TUTIMA
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創業年 |
1845 |
創業者 |
アドルフ・ランゲ |
創業地 |
ドイツ グラスヒュッテ |
現在地 |
ドイツ |
19世紀後半、ヨーロッパでの時計工業の発展には目覚ましいものがありました。その中心はスイスのジュネーブの北に広がるジュラ山脈地域、ロシアのスターリングラードを中心とする地域、そしてドイツ・ドレスデン近郊のグラスヒュッテです。
ザクセン州グラスヒュッテで時計工業が花開いたのは1845年12月7日、時計職人アドルフ・ランゲがグラスヒュッテ初の時計工房を開いてからです。
彼は村の青年達に時計製造技術を指導し、精密加工に必要な機械式工具や時計部品の製造も教えることで、グラスヒュッテには時計製造に関わる多くの工房が開かれました。
1849年から18年間、アドルフ・ランゲはグラスヒュッテの町長を務めていましたが、1875年、60年の生涯を閉じました。
しかし工房は息子達の手でランゲ・アンド・ゾーネとして第二次世界大戦まで存続。1948年、東ドイツに接収され、さらに1951年には国営工場グループに吸収され、ついに消滅してしまいました。
その後、3代目のウオルター・ランゲが1990年12月7日に、145年ぶりにランゲ・アンド・ゾーネを再興します。
さて話しは戻りますが、1918年、時計職人協会の合意により、組合制度で新しい時計会社、ドイツ精密時計・グラスヒュッテ株式会社(DPUG)が設立されました。DPUGは、まずネジやネジピッチなどの部品の規格化を行い、各時計間の部品の共有によるコストの削減に成功。その後、第一次世界大戦後のインフレとスイス時計の攻勢で業績が悪化、1925年には解散となりました。
さらにその後、UROFAという基本ムーブメントを生産する会社と、UFAGという完成品としての時計を生産する会社が誕生。
これを機に、グラスヒュッテは高級な精密時計作りから大量生産による安価な時計作りの道を歩みはじめます。
グラスヒュッテで生産される超精密時計には、ラテン語で「精密」を意味する「TUTIMA」なるブランド名が付けられ、当時の時計工業製品のなかで最高品質を維持していました。
チュチマは生産個数も少なく、非常に高価なものでした。懐中時計ではランゲ社が有名ですが、腕時計の分野ではチュチマが同等の技術を誇っていました。
チュチマが1930年代に開発したキャリバー59を搭載したチュチマ・ミリタリークロノグラフはあまりにも有名で、ドイツのオークションでは100万円前後の価格がつくコレクターズ・アイテムとなっています。
この時計の当時のスペックは、17石、アンチショック、フライバック付き、-10度から+40度において日差が -3〜+12秒、という素晴らしいもので、1941年から1945までに約3万個が製造されましたが、戦後ソ連が持ち去ったりフランス軍が空軍用として再利用したりなどして、現存数は非常に少ない、といわれています。
1945年の第二次世界大戦終戦間際、UROFAおよびUFAGのディレクターであったドクター・クルツ(KURTZ)氏は、数人のエンジニアとともにソ連の手を逃れ、現在のブレーメン近郊にあるガンダーケッセに移り、精密時計ムーブメントやそれを搭載する時計の開発を続けました。
1960年、ドクター・クルツ氏の引退に伴い、社名を現在の「TUTIMA UHRENFABLIK GMBH」に変更。
1985年には、自動巻きクロノグラフの「チュチマ・ミリタリー・クロノグラフ」を発表、これは西ドイツ軍に制式採用され、1989年からはNATOアメリカ空軍にも制式採用されています。
この時計は、レマニア5100を搭載したもので、パワーリザーブ45時間以上、日差 -2〜+8秒、作動環境-8度〜+40度、10気圧防水、アンチショック機構付き、というドイツ軍のミリタリースペックを満たしています。
ドイツ軍に採用されているクロノグラフは、クロノグラフ機能にかかわるすべてのハンドがレッドにペイントされています。これは視認性を重視したもので、他国の軍のスペックにはないそうですね。
たしかに、私が所有しているミリタリー・クロノグラフのセンターセコンド、60分積算計、12時間計はレッドペイントされています。
チュチマは1995年に、第二次世界大戦時代の手巻きミリタリー・クロノグラフを「ルフトバッフェ」という名前でバルジュー7760をベースに復刻しており、過去の栄光をアピールしています。
Name |
Circa |
Case |
Mov |
Ref |
Cal |
| MILITARY CHRONOGRAPH |
1980's | SS | Automatic | LEMANIA 5100 |