪精工舎製)という、自動巻充電時計が発売されるまでのごく短期間製造されました。
1986年春、スイスのバーゼルフェアは初めてヨーロッパ以外の国からの出展を認めたのですが、そのとき初参加のセイコーが手みやげ代わりに、AGSと同時にこのインパクトのプロトタイプを出品。
AGSは当初、出品の時点で開発中止が決定していたのですが、手巻きのほうは完成度が高く、とりあえず市場に投入したのですね。
時計自体のデザインはミリタリーテイストのシンプルなもので、一見チタン風に見えるケースはメタル、裏蓋はステンレス。
当時の定価、28000円。
いわばセイコーの腕コンシリーズやテレビ腕時計のようなもので、世間へのアピール用の試作品的なもの。
セイコーとしては、継続的に製造するつもりでは無かったと思います。
フル充電で6時位置の赤いLEDが1秒間点灯し、約三日間稼働します。
まあそれはいいのですが、フル充電するまで、ひたすらこの重い大きいリューズを巻くわけで、これがとっても大変なんです。
普通の手巻き時計のゼンマイを巻くのとは全く違います。なにしろ、手巻きで発電機を回すワケで、とにかく重い。
しかも取り説によると、この重くきついリューズを一秒間に2回転以上のスピードで1分間から3分間回さないといけないのです。
正直、人差し指の横が痛くなりますので、軍手か手袋をして指を保護してから巻くのがベターかもしれません。
でも、かなりレアなことは間違いないらしく、手元にある2000年4月発行の「WATCH EXPRESS!! 3 」 では、元ホームラン商会オーナーの河田昭氏が時計鑑定をしており、なんと「60000円」の鑑定金額が。
「80年代の時計が見直されるなかで、今後ますます手に入らない貴重な時計になると予想される」
なあんていうコメントもついていました。
この記事を見たときから密かに狙っていたのですが、確かにレアものらしく、ヤフオクにもほとんど出てきません。
ネット検索では、昔デッドものが88000円で落札された、という記録がありまして、相当高額な出費になりそうでしたが、このたび縁がありまして、私のところにやって来ました。
ところで、セイコーがバーゼルフェアに参加して、約20年がたちました。
最近の、セイコーのバーゼルフェアでのポジションは、どのようなものなのでしょうか?
「世界のトップ時計メーカーが大集合するバーゼルフェアの会場は、来場者への新製品のお披露目であると同時に、メーカー側の格好の情報収集の場所でもある。(中略)そのお馴染みの習慣の中で、多くの関係者が『ここだけは真っ先に見る』と口をそろえるブースがある。どこだかおわかりになるだろうか。実は、名だたる名門を押しのけて、セイコーのブースがそうなのだ。世界初のクオーツ腕時計発売と、それ以降の世界的な成功はセイコーの誇りとするところである。そしてそれは、機械式時計に執着する多くのスイス時計メーカーからすれば、ひとたびは壊滅さえも覚悟しなければならなかった苦難と忍従の時期であった。この歴史的事実は、少なからずトラウマとして残っているのである。(中略)セイコーが何をしてくるのかを見にくる関係者は、決して楽しみのためだけに来るのではない。なにかとんでもないことをまたしていないか、確認しに来るのである。」
(腕時計雑学ノート 笠木恵司、並木浩一著 から抜粋)
というわけで、AGSやインパクトのプロトタイプを見たスイス時計業界の関係者は、当時相当な衝撃を受けたに違いありません。
1986年といえば、まだ機械式時計復興の途中であって、完全にスイス時計業界が息を吹き返した時代ではありませんでした。
そういう状況のときに、またまたセイコーが、「機械式とクオーツのハイブリッド腕時計」をひっさげて登場したのですから。
「悪夢の再来か?」という意識が業界関係者の脳裏をよぎったとしても、不思議はないでしょう。
機械式時計の売り物のローターも歯車もあるし、人間が手を加えなければ動かない、という「人間と時計の主従関係」もしっかり確保してあるし、使い捨て電池のいらないとてもエコな時計であるので、つまりは従来のクオーツ時計に対する機械式時計の優位性をほとんど持っている時計、といえるわけです。
しかも、日照時間の少ないヨーロッパでは、エコな時計としてはソーラー時計よりも有用性があるかもしれないと判断されたようで、それで大評判となり、お蔵入りだったAGSが復活して製品化されたのは、別項に示したとおりです。
近年は、機械式時計、クオーツ時計(ソーラー含む)、そしてAGSやスプリングドライブ時計といったハイブリッド時計の三者の棲み分けがなされており、とうぶんこのままの状態が続きそうですが、たとえば産業廃棄物としてのボタン電池の規制が世界的に強化されるということにでもなれば、そのへんの勢力地図が変わってくる可能性はおおいにあると思います。