フェルナン・フルーレは、デュフィに関する自身の著作を、エレミール・ブールジュとのエピソードから書き始めている。フルーレによれば、ブールジュはデュフィがその名前や外見からスコットランド人に違いないと主張していたという。
ラウル・デュフィ自身はフランス人である。しかし、姓は確かにゲール語に起源をもっている。Dufyというのはアイルランドの姓であるDuffyのフランス語化したもので、もともとはO'Dubhthaigh、Dubhthach(「(色の)黒い人」)の息子、という意味である。
ル・アーヴル生まれの画家自身、自らのルーツと関心とを結び付けていた。
海と音楽が私の2つのテーマです。音楽、地中海、どうしてだかわかりますか? 私のアイルランドとノルマンというルーツが理由なのですよ!
上記の彼の言葉にもあるように、デュフィは自身の2つのお気に入りのモティーフである海と音楽というものが、彼自身のアイルランド、そしてノルマンというルーツに由来するものと考えていた。少々非科学的な話ではあるが、このことは彼が自らのルーツというものを非常に重要なものとして感じていたことのあらわれである。なぜならそれは彼が自らの好みは、自身の少年時代の環境、つまり家族によるものだと見做していたからである。
ラウル・デュフィに関する多くの年譜では、しばしば2つの誤りが見受けられる。
奇妙なことに、英語で書かれたモノグラフには、デュフィがきょうだいの最年長であったと書かれている。そして英語からの翻訳についてもまたしかりである。しかしながら、ギヨン・ラファイユ画廊のアンヌ・シャプーティエ氏が、2001年2月26日に筆者に送信した電子メールでは、それは誤りである。2003年3月、シルヴィー・バロー氏の協力でル・アーヴル市の史料館におさめられた住民台帳を参照した結果、筆者もこれを確認することができた。
これは1896年のデュフィ家の住民台帳の写真である。ここにはそれぞれの名前と年齢が記録されており、デュフィ、レオン(父)、50歳、デュフィ、マリー、46歳、デュフィ、レオン(息子)、21歳、デュフィ、ラウル、18歳、デュフィ、ガストン、16歳、デュフィ、セリーヌ、13歳、デュフィ、マルス、10歳とある。

デュフィの兄弟姉妹の一覧を示す。スペードマーク(♠)がついた名前が兄弟、ハートマーク(♥)がついた名前が姉妹である。台帳で記載された異名がある者についてはブラケットで囲んでいる。また、生没年月日もつけておく。
長女のジャンヌとアリスは若くして没したため、多くの年譜ではこれら2人の名前は省略されている。それゆえ、きょうだいの人数は11人ではなく、9人とされるのである。唯一の例外は、1999年のクリスティアン・ブリアンのものであるが、ここでは残念ながら、ジュルメーヌの名前が抜けている。
Last modified: 2004-06-04